ユーリから罪の告白を受ける話
※二部開始直後(トリム港~アーセルム号)の時間軸です。
「人を殺した」
ユーリの言葉が、ふたりきりの部屋に響く。
夜の闇の中、わたしの部屋を照らすのは粗悪な燃料で燃えるランタンだけだ。そのランタンの炎が、風もないのに小さく揺れた。
まったく予想していなかった恋人の告白に、わたしは言葉を返すことができない。隣に座るユーリの顔を見られずに、下を向いた。
なんで? どうして? 下町を出てから、いったいユーリになにがあったのだろう。
そう、ユーリは水道魔導器の魔核を探すために下町を出た。久しぶりに下町に戻ってきたのはほんの数時間前のこと。
わたしはランタンの炎を見つめながら、そのときのことを思い出す。あれは今日の夕方、市民街での仕事を終え下町の自宅へ戻ってきてすぐのこと……。
*
「まったくもう!」
わたしはため息を吐きながら、外へ干していた洗濯物を取り込んだ。
恋人のユーリが水道魔導器の魔核を探すために下町を出て、一ヶ月がたった。もともとユーリは騎士ともめて十日ぐらい牢屋に入れられることも多かったから、帰ってこなくても最初はたいした心配もしていなかった。手配書を見たときも(やたら金額が高いところは気になったけれど)また騎士ともめたのだろう、ぐらいにしか思わなかった。
しかし、十日を過ぎても二十日を過ぎても帰ってこず、さすがに心配し始めたころに、フレンが水道魔導器の魔核を持ってきた。ユーリが探していたはずの魔核を。
「ユーリが魔核を下町に届けてくれと」「ギルドを作ると言っていた」「さすがに君にもなにかしら連絡はくれると思うけど……」
フレンの言葉で、わたしの心配は怒りへと変わった。
ユーリが肝心なことを言わないのはいつものことだけれど、ギルドを作って旅を続けるなんて、さすがに恋人のわたしに一言あってしかるべきだろう。
フレンの訪問から数日。ユーリからの連絡を待ったけれど、なにもない。今日の郵便にも、ユーリからの便りはない。
まったく、いつもいつも勝手なんだから。帰ってきたらげんこつの一つでも食らわせないと! わたしは鼻息荒く、目の前の洗濯物をかごに投げた。
「……?」
最後のタオルを取り込んだとき、ふと水道魔導器のある噴水広場のほうが騒がしいことに気づく。今日はなにも集まりはなかったはずなのに、なにかトラブルでもあったのだろうか。首を傾げていると、喧噪の中に聞き慣れた声が聞こえてきた。
この声は……。思うより先に、わたしは駆け出す。家からすぐそばの噴水広場についたとき、やはりそこには「彼」がいた。
「ユーリ!」
魔導器の周辺に見える複数の人影。その中に、ユーリの姿が確かにある。わたしの聞き間違いではなかった。
「おう、……って、うおっ!?」
片手を上げて軽く挨拶をするユーリ。そのユーリの胸ぐらを、わたしは思い切りつかんだ。
「あんたねぇ、連絡一つ寄越さないで!」
「いてっ、だから戻ってきただろ!」
「魔核探しに行ったって言うのに魔核はフレンが持ってくるし、そのフレンが『ユーリはギルドを作った』って言うし!」
「いやだから……」
「言い訳は結構!」
ユーリはうろたえた様子で口を動かすけれど、頭に血が上ったわたしの耳には届かない。連絡があればわたしだって事情も聞いただろうけれど、ユーリは手紙の一つもなかったのだから!
