ユーリのためにケーキを焼く話

※エンディング後の話です。

「痛っ」
「あ、こら、動かないで」
 陽が沈みかけた夕方、下町の自室でわたしはユーリの傷の手当てをしていた。ユーリの頬の傷を消毒すると、沁みたのだろう、ユーリは小さく体を動かす。
 ギルドの仕事を終え下町に帰ってきたユーリは、頬だけでなくそこかしこに傷を負っている。これは手当てだけで一仕事になりそうだ。
「このぐらいすぐ治るだろ」
 ユーリは軽く言うけれど、魔導器がなくなった今、小さな傷でも放っておいたらなにがあるかわからない。ユーリ自身も口ではそう言うけれど、大人しくわたしの手当てを受け入れているあたり、多少の危機感は持っているようだ。
「今回の仕事、荷物運びと護衛だっけ」
「そう。さすがにノール港とデイドン砦の往復はキツいな」
 確かジュディスとバウルが別大陸から船で荷物を運び、ユーリとカロルとラピードがその荷物の陸路運搬兼護衛という仕事だったはず。話しぶりからして、一度行って帰ってはい終わり、ではなく何回か往復していたようだ。
「カロルも一緒だったんでしょ? カロルは下町には来てないの?」
 わたしはユーリの右腕に包帯を巻きながら、姿が見えないカロルについて問いかける。
「首領は疲れたからデイドン砦で一泊するってさ」
「ふーん……」
 手当てを続けながら、ユーリの顔色を確かめる。
 いつだってポーカーフェイスのユーリだけれど、さすがに今回は疲れの色が見える。無理をして砦から下町に帰ってきたのだろう。
「はい、手当て終わり」
「サンキュ」
「少し休んだら? 疲れたでしょ」
「そうするわ」
 わたしの勧めに、ユーリはごろんとわたしのベッドで横になった。
 ここで寝るんかい。自分の部屋で休んだら? という意味だったのだけれど……。まあ、それだけ疲れていたのだろう。その証拠に、ユーリは寝転がって間もないというのにすでに寝息を立てている。
 わたしはベッドの横に座り、じっとユーリの寝顔を見つめた。ユーリはずいぶんと柔らかい表情で眠っている。寝顔だけ見るとまるで少年のよう。口と態度が悪いからキツく見られることが多いけれど、意外とユーリは可愛い顔をしているのだ。
「……ケーキでも焼こうかな」
 ユーリのあどけない寝顔を見つめながら、わたしはぽつりと呟いた。
 疲れているときには甘いものと言うし、材料も揃っている。それになにより……。
 ケーキができあがる頃にユーリを起こせば、小休憩としてはちょうどいいだろう。さて、そうと決まればさっそく作り始めようか。





