恋心を自覚したところで特段する事はない。
毎日と朝の挨拶をして、ときたま世間話をする。それだけ。
オレから何かを働きかけることはなかった。
特に何かする気もない。
嫌われるのが怖いとか、恥ずかしいとか、そんな感情ではなくて、ただただ面倒なのだ。
誰かを特別だと思うことも、誰かの特別になることも。
そんなものはいらない。ただ、平凡に薄く過ごせていればいい。

そんなふうに過ごしている間に、席替えから一ヶ月が経った。
クラスのほとんどの生徒が帰った中、オレは日直の仕事で少し居残りをしていた。
オレの前の席で宿題を片付けていた男子生徒が帰って、教室にいるのはオレと窓側の席できゃっきゃと高い声で盛り上がっているのグループ4人だけだ。

「赤司くんってかっこいいよね!」
「ね、彼女とかいるのかなあ」
「いやー、いないでしょ。高嶺の花だよあれは、男子だけど」

恐らく誰もオレの存在に気付いていない。
そうでなきゃさすがにこんな話を大声でしないだろう。
少々居心地は悪いが、人のために自分が移動するのはおもしろくない。
どうせ日誌ももうすぐ書き終わる。オレはそのまま居座り続けた。

女子たちは誰それがかっこいい、誰と誰が付き合ってるという定番の話を続けている。
はただ相づちを打っているだけ。

さっきから何にも言わないけどさあ、の恋バナって全然聞いたことないよね」

心臓が小さく跳ねる。
に話が振られるとは。動揺した自分が悔しいと思う。

「別にないから…」
「えー、実は何にも言ってないだけで彼氏とかいたりして!」

の友人の言葉を聞いて、手に力がこもったのかシャーペンの芯がボキリと折れた。

「いないよ!いない!」
「本当?」
「本当だよ!できたらちゃんと言うし」

横目に見えるの顔は真っ赤だ。
ほっと息を吐いたところで、安心している自分に気付く。
くそ、だから嫌なんだ。
人を好きになってしまうと、自分の心がコントロールできないのが面倒なんだ。
普段は気にしない誰かの言葉が気になって、心がかき乱されて、そのくせ風が凪いだように穏やかになる。
面倒で面倒で仕方ない。

「じゃあさ、好きな人は?」
「ん…今は特に」
「じゃあじゃあ、好みのタイプ!聞いたことない気がする」

変なこと聞いてんじゃねーぞこの女。
心の中で毒づきつつ、自分の左耳がダンボ状態になっているのがものすごく悔しい。

「んー…さわやかな人かな」

ごん、と頭に衝撃が走る。
さわやかとは、またすごい言葉が出てきたもんだ。

深く深く息を吸った。
大きく息を吐いて、日誌に視線を落とす。
残りは最後の一文だけだ。
荒れた字なったが気にせずすっと書き終えた。
なるべく音を立てないよう、教室を出た。


日誌を提出した後、部室へ向かう途中の自販機でコーヒーを買った。
一気飲みして缶をゴミ箱にたたきつける。

なんだよ、さわやかって。こういうとき炭酸でも飲めばさわやかくんか?

別にとどうこうなりたいと思っていたわけじゃない。そんな関係は面倒なだけだ。
敢えていうならを好きなようにしたいという低俗な欲だけがある。少女マンガのような淡い思いなんてもうオレは抱けない。

だから別にの好みのタイプがどうであろうとどうでもいい。そう思っていたはずなのに、なんなんだ。この、心のもやがかかったような感覚は。

くしゃりと髪をかき上げた。
乾いた笑いがこぼれた。







今日もまた雨。今年の梅雨がずいぶん長引いているようだ。
仕方なく昼食を終えた後、屋上には行かず教室でラノベを読むことにした。
隣の席のはいない。食堂にでも行っているのだろうか。
まあ、どうでもいいことだけど。

