ユーリとバレンタイン
※三部以降の時間軸です。V世界にバレンタインやホワイトデーがあったら……というお話。
帝都・市民街。わたしは冬の冷たい風に身を震わせながら、多くの露店が出る朝市を歩く。今日のお目当ては夕食の食材だ。
今日はユーリがギルドの仕事を終え下町に帰ってくる日。久々の恋人の帰還、高価な食材は買えないけれど、いつもの夕食よりは少しだけ豪勢にしたい。さて、なにを作ろうか。あれこれ考えながら、露店を一軒一軒じっくり見ていく。それにしても……。
「ずいぶんお菓子が多いなあ……」
いつもと違い、露店に出ているのはお菓子やその材料ばかりだ。なぜだろうと首を傾げた直後、先日友人から聞いた噂を思い出す。
それは昔々帝国にあった慣習。冬のとある日付に、恋人や配偶者へ愛情を込めた甘いお菓子を贈り、その一ヶ月後に贈られた相手がお返しとして愛情を込めたお菓子やアクセサリーを贈るという風習があったらしい。愛情を込めたプレゼントに、愛情を込めたお返しを、ということのようだ。
今は廃れてしまったイベントだけれど、先月のダングレウォーカーで取り上げられたことをきっかけに、今では女性を中心に帝国全土でこの催しの噂が広がっている。坂の上の事情には疎い下町にもその噂が届くほど。
その噂の日付はまさに今日。なるほど、よく見てみれば市民街の女性たちが色めき立って露店でお菓子を選んでいる。露天商も彼女たちに向けてお菓子やお菓子の材料を多く仕入れたのだろう。
ま、下町住まいのわたしには関係ないかな。貧しい下町、誕生日にすらプレゼントを贈り合う文化はない。わたしはひとり、笑顔の女性たちを横目にため息を吐いた。
……いや、でも……。
「はい、これあげる」
その日の夕方。ギルドの仕事を終えわたしの家へとやってきたユーリに、わたしは一つの小包を渡す。
「なんだこれ?」
「クッキー。ちょっと作ってみたの」
「クッキー? ありがたいけど、どうしたんだよ、突然」
ユーリはわたしの言葉に目を丸くし、巾着状の包みを覗く。「しかもずいぶん豪華じゃねぇか」とさらに驚きの色を深めた。
たまにわたしが作るクッキーは最低限の材料だけのシンプルなもの。だけれど今回はチョコレートを混ぜてみた。お高くていつもは手が出ないチョコレートも、今日だけは特別だ。
「知らない? 冬に恋人に甘いお菓子を渡すイベントがあるの」
わたしはイスに腰かけながら、ユーリに例の噂を伝える。
下町在住の自分には関係ない催しと思っていたけれど、下町も前よりは経済的に安定してきたし、なによりユーリは甘いものが好き。せっかくのイベントなら乗らねばと思ったのだ。
「そういや依頼人がそんなこと言ってたかもな……」
「知ってるの?」
「ああ、ダングレストで噂になってたぜ」
「じゃあお返しのことも知ってる?」
「お返しぃ?」
「お菓子をもらった相手は一ヶ月後に愛情込めたお返しをするんだって!」
わたしの明るい声とは正反対に、ユーリは苦い顔を見せた。
「はあ? なんだそりゃ」
「愛情込めたお菓子とか、アクセサリーとか……そういうのをお返しとしてプレゼントするって」
「そりゃ甘いもんもらえんのはありがたいけど、いきなり寄越してきてお返しって言われてもなあ」
「一ヶ月後だからまだ余裕あるじゃん」
「だからってな」
「お返しがないのは不義だと思う!」
大きく手をあげたわたしの言葉に、ユーリは肩を揺らす。
「不義っておまえ」
「不義には罰っていつも言ってるじゃない」
ユーリの所属するギルド・凛々の明星の掟は「義をもってことを成せ、不義には罰を」だ。その理念はギルドとしての活動だけに限定されてはいない。それにそもそもユーリはギルドを作る前から義に反するようなことを嫌っていた。
ねえ、お返しがないのは不義だと思う! じっとユーリを見つめると、ユーリは諦めたように大きなため息を吐いた。
