指輪の話

 今日はどのアクセサリーにしようか。自宅で朝の支度を整える私の隣で、ダイゴさんは慣れた手つきでカップにコーヒーを淹れた。
「ボクはその赤いピアスが好きだな」
 ダイゴさんはカップを持ったまま、私の後ろから鏡をのぞき込む。彼が示したのは大きめの赤い石がついたピアスだ。
「今日は会社だしちょっと派手過ぎかな」
「そう。残念」
「そもそも私は私がつけたいものをつけますのでー」
「ああ、そうだった」
 そう言いつつも、次のデートのときはこれをつけていこうかと考えている。私もなんだかんだと彼に甘い。
「指輪はこれが好きだな」
 人の話聞いてましたか? と聞く前にダイゴさんはシルバーの指輪を手に取った。以前私が自分で気に入って買ったものだ。
「これは今日はつけない?」
「……つける予定」
 もともとその指輪はつけていこうと思っていた。ダイゴさんは「気が合うね」と言いながらカップを机に置いた。そしてカップを持っていた手で私の左手を取ると、小指に指輪をはめる。いつもつけている場所を覚えているのだ。
「似合っているね」
 つけてもらった左手の小指がこそばゆい。「ありがとう」と小さな声で呟いて、アクセサリーボックスに再び視線を落とした。その照れ隠しも、きっと彼はわかっているのだろうけれど。
「ボクも準備をしないとな」
 ダイゴさんはテーブルの上にある、昨夜外した自分の指輪を手に取った。四つの指輪を一つ一つ自分の指にはめていく。
「……ダイゴさんって、ずっと同じ指に指輪してますね」
 右手と左手、どちらも人差し指と薬指の計四つ。すべて同じ少し無骨なデザインだ。
「そうだね」
 ダイゴさんはすべての指輪をつけると、左手を前に出して指輪を眺める。
 彼は出会ったときから同じ指輪をしている。四つすべて同じデザインな上に、そもそもデザインがデザインなので、左手の薬指にしていてもあまり気にしてこなかった。しかし、今彼が指輪をつけているところを改めて見て、なんだか、こう。
「気になる?」
 ダイゴさんは食えない笑顔を鏡越しに見せてくる。心を見透かされたような表情に、私の心に悔しさが滲み出す。
「別に?」
 素直に答えるのも癪なので、いーっと口の形を作ってそう返した。
 その指輪におそらく深い意味はないのだろう。少なくとも私が気を揉むようなものは。しかし、一度気になると無性に気になってしまう。
「あ、そろそろ私、行かないと」
「行ってらっしゃい」
「ここは私の家なんですけど?」
「あはは。細かいことはいいじゃない」
 ダイゴさんはひらひらと手を振る。付き合い始めてから彼が私の部屋に泊まりに来るのは数回……なんてものではない。正直、彼のような御曹司を自分の部屋に招くのは当初抵抗があったけれど、彼は気にする様子もなく、毎回嬉しそうに私の部屋で笑顔を見せる。
「戸締まりお願いしますね」
「わかっているよ。行ってらっしゃい」


 あの日から少したったある日のこと。「うちに来れるかい?」とダイゴさんから連絡があったので、仕事の帰りにトクサネにある彼の家へと向かった。
「やあ、いらっしゃい」
「お邪魔します」
 ダイゴさんに出迎えられ、彼の部屋へと入った。並べられている石のコレクションが増えているのは気のせいだろうか。ついこの間訪問したばかりな気がするのだけれど。
「あれ……」
 テーブルの上に洒落た小さな紙袋が置かれているのに気づく。薄いピンクに、小さなブランドロゴの描かれた紙袋はどう見ても女性へのプレゼント用だ。
「それを渡したくて呼んだんだ」
 ダイゴさんは「はい、きみに」と言ってピンクの紙袋を私に渡す。いや、まあ、さすがにこの状況でこの紙袋はどう考えても私への贈り物だろうとわかってはいた。とは言え、誕生日や記念日でもなければイベントでもない日にプレゼントを贈られるとは思っていなかった。ぽかんとしながら「ありがとうございます……」と言って紙袋を受け取った。
「!」
 紙袋の中を覗くと、小さな立方体の箱が入っている。これは、どう考えても「あれ」では。
 ドキドキしながら紙袋から箱を取り出して、箱の蓋を開ける。そこにあるのは、私の想像通り指輪だ。小さな透明の石がついた、シンプルなシルバーの指輪。ただ、一つ想像と違うのは、指輪が一つではなく大きさの違う二つなことだ。
「これ……」
「せっかくだからね」
 ダイゴさんは小さい方の指輪を手に取った。その左手の薬指には、いつもつけている指輪がなくなっている。左手の人差し指も、右手の人差し指と薬指もつけたままなのに。
「お揃いがいいなと思って」
 ああ、そうだ。ダイゴさんってこういうことをする人だ。わかっていたはずなのに忘れていた。
「お揃い、って」
「嫌だったかな?」
「嫌なわけ、」
「よかった」
 私の答えに被せるように、ダイゴさんは笑みを見せる。穏やかで優しい表情に、私の心臓は小さく跳ねる。心の奥がくすぐったくて疼いて、頬に熱が集まっていく。
「手、出して」
 そう言われて、私は右手を出した。するとダイゴさんは「意地悪だなあ」と笑って、私の左手にある指輪の箱と紙袋を奪いテーブルに置いた。そのまま私の左手を手に取って、薬指に指輪をはめていく。そっとなぞるような、穏やかな触れ方だ。
「うん、似合ってる」
 優しい動作に、甘い声に、私は唇が震えてしまって、「ありがとう」と絞り出すのがやっとだった。
 深呼吸をして、やっと私は次の言葉を紡ぐ。
「……ダイゴさんも手、出してください」
「うん」
 大きい方の指輪を手にとって、ダイゴさんの左手の薬指にそれをつけていく。私の手と違って関節のしっかりした指に、シンプルな指輪がぴったりとはまった。
「お揃いだ」
 ダイゴさんは嬉しそうな、高揚した様子で笑顔を見せる。食えない笑顔ではない、少年のようにキラキラした笑顔。私はこの人のこの表情が、とてもとても、好きなのだ。
「……ダイゴさん」
 たまらなくなって、彼の肩に顔を埋める。ダイゴさんは左手で私の髪を撫でた。
「好きです」
「ありがとう。ボクもが好きだよ」
 言葉の後に、甘いキスが降ってくる。
 ずっと左手が、疼いている。