アクアマリン/3

 チルットを保護して一ヶ月がたった、土曜日の昼下がり。チルットの通院を終えた私とダイゴさんは、ポケモンセンターからほど近い、トレーナーズスクール前の噴水広場に来ていた。
「チルット、出ておいで」
 ケージを開けると、中のチルットがちょこ、ちょこ、と歩き始める。短い足で何歩か歩くと、チルットの体が完全に外に出た。
「まだ歩くと痛むのかな。でも大きな問題はなさそうだ」
 私の隣に立つダイゴさんは、チルットの様子を見て安堵の息を漏らす。
 先ほどの通院時に、ジョーイさんから「そろそろリハビリとしてチルットを歩かせた方がいい」と言われ、そのままの流れでここに来た。ここならポケモンセンターから近いので、なにかあってもすぐに連れて行けるからだ。
 しかし、私の不安な気持ちに反して、チルットはてくてくと歩いている。久しぶりの地面の感触が嬉しいようで、「チル!」と明るい声をあげた。芝生に落ちている石をくちばしでつついてみたり、その場にちょこんと座ってみたり、私が思っている以上に元気そうだ。
「チルットはさすが回復が早いね」
「本当に。早く飛べるようになるといいんですけど……」
 チルットの羽の傷は相当に深いらしく、完治までは時間がかかると言われている。無理に飛んで高いところから落ちてまた怪我を……なんてことにならないためにも、しばらく飛ばないよう注意して見ていかなくては。
「あ、こら」
 そう思った矢先に、チルットは翼を何度か動かして羽ばたこうとする。慌ててチルットを抱き上げると、チルットは悲しそうに小さな声で鳴いた。
「チル……」
 チルットは私の腕の中で、じっと空を見上げた。やはり鳥ポケモンだけあって空が恋しいのだろうか。
「もう少し我慢だよ、チルット」
 ダイゴさんは膝に手を当て屈み、チルットに視線を合わせる。チルットは納得したのか、それとも不満の表現なのか、ぎゅっと私の胸に顔を埋めた。
「疲れちゃったかな。そろそろ帰ろうか」
「そうですね。ダイゴさん、今日もありがとうございました」
「こちらこそありがとう。来週もまた同じ時間でいいかな」
「はい、私は大丈夫です」
「じゃあ、また来週ね」
 そう言ってダイゴさんは、デボンの方へ歩いて行った。またデボンで仕事をするのだろう。私はデボンとは反対の方角にある自分のマンションへと帰った。

『今注目のホウエンリーグ! ジムリーダーや四天王たちの素顔に迫ります!』
 家に帰ってテレビをつければ、ホウエンリーグの特集番組が放映されていた。チルットを保護したあの日、街頭ビジョンで見たものの再放送のようだ。あのときは見られなかった番組をじっくり見ようと、私はソファに腰掛けた。
 番組冒頭は各地のジムリーダーの紹介で、次にサイユウにあるリーグの四天王。そして目玉はチャンピオンであるダイゴさんの特集だ。大企業のデボンの御曹司でありリーグチャンピオン、さらにこの容姿となれば注目が集まるのも当然だ。女性リポーターのインタビューに澄ました笑顔で答えるダイゴさんは、遠い世界の人のよう。先ほどまでこの人と一緒にいたのが不思議に思えてくる。
「また来週、か……」
 チルットを保護して一ヶ月。ダイゴさんはいつもチルットの通院に付き合ってくれている。
 最初に「これからも一緒にチルットの通院に行きたい」と言われたときは、都合のつくときだけだろうと思っていた。まさか今テレビに映っている彼と、毎週のように会っているなんて。一ヶ月前の私には信じられない話だ。
「チル~!」
 ケージの中のチルットが、テレビに映るダイゴさんを見て明るい声を出す。毎週会っているおかげか、チルットもずいぶんダイゴさんに懐いているようだ。
「また来週会えるよ」
「チル!」
 チルットは非常に人懐っこい。知り合ったばかりの頃から、私にもダイゴさんにも笑顔を向けている。なにより、一日二回の包帯の交換も薬の塗布も、相当に痛いだろうに大人しく受け入れている。捕まえたばかりのポケモンや、大切にされてこなかったポケモンには見られない傾向だ。きっと、この子はトレーナーに愛されてきたのだろう。