「あなた、隅に置けないわね」
ユーリを締め上げていると、脇に佇んでいたクリティア族の女性が微笑んだ。
「ジュディ、なにがだよ」
「こんなに可愛い恋人がいたなんて、聞いてないわ」
「そうそう」
さらに無精ひげを生やした壮年の男性が、ジュディと呼ばれた女性に同調する。
「突然帝都に寄りたいって言うからなにかと思ったら、恋人に会いに来たのね」
二人の言葉にわたしははっと冷静になって、慌ててユーリから手を離す。
「え、え、そうなの?」
今度は大きな鞄を提げた少年が二人とユーリを交互に見やる。「どう見てもそうでしょ、少年もまだまだね~」「ええ~!?」と会話をする横で、わたしは居住まいを直した。
「す、すみません、はしたないところを見せちゃって……」
ユーリの姿を見て頭に血が上ってしまい、周りが見えていなかった。わたしは羞恥を抑えながら、ユーリの周りを見やる。先ほどの三人のほかに、初めて見る顔がちらほら見える。ユーリが帝都を出たときはラピードとエステルという少女だけだったはずなのに、ずいぶんと同行者が増えたようだ。彼ら全員ギルドの仲間なのだろうか。
「自己紹介もせずにすみません……」
「いいっていいって、おっさんはね~」
そう言ったのは無精ひげの男性だ。名前をレイヴンと言うらしい。ほかの同行者も順番に自己紹介をしてくれる。それぞれカロル、ジュディス、パティ、リタ。自己紹介の仕方も個性豊かだ。
「ここがユーリの故郷かあ。ねえねえ、水道魔導器ってあれ?」
「ああ、魔核もフレンが届けたみたいだな」
「へえ……結構しっかりした魔導器じゃない。下町にこんな魔導器があるなんて」
物珍しそうに下町の様子を眺め始める仲間たち。彼らと話すユーリはずいぶんと楽しげだ。騎士団を辞めてからずっとくすぶっていた姿が嘘のよう。
その様子に、わたしは少し寂しさを感じる。わたしの知らないところで、ユーリがそんな顔をするなんて。
「もう、手紙も寄越さないと思ったら意外と楽しくやってるんじゃない」
心の痛みを隠して、わたしは大げさにため息を吐いた。わたしの様子に、ユーリは肩をすくめる。
「だから船もらって……まだ正確にはもらってねぇけど、とにかく船で海渡れるようになったから戻ってきたんだよ」
「そうそう」
レイヴンがおちゃらけた様子で会話に入る。
「ノード・ポリカに行く前にどっか寄ってもいいって言われて、真っ先に帝都に寄りたいって言うんだもの。まあ確かに故郷にこんな可愛い子残してきたら誰かに取られちゃわないか心配よね~」
「別にそんなんじゃねぇよ。……まあ、いろいろ報告しに戻ってきたけど、ギルドの仕事もあるから長居はできねぇんだよ」
ギルドの仕事? 聞く前にカロルが一歩前に出る。
「でも幸福の市場も帝都に寄るならちょっと商談していくって言ってたし、今日はここで一泊でいいんじゃない? もう遅い時間だし」
「そうだな、宿は向こうだ。一階で飯も食えるぜ」
いまいち話は見えないけれど、とにかくユーリは今夜は下町にいるらしい。それなら話を聞く時間はあるだろう。
「おまえも来いよ。ギルドのこととか説明すっから」
ユーリの誘いにうなずいて、わたしもユーリの仲間たちと一緒に下町の宿屋・箒星へ向かう。道中、「おなか空いちゃった~」「明日は朝一で出発だよ」というユーリの仲間の楽しげな会話が聞こえてきた。
「それでね、エフミドの丘ではこーんなおっかない魔物がいてさ」
貸し切り状態の箒星の中で、カロルが旅の様子を饒舌に語る。
どうしてユーリが長い間帰ってこなかったのか、突然ギルドを作ったのか。そのあたりを聞きたかったのだけれど、カロルが「順番に話すね!」とユーリと出会ってからの話を始めてくれた。枯れていたハルルの樹が満開になった話、シャイコス遺跡のゴーレムの話……。時折リタが呆れた顔で「大げさすぎでしょ」なんて訂正している。
まだギルドを作った経緯は遠そうだけれど、ユーリが魔核泥棒を捜すのに難儀していた様子は伝わってくる。そして魔核の件に関係なくてもその街の厄介事に首を突っ込んでしまうことも、ユーリらしい。
「ふふ、すごいね。次の街は?」
「次は……ノール港かあ……」
水を飲みながらカロルを促すと、今まで楽しげに話していたカロルが
急にトーンダウンする。
「なにかあったの?」
「あそこは執政官がひどくてさ。ラゴウって言うんだけど、港町なのに船を出せないように魔導器で天候を操って、それで税を払えない人たちを魔物のいる地下に押し込めて……」
カロルの言葉に、わたしは息を呑む。
