変わりゆくもの/1
「ユーリ・ローウェル~! どこだ~!」
帝都・ザーフィアス。円環状の都市の一番外側にある下町に、騎士の声が響く。
ああ、あいつ、またなにかやったのか。わたしは小さくため息を吐いた。
ユーリ・ローウェル、十五歳。下町育ちのユーリはこの町のちょっとした有名人で、わたしの幼馴染みだ。……と言っても、町丸ごと家族のようなこの下町では、同年代はほぼ全員幼馴染みと言っていい。同い年かつ同じく下町で生まれ育ったユーリとわたしは、ごくごく幼い頃からの付き合いだ。
騎士がユーリの姿を探しているということは、おそらくまたユーリが騎士と揉めたのだろう。下町ではもうすっかりお馴染みの光景だ。
巻き込まれたくないな。わたしは騎士を避けるために、隠れられる場所を探す。右左と周囲を確認して、目についたのは家と家との間の奥まった路地だ。なんとか大人ひとりが通れそうなほどの細い道、あそこなら騎士も探しに来ないだろう。二人組の騎士が向こうを見ているうちに、わたしは素早く目当ての路地に走った。
「わっ」
「おっと」
しかし、路地には先客がいた。今話題の人。騎士が探している張本人。長い黒髪を後ろで高く一つに結んだ、ユーリ・ローウェルが。
「なんでも隠れるんだよ」
ユーリは自分と同じように騎士から身を隠すわたしを見て、小さく首を傾げる。
「ユーリとよく一緒にいるからってわたしまで騎士に尋問されるの。もう、巻き込まないでよ」
あれはつい先日のこと。ユーリに足を引っかけられたという騎士が、わたしにユーリの居場所をしつこく聞いてきた。どこにいるか知らない、今日は見ていないと言っても聞いてはくれない。またあんなふうに問い詰められたらたまったものではない。
「それ言ったらも先週別の騎士と口論してただろ」
「あれは……だってあいつら無茶なことばっかり言ってくるじゃない。あのときなんて税の徴収だって言って明らかに多く請求してきたんだよ?」
「この間言い争いしてたのはそれか……」
「しかもこの間来た陰険騎士、気が弱そうな相手ばっかりいじめてさ、文句の一つや二つ言いたくなるわよ」
「気ぃ強え女……」
ユーリがぼそっと呟くから、わたしはみぞおちでも小突いてやろうかと軽く手を握る。しかし、騎士の声が大きくなったことに気づき、その拳を引っ込めた。
「やべ、来るぞ。、もっとこっち寄れ」
「え、わっ!」
ユーリはわたしの腕を掴んで、自分の方へと引き寄せる。
「静かにしてろよ」
大人がひとり通れるだけの細い路地だ。向かい合うユーリとわたしの体は自然と密着する格好になってしまう。あまりの近さに、わたしの心臓は大きく鼓動を打った。
「ユーリ・ローウェル~! どこだ~!」
騎士の声が近づいてくる。すぐそばに来ているようだ。今動いたら騎士に気づかれてしまう。今は声を殺して騎士が通り過ぎるのを待つしかない。
ちらりと見上げて、ユーリの様子を窺う。ユーリは真剣な表情で騎士の声のする方向を見つめている。
ユーリの背は、わたしが見上げるぐらいに高くなった。子どもの頃はわたしのほうが高いぐらいだったのに、いつの間にか抜かされていた。二年ぐらい前から声も低くなって、ユーリは少しずつ……少しずつ、男の人になっている。
あ、まずい。顔が赤くなってきたかもしれない。わたしは慌ててユーリから顔を背ける。
ガシャン、ガシャン。騎士の重苦しい鎧の音がすぐそこで響く。お願い、早く行って。わたしの心臓の音が、ユーリに伝わってしまわないうちに。
「……行ったか?」
ユーリの言葉に、わたしはほっと息を吐く。ユーリから小さく距離をあけて、「そうみたい」と答えた。
「これから市民街で行商の手伝いすんだよ。騎士に捕まってる暇はねえ」
「そうだったんだ。戻ってこないうちに早く行ってきなよ」
「そうするわ」
「行ってらっしゃい」
「おう」
ユーリはあたりを見渡し騎士がいないことを確認すると、市民街へと駆けていった。