 にも関わらず、チルットのトレーナーは現れない。
「チル?」
 チルットは私の不安を察したのか、丸い頭を傾げた。そして、窓から空を見上げる。飛びたいのか、それとも、もしかしたら自分のトレーナーを探しているのか。
 悲しい考えが頭をよぎる。トレーナーが現れないのは、この子を捨ててしまったからなのか、それとも名乗れるような状態ではないのか。名乗れるような状態ではないと言うのは……。
 じっと外を見つめるチルット。その頭を、私はそっと撫でた。
「大丈夫……」
 大丈夫、大丈夫。きっとちゃんと、トレーナーの元へ帰れるから。


 一週間後の土曜日。今日もポケモンセンター前でダイゴさんと待ち合わせだ。いつものようにポケモンセンターへ向かうと、遠くに見えるポケモンセンター入口の前に佇む男性の姿が目に入る。遠目でもわかるほど大きなリュックサック、なにより目立つのはオレンジ色のシャツだ。格好からしておそらく登山帰りなのだろう。流星の滝やカナシダトンネルが近くにあるカナズミに登山客は珍しくない。特に気にせず男性から視線を外そうとしたとき、ふとその人のシルエットが「彼」に似たものであること気づく。私は慌ててポケモンセンターまで走った。
「やあ、ちゃん。こんにちは」
 やたらスタイルがいい登山客だなと思ったら、やはりダイゴさんだった。ダイゴさんは私を見つけると、いつもの爽やかな笑顔を私に向ける。
「こんにちは。すみません、いつもと違う格好だからなかなか気づけなくて……」
「ああ、これ? 今日は時間があったからね。午前中は石を探しに行ってきたんだ」
 石というワードに、真っ先にツワブキ社長を思い出す。デボン社内には社長の趣味で石のオブジェが至るところに飾られているのだ。そういえば息子さん……すなわちダイゴさんも石集めが趣味だと聞いたことがあるけれど、噂は本当だったらしい。
「チル!」
「チルット、どうしたの?」
 ダイゴさんと話していると、突然ケージの中のチルットが大きな声を上げた。なにやら興奮した様子だ。どうどうと背中を撫でてなだめるけれど、高揚は収まらない。
「もしかしてきみも石が好きなのかな」
「チル!」
 ダイゴさんの問いかけに、チルットは明るい声で答えた。返事はイエスということなのだろう。つまり、ダイゴさんの「石」というワードに感情が高ぶったのか。
「あ……そういえば石のついたアクセサリーにも反応してたかも」
「この間も噴水広場の石を気にしていたね」
 あまり気にしてこなかったけれど、思い返せばチルットは「石」に反応することが多かった。ダイゴさんと同じく石に興味がある子なのかもしれない。
「採掘した石をあげられればよかったけど、今日は成果がなくてね……」
「チル……」
 ダイゴさんの言葉に、チルットはしゅんと羽を垂らす。これはなかなかの石好きのようだ。「また今度贈るよ」と言われれば、その場でぴょんぴょんと跳ねて喜びを表した。
 チルットがご機嫌なうちにと、少し急いでポケモンセンターへ入る。センター内はなかなか混雑しているのに、すぐにチルットの順番がやってきた。
「今回は時間がかかると思います」
「え……どこか悪いんですか?」
 怪我も順調に治ってきていると思っていたのに、ここにきて突然悪化したのだろうか。不安を口にすると、ジョーイさんは柔らかな笑顔を浮かべ、こちらを安心させるようにゆっくりと話し出す。
「いいえ。怪我をして一ヶ月たちましたから、怪我の詳しい状態や、ほかに病気がないか調べるためですよ」
 その言葉に、私はほっと息を吐いた。ケージのチルットも、小首を傾げて鼻歌を歌う。
「夕方までかかるので、外出してくださって構いませんよ」
 外出。思ってもみなかった言葉が飛び出して、私とダイゴさんは目を見合わせた。ちらりとセンター内を見渡せば、よく晴れた土曜日ということもあってか人とポケモンで賑わっている。きっとバトル帰りなのだろう。