 寝室の隣にあるキッチンで、わたしはできるだけ音を立てないようケーキを作り始めた。スポンジが焼き上がるのを待つ間、クリームを泡立てる。液体の状態から根気よくかき混ぜて、ようやくクリーム状になってきた。さて、スポンジができるまで、クリームはもらっておいた氷と一緒に保存しておこう。
「うまそうだな」
「わっ!?」
 クリームの入ったボウルをしまおうと考えていると、ひょいと後ろからユーリがのぞき込んできた。突然のことに、わたしは思わず大声を上げてしまう。
「びっくりした……起きたの?」
「ああ。ケーキ作ってんの?」
 ユーリはわたしに体をくっつけて、キッチンの様子を確認する。「そうだよ」と答えれば、ユーリは目は輝かせた。ユーリは甘い物に目がないのだ。
「ちょっと一口」
「あ、こら」
 ユーリは指でクリームを掬うと、ぺろりと舐める。
「うまいな」
「つまみ食いしないの」
「いいだろ、ちょっとぐらい」
「まったく……。ユーリ、疲れてるみたいだからってせっかく作ってたのに」
 もう、我慢のできない男め。まあ、疲れたユーリのために作ったのだから、クリームを少しぐらいならいいかな。
「それに……」
 わたしはボウルを置いて、すぐ後ろのユーリに視線を向ける。
「ユーリ、今日誕生日でしょ」
 そう、今日はユーリの二十三歳の誕生日だ。ケーキを作った一番の理由。それは、ユーリの誕生日を祝うため。
「そうだっけか」
 ユーリはとぼけた顔をするけれど、それが「ふり」だとわたしは知っている。
「わざとらし~。意外と自分の誕生日ちゃんと覚えてるタイプじゃん。去年は自分でこっそり祝ってたってカロルが言ってたよ」
 首領から聞いた話を告げると、ユーリは「余計なことを……」と苦い顔をする。自分で誕生日を祝ったり、それを恥ずかしがったり、意外と可愛いところがあるんだから。
「ユーリ、誕生日おめでとう」
 わたしは味見用のスプーンでクリームを一口掬って、ユーリに差し出す。誕生日だから、今日だけはつまみ食いも特別にいいだろう。
 しかし、ユーリの唇はクリームではなく、わたしの唇に触れる。
 キスは、甘いクリームの味がした。
「クリームいらないの?」
「……いる」
 ユーリはスプーンのクリームを舐めると、満足そうに笑った。本当に甘党なんだから。
「あ、スポンジもできたかな」
 スポンジ生地の入った鍋を覗くと、こちらもいい具合に焼けている。竹串で刺して、中まで火が通っていることを確かめる。うん、大丈夫そう。
「今日、ケーキ食べにきたんでしょ? 生地が冷めるまでもうちょっと待ってね」
 スポンジの粗熱が取れるまで、あと三十分ほどかかるだろうか。そうすれば残るはデコレーションのみ。ユーリが待ちに待ったケーキの出来上がりだ。
「は?」
「え、違うの?」
 しかし、わたしの考えとは裏腹に、ユーリは目を丸くして怪訝な表情を浮かべている。砦で一泊せずに強行軍で帰ってきたのは誕生日のケーキなどの甘いものをもらうためだと思っていたけれど、違うのだろうか。
「違ぇよ」
 ケーキ目当てじゃないならどうして? なんのために? 首を傾げていると、ユーリがじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「やだ、エッチ」
 なに? そういうこと? 胸の前で手を交差させて冗談半分でそういう言うと、ユーリは大きくため息を吐いた。
「ったく、なに言ってんだ」
 ユーリがわたしを軽く小突くから、わたしは「冗談だよ」と笑って返す。
「でもさ、それならどうして無理して帰ってきたの?」
「それは……」
 ユーリは珍しく口ごもると、わたしから視線を外す。こういうとき、いつもなら適当にはぐらかすくせに、どうしたのだろう。わたしはユーリの視界に入るように彼の目の前に移動する。
「お前……」
「気になるじゃん」
 ユーリがまた顔を背けるから、わたしも負けじとユーリの目の前へと体を動かす。それを何度か繰り返すと、ユーリはわたしの頭を押さえ下を向かせた。
「わっ」
の顔見に来たんだよ、言わせんな」
 降ってきた言葉に、わたしは目を丸くする。そっと上目遣いで見たユーリの頬は、赤い。
「……誕生日に、わたしと過ごすために?」
 疲れているのにわざわざ、わたしに会うために? 特別な日に、わたしと過ごすために?
 自分の胸が高鳴るのを感じる。ユーリの顔と同じように、わたしの頬も熱くなっていく。
「……悪いかよ」
「ううん」
 悪いわけがない。おかしくなんてない。誕生日に恋人と過ごしたいと思うことに、なんの不思議もない。わたしだって、自分の誕生日に一緒にいたいと思うのは、ほかでもないユーリなのだから。
「ふふ、ケーキ期待しててね」
 ユーリがわたしと過ごすために帰ってきてくれた。その事実がわたしの胸を躍らせる。ユーリはあまり口には出さないけれど、わたしのことを特別だと思ってくれている。
 ケーキの最後のデコレーションも可愛い恋人のために頑張なくちゃ。さて、そのためにもスポンジの粗熱が取れるまでクリームが溶けないようにしないと。氷の入った箱へ移動させようとボウルを持つと、再びユーリがわたしのすぐ後ろに立つ。体をぴったりとくっつけて、またボウルからクリームを掬い取ってしまう。
「あ、クリームなくなっちゃうよ」
「んー……」
 ユーリは指についたクリームを舐めると、そのままわたしにキスをした。先ほどの淡いキスとは違う、情欲を感じる妖しいキス。それを何度も何度も、繰り返し。
「……やだ、エッチ」
「悪いかよ」
 さっきは「なに言ってんだ」と呆れていたくせに、ユーリは開き直るような言葉を返してくる。このままキスを続ければ、キスだけでは終われないことを、わたしもユーリもわかっている。
「悪くないけど」
 わかった上で、わたしはユーリの首に腕を回した。ケーキは少しだけ、後回し。どちらにせよ、生地の熱がなくなるまで待たなくちゃいけないし。
 ユーリは濡れた唇で、甘いキスを繰り返す。
 キスの合間に瞼を薄く開ければ、可愛い男はもういない。狼のような、鋭い目。
 もう、我慢のできない男め。
 でも、誕生日だから許してしまおう。なにより、我慢ができないのは、わたしも同じだから。