「あれ、氷室くん」
昼休み、図書室に行くと、隣の図書談話室にクラスメイトの氷室くんがいたた。
談話室に人がいるのは珍しい。
よくよく見ると、彼は苦い顔をしている。
「どうしたの?」
「さん」
ちょっと気になって話しかけてみた。
談話室は小声でなら会話が許可されている。
「古文で課題出されちゃって」
氷室くんは困り顔でそう言う。
彼の前まで来て持っているプリントを見てみた。
「この間のテスト、あまりいい点とれなかったからね」
「そうなんだ…でも、仕方なくない?」
氷室くんは8年近く日本から離れていて、この間帰ってきたばかり。
当然、古文の授業は今まで受けたことがないと以前言っていた。
そんな氷室くんが古文で点数など取れるはずもない。
「先生もそう言ってくれて、だから課題で済んでるんだよ」
「あ、そういうこと」
確かに赤点を取った場合、先生によって変わるけど追試になったり補習になったりしているはずだ。
課題だけで済むということは、それなりに先生も考えてくれているんだろう。
「金曜までに4枚、やってけってさ」
氷室くんは私にプリントを渡す。
A4のプリント4枚。テストみたいな形式だ。
「…わかる?」
「正直お手上げだ」
氷室くんは両手を上げる。
プリントの内容はこの間のテストのような内容なので、当然だろう。
「…さん、もしよかったらなんだけど、少し教えてくれないかな?」
氷室くんは、少し眉を下げてそう言ってくる。
「え、でも…教えたりしていいの?」
「うん。そもそも答え写していいって言われるんだけどさ」
「え」
氷室くんの言葉に驚いたけど、確かにあの先生なら言いそうだ。
たぶんテストに似た課題にしたのも、氷室くんの事情を考慮したのではなく、新しい問題を追試のために作るのが面倒だからだろうな。
「でもそれじゃ意味ないだろ?だからと言って一人じゃ解けないし」
氷室くんは苦笑いする。
そういうことなら、断れない。
「いいよ。一応古文は得意だし」
「ありがとう。心強いよ」
氷室くんの前の席に座って、さっきさらっとだけ見たプリントの問題を一つ一つ見る。
「1問目はどう?」
「ああ、そこは大丈夫。2問目なんだけどさ…」
氷室くんは問題文をシャーペンでなぞる。
私は答えは言わないよう、ヒントになるようなことや解き方を教えていった。
「…終わった!」
「よかったね」
昼休みが終わるまでに課題は終了した。
ちら、と氷室くんは黒板の上にある時計を見た。
「明日からも昼休み使えば終わるかな…」
たぶん課題のことだろう。
まだ課題は残っているようだし、昼休み中に終わるか確認しているんだろう。
「放課後はできないの?」
「うん、部活あるから」
「あ、そっか…」
氷室くんは練習が厳しいと有名なバスケ部だ。
ほとんど毎日部活があるし、遅れるわけにはいかない。
だからと言って家に帰ってからやるのだと、教えてもらう人がいないから答えを写すだけになっちゃうだろうし…。
「…さん、悪いんだけど」
「ん?」
氷室くんはペンケースを鞄にしまいながら、少し言いにくそうに口を開く。
「明日からも手伝ってくれないかな?オレ一人じゃ終わりそうにない」
本当に良かったらなんだけど、と氷室くんは付け加える。
だけど、ちょっとだけ迷う。
私なんかでいいんだろうかということと、課題を手伝っていたらお昼を食べる以外、昼休みが潰れてしまうということ。
返答に迷っていると、氷室くんは表情を暗いものに変えた。
「ごめん、迷惑だよね」
「あ、そうじゃなくて…」
考えるより先に言葉が出てしまった。
だって、そんな悲しい顔をされたら、私が悪者みたいじゃないか。
「…いいよ。役に立てるかわからないけど」
「そうじゃない」と言ってしまった手前、もう断れるはずもない。
彼の頼みを受け入れることにした。
「ありがとう。今度お礼するから」
「いいよ、別に」
まあ、昼休みのの時間が少しなくなったところで、大した用があるわけじゃない。
今日は火曜日。金曜までフルにかかってもあと3日間だけだしいいか、と自分に言い聞かせた。
*
「今日はこれ?」
「うん」
次の日、また氷室くんの前に座って課題のプリントに目を通す。
談話室は基本的に人がいない。
図書室には司書の先生がいるけど、ほかに人はいないし遮られているから声も聞こえない。
談話室には、私と氷室くんの二人だけ。
「…昨日よりは簡単、かな?」
「そう?」
今日やろうとしている課題は、昨日のものよりだいぶ難易度が落ちているように思う。