「……わーったよ。まあ、いいもんもらったしな」
「やった!」
「言っとくけどたいしたもん用意できねえぞ」
「ふふ、了解!」
ユーリの返事に、わたしは思わず顔をほころばせる。
別にわたしも豪勢なお返しを期待しているわけではない。いつもみたいにちょっとしたお菓子でも作ってくれたらそれでいい。ただ、せっかく恋人同士なのだから、たまにはこういったイベントに乗ってみたいじゃない。
「あと今甘いもん作るぞ。それでいいよな」
「えっ今?」
「ギルドの仕事もあるからな。一ヶ月後オレ下町いるかわかんねぇし」
確かにギルドの仕事は街の外での護衛だったり荷物運びだったり、帝都外のことが多い。基本的にユーリは一つの仕事を終えると下町に戻ってきてくれるけれど、一ヶ月後ちょうどの日付に下町にいる保証はない。
「わかった。じゃ、よろしくね」
「おう、台所借りるぞ」
「愛情いっぱい入れてね! わたしのクッキーにもちゃんと入ってるから!」
「へいへい……いっぱい入れといてやるよ」
*
例のイベントからちょうど一ヶ月。雪のちらつく寒い夜、わたしはひとり、自宅で夕食の片づけをしている。
「ユーリが帰ってくるのは明後日か……」
ユーリは先日、ギルドの仕事で帝都を発った。今回の仕事は帝都からノール港へ向かう隊商の護衛、帰ってくるのは二日後の予定だ。
今頃ユーリも夕飯の片づけ中かな、それとも移動中かな。先月お返しをもらっておいてよかった。ユーリが作ってくれたクレープ、おいしかったな。ぼんやり考えながら洗い物を進めていると、こんこんと窓を叩く音がした。
「え……っ」
わたしの知り合いで、ドアではなく窓を叩く人間。そんなのは、たったひとりしかいない。わたしは慌ててすぐそばの窓へと駆け寄った。
「よっ。ただいま」
「ユーリ!」
そこにいたのはやはりユーリだった。ユーリはいつもと変わらない様子で、黒い髪を夜の下町になびかせている。
「帰ってくるの、明後日じゃなかった? 仕事は?」
「首領がやたらやる気満々でな、予定より早くノール港に着いたんだよ。よっと」
ユーリはわたしの問いに答えながら、軽い動作で窓からわたしの家へ入ってくる。
「やる気満々だったカロルは? 一緒に帰ってきたの?」
「いや、ノール港にいるよ。あそこに滞在してる魔狩りの剣に用があるんだと。何日か休んだらノール港で合流する予定だ」
ユーリは話しながら、うっすら雪の積もった上着を脱いだ。あ、雪が床に落ちちゃう。慌てるわたしをよそに、ユーリはクールな表情のまま上着からひとつの包みを取り出した。
「ほら」
「えっ。わっ!」
そして、ユーリがその包みをわたしに投げてくる。慌てて受け取ったそれは、手のひらに収まるほどの小さな薄紫の箱だった。
「え、なに?」
「やる。ま、たまにはな」
え。……え? え!? プレゼントってこと!? ユーリが!? わたしは慌てて箱を開ける。そこにあるのは、白い花をあしらったドロップタイプのイヤリングだ。
「え……なんかやましいことでもあるの?」
「おまえなあ……没収するぞ」
「だって突然プレゼントなんて」
今までユーリから誕生日のプレゼントだってもらったことはない。貧しい下町では誕生日にプレゼントを贈り合う文化はないから仕方ないのだけれど。とにかく、恋人になってから五年以上がたっているけれど、ユーリは花のひとつも贈ってくれたことはない。そのユーリが、こんな可愛い贈り物をくれるなんて。
「先月のお返し用かなんかで、ノール港に露店がたくさん出てたんだよ」
「でもお返しはもうもらったのに」
「だから『たまには』って言っただろ。それに今回の仕事、結構稼げたからな。金ため込むの、性に合わねぇし」
ユーリはベッドに腰かけながら、プレゼントの理由を並べ立てる。