栞を挟んだ部分から読み進める。
好きなシリーズだから期待していたが、この巻は今のところイマイチだ。
とはいえ後半にどんでん返しがあるかもしれない。期待半分読み進めた。


「…あ、いた。黛くーん!」

一ページ読み終えたところでで、教室の入り口からオレの名前を呼ぶ声がする。
の声だ。
入り口に目をやると、財布を持ったと、実渕の姿がある。

「お客さんだよ」

どうやら実渕がオレに用があるらしい。
栞を挟んで、教室の入り口に行く。
途中、自然ととすれ違う。

「…なんだよ」
「可愛い子ね、あの子」
「はあ?」

自分でも驚くほど不機嫌な声が出る。
ふつう、ここで出てくるのは部活の話だろう。なんでいきなりの話なんだ。
そう思って実渕を怪訝な目で見るが、実渕は気にも留めず続ける。

「モテるんじゃないかしら」
「モテねーだろ、別に」
「そう?」
「ふつうの顔だし、ふつうのスタイルだし」

別には特別目を引くような外見をしているわけじゃない。
良くも悪くも平均的。可愛らしい見た目でもなければ、そそるような見た目でもない。
じゃあなんでお前はそいつを好きなんだと言われればそれまでだが。

「あら。人が好かれる要因なんて見た目だけじゃないでしょう?」
「……」
「あの子、愛嬌があるもの。今ちょっと話しただけだけど、可愛い子だわ。絶対モテるわよ。変な男に引っかからないといいんだけど」
「…で」

好き勝手言う実渕の言葉を遮るように、わざと大きめの声を出す。

「お前の用件は」
「あら嫌だ。今日の練習のことなんだけど」

聞いてみれば用件はなんてことない部の連絡事項だ。
返事をしながらも、教室の中にいるのことが気になって仕方ない。

が密やかに人気があることなんて、とっくの昔から知っている。
実渕の言うとおり愛嬌があるんだ、あいつは。
誰にでも笑顔で話しかけて、いろんなやつの心の中に入っていく。
オレのようにあいつに落とされた男は少なくない。

『変な男に引っかからないといいんだけど』
実渕の言葉が頭の中でリフレインする。
別にがどいつと付き合おうと、オレの知ったことじゃない。
を自分の特別にしたいわけじゃない。の特別になりたいわけでもない。そんなのは面倒なだけだ。

だけど、がほかの誰かの特別になること、がほかの誰を特別にすること、それを想像しただけで、吐き気がする。

誰かを好きになるなんて、本当に面倒なことだ。






今日は久しぶりの快晴だ。
ようやく屋上で本が読める。
昼休み、少し軽い足取りで屋上に向かった。

今日は暑いくらいで、昨日までの雨で作られた水たまりも綺麗に乾いている。
いつもの場所に腰を下ろして、読みかけの本を広げる。
少し話がおもしろくなってきたところだ。

いざ読もう、そう思ったときバタンと屋上のドアの音がした。
そこには隣のクラスの男子生徒が一人。
たしかサッカー部の主将だ。
やつは落ち着かない様子でキョロキョロと周りと見渡している。
すぐにオレは、こいつが誰かを呼びだして告白しようとしてるのだとわかった。
こういう場面には幾度となく遭遇してきた。
オレの存在に気付かず告白して玉砕、または成功してイチャつき始めたり。
遭遇し始めた最初こそ去らなければと思ったが、成功玉砕、どっちにしろこの場に長居する奴はいないので、最近では自分の存在を薄くすることだけに集中することにしている。
余計なことをして覗き魔扱いされたらたまったものじゃない。

息を抑え目にして、力を抜く。
たぶん、やつもこれから来るであろう女子生徒もオレの存在には気付かないだろう。

バタンをもう一度屋上の扉の音がする。
呼び出した相手がきたようだ。
興味本位でその相手の顔を見てみようと、ドアの方をみやった。

そして、すぐにその行動を後悔する。

さん、ごめん、急に呼び出したりして」

そこに現れたのは、同じクラスの、オレの隣の席のだ。
少し頬を赤らめているのは、これから何を言われるかわかって照れているのか、それとも…。
自分でそこまで考えて、小さく舌打ちをした。
そんなこと、考えたくもないのに。