貴族が好き勝手やっているのは下町でも見てきたけれど、ほかの街でもそうなのか。わたしは心が淀むのを感じる。
「僕たちが屋敷に入ったときも子どもが危ない目に遭ってて……」
「カロル」
カロルの言葉を、突如ユーリが遮る。
「その話はいいだろ。面白味もねぇ」
ユーリはコップを片手に、険しい表情を見せた。わたしもほとんど見たことのない厳しい顔に、わたしは思わず体を強ばらせる。
エステルとリタも、先ほどまでの楽しげな様子はどこへやら、暗い表情を隠さない。どうやらみなにとっていい記憶のある場所ではないようだ。
「そ、そうだね。えっと、それから海を渡ってトルビキア大陸に着いたんだけど、カルボクラムって街に魔核泥棒の手がかりがあるらしいって聞いて……」
「あそこで騎士団に捕まったんだよな、カロル先生」
「そ、そうそう。それでヘリオードって街まで連れて行かれてね!」
カロルは表情を再び明るいものに変え、旅の続きを話し出す。ヘリオードの次のダングレストというギルドの街に着いてからも、さまざまなことがあったらしい。カロルの語り口は面白く、話に飽きることはなかった。
「……で、幸福の市場から船を譲ってもらうことになったんだ。船で海を渡れるようになったから、ここに来たってワケ!」
「なるほど、たくさんお話ししてくれてありがと」
「ふふ、どういたしまして!」
カロルの話のおかげで、ユーリがギルドを作った経緯や、今の仕事の内容もだいたいわかった。今晩下町で過ごしたら、明日はエステルからの依頼をこなすためにデズエール大陸へ向かうらしい。どうやらギルドのメンバーは首領のカロル、ユーリ、ラピード、ジュディスだけで、ほかの人たちは目的地が近いという理由で同行しているようだ。
旅の話を聞いていたら、すっかり夜も更けてしまった。凛々の明星……ユーリたちのギルドは明日も早くから動く。夕食の場はそこでお開きとなった。
貸し切り状態の箒星。この後始末をすべておかみさんに押しつけるのは申し訳ない。みんなで片づけをしていると、エステルとカロルがぽつりとつぶやいた。
「そういえば、ラゴウ、どこに行ったんだろうね」
「そうですね……きちんとした罰が下るようヨーデルに手紙を送っておきましたが、ラゴウが見つからないことには……」
「自分で大した罰がないように工作したんだから、逃げたってわけじゃなさそうだけど」
ラゴウというのは先ほどノール港の話のときに出てきた名だ。詳細はわからないけれど、相当に悪いやつらしい。わたしは下町で過去あった貴族の振る舞いを思い出し、再び心に淀みが生じるのを感じた。
「」
ため息を吐きながらテーブルを拭いていると、ふいにユーリが近づいてきた。
「あとで話がある」
小さな声で伝えられた言葉に、わたしの心臓が小さく跳ねる。緊迫感のある表情に、温度のない声。先ほどカロルの話を遮ったときと同じだ。
「部屋で待っててくれ」
ユーリの言葉にうなずいて、わたしは再び机に視線を落とす。
なんの話かはわからない。しかし、明るい話題ではないことだけは確かだ。わたしは不安を胸に抱きながら、使い込まれたテーブルを見つめた。
*
そしてわたしの家へやってきたユーリから、「人を殺した」と告白を受けた。
使い古したベッドに座るユーリの顔は、暗い。温度のない瞳に、揺れるランタンの炎が映る。
なんで。どうして。わたしの問いに、ユーリはぽつぽつと話をしてくれた。
カプワ・ノールという街で、貴族……執政官に虐げられる人たちを見たこと。高い税金をふっかけ、払えないとなれば住民たちは魔物の餌にされ……。フレンが逮捕したけれど、結局その貴族は評議会の権力で罪から逃れた、と。
ユーリはただ淡々と目の当たりにしたことだけを話しているように見えた。そこに言い訳のたぐいは見られない。先ほどのカロルやエステルの話とも合致するし、それが「事実」なのだろう。
「そう……」
わたしは小さく息を吐く。隣に座るユーリの顔を見ないように、そっとうつむいた。
わたしもユーリと同じで、法に対する意識はほとんどない。いや、わたしだけでなく、下町で生まれ育った人間は多かれ少なかれ「帝国の作った法」への遵法精神は薄い。なぜなら下町はいつだって法の外側にあったから。たいていの騎士は下町の住民を守ってはくれないし、それどころか憂さ晴らしのようにわたしたちを蹴り飛ばすことさえあった。そしてそんな暴力を振るったところで、騎士は罪には問われない。騎士団に訴えたところで、逆にわたしたちが罪に問われることすらあった。騎士のほとんどは、貴族の門弟なのだ。