いろいろ言ってはいるけれど、ユーリがわたしのためにイヤリングを買ってくれたのは確かだ。たとえ気まぐれでも、プレゼントを贈ってくれるなんて。しかもこんなセンスのいいものを選んでくれるなんて思ってもみなかった。
「ありがとう……」
わたしもユーリの隣に座って、ユーリの顔をのぞき見る。ユーリの表情はいつもと同じ、相変わらずのポーカーフェイス。でも、その中に優しい色が見えている。
わたしはベッドの脇の鏡を見ながら、さっそくイヤリングをつけてみる。白い花が、わたしの耳で小さく揺れた。
「ねえ、似合う?」
「似合ってんじゃねーの? よくわかんねぇけど」
「もう」
愛想のないユーリの返しに、わたしは唇を尖らせた。しかし、再び鏡を覗けばそんな拗ねた気持ちはあっという間に消え失せる。鏡に映るのは、頬を緩めた自分の顔と、両の耳にきらめく白い花のイヤリング。ユーリからのプレゼントを、鏡の角度を変えて何度も何度も見てしまう。その鏡に、笑うユーリの姿も映り込む。
「ありがとね、ユーリ」
鏡を置いて、改めてユーリにお礼を言う。本当に、こんな贈り物がもらえるなんて思わなかった。今日はいい夢が見られそう。
ユーリは「おう」と答えると、その口角をきゅっと吊り上げた。
「んじゃ、『お返し』、期待してるぜ」
「えっ」
企むような笑みを浮かべるユーリを見て、わたしはひゅっと背筋を凍らせた。
「お、お返しって」
思ってもみなかった言葉と表情に、わたしはユーリから一歩体を離す。けれど、ユーリはその距離を即座に詰めた。
「先月オレにはさせたんだから当然あるよな?」
「え、いやあれはそういうイベントで」
「自分だけ逃げようってか?」
う。先月突然クッキーを贈って半ば無理矢理お返しを求めただけに、強く言い返せない。
「じゃあ明日買ってくるから……」
「いーや、今くれよ」
「えっ、今家になんにもなくて」
食材は先ほどの夕食でほぼ使い切ってしまった。明日の分は朝市で調達する予定だったのだ。
「ちょうどいいじゃねぇか」
「え」
「愛情込めたお返しってやつ、くれるんだろ?」
そう言いながら、ユーリは体を寄せてくる。わたしもベッドの上で後ずさるけれど、じりじりと追いつめられて、ベッドヘッドに背中が当たった。
突然プレゼントだなんて何事かと思ったらこれか……! やましいことはなくても、やましいことは考えてたんじゃないか。むっとユーリをにらむけれど、ユーリはそんなものは意に介さない。
「不義には罰、っつったのはおまえだからな」
「わ、わたしギルドメンバーじゃないし……」
「ギルドメンバーでもないのに小っちぇことにそれを持ち出したのはおまえだろ」
うう。一から十まで反論できない。一ヶ月前のわたしのバカ……!
「別に罰でもいいけどよ」
「っ!」
ユーリがわたしの耳に飾られたイヤリングを撫でる。冷たい指の感触に、わたしは小さく声を漏らした。
「お……」
「お?」
「お返しの方で……」
わたしの答えに、ユーリは悪戯っぽい笑みを浮かべた。そのままキスをして、わたしたちはベッドに沈む。燃料が切れたのだろう、ベッドの脇のランタンの炎がタイミング良く消えた。
きっと、ユーリのことを突き飛ばそうと思えばできたのだろう。でも、わたしはしなかった。だって、イヤリングに触れたときの手があまりに優しかったから。一瞬見せた表情が、あまりに嬉しそうだったから。
イヤリングをつけた直後、鏡を見つめていたときもそう。あのとき、鏡に映ったユーリが優しい笑顔を浮かべているのが見えてしまった。この贈り物が、お返し目当てのものではなく、本当に愛情が込められたものだとわかってしまった。だからわたしもお返しをしなくっちゃと……ううん、愛情込めたお返しをしたいと思うじゃない。
ユーリ、ありがと。ユーリに腕を回して、わたしからキスをする。
ユーリがもう一度、わたしのイヤリングに触れた。暗闇でも、ユーリがどんな顔をしているか、わかるよ。