「ううん、大丈夫」

の声は心なしか高い。
嫌な予感だけしかもうしない。

サッカー部の主将くん。の好きな「さわやかくん」だろう。
どこで接点があったか知らないが、もやつのことを知っているようだ。
去年か一昨年同じクラスだったのか、委員会でも一緒なのか、余計なことばかり考えてしまう。考えても仕方ないことなのに。

さん、好きなんだ。オレと付き合ってほしい」

さわやかくんは単刀直入に言う。どこまでさわやかくんなんだこいつ。少女マンガのヒーローか。

心臓が大きく鼓動する一方で、頭の中は妙に冷静だった。
の次の言葉を予想してはかき消していく。

「…あの、ごめんなさい」

の言葉に、一瞬心臓がこれでもかというほど大きく跳ねる。
手が震えて仕方ない。
人は安心しても、こうも震えるものなのか。

「ごめんなさい、今はそういうこと、考えられなくて…」
「いや、でも」

の弱々しい断りの言葉とは真逆に、さわやかくんは強い口調で言葉を紡ぐ。

「絶対後悔させないから。彼氏とかいるわけじゃないんでしょ?」」
「そうだけど、でも」
「だったら、少しだけでも」
「!」

しつけえ男だな、そう思って逸らした視線を二人の方に再び向けると、さわやかくんがの腕を掴んでいた。

別に正義漢ぶったわけじゃない。
思うより先に、体が動いていた。

「おい」
「!」
「黛くん!」

後ろから声をかけると、さわやかくんは慌てふためいた顔であたりを見渡す。
2、3度首を振ったところでようやくオレの姿を捉えたらしい。オレのほうに首を固定した。

「お前いつからいたんだ!?」
「最初から」
「な…」

悪かったな、薄くて。
そう心の中で言いながら、視線を少し下に向けた。

「それ、離せよ」
「な…っ」

掴まれたの腕を見てそう言うと、さやわかくんは苦い顔をした。
そのくせ離そうとはしない。
の腕が震えているのに気付いて、とっさに手が出た。

「!いて…っ」

さわやかくんの腕をぎゅっと掴む。
一応バスケ部、腕力はそれなりのつもりだ。
さわやかくんは顔を歪めると、の腕を握っていた手を離した。

はその隙に腕を引っ込める。
オレを味方だと思ったのか、オレの後ろの身を寄せた。

「離せよって言った意味、わかる?」
「!クソ…」

さわやかくんは捨て台詞を吐くと、屋上から出ていった。
の手が、オレの背中に添えられた。

「…はあ」

は疲れたようなため息を吐く。
あんなことがあったら当然か。

「…黛くん、ありがとう」
「…別に」

は笑ってそう言ってくる。
礼を言われるようなことじゃない。別にかっこつけてるんじゃなくて、目の前であんなことが繰り広げられて、自分が面白くなかっただけだ。

「…なんで」
「?」
「なんで断ったんだよ」
「え…」

今聞くようなことじゃないかもしれない。
でも、つい口からその言葉が出てしまった。
に背を向けたまま、首を捻って顔だけの方に向ける。

「…だって、別に好きな人じゃないし…」
の好きなさわやかくんじゃねえの」
「!な、なんでそれ知って…」

がかあっと顔を赤くさせる。
別に弁解するつもりもなく、この間話してたときにオレも教室にいたことを告げる。

「あ、そうなの…」
「まあ、そういうやつよくいるから気にすんな」
「気にするよ…女子トーク聞かれちゃってるじゃない」
「…忘れろって言うなら忘れる」

まず確実に忘れられないだろうけど。
そう言うとは首を横に振った。

「…いや、いいんだけど。ていうか、そもそも今の人さわやかじゃないでしょ、全然。あんなことして」
「一見さわやかだろ。サッカー部主将だし、見た目も」
「…まあ、そうかもしれないけど。私が言ったのはそういうんじゃなくて」

