変わりゆくもの/エピローグ
「ユーリ・ローウェル~! どこだ~!」
帝都・ザーフィアス。円環状の都市の一番外側にある下町に、騎士の声が響く。
久しぶりに呼ばれたその名前に、わたしは笑みをこぼした。
ユーリ・ローウェル、二十二歳。下町の有名人だった彼は、今はギルドを作り世界中を飛び回っている。あの二人組の騎士……アデコールとボッコスと言ったっけ。ユーリが下町に帰っていると聞きつけて探しにきたのだろう。
「どこにいるんだろ……」
先ほどまでは孤児の集まる家で子どもたちの世話を焼いていたユーリ。少し前にその家から出かけたはずだけれど、今はどこにいるのやら。きょろきょろと左右を確認していると、とある路地で長い黒髪が揺れるのが見えた。あそこだ。わたしはその路地へと走った。
「ユーリ」
無造作に捨てられたがらくたの陰に顔を出せば、やはりそこにはユーリがいた。
「よっ」
ユーリはわたしの姿を見ると、明るい笑みを浮かべる。下ろした長い黒髪を風になびかせながら。
ユーリ・ローウェル、二十二歳。十五歳のときから付き合っている、わたしの恋人。
「まーた騎士団に追われてるの?」
「今回はなんもしてねえぞ」
「騎士団に戻らないかって言われてるんでしょ?」
「戻らないと手配書取り下げねえってさ。めんどくせぇこと言いやがって」
ユーリは呆れたようにため息を吐いた。十五歳の頃と変わらない様子に、わたしはふっと笑ってしまう。
付き合い始めた十五歳の頃から、いろいろなことが変わった。ユーリは一度騎士団に入り、辞め、そして旅に出てギルドを作った。
世界も変わった。魔導器は使えなくなり、今は下町を含むすべての街で城壁の建設が進められている。不便なことは多いけれど、人々はどうにか生活を営んでいる。
騎士団も変わった。フレンが団長に就任し、少しずつだけれどいい方向へ向かっていると聞く。事実、下町の警備の騎士もフレンのような住民を守ろうとする真っ当な騎士が増えた。
下町も変わった。帝都をエアルが襲い、空に穴が開いて、一部の住民はヒピオニア大陸に避難した。戻ってきた住民もいるけれど、そのままオルニオンという新しい街に移住した者も少なくない。逆に、家を失った市民街の住人が何人か下町で暮らし始めている。
なにもかもが変わっていく。このままがいいと思っても、世界は否応なしに変わっていく。
「……ユーリは変わらないね」
「なんだよ突然」
「この数年でいろんなことが変わったなって思って」
めまぐるしく変わった世界の中で変わらないもの。ユーリの芯の部分。口と態度は悪いけれど、困っている人を放っておけないお人好しなところ。
わたしたちの関係も、変わらない。ユーリが騎士団に入っていた間も、ユーリが旅に出てからも、変わらず恋人のまま。離れてしまって寂しい気持ちはあるけれど、それでもふたりの気持ちが変わらないことがうれしかった。
「も変わんねぇよな」
「なによ、綺麗になったでしょ」
「自分で言うなよ……」
ハンクスさんは「おまえさんは母親似で美人じゃの」って言ってくれるんだけど。唇を尖らせていると、ユーリはふっと笑った。
「変わんねぇよ。相変わらずの世話焼きだろ」
「ユーリだってそうじゃない」
「変わんねぇなあ、オレたち」
ユーリも笑うから、わたしも笑った。
世界は変わった。十五のときから変わらなかったわたしたちの関係も、もしかしたらこれから先に進むのかもしれないし、このまま変わらないのかもしれない。でも。
「ここにいて見つかったら厄介だな。向こうに行こうぜ」
ユーリはわたしの手を引いて、下町の奥へと歩き出す。大きな手が、わたしの手を包み込んでいる。
「本当に、いろいろと変わったな……」
ユーリはつぶやきながら、天を仰ぐ。結界魔導器の光輪のない空。ユーリはそこになにを見ているのだろう。
ユーリが旅の間にこの手を汚したことも、知っている。その罪を、一生背負っていく覚悟をしていることも。
「ユーリは変わってないよ」
それでも、ユーリは変わっていないとわたしは思う。手を汚したのも、それは誰かを守るため。そして、ひとりで抱え込もうとするところも、変わらない。
「あのときわたしを救ってくれたのと、同じ手だよ」
父を亡くし、ひとりになったと泣いていたわたしを救ってくれたあの手のぬくもりは今も覚えている。たとえその手を血で汚しても、それは変わらない。ユーリの手は、わたしを救ってくれた大きな手。今も誰かを守ろうとする、優しい手。
これからなにがあっても、ユーリはわたしの大切な人。あのときわたしを救ってくれた、特別な人。
「……そっか」
ユーリは目を閉じて、じっとなにかを噛みしめている。数秒の後、開けた目はずいぶんと穏やかだった。
「オレも……おまえに救われんだよな」
初めて聞く言葉に、わたしは目を丸くした。救われた? ユーリがわたしに?
「え、いつ?」
「さあな」
「そこまで言って教えてくれないの!?」
「当ててみな」
「ええー!」
ユーリがからかうような笑みを見せるから、わたしは必死に過去の思い出を振り返る。ユーリと過ごした、二十二年間を。
世界は変わる。わたしたちの関係の名前も、友達から恋人へ変わったように、いつの日かまた先へと進み変わるかもしれない。
変わりゆくものの中で、変わらないもの。
温かな思い出と、お互いを大切に思う気持ちは、きっとずっと、変わらない。