今日は少し早く終わるかもしれない。
*
「…そう。じゃ、ここは?」
「…この活用?」
「そうそう」
木曜日。氷室くんは少しずつ古文に慣れてきたみたいだ。
「さん、教えるのうまいね」
「そう?」
「うん。授業よりわかりやすい」
そう言ってもらえると、やっぱり嬉しい。
最初迷ったしまったけど、頼みを受けてよかったと思う。
「今日は…もうお昼終わりだね」
「うん。今日もありがとう」
「明日で終わりそうでよかった」
今日は4枚目の最初のほうまで終えられた。
ざっと見た限り、4枚目の残りはそんなに難しい問題ではない。
明日の昼には確実に終わる。
「じゃ、また明日だね」
「うん」
そう言って二人で教室に戻った。
*
「…これで終わりだね!」
金曜の昼休み、とうとう最後の課題が終わった。
氷室くんもだんだんと古文の問題に慣れたようで、まだ昼休みが終わるまで余裕がある。
「よかったね。少しは古文わかった?」
笑って聞いてみると、氷室くんは首を傾げた。
「どうだろう」
「自分じゃわからないかもしれないけど、きっとできるようになってるよ。ほら、だんだん解くの早くなってったし」
氷室くんに携帯の時計を見せてみる。
「ね。答え丸写しにしなくてよかったね」
火曜の昼、氷室くんが「それじゃ身にならない」と言っていたけど、その通りだ。
現に自分で解くようにして理解を深めたんだから。
「さん」
「っ!」
同意の言葉が返ってくるかと思ったら、氷室くんは少し低い声で私の名前を呼んだ。
携帯を持つ手を掴まれて、動揺してしまう。
「氷室くん…?」
「オレが本当にそんな真面目な気持ちで言ったと思ってる?」
氷室くんは笑う。
今までのような穏やかな微笑みじゃなくて、少し妖しさを含んだ笑み。
かあっと自分の頬が熱くなった。
「あ、あの」
「古文とか正直どうでもいいんだ。ただ、さんに近付くのにこれが手っとり早そうだなって」
「!」
氷室くんは掴んだ私の手を自分の方へ引き寄せる。
手の中にあった携帯は音を立てて机に落ちた。
「そ、そんな不純な理由だったの?」
「不純?どこが?」
「不純だよ!だって、勉強だって嘘吐いて、そんな」
頭が混乱して、しどろもどろで言葉を紡ぐ。
ちゃんと課題に取り組もうとしている真面目な人だと思っていたのに、そんな不純な理由での行動なんて、裏切られたような気持ちになる。
「好きな人に近付きたいって思うのは不純?」
思わぬ言葉に、逸らしていた顔を上げる。
好きな人…?誰が?
彼の言葉の意味を理解して、一気に顔が火が出そうなほど熱くなった。
「オレは純粋にさんが好きだよ。だから近付きたいって思った。嘘を吐いたことは謝る。でも、人を好きになって、その人に近付きたいと思うのは責められるような不純なこと?」
氷室くんに捕まれた手がどんどん熱くなっていく。
顔が熱い。息が苦しい。
「嘘を吐いてごめん。でもさんが好きなんだ」
そう言われると、何も言えなくなってしまう。
だって、たとえ純粋な気持ちじゃなかったとしても、彼がした課題への取り組み方は先生に言われたやり方よりよっぽど真面目なことだ。
その上で嘘を吐いた事実について謝られたら、責めるに責められない。
嘘を吐いた、理由も。
「…っ、氷室くんっ!?」
もやもやと考え込んでいると、氷室くんが私の後頭部に手を当てて、私を顔を引き寄せる。
顔が近い。唇が触れてしまいそうなほどに。
「せ、先生が見てるから!」
あわてて隣の図書室の司書の先生を見やる。
先生は私たちに背を向けて本を読んでいるようだ。
「…拒否の理由は、それだけ?」
氷室くんの唇が弧を描く。
背筋が凍るような思いがした。
「見ていなければ、いいんだろう?」
氷室くんは横目で司書の先生を確認すると、ぐいと私を体を引き寄せた。
私の初めては、いとも簡単に奪われた。
「…ひ、むろくん…」
「さん以外にこんなことしない。さんだけが好きだよ。それでも、さんはオレのことを不純だって言う?」
「…あ、の」
答えに詰まると、氷室くんはもう一度唇を重ねてくる。
私は何も言えなかった。
だって、彼の気持ちも、今の私のこの胸の高鳴りも、とても不純だと言えるものではないことがわかってしまった。
不純異性交遊
14.12.08
藤乃さんリクエストのガンガン攻めてくる氷室でした!
ありがとうございましたー!
感想もらえるとやる気出ます!
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