「氷室くん、英語の宿題出た?」
『ああ、あの長文読解?』
「うん。全然わからなくて…」

彼と付き合い始めて一週間が経った。
今日も氷室くんと電話でおしゃべり。

氷室くんと一緒にいられる時間はあまりない。
氷室くんはほとんど毎日部活だし、寮の門限も厳しい。
二人きりでいられる空間どころか、人目を気にせず話すこともほとんどできない。

『今度昼休みに教えるよ』
「ありがとう。…あ、ごめん。もう切らないと」
『…そっか』

部屋で電話をしていたら相部屋の子が帰ってきた。
電話をしていたところで怒られるわけじゃないけど、さすがに恋人との電話を人に聞かれるのは恥ずかしい。
氷室くんは最初「気にしなくてもいいんじゃないか?」と言っていたけど、今は納得してくれているようだ。

「おやすみ」
『うん。おやすみ』

そう言って電話を切った。
私と氷室くんは、間違いなく恋人同士という関係だ。
だけど、それを実感できるのは今みたいに電話をしているときぐらい。
クラスも違うし、部活も違う。帰る時間もバラバラで、接点は生徒会のみ。
生徒会だって毎日活動があるわけじゃないし、インフルエンザの人たちも復帰したので二人きりでいるわけじゃない。

何をどうこうしたいというわけじゃないけど、寂しいと思う。





今日は日直だ。
少し早めに学校に来ると、体育館からボールの弾む音がした。
もしかして、そう思って少し心を躍らせながら歩く方向を体育館へ変えた。

「…やっぱり」

少し開いた入り口から体育館を覗くと、氷室くんが練習をしている。
こうやって練習する姿を見ていると、初めて氷室くんを見たときのことを思い出す。

あれは確か氷室くんが転入してきてすぐのこと、生徒会選挙も行われる前のことだ。
二学期が始まる前から氷室くんのことは噂に敏感な女子は知っていたらしい。
だから二学期に入ってすぐ「イケメンがアメリカから転校してくる」と話題になった。
バスケがうまく、IHベスト4のうちのバスケ部でレギュラーを取ったとも。
私も少し気にはなったけど、氷室くんが転入したクラスも遠くバスケ部とも縁がなかったので、彼を実際見ることはなかった。

二学期が始まって一週間が経った頃、生徒会選挙直前、最後の生徒会の仕事を終わらせた私は寮に帰ろうと校門まで歩いていた。
そんなとき、今日と同じく体育館の方からバスケットボールの弾む音が聞こえてきた。
まだバスケ部やっているんだ、もしかしたら噂の彼もいるかも。そんな軽い気持ちで体育館を覗いた。
そこでは一人練習する氷室くんの姿があった。
それまで彼の顔は知らなかったけど、すぐに噂の彼だとわかった。
だってこんな人がいたらもっと昔から知れ渡ってる。この人がアメリカからきた氷室くんだと確信する。

アメリカ帰りのバスケットボールプレイヤー。だからきっと強豪バスケ部でもレギュラーと取れたのだろうと思っていた。
そんな考えは練習する彼の姿を見て間違いだとわかった。
厳しいと有名なバスケ部、その練習が終わった後も自主練とはなかなかできることじゃない。
胸がきゅっと締め付けられた。
みんなが騒ぐのもわかる。素敵な人だ。

その後の生徒会選挙に氷室くんは立候補してきた。
物怖じせず壇上ではっきりとした口調でスピーチする氷室くんは、きっと女性票だけで当選したのではないと思う。

遠いクラスだった私たちに生徒会という接点ができた。
特別仲がいいわけではない。生徒会の中でときどき事務会話をしたり、他愛もない話をしたり。そんな程度。
そのはずだったのに、氷室くんに対して恋心を抱くようになったのはいつの頃からだっけか。
気付いたら彼のことを目で追っていた。バスケットボールの弾む音がするとついつい体育館を覗いてしまう。彼の声を聞く度に胸が弾む。
氷室くんと生徒会活動をしているうちに心を奪われてしまったのか、それとも一目見たときからだっただろうか。
わからないけど、雪が降り始めた頃には私は彼への恋心を自覚していた。

「あれ、さん」

氷室くんが体育館の脇にあるタオルを取ろうとしたとき、目が合ってしまった。
私の名前を呼んで駆け寄ってくる。

「どうしたの?」
「日直で早く来すぎちゃって」
「そうなんだ」
「氷室くんは朝練?」
「うん。朝は体育館使っていいから」
「そっか。ごめん、邪魔しちゃって」
「いや、少し休んで終わろうと思ってたところだから」

そう言うと氷室くんは床に腰を下ろす。
ぽんぽんと隣を叩いて座るよう促されたので、私も床に座った。

「毎朝練習してるの?」
「いや、さすがにね。部活後の方が捗るし」

氷室くんはごくりとペットボトルのスポーツ飲料を飲み込む。
至ってふつうの仕草なのに、ドキドキするのは相手が私の好きな人だからだろうか。

さん?」
「あ…なんでもない」

うっかり見入ってしまっていた。
名前を呼ばれて我に返る。視線を下に落とした。

「顔赤い」
「!」

氷室くんが私の顔をのぞき込んでくる。
くっついてしまいそうなぐらい、近い。

「ドキドキしてる?」
「氷室くん、あの」
「オレもしてる」

氷室くんの顔はより近付いてくる。
キスされる。思わず氷室くんの唇を手で押さえた。

「あ、の…ここ学校だし、みんなもう来てるし…」

体育館の外は少し騒がしくなってきた。
もう早い生徒は登校し出す時間だ。

「オレとキスしたくない?」
「!そういうわけじゃなくて!」

思わず否定の言葉が口から出てしまうけど、それはそれでとんでもないことを言っている。
はっと口を両手で抑えた。

「そう、ならいいよ」

氷室くんは少し安心しように表情を緩めた。
キスをするのが嫌なわけではない。
でも、学校でそういうのは…やっぱりよくない気がする。

「あ…私そろそろ行くね」
「うん」
「また放課後ね」

ドキドキを抑えられないまま、体育館を後にした。