私の働いている花屋には、何人かの常連さんがいる。
玄関先に花を飾るのが趣味のお上品なお婆様、事務所に飾るためのお花を購入する妙齢の女性、他にも何人かいらっしゃるけれど、同僚の話題でいつも話題になるのは一人の男性だ。
その名も氷室さん。さすがに下の名前までは伺っていない。
ただでさえ花屋にとっては珍しい男性客、しかもスタイル抜群、顔も芸能人に何ら引けを取らない。
いつも私たちの話題を攫う彼は、奥さんのために花束を買っていく。
奥さんの誕生日、クリスマス、結婚記念日、それだけじゃなく、「表の花が彼女に似合いそうだったから」なんて言いながら、優しい顔でお店に入ってくる。
今日は2月14日、バレンタインデー。
氷室さんは必ず来るはずだ。
「こんにちは」
やっぱり氷室さんは今日も来た。
今日は日曜、平日の仕事帰りのときとは違い随分とラフな格好だ。
「こんにちは。バレンタインのお花ですか?」
「はい」
私の問いに氷室さんは優しい笑顔で答える。
なんて愛に溢れた顔だろう。
氷室さんは見た目が素敵なだけじゃない。およそ日本人男性とは思えないこのフェミニストっぷり。
こんな素敵な人を捕まえた奥さんは一体どういう人なのだろう。
「どういうお花にしますか? バレンタインといったらバラが定番ですが、チョコレートコスモスなんてお花もありますよ」
「へえ……」
氷室さんはじっと花を見て吟味し始める。
きっと奥さんの顔を思い浮かべながら、どれが似合うか考えているのだろう。
「じゃあ、このチョコレートコスモス中心の花束にしてもらっていいですか?」
「はい。何か他にご希望は?」
「そうですね……香りが強いものは避けてもらえると」
「はい、かしこまりました」
前に私が花束を作ったときは匂いの強いものでも特に何も指摘されなかったのに、何かあったのだろうか。
少々疑問に思いつつも、お客様の事情を詮索するわけにもいかない。
予算を聞きつつ、彼の希望に沿って花束を作っていく。
「奥様は幸せ者ですね、いつもこんな素敵なプレゼントくださる旦那様がいて」
「幸せ者はオレの方ですよ。いつも幸せもらってばっかりで」
私の言葉に、氷室さんは即答する。
こんなところも、奥さんが幸せ者だと思う理由の一つだ。
こんなに素敵な人だから、私を含め何人もの店員が彼をいいなあと思うけれど、恋心に発展する前に奥さんへの愛情を見せつけられてしまうわけだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
花束を作り終え、お会計を済ませ彼に渡す。
満足そうなその笑みは、きっと奥さんのことを思い浮かべているのだろう。
「じゃあ、また」
「はい。今度はぜひ奥さんと来てくださいね」
「はは、はい」
お店を出るのを見送って再び店内に入ろうとすると、一人の女性が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
優しい笑顔を浮かべて挨拶を返されて、自然と顔が綻んでしまう。
笑顔の可愛い女性だ。年は二十代半ばだろうか。
お腹がほんのり膨らんでいて、鞄に目をやれば妊婦マークをつけている。
「バレンタインだから、チョコに添えるお花が欲しくて。一本か二本ぐらいで…」
さすがはバレンタイン。クリスマスや母の日と違いバレンタインにお花を、という文化はそれほどないけれど、「バレンタインだから」といってお花を購入されるお客様がちらほらやってくる。
「チョコレートコスモスはいかがですか?」
「へえ、そんなお花あるんですね。ラッピングの色にも合いそうかな……」
彼女は少し屈みチョコレートコスモスを見ながら、柔和な笑みを見せる。
その笑顔が、先ほどの氷室さんと少し被って見えた。
「じゃあ、これにします。二本頂けますか」
「あ、はい」
一瞬ボーっとしてしまったけれど、仕事中だ。
すぐに意識を戻して、花を二本とってお会計をする。
「りぼんもつけますね」
「わ、ありがとうございます」
「ご主人、幸せ者ですね。チョコレートだけじゃなく、お花までもらえるなんて」
「幸せ者は私です」
私の言葉に、彼女はすぐに笑顔で返す。
「いつも花束くれるんです。ありがとうって言いながら。だから今回は私もお花上げようって思って」
嬉しそうに笑う彼女の笑みは、やはり氷室さんが被って見える。
もしかして、もしかしなくても、この方が一度お目に掛かりたいと思っていた氷室さんの奥さんなのだろうか。
「? どうしたました?」
「あ、すみません。お買い上げありがとうございます」
「こちらこそありがとうございます」
包んだお花を渡すと、彼女はまた笑顔を見せる。
その笑顔はやはり氷室さんにそっくりだ。
確証はないけれど、きっとこの人が氷室さんの奥さんなのだろう。
「はー……」
彼女を見送り店内に戻り、大きく息を吐いた。
「私もいい人見付けよ」
いつまでもお幸せに
16.02.14
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