ユーリと虫除けの話
・ゲーム本編開始前の時間軸として書いています
帝都・ザーフィアス。市民街にある小さな食事処がわたしの仕事場だ。
「お待たせしました、あまあまパスタとひやピリ中華でーす」
夕飯時の混み合う店内で、わたしは女性二人組のテーブルに注文の品を届ける。身なりからして市民街の住民だろう。彼女たちはわたしの配膳を気にもせず、黄色い声で会話を続けている。
「見て見て、これ彼にもらったんだ~」
「あ、ダングレウォーカーに載ってたネックレスでしょ。いいなあ~」
ロングヘアーの女性は、もう一人の女性に首のネックレスを自慢げに見せびらかす。ゴールドのチェーンのネックレスはシンプルながらに洒落た装いだ。
いいなあ、貴族じゃなくても市民街の住民ならそんな余裕があるんだ。「ごゆっくりどうぞ」と言いながら、心の中に羨望の感情が生まれる。
わたしは恋人のユーリからプレゼントらしいものはもらったことがないし、わたしがユーリになにか贈ったこともない。下町育ちのわたしたちはお互い生きるのに精一杯だから。まあ、そうでなくてもユーリはプレゼントなんてタイプでもないのだけれど。
贈り物に憧れる気持ちはあるけれど、人をうらやんでも仕方ない。今日も真面目に働いて蓄えを増やさないと。
「すみませーん」
「はーい、今行きまーす!」
後ろから聞こえた男性客の声に、明るく応える。しかし、声の主の姿を見て、わたしは注文の足を一瞬止める。以前から食事に誘ってくる市民街の男性だ。
「ええと……ご注文は」
「マーボーカレー一つお願いします」
「はい、承りまし」
「今日の仕事終わったら少し話せないかな」
う。やっぱり。注文だけ取ってすぐに逃げようとしたのに、かぶせるように声をかけてくるなんて。
「いや、今日は予定が」
「じゃあ明日は?」
くそう、冷たく断りたいところだけれど、店長から客をあまり無下にするなと言われている。無下にするなってどこまでならいいんだ。「全員が知り合い」みたいな下町で育ったからこういうときの距離感がわからない。
「明日もちょっと……」
言葉を濁すけれど、男性は期待の面もちで私を見つめている。簡単に引いてはくれなさそうだ。どうしよう、ほかの客からの呼び出しがあれば波風立てずにこの場から去れるのに。
誰か手を挙げて。心の底で願っていると、入り口近くの席から「注文なんだけど」という見知った声が聞こえてきた。聞き慣れた声に慌てて振り向くと、そこにいたのは艶のある長い黒髪の男性。わたしの恋人のユーリがそこにいる。
「は、はい、今行きます!」
戸惑いと安堵の感情を入り交じらせながら、慌ててユーリのもとへ注文を取りに行く。
「うまうまティーひとつ、よろしく」
「は、はい」
ユーリは視線を机のメニュー表に落としたまま、よそよそしい声で注文を告げた。そして、その姿勢を崩さず声を落として「なあ」とつぶやく。
「もうすぐ仕事終わるだろ」
わたしが小さく首を縦に動かしたのを確認すると、ユーリは視線を出入り口に向ける。そこで待っていてくれるつもりなのだろう。
わたしは小走りで注文のメモを厨房へ持って行く。閉店まであと少し、息を吐いて気合いを入れ直した。
閉店作業を迅速に終え、わたしは早足で店を出た。店のドアを開ければ、壁にもたれかかるユーリの姿が目に入る。ユーリの黒い長髪が、夜空に溶け込んでいる。
「よう、お疲れ」
「そっちこそ。珍しいね、ユーリがお店来るなんて」
「時間空いたから、たまにはな」
ユーリが「帰ろうぜ」と言って先に歩き出してしまうから、わたしはあわててユーリの後を追いかける。
「前に言ってた、しつこい客ってあいつか」
下町までの坂道を下る途中、ユーリが小さくつぶやいた。
「もしかして、心配して店まで来てくれたの?」
ユーリの顔をのぞき込むと、ユーリは無言でわたしの額を小突いてきた。態度こそそっけないけれど、否定の言葉を発さないと言うことは、わたしの想像通りなのだろう。
「そう、あの人なんだよね。前からご飯でもどうってずっと言われてて」
「きっぱり断りゃいいじゃねえか」
「店長があんまり冷たくするなって言うしさ」
「ああ……」
クールなユーリでも、「仕事辞めたら」とは言わない。ユーリもわかっているのだ、下町の人間がお金を稼ぐ手段は限られていることを。ユーリみたいに力仕事ができるならまだいいけれど、わたしはそうもいかない。
世知辛いなあ。うつむいてため息を吐くと、隣を歩くユーリが突然立ち止まる。
「どうしたの?」
「、手出せ」
「手?」
「いいから」
いきなりなんだろうと疑問に思いつつ、わたしはユーリの言うとおり、手のひらを上にして両手をユーリの前に出した。
ユーリはわたしの左手を取ると、じっとそこに視線を落とす。その瞳の
中に、かすかに星のような光が見えた。
「ユーリ?」
ユーリは無言のまま、小さく手を動かした。わたしの薬指に、ひんやりとした感触が走る。
わたしの左手の薬指に、シンプルな銀色の指輪がはめられていた。
「え……」
「虫除け」
ユーリは視線をわたしの手に向けたまま、いつものあのクールな声色でそう言った。
「む、虫除けって」
虫除けって、そうか、あの客のことか。頭が混乱して、うまく頭が回らない。
「これでもしつこかったら俺を呼べよ」
声が出なくて、わたしは首だけ縦に振った。
ユーリはふっと笑うと、下町へ続く坂道を下り始める。
「あ、待ってよ!」
「待たねえ」
慌ててユーリを追いかけて、彼の隣へ。ユーリの顔をのぞき込むけれど、ユーリはふいと視線を逸らしてしまう。
「……宵越しの銭は持たないって言ってたのに」
「だからぱーっと使ったんだよ」
「……ふふ、ありがと」
ユーリと並んで、慣れ親しんだ下町への道を歩く。慣れない左手の薬指の感触が、くすぐったい。
のぞき込んだユーリの頬が、ほんの少し赤らんでいたことは、わたしだけの秘密だ。