あのときの、優しい微笑みと、月明かりをもう一度




「送ってやろうか」と土方さんに言われたので、仕事から上がってすぐ着替えて、慌てて外へ出た。せっかく送ってくれるのに待たせちゃいけない、そう思って。勢いよくとドアを開けると、煙草を咥えてた土方さんがいた。そしたら土方さんは一瞬驚いたような顔をしてからふ、と笑った。

「髪」
「え?」
「髪、すごいことになってるぞ」
「えええ!?」

うわあああしまった!慌てすぎた!すぐに鞄から櫛と鏡を出して梳こうとしたけれど、土方さんは私の頭を撫でて「別にいいだろ」と言った。

「もう暗いし、近くに来なきゃ見えねえよ」
「そ、うですか?」
「ちょっとくらいアホっぽいほうが襲われなくていいしな」

そう言った土方さんの顔は今までに見たことのないような顔で、笑った。いやまあ、今までにも笑うことはあったけど何だかいつも笑うときはさっきみたいに、ふ、と笑ったりちょっと自嘲気味に笑ったりとかそんな感じだったから、あんな顔で笑うんだと、とてもびっくりした。そんなに私の髪がおかしかったのかそれとも。何だろう、うまく言えないけど面白いとか可笑しいとかそういうのじゃなくて、自然に出た笑顔だったらすごく嬉しいのだけれど。

「で、お前の家はどっちなんだ?」
「あ、こっちです」

土方さんと私は2mくらいの感覚を開けて並んで歩きだした。ずっと無言で。土方さんはあんまり喋らない人だとはわかっていたけど、歩き出してから何も話してくれないのは流石に寂しい。頑張って何か言おうとするけど、考えてみれば土方さんはうちの店の常連だけど私と喋ったことなんてほとんどない。何を話せばいいのかわからないのが正直なところだ。

「……」
「……」
「…お前さあ」
「は、はいっ?」

わ、びっくりした、いきなり話しかけられるなんて思わなかった。土方さんは前を見たまま、新しい煙草に火をつけた。

「名前、何なんだ?」
「あ、言ってませんでしたっけ」
「聞いてねえなあと思って」
「あの、です」
…」
「は、はい」

改めて言われると何だか妙に気恥ずかしいというか、やたら自分の名前が愛しく思えた。。自分の名前にそんなに愛着があるというわけではなかったけど、今だけはお父さんお母さん私にこの名前をつけてくれてありがとうと感謝した。

「あ、の」
「何だ?」
「…なんでもないです」
「何だそれ」

土方さんとはやっぱり2mくらいの間隔を開けて歩いてる。だけどすぐ隣に土方さんを感じるような、不思議な感覚。土方さんが吸ってる煙草の火が、彼がそこにいることを証明している。土方さんはそこにいる。私の、隣に。


結局それから、私の家に着くまで土方さんと会話はしなかったけど何だかとても心地いい時間だった。土方さんの隣で、歩いて、土方さんがそこにいることを感じて。

「家、ここです」
「そうか」
「あ、今日はありがとうございました」
「別に」
「あの、また、明日」
「そうだな」

そう言って土方さんはまた笑った。土方さんの顔はとても綺麗で、笑ったりなんかしたらそれこそ綺麗とかそういう次元を越えてしまう気がする。お店の前と違って、ここでは街灯がぽつぽつあるだけで明かりはほとんどない。月明かりの下見た土方さんの顔は、きっとずっと忘れないんだろうと思った。
土方さんはじゃあな、と言って帰って行った。黒い着物を着た土方さんはすぐ見えなくなってしまって、少し寂しい気がしたけれど、また明日、会えるんだからと思ってそのまま家に入った。


空を見上げれば満月、月はよく見えるけれど星は見えない。今度は星明かりの下、土方さんの笑顔に会いたい。













月明かりの下、もう一度
(二度と見られなくなるなんて、夢にも思わなかった)

07.10.05