「外で待った方がよさそうだね」
 ダイゴさんの言葉に同意し、私たちはポケモンセンターの外に出た。
「夕方までどうしようか。どこかでお茶でもする?」
「そうですね。あ、そうだ。ダイゴさんさえよければ、石のこと教えてくれませんか?」
 チルットは石に興味があるようだけれど、私はまったく石に明るくない。ダイゴさんはかなり詳しい様子だし、少し話を聞けたらありがたい。そんな軽い気持ちで聞いたのだけれど、ダイゴさんは目を大きく開けて私にずいと近づいた。
「きみも石に興味がある!?」
「えっ」
 ダイゴさんのあまりの勢いのよさに、私は一歩引いてしまう。こ、ここまで喜ばれるとは……。
「あ、いや、私はそんな興味があるわけじゃ……チルットが好きみたいだから、ちょっと話を聞けたらな、ぐらいのつもりで……」
「あ……そっか。そうだね」
 私の返答を聞いたダイゴさんは、肩も声のトーンも落としてしまう。う、一瞬でも期待させてしまって申し訳ない。けれどここで「興味がある」と言って、後々に実は違うとなったらそのほうが悪いだろうし……。
「なんだかすみません……」
「いや、ボクの方こそ早とちりしてしまったね。そうだね、それなら……」
 ダイゴさんは顎に手を当て考える仕草を見せると、ふっと口を開いた。
「ねえ、きみさえよければ今から採掘に行かない?」
「えっ、今からですか?」
「うん。流星の滝なら近いから夕方までには戻れるし、入口付近ならその格好で問題ないよ。チルットのおみやげが見つかるかもしれない」
 今日の私の服装はカジュアルなブラウスにスラックス、そしてヒールのないぺったんこタイプのパンプスだ。この格好でいいのか不安はあるけれど、私より山や洞窟に慣れているダイゴさんがそう言うのなら問題ないのだろう。
 なにより、「チルットへのおみやげ」というワードは魅力的だ。チルットは怪我の治療のため、今は満足に外に出ることもできない。狭い世界で過ごさざるを得ないあの子の生活に、少しでも彩りを与えたい。
「じゃあ、案内をお願いしてもいいですか?」
「もちろん。こっちだよ」
 私もカナズミに住んでいるので流星の滝の存在は知っている。しかし、詳しい道順までは知識がない。ダイゴさんの道案内に従いながら、道すがらダイゴさんの石についての話を聞いた。
「洞窟によって取れる石の種類が違ってね。キンセツ近くの砂漠やシダケでは化石がよく見つかるし、流星の滝は隕石が見つかることがあるんだ。さすがに入口あたりにはなかなかないだろうけど」
 流暢に話すダイゴさんはいつもより早口で、彼の興奮具合がうかがえる。石の話ができて楽しいのだろう。ダイゴさんの横顔はきらきらとした笑顔に満ちている。この間テレビで見たインタビューの落ち着いた様子とはまるで違う、少年のような顔だ。
 ダイゴさんもこんな顔をするんだな。ダイゴさんの話を聞きながら、心の隅でそんなことを思う。ダイゴさんの話はわからないことも正直多いのだけれど、彼の輝く表情は見ていて飽きない。
「流星の滝はボクもお気に入りの場所なんだ。あ、ここだね」
 ここが流星の滝。旅行雑誌やテレビなどでは何度か見たことがあるけれど、実際に目にすると神秘的な雰囲気に圧倒される。
「採掘するなら洞窟の中がいいね。あそこが入口だよ」
「え、でもここを登るのは……」
 ここから見える洞窟の入口までには段差……というには大きすぎる、断崖に近い場所を登って行かなくてはいけない。パンプスだとかの服装に関係なく、登山初心者の私には無理な崖だ。
「大丈夫、メタグロスに乗って」
 ダイゴさんはボールからメタグロスを出し、当たり前のようにその頭の上に乗った。
「ほら、きみも」
「は、はい」
 人のポケモンに乗るのは躊躇われるけれど、トレーナーであるダイゴさんがそう言うのだし、メタグロスも赤と黒の瞳をこちらに向けて私が乗るのを待っている様子だ。「失礼します……」と言いながら、腕を伝い頭の上に乗ってみた。この状態でどうやって崖を登るのだろう。
