「あ」
「お」
塾からの帰り道、隣の家に住む修造に会った。
修造は部活帰りのようだ。
「部活?」
「おう。そっちは?」
「塾」
「いつもこんな時間までやってんのか?」
「今日は先生に聞きたいことがあって」
今日はいつもより遅くまで残って先生と話していた。
おかげでこんな時間になってしまった。
「こうやって帰るのも久々だなあ」
「もう学校も違うしね」
修造とは中学からは違う学校に通っている。
私は地元の公立校、修造はバスケ部強豪の私立校だ。
今でも話したり、お互いの家でご飯食べることもあるけど、こうやって一緒に家までの道を歩くのは久しぶりだ。
「あ、ちょっとコンビニ寄りてえ」
「何か買い物?」
「おう」
修造がそう言うので一緒にコンビニに寄った。
自動ドアをくぐって、コンビニの中に入る。
「お前なんか買うの?」
「ううん。待ってます」
虹村はペットボトルコーナーの方へ。
私は雑誌でも立ち読みしていようか。
「……」
コンビニの目立つところには、明日に控えたバレンタインの特設コーナーが出来ている。
すでにプレゼント用にラッピングされたチョコレート、手作り用の材料、ラッピングの袋、狭い一角に所狭しと並べられている。
「バレンタインだな」
「…っ」
いつの間にか修造が私の隣に来ている。
買い物は終わったようだ。
「…そうですね」
「誰かにあげねーの?」
「家族に。あと友達」
家族にはあげる予定だ。
あと友達と一緒に食べる分も買う。
「昔はくれたじゃねーか、おばさんと一緒に」
コンビニの自動ドアをくぐりながら、修造は言う。
小学校の頃は、毎年お母さんに手伝ってもらって、修造と修造のお父さんにチョコを作っていた。
「…昔の話じゃない」
でも、それは昔の話。小学校四年生までの何も考えていない時代の話だ。
「もう中二なの」
もう私も修造も中学生だ。
ほんの一部だけど彼氏彼女がいる子がいるし、恋人はいなくてもほとんどの子は好きな子がいるような年なんだ。
いくら幼馴染でも、手作りチョコレートを渡すのは恥ずかしい。
「第一、修造結構もらってるでしょー?」
「…別に」
修造はそう言うだけで、否定も肯定もしない。
目つきも口も悪いから怖がる子も多いけど、面倒見がいいから本気で思う子も多いのを知っている。
いつもは口に出せない子たちが、こういうイベント時には勇気を出すんだろう。
決して多くはない。でも、軽い気持ちじゃなく、本気のチョコレートをいくつかもらう。
修造は、そういうやつだ。
「ま、でも親父には作ってやってくれよ。毎年楽しみにしてたから」
「…ん」
…修造にあげていないだけで、去年もその前も、そして今年もおじさんにはあげるつもりだ。
だってあげない理由がない。
修造には、あげられない理由がある。
「じゃーな、また」
「またね」
家まで着いて、私も修造もそれぞれ家に入って行く。
「…はあ」
あげられない理由は、単純だ。
もう前みたいな気持ではあげられないから。
「いつもありがとう」なんて軽い気持ちじゃもうあげられない。
チョコレートの込めた想いが、変わってしまった。
「…よし」
キッチンで手作りチョコの準備をする。
私の家族の分、友達の分、修造のお父さんの分。
…あと、修造の分。
あげられなくなってもう四年目。
だけど、毎年作るだけ作っている。
作って、渡せなくて、持って帰って、自分で食べる。
毎年それを繰り返している。
「…うん、おいしい」
作り終えて味見をすれば自画自賛の声が出る。
小さいころからお母さんに手伝ってもらって作っていたし、割とチョコレート作りには自信がある。
友人からも好評だし、修造のおじさんは毎年楽しみにしていてくれる。
…修造も、しかめっ面をしながらも「まあ、うまい」なんて言ってくれたっけ。
もちろん、彼に渡したい気持ちはある。
別に告白しなくたって、至って普通に渡せばいい。
前みたいに、「ハッピーバレンタイン」なんてふざけて渡せば、修造だって何も思わないだろう。
でも、それがどうしてもできない。
自分でも、バカみたいだと思う。
*
「はーい、チョコレートタイム」
「やったー!」
バレンタイン当日、昼休みに友達たちとチョコレート菓子を持ち寄って食べ始める。
甘いものを食べるって幸せだ。
「ねえねえ、みんな渡す人いないの?」
友達の一人がいやらしい顔でそう言ってくる。
「いません」
「いたらいいけどねえ」
みんなため息交じりにそう言いだす。
みんな、そんなものか。
「ああ、でもいるじゃない、カッコイイ幼馴染が。あげないの?」
友人一人の言葉に固まる。
修造のことだ。
「…今、あんまり話してないから」
「あ、そうなんだ。まあやりにくいよね」
友達にはあまり修造の話はしていない。隣に同い年の男の子が住んでいる、ってことぐらいしか。
なんとなく気恥ずかしいから。