ポニーテールが揺れる後ろ姿を見送って、わたしの心に小さな痛みが走る。
「人の気も知らないで……」
あんなふうに颯爽と走って行くなんて。わたしのほうは、まだ心臓がドキドキしているというのに。
「おい、そこの女!」
見えなくなったユーリの影を見つめていると、後ろから威圧的な声が飛んできた。下町の住民はわたしに対してこんな声の掛け方はしない。間違いない、騎士だ。
「はあ……」
ゆっくりと後ろを振り返れば、やはりそこにいたのは先ほどの騎士二人組だ。ユーリの姿が見えずすっかりおかんむりといった様子だ。
結局騎士に見つかってしまった。この間口論した騎士とは違うから大丈夫かな。
「おまえ! ユーリ・ローウェルがどこにいるか知っているか!?」
予想通りの質問に、わたしは大きくため息を吐く。
「知りませんよ、なんでわたしに聞くかなあ……」
「おまえらしょっちゅう一緒にいるだろう。本当は知っているんじゃないか?」
「知らないってば、もう。知らないって言ってるわたしに聞くより足使って探すほうがいいんじゃないですか? 仕事サボってると思われちゃいますよ」
「おまえ……っ。……くそっ」
騎士は癪に障った様子だけれど、図星でもあったよう。ぶつぶつと文句を言いながら、下町の奥へ進んでいく。
「そっちにはいないけどね」
騎士が遠くなったところで、わたしは彼らの背にべーっと舌を出した。騎士は好きじゃない。ごくまれにいる下町を守ってくれる騎士は別だけれど、下町を荒らし回るばかりの騎士に礼を尽くすつもりはない。
騎士の姿が見えなくなり、ようやく体の力が抜ける。なんだかんだ言いつつも、騎士の相手は緊張する。それに、なによりも先ほどユーリに触れた熱がまだ残っている。
わたしは空き家の壁にもたれかかりながら、再び市民街へ続く坂道へと視線を移した。
しょっちゅう一緒にいる、か。ほんの数分前の騎士の言葉を反芻する。
確かにユーリと一緒にいることは多い。下町の同い年となれば仲がいいのは当たり前だし、わたしは同年代の女子に比べやんちゃ……ユーリ曰く『気が強い』ほうだったので、昔からユーリたち男子の集団とも仲がいいほうではあった。特に五年前にわたしの唯一の肉親である父を亡くしてからは、ユーリと一緒にいることが増えた。ユーリも親がいないため、頼る親がいない者同士――ユーリは赤ん坊の頃から親のいない孤児のため、わたしと同じくくりにするのは失礼だけれど――もともと助け合いの精神の強い下町の中でもとりわけ互助の気持ちが強くなるのだろう。今日まで自然と助け合って生きてきた。
十五歳になった今も、わたしとユーリは幼い頃と変わらず口喧嘩をしたり、一緒に下町の労作をしたり、助け合って生活している。
そう、変わらない。小さな子どもの頃と、変わらない。
わたしの気持ちは、あの頃とは変わっているのに。
この一、二年で、ユーリの背は軽くわたしを追い抜かした。その上まだ伸びているようだ。声も低くなって、子どもの頃とは違う、「男の人」になってきている。
でも、見た目が変わっていっても、ユーリ自身は変わらない。皮肉屋で口と態度は悪いけれど、下町のみんなのために動く、優しい人。
ユーリのことが、好き。優しいユーリのことが、好き。幼い頃の「おともだち」としての感情とは違う、ときめきをはらんだ切ない想い。
子どもの頃は、ほかの友人たちと横並びの「好き」だった。その「好き」が、少しずつ特別な思いへと変わっていった。初めは小さな淡い想い。けれど今は溢れるほどに強くなった。
わたしの気持ちは変わった。変わってしまった。けれど、わたしたちの関係は「おともだち」の頃から変わらない。
この関係を変えたいような、このままが心地いいような、曖昧な感情がわたしの中を巡っている。
見えなくなったユーリの影を見つめながら、いまだ速い心臓の音を聞いていた。