六月の梅雨の季節。
一週間前、席替えがあった。オレの隣になったのは
今年から同じクラスになった女子生徒だ。

「黛くん、よろしくね」

そう笑いかけられて面食らったのをよく覚えている。
普通、高校生にもなってそんなこと言わないだろう。
ましてや受験生、クラス全体がピリピリした雰囲気の中よろしくと言われるとは。

「ん」

返事とも取れない返事をすると、は笑う。
今回の席替えで隣になったのは、ずいぶんな奇特な奴だ。






「黛くん、おはよう」

はそう言って毎日挨拶をしてくる上、よく話しかけてくる。
オレだけを相手にそうしているわけではなく、他のクラスメイトに対してもそうだ。
よくいればコミュ力が高い、悪く言えば馴れ馴れしい。

「ん」

おはようと返すのバカバカしい。
適当に相槌を打ってるだけだが、はそれでも毎日「おはよう」と言ってくる。
別にここまではいい。
毎日の挨拶はオレには面倒なだけだが、挨拶運動なんてものがあるから基本的には奨励されるものだろうし、一言返せばそこで終わるから面倒さはレベル1ぐらいだ。

の問題はその後だ。

「何読んでるの?」

昼休み、雨だから屋上ではなく教室で本を取りだすと、はにこやかな顔で話しかけてくる。

よくいえば、と言ってみたはいいがオレのに対する印象は圧倒的に後者、「馴れ馴れしい」だ。
距離感を無視してどんどんパーソナルスペースに入ってくる。
オレはそういうやつが男女問わず大嫌いだ。

「ラノベ」
「なんてタイトル?」
「言ってわかんの?」
「わからないと思うけど、教えられれば本屋で探せるよ」

嫌味を言ったつもりなのに、は笑顔で返してくる。
そういうところがまたオレの神経を逆なでする。
早いとこ会話を終わらせたかったオレは、タイトルを教えて本を開いた。
読み始めればは話しかけてくることはない。
オレは静かに読みかけのラノベを読み進めた。





「黛くん、おはよ」

次の日、学校に行くとがまた挨拶をしてくる。

「ん」

そう返すと、は笑顔を作った。

「昨日教えてもらった本、読んだよ。面白いね」

思いもしなかった言葉に、目を丸くする。
昨日の本…昨日教えたラノベだろう。

「まだ一巻しか読めてないけど。たくさん出てるんだね」
「まあ…ラノベって大体そう」
「そうなんだ」
「…ラノベ初めて?」

ただの適当な返事だと思っていたのに、まさか本当に読むとは思わなかった。
から少し視線を外して、そう聞いてみる。

「うん」
「そ」

ふうん、と頷きながら自分の席に着く。
はクラスメイトに呼ばれて席から離れた。

なんでもかんでも、適当に話しかけてるわけじゃないってことか。
少しだけの印象を変えた。





今日も雨。今年の梅雨はいったいいつまで続くのか。
昼休み早々に昼飯を食べ終えたオレは、教室の中でラノベに視線を落としつつ本には集中しないでいた。
隣の席…とその友人の会話が耳に入ってきて、意識がそちらに集中してしまう。

「そういえばさ、この間あのお店行ってみたんだけどさ」
「あ、も行った?いいでしょー、安いし可愛いのいっぱいあるし!」

話を聞いていると、なるほどに友人が多いことに合点がいった。
は話をするとき、相手に合わせた話をする。
相手の興味のありそうな話を振って、話を広げて、相手に話を合わせる。その間笑顔は絶やさない。
しかも、それがまったくわざとらしくない。
だから相手も気持ちよくなって、ぽんぽんと言葉が出てくる。
愛嬌があるというのはこういうことなんだろう。

の周りに笑顔が絶えない理由が、少しわかった気がした。








その次の日、学校に来るといつも笑って挨拶をしてくるがいない。
電車が遅れているのかと思ったが、他の生徒は全員来ている。
恐らく欠席だろう。

朝学校に来て昼休みまでの間にオレが会話をするのはぐらいなものだ。
別に友人がいないわけじゃないが、類は友を呼ぶとでもいうべきか、そいつらもベラベラしゃべるのが好きなわけじゃない。
がいなければ朝の挨拶もしないし、授業の合間の世間話をすることもない。
少し、心に隙間が空いたような気がする。

机の中に入れっ放しにしてあったクラスのメーリングリストを取り出す。
特にメールすることもないだろうと仲のいいやつ以外わざわざ登録する気もなく、放っておいたものだ。

その中からの名前を探す。
携帯を開いて記載されているアドレスを打った。

『風邪?』

それだけ打って送信する。
自分の名前を入れ忘れたことに気付いたのは送信後だったが、のことだ。
おそらくクラス全員分登録しているだろう。

『うん。ちょっと熱が出ちゃって』

少しした後にメールが返ってくる。
思いの外シンプルな文面だ。

『お大事に』

別にまったくの嘘ではないが、本気で思っているわけでもなかった。
単なる挨拶、よくあるテンプレの返しをしただけ。

『ありがとう』

から返ってきたものもまたテンプレートな返信だ。
それ以外を返すはずもないだろうが。

三時間目の始まるチャイムが鳴る。
携帯をポケットにしまった。





「黛くん、おはよう」

次の日、学校に行くとはオレの隣の自分の席に座っていた。

「おはよ」
「昨日、メールありがとね」
「別に」

椅子を引いて自分の席に座る。
はずっと笑顔を作ったままだ。

「あれ、ケガしてるよ」

はオレの右手のあたりを指さす。
言われて気付いたが、右手の人差し指のささくれから血が出ている。

「痛くない?大丈夫?」
「いや、別に」

今の今まで気付かなかったぐらいだから痛みはない。
ただ血が出ているので拭き取らなくては。
鞄からティッシュを出そうとすると、が手招きをしてきた。

「絆創膏あるよ」
「は」

はポーチから絆創膏を取り出すと、オレの右手に貼った。
ぽかんと口を開けると、は首を傾げた。

「どうしたの?」
「…別に貼らなくても」
「?右手には貼りにくいでしょ」

そうじゃない。いや、確かに右手は貼りにくいが、そうじゃない。
別にこんな程度の傷、貼らなくたっていいだろう。
つうかただのクラスメイトにわざわざ絆創膏貼るか、普通。

「お大事にね」

は柔らかく笑ってそう言う。
昨日オレがメールした言葉だ。

「…どーも」

ふいと顔を背けてそう言った。
の笑顔が、すとんの胸に落ちたのが気に食わない。

馴れ馴れしいやつは好きじゃない。
勝手にオレの心の中に入り込んできて、オレの心を支配する。
勝手に人の心を奪っておいて、本人は素知らぬ顔をする。
だから、こういうやつは嫌なんだ。

端的に言えば、オレはを好きになってしまったということだ。