小学校からの友達は当然修造のことを知っているけど、最近はあまり話していないと流すことにしている。
「えーいいなあ、カッコイイ幼馴染!」
「別によくないよ。あ、それよりさ、昨日のドラマ見た?」
修造のことは話したくない。
違う話を振ることにした。
*
「…ふう」
学校帰り、修造のお父さんのお見舞いに行ってチョコレートを渡してきた。
喜んでくれた。本当に良かった。
自分の家族には朝渡した。
私の手元には、チョコレートが一つだけ残っている。
修造の分だ。
なんだか気が重くて、公園のベンチに座った。
お茶でも飲もうと思って、鞄からペットボトルを出した。
「おっ、」
もうすぐ家に着くところで、修造に会った。
いつもはもっと遅くに帰って来るのに、今日はずいぶん早い。
「…今日は早いね」
「ああ」
修造はそう答えて私の隣に座る。
つい、修造の鞄を見つめてしまう。
中には、何が入っているんだろう。
「……」
「……」
少し気まずい。
いや、私が勝手に壁を感じてるだけだ。
鞄の中に入ったチョコレートが、やたら重い。
「しゅうぞ」
「なあ」
名前を呼ぼうとしたら、強い口調で遮られた。
あまりに強い声に、少し脅える。
「な、なに」
「それ、誰にやるんだよ」
「え」
「…鞄の中身」
そう言われ、慌てて鞄を見る。
お茶を取り出したときに、開けたままにしていた。
ワインレッドのラッピングが丸見えだ。
「!」
慌てて隠しても、もう遅い。
「…友達や家族にじゃねえだろ、それ」
「……」
「親父んとこは行ってきたみてえだし」
一番見られたくない人に見られてしまった。
よりによって、修造に。
「…別に、誰でもいいでしょ」
絞り出すような声で、必死にそう言った。
それしか言葉が出て来なかった。
「…よくねーよ」
「え…」
「よくねーよ」
修造は真っ直ぐ私を見て言う。
今まで見たことのない表情だ。
「…修造、あの」
今なら渡せるかもしれない。
なんとなく、そう思った。
「…」
「あっ」
修造が体をこちらに向けた瞬間、横に置いてあった彼の鞄がベンチから落ちた。
「……」
鞄の中身が地面に広がる。
教科書、ノート、筆記用具、ペットボトル、財布、携帯、いつも修造が鞄に入れているものの中に、「今日」ならではのものが一つだけ転がる。
淡いピンクのラッピング。
中身は、嫌でも分かる。
「……」
さっきまでの気持ちが急激にしぼんでいくのを感じる。
渡せるかも、そう思ったのに。
もう、無理だ。
「…帰る」
「あ、おい!」
ベンチから私の手を修造は力強く掴む。
痛いぐらいに。
「…離して」
「おい!」
「お願いだから…っ」
一筋涙が頬を伝う。
その瞬間修造の手の力が緩んだから、彼の手を振りほどいて走り出した。
「!」
遠くで修造が私を呼ぶ声が聞こえる。
私は振り向かなかった。
*
「…はあ」
バレンタイン翌日、自分の部屋で一人ため息を吐く。
毎年、修造に渡せなかったチョコレートはその日のうちに自分で食べていたけど、昨日は食べることができなかった。
…修造が毎年チョコレートをもらっていることは知っていた。
わかっていたはずなのに、苦しい。
…よくないって、なによ。
何でよ。
私の気持ちなんて、何も知らないくせに。
「……?」
玄関のチャイムの音がした。
パタパタと足音がして、お母さんが出たんだと頭の片隅で思った。
宅急便か新聞の集金かな。どうでもいいけど。
「?いい?」
「うん」
お母さんが私の部屋をノックしてそう言う。
ドアが開くと、そこにはお母さんと修造がいる。
「えっ!?」
「よう」
いつもの仏頂面で修造はそこに立っている。
昨日の今日で、なんで。
「修造君、今日ご飯食べてったら?」
「いや、いいです」
「あらあ、遠慮しなくていいのに。お母さん今日遅いんでしょ?断わられたらおばさん寂しいわ」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」
「うん、の部屋で待っててね」
そう言ってお母さんは私の部屋から出ていく。
私と修造、二人きりだ。
「え、な、なんで」
「お前に話あるんだよ」
修造は私の隣にドカッと座る。
昔は並んで座っても広かったこの部屋だけど、今は狭い。
「ていうか、お母さんも…」
いくら幼馴染だからって普通に娘の部屋に男通したりして…と思ったけど、無駄だ。
お母さんはまだまだ私たちを子供と思っている。
…いや、実際子供なんだけど、さすがに昔とは違うんだ。
「…昨日の話の続きだ」
「…」
「なんでいきなり泣いたんだよ」
「…知らない」
ぷい、とそっぽを向いた。
昨日と違って逃げる場所はない。
だんまりを決め込んで、ご飯の時間まで待とう。
「おい」
「……」
「…てめえ」
沈黙は気まずいけど、仕方ない。
だって、言いたくない。
「…すっげー自意識過剰なこと言うぞ」
「?」