だからわたしも、ユーリが騎士ともめて牢屋に放り込まれたところで、ユーリが特別悪いことをしているとは思わなかった。
けれど、人の命を奪ったとなると、話は変わる。そこにある重みが違う。
ユーリの話を聞く限り、その貴族は子どもをもおもちゃにするといった悪逆無道の振る舞いをしてきたのだろう。そして、罪に問われなかったということは、一時鳴りを潜めたとしても再び同じことをする可能性が高い。
あくまでユーリから聞いただけの話ではあるけれど、ユーリが嘘を吐いている、もしくは自分の罪を軽減するために誇大に話しているとも思わない。
昔、下町で似たようなことがあったことを思い出す。貴族の権力争いに巻き込まれて、下町の人間も命を落とした。あれを思えば、ユーリの怒りはわたしにもわかる。
「……仲間たちは知ってるの?」
わたしはまっすぐユーリを見つめた。先ほどまで話していたユーリの仲間たち、少なくともカロルやエステルは知らないようだけれど……。
「ラピード以外は誰も知らねぇ。……いつか言わなきゃいけねぇけどな」
「……フレンも?」
下町の人間は遵法意識が薄いけれど、フレンだけは別だ。フレンはいつも法にも規則にもまっすぐで、それを破ることを許さない。法が間違っているのなら、法を破るのではなく法を正すべきという強い信念を持って騎士団に入ったことを、下町の住民全員が知っている。
「……ああ」
ユーリは目を閉じてうなずいた。瞳の色が、見えない。
「……なんでわたしには話したの?」
一緒に行動する仲間にも、親友であるフレンにも明かしていないことを、わたしに話したのはなぜなのだろう。疑問を投げかけると、ユーリは目を開ける。底が見えない瞳が、鈍く光った。
「……おまえに、選んでもらわなきゃいけねぇからな」
選ぶ? なにを? 頭に浮かんだ疑問は、すぐに胸に落ちた。
ああ、そうか。人殺しの恋人で居続けるか、それとも別れを告げるのか。それを「選べ」とユーリは言っているのだ。
どうするべきか、わたしは考える。いつものように騎士ともめただけならば、わたしも迷わない。けれど、今回ばかりは重みが違う。
わたしはゆっくりと目を閉じた。そして、ユーリから聞いた話を頭の中で反芻する。
いや、それだけじゃない。ユーリと過ごした日々のこと、下町で生まれてきてからのこと、すべてを。
答えは、とても単純だ。
「……ユーリ」
わたしは目を開けて、ユーリを見やった。
「わたしの顔、見られる?」
わたしの問いかけに、ユーリはためらうことなく真っ直ぐにわたしを見つめた。その瞳に淀みはなく、底が見えないぐらいに、深い。
ああ、やっぱりユーリはわたしを見た。迷いのない視線、意志の宿った強い瞳。子どもの頃から変わらないそれを見て、わたしはゆっくりと瞬きをした。
「ユーリ」
そして、再びユーリの名前を呼ぶ。幼い頃から何度も呼んできた名前を。
「……わたしの顔を見られなくなるようなことは、しないでね」
ユーリがわたしに「選ばせた」時点で、わたしの答えは決まっている。
もしユーリがわたしに顔向けできないようなことをした自覚があるのなら、ユーリはわたしに選ばせることはなかった。きっと、そのときはなにも言わずにわたしの前から去っていた。ユーリはそういう人間だ。
「わたしから、別れるなんて言わないよ」
わたしにすべてを話し、わたしに選ばせているのは、それはユーリの信念が何一つ変わっていないことを意味している。
「ユーリがユーリのままでいるのなら」
ユーリの核が変わらないのなら。ユーリの信念が同じならば。ユーリがユーリのままでいるのなら、わたしの想いは変わらない。
「ユーリ」
わたしはユーリを抱き寄せる。ユーリの小さな心臓の音が、伝わってくる。
「変わらないでいてね」
心からの想いを、ユーリに伝えた。
それはもしかしたらユーリを縛る呪いの言葉なのかもしれない。それでもわたしがユーリにかけられる言葉は、これだけ。
どうか変わらないでいて。わたしが好きになったユーリのままでいて。ひねくれたようでいて本当は真っ直ぐで、いつだって誰かのために動くユーリのままで。
「……変わらねぇよ」
ユーリは言葉とともにわたしを抱きしめる。いつもと変わらない、わたしを抱きしめる優しい手。
なにも変わっていない。わたしへの気持ちも、ユーリ自身も。なによりこの手が示している。
ユーリが変わらなければ、わたしの想いも変わらない。
どうか、変わらないでいて。想いを込めて、目を閉じた。