は照れくさそうに首を横に振る。
今なら深いところまで聞ける気がする。
聞きたいような、聞きたくないような。
心の中で迷っているはずなのに、言葉はぽんぽんと出てきてしまう。

「じゃあ何?どんなんがいい?」
「どんなのって…その」

は頬を赤く染めたまま、視線を泳がせる。
ただの「好みのタイプ」ってわけじゃなさそうだ。
誰か、特定の人物を思い浮かべている顔。

見ていられなくて、ふいと顔を背けた。

「…部活がんばってる人」
「…さっきのやつ?」
「ち、違います!」

サッカー部主将なんて部活頑張ってるだろ、どう考えても。
まあ、あいつじゃないのはわかっているが。

「…全国常連の部で最近レギュラーになった人」
「は」
「…それで、ただのクラスメイトが、変な男に告白されて困っているときに、助けてくれる人」

思わずもう一度の方を向く。
今度は顔だけじゃなく体ごと。
は、しっかりとして目線でオレを見ている。

「…わかるでしょう?」

さすがにここまで言われてわからないようなバカは死んだ方がいい。
とはいえ、信じられない。
何言ってんだ、こいつ。

「…お前、何言ってんの」
「…ごめん」
「オレのどこがさわやかだよ」
「…まあ、確かにじめっとしてる印象のが強いけど」

じめっとしてるって。
こいつ今さらっとすげえこと言ったぞ。

「最初は部活頑張って…さわやかな印象だったから。段々そうじゃないのかなって思ってきたけど、気持ちは変わらなかったし…それにさっきみたいなの、すごくさわやかでかっこいいと思う」

の言葉一つ一つが、すとんと心に落ちていく。
それが心地よくて、だけどどうしようもなく抵抗したくなる。

「オレなんか好きになって、いいことなんか何にもねえぞ。振り回しまくるし」

頭を抱えながら、にそう告げる。
こんな捻くれたやつ、好きになったところでいいことなんかあるはずもない。
やめたほうがいい。自分が一番わかってる。

「確かに…振り回されたりするけど、そんなの黛くんに限らないよ、きっと」

は少し弱々しい声で、でも視線は真っ直ぐオレを見ている。

「好きな人の言葉とか行動に振り回されて、心が掻き乱されたりして…でも、すごく嬉しくなったりもするの。誰かを好きになるって、そう言うことでしょ」

その言葉で、完全に落とされた。
いや、もともと落ちていたのだから、溶かされたというべきか。

「あ、の、黛くん…すごくベラベラしゃべっちゃってるんだけど」
「…なんだよ」
「気持ち、迷惑ならあきらめるから…できればきっぱり言ってほしいんだけど」

さっきまで迷惑だと思っていた。
誰かの特別になんてなりたくないし、誰かを特別だとも思いたくない。
そんなのは煩わしくて、面倒なだけだと。

「別に迷惑じゃない」
「え…」

オレの言葉には目を見開く。
表情は少し期待の色が見えている。

「…オレもお前に振り回されてんだよ」

なんとなく、そのままの言葉を言うのは癪だった。
だからそうやって婉曲した言い方で言うと、は嬉しそうにはにかんだ。

「…嬉しい」

はそう言ってオレの体に自分の体を預ける。
じんわり熱が伝わってくる。

毎日部活動に勤しんで、同じクラスのやつと付き合って。
どんな爽やかくんだよ、オレは。

少し下にあるの顔を覗き込む。
ほんのりピンク色の、その唇にキスをした。

たったこれだけのことで、誰かの特別になるのも悪くないなんて思うから、オレも大概単純だ。











ラストヒーロー

15.01.26