修造からいきなり出た言葉に、思わず振り向く。
「…昨日のチョコはな」
「!」
心臓が跳ねる。
何を、話す気だ。
「二学期の終わりに、隣のクラスのやつから付き合ってほしいって言われて、断ってそれから会話してなかったんだよ。んで昨日、『最後にするから受け取って』って言われた」
「……」
多分、事実なんだろう。
修造は感情を込めず淡々と話した。
「…で、お前が昨日泣いた原因はこれなのか」
「…っ」
そうだ。間違いない。
修造が私の知らないところで女の子からチョコレートをもらっている。
それがたまらなく、悔しい。
「……」
「…お前なあ」
言葉が出てこない。
何か話すと、言葉と一緒に涙もこぼれてしまいそうで怖い。
また黙っていると、修造が痺れを切らしたように私の手を掴んだ。
「…っ」
「全部言うぞ」
「な、なに」
「お前昨日のチョコ誰にやったんだよ」
「!」
「オレに渡さねーで誰に渡すつもりだ」
「え…」
「お前がほかの男にチョコ渡してると思うと、死ぬほどムカつく」
修造は手に力を込める。
苛立ちが伝わるようだ。
「修造、あの」
「お前以外のチョコなんかいらねー」
その言葉で、堪えていた涙が溢れた。
「!?」
「…だって、前みたいに渡せないんだもん」
一度泣いてしまえば、もう怖いものはない。
涙のように言葉が零れる。
「前みたいに、軽い気持ちじゃ渡せないの。だって、修造大人っぽくなって、かっこよくなっちゃうし。私だけ置いてけぼりで、私ばっかり意識してるみたいで、もう、昔とは違うんだよ」
昔は一緒に並んで歩いていた修造が、いつの間にか私の背を追い越して。
声も低くなって、かっこよくなってしまって。
強豪バスケ部の主将に選ばれて、春におじさんが倒れた時もショックだったはずなのに、周りに心配かけまいといつも通りに振る舞っている。
まだ中二のくせに、なんだか、男の人になってしまった。
「…」
修造は私の名前を呼ぶと、全く優しくない手つきで私の涙を拭った。
乱暴な手つきで、目の周りの薄い皮膚には痛い。
「…っ」
「オレだって前みたいに渡されたら困る」
「修造」
「くれよ」
ぐっと涙を拭いて、立ち上がる。
チョコレートは机の引き出しの奥にしまった。
ちゃんと渡そう。渡さなくちゃ。
「…はい」
「…」
修造は黙って受け取る。
やっと渡せた。
四年分の想いだ。
「…こっちだって」
修造は、チョコレートを見て、かみしめるように言う。
「…お前最近やたら女っぽくなるし、気が気じゃなかったんだからな」
「う、うそ」
「嘘じゃねーよ。嘘吐いてどうすんだよ」
「…わ、わかってるけど、なんか」
こんなこと、嘘でいう人じゃないとわかってる。
わかってるけど、この状況が信じられなくて。
「」
修造に名前を呼ばれて顔を上げる。
顔が近付く。
「え、ええっ!?」
「動くなよ」
「え、だ、え、なに!?」
「言わせんなよ!察しろ!」
さ、察しろって。
多分、これはあれだ、そういうことだ。
き、キス、というやつだ。
「い、いやいや、だって」
「だってじゃねーよ」
「つ、つい10分前までただの幼馴染だったんだし」
「お前はそれが嫌になったんだろ」
修造は私の手を握る。
彼の手は、冷たい。
「オレも嫌になったんだよ」
修造の手が私の頬に添えられる。
心臓がうるさいぐらいに鳴っている。
「…修造」
「目ぇ瞑れ」
そう言われて、ゆっくり目を閉じる。
修造の心臓の音も、聞こえてきそうだ。
一瞬、唇が触れる。
唇はすぐに離れて、瞼をゆっくり開けた。
「修造」
「こっち見んな」
修造は少し照れくさそうな顔をする。
ぐっと修造は私の体を引き寄せて、私の顔を自分の胸に埋めさせた。
「…っ」
「見るなよ」
私もぎゅっと修造に抱き着いた。
そうだ。ずっとこうしたかった。
四年前、自分の気持ちに気付いたあの日から。
いつも隣に並んで笑ってた。
一緒に笑って、いろんなことを話して、それがとても楽しかった。
でも、いつの日か物足りなくなった。
並んでいると恥ずかしい。上手く話せない。
一緒にいたいのに、いたくない。
一緒にいると苦しくなる。
笑って気軽にチョコレートを渡せたときとは違う。
今はもうそんな気持ちじゃ渡せない。
チョコレートに込めた気持ちが違う。
好きだって、そう、思ってしまって。
「…修造、あのね」
「…おう」
「すき、だよ」
好き。好きだよ。
好きで好きで、たまらない。
「…っ」
修造はもう一度私にキスをする。
また、涙が出そうだ。
「オレもだ」
やっと叶った。
四年分の、私の想い。
*
「あらあら、いつご飯呼ぼうかしらね〜」
ドアの前でお母さんがにやにやしていることを、私たちはまだ知らない。
すきだよ
14.02.14
感想もらえるとやる気出ます!
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