ダイゴさんに甘やかされる話
ダイゴさんは私に甘い。
「あ、ごめんね。リーグから電話だ」
とある休日の夜。私の部屋に遊びに来ていたダイゴさんは、そう言って足早に電話を片手にベランダへ出た。
「忙しい人だなあ」
私は独り言を呟きながら、ベランダにいるダイゴさんを見つめた。真剣な表情で話し込んでいるので、おそらく時間がかかるだろう。私は私で暇を潰そうか。周りを見渡して目に付いた雑誌を手に取った。
「あ……可愛い」
雑誌をぱらぱらとめくっていると、ふととあるページで指が止まる。そのページの真ん中に載っているのはシンプルなワンピースだ。膝丈のスカートに、全体が淡い水色のワンピース。無性に心惹かれるけれど、金額の欄にはなかなかのお値段が記載されている。奮発すれば出せなくはないけれど、ぽんと出せる金額でもない。
「うーん……」
ちらりとベランダの方を見れば、ダイゴさんはまだベランダで話し込んでいる。ダイゴさんが帰ってくる前に、私はワンピースが載っているページの端を折った。貯金して買うか、似たものを見つけるか。どちらにしてもとりあえずこのページに目印をつけておかないと。
「これ、欲しいの?」
「わっ」
雑誌を閉じようとしたそのとき、突然後ろから声をかけられる。慌てて振り向けば、そこにはダイゴさんが立っていた。
「遅くなってごめんね」
「いえ、仕事だし……もう大丈夫なんですか?」
雑誌をそっと閉じながら問いかけると、ダイゴさんは「指示しておいたからもう大丈夫」と答えながら私に笑顔を向ける。
「で、これ?」
「あっ」
ダイゴさんは笑顔のまま、私の持っている雑誌を手に取った。そのまま私の隣に座り、雑誌を開く。折り目がついているため、ワンピースのページはすぐに開いてしまう。
「この水色のワンピース?」
あ、これ、まずい。
「ダイゴさん」
「ん?」
「買わないでくださいね」
私の言葉に、ダイゴさんは目を丸くする。きょとんとした表情を見て、私には次に出てくる言葉も予想がついてしまう。
「どうして?」
ほらやっぱり。絶対言うと思った。
「『どうして?』じゃないですよ! 買いたいときは私が自分で買うって言ってるでしょう!?」
この間もそう。私が呟いた「このネックレスいいなあ」という言葉を聞いていたらしいダイゴさんは、数日後にそのネックレスを買ってきた。「欲しいって言ってたよね」と言って、誕生日でもなんでもないのに。安いものでもないと言うのに。
ああ、だからダイゴさんが帰ってくる前に雑誌を隠したかったのに……!
「別にいいじゃないか」
「よくないです!」
ネックレスのときにも同じことを言ったのに、ダイゴさんはまったく懲りていないようだ。
ダイゴさんからしたらこのワンピースの値段なんてはした金かもしれないけれど、私からしたら結構な値段のものなのだ。そもそも金額の高低に関わらず、ずっと贈り物をされ続けるのは申し訳ない思いが強い。
「ボクが贈りたいだけだから、は気にしなくてもいいのに」
だめだ。これ、全然ダイゴさんには効いていない。
「気にします!」
「そう?」
「ダイゴさんは私に甘すぎます……」
思わず大きなため息が出てしまう。この調子だといつか家とかプレゼントされそう。いや、さすがにそれはないか。……ないよね?
「もボクに甘いよ」
ダイゴさんは私の胸元に触れる。その指の先には、ネックレスのトップの部分の小さな石がある。
「怒ってたけど、結局こうやってつけてくれる」
そう。このネックレスは先日ダイゴさんがくれたもの。私が自分で買おうとしていたのに、と怒ったものだ。
「……贈ってくれたものですから。そこまで恩知らずじゃありません」
確かにあのとき怒りはしたけれど、プレゼントされたものを無碍に扱うことはいくらなんでもしない。ましてや贈ってくれた相手が恋人ならなおさらだ。
「それにちゃんとお礼も言いましたよ!」
「きみはそういうところ律儀だもんね」
ダイゴさんはトップの石を指で持ち上げる。じっとそれを見つめて一言、「似合っているよ」と呟いた。
「あのワンピースも似合いそうだけど」
「……買ったら本当に怒りますよ?」
「わかってるよ」
「もし買ったらもう会いませんからね!」
「それは困るな」
ダイゴさんは言葉ではそう言っているけれど、表情は困っていないどころかニコニコと笑っている。これ、本当にわかっているのだろうか……。
「でも、このネックレスだけじゃないよね」
なにが、と私が聞く前にダイゴさんは私の部屋をぐるりと見渡し、最後に私の手を取った。
「このマニキュアもボクが贈ったものだよね」
ダイゴさんは私の左手の爪を撫でた。そこには以前ダイゴさんが贈ってくれたブルーグレーのマニキュアが塗られている。
「贈った花は玄関にドライフラワーにして飾ってくれてるし、さっき淹れてくれた紅茶のカップもボクが買ってきたものだ」
大事にしてくれてるんだね、そう言ってダイゴさんは私の爪を再び撫でた。
「……大事にしますよ。ダイゴさんがくれたものですから」
「うん。ありがとう」
ダイゴさんは私の手の甲をそっと撫でる。優しい仕草に、私は目を細めた。
私の部屋にはダイゴさんが贈ってくれたものがたくさんある。このままだと私の部屋すべて彼からの贈り物で埋まってしまいそう。
「大事にしてくれるから贈りたくなるんだよね」
「……ダイゴさん」
「わかってるよ」
本当にわかっているのかな。ダイゴさん、ときどき……いや、結構人の話を聞かないところがあるから。
「ダイゴさんといるとダメ人間になりそう……」
はあ、と私は大きくため息を吐いた。ダイゴさんは放っておいたら私になんでも買ってくれそう。このまま甘えていたら、完全に堕落してしまうのでは。
「そうしたいんだよ」
ダイゴさんは少し低い声でそう言って、私の頬を撫でる。
「がボクなしでいられなくなったらいいのにって、そう思ってるんだよ」
私を真っ直ぐ見つめるダイゴさんの瞳は深い。じっと見つめ返しても、底が見えない。どこまでも青い瞳に、吸い込まれてしまいそう。
「……それなら、もっと必要ないです」
私は言いがら、ダイゴさんの胸に顔を寄せた。
「だってもう、とっくに私はダイゴさんなしじゃ生きられません」
そんなことを言わなくても、贈り物なんかなくても、ダイゴさんの望みは叶っている。ともすれば空恐ろしいその言葉を嬉しいと思うほどに、私の心はダイゴさんでいっぱいだ。ダイゴさんなしでは、いられないと思うほどに。
「まだだよ」
ダイゴさんは私の頬に手を添えた。目線を合わせて、顔を少しずつ近づける。
「まだ足りない」
瞳と瞳が近づいていく。唇をなぞられて、私は目を閉じた。
世界が、二人だけになる。