「ボクに掴まって」
「えっ、わっ!?」
 どうして? と思っていると、突然メタグロスが宙に浮いた。完全に地面から離れ、少しずつ上へ上へと登っていく。感じたことのない浮遊感に、私は思わず大声を出してしまう。ジェットコースターやフリーフォールと違い安全ベルトなどない。私は反射的にダイゴさんのシャツの裾を掴んだ。
「そう、掴まってて。すぐに着くから」
「は、はい!」
 ダイゴさんの言うとおり、メタグロスはすぐに洞窟入口へと私たちを運んでくれた。あまりに早いので、地面に降りても私の心臓は大きく鼓動を打ったままだ。
「メタグロス、ありがとう」
 私の言葉に、メタグロスは低い声で応えてくれた。渋いけれど穏やかな声色は、この子の性格を思わせる。無表情に見えるけれど、優しい子だ。
「じゃあ入ろうか」
 ダイゴさんはメタグロスをモンスターボールにしまうと、洞窟に入っていく。
「わ……」
 初めて入った流星の滝の内部に、私は感嘆の声をあげた。
流星の滝は一般的な洞窟と違い、白い岩に囲われている。そしてその白い岩の中を流れる澄んだ滝。写真で見るよりずっと神秘的だ。
「流星の滝は初めて?」
「はい……写真や映像では見たことあるんですけど、中に入るのは初めてです」
「フィルター越しに見る世界と、自分の目で見る世界は違うよね。ボクもここはすごく好きな場所なんだ」
 ダイゴさんは洞窟の奥を見上げる。きっと彼はもっと奥の方まで行ったことがあるのだろう。流星の滝を見渡すダイゴさんの瞳は、きらきらと輝きに満ちている。
「さて、時間もないし石を探そうか」
「あ、はい。でもどうやって……」
「壁を探すといいよ。ひびの入った場所から奥に隠れた石が見えることがあるんだ。そういえばチルットが気にしてたアクセサリーってどんなもの?」
「赤い石のついたイヤリングです」
「それなら赤い石が見つかればベストかな」
 ダイゴさんにならい、私は壁に手で触れながらひび割れた箇所を探す。こんな探し方で見つかるのだろうかと不安になるけれど、意外にもその場所はすぐに見つかった。
「あ、ダイゴさん。ここは?」
「いいね、少し叩いてみようか」
 ダイゴさんは私の指すひび割れた壁をじっと手で触れて確かめる。そしてリュックから採掘道具であろうハンマーを取り出し、ひびの部分を軽く叩き始めた。トントントンという軽い音とともに、壁が少しずつ剥がれていく。そうして見えてくるのは奥に隠れた黒い石……いや、土だ。
「粘土ですか?」
「そうだね。でも奥にまだなにかあるな。ちゃん、掘ってみて」
「え、私が?」
「うん。チルットに贈るものだから、きみが掘り当てることがベストだと思うな」
「そう、ですかね」
「そうだよ」
 ダイゴさんの言葉に頷いて、私は彼からハンマーを受け取った。ずっしりと重みのあるハンマーは、軽く叩くだけで小さな石を割ってしまいそう。
「この辺りを、そっとね」
「こ、こう?」
「そうそう」
 ダイゴさんが指し示すあたりを、軽くハンマーで叩いてみる。鈍い音とともに、少しずつ壁が剥がれていく。剥がれた壁の奥に覗き見えるのは赤い影だ。まさかお目当ての赤い石? なんて高揚したら、ついうっかりハンマーを叩く力が強くなってしまった。
「あっ!」
 声を出したときにはもう遅い。せっかく見つけた赤い石は、大きく二つに割れてしまった。
「やっちゃった……」
「大丈夫。割れたぐらいじゃ石の輝きは損なわれないよ」
 ダイゴさんは地面に落ちた赤い石を拾い上げ、入口から漏れる光にかざした。透明な赤い光が、ダイゴさんの頬に反射する。
「ほしのかけらかな。綺麗だね。きっとチルットも喜ぶよ」
「そう、ですかね」
「大きさもあの子にちょうどいいんじゃないかな」
 すごい。ダイゴさん、初心者が採掘を嫌いにならないよう褒め殺ししてくれている。
「ありがとうございます。喜んでくれるといいな」
「きっと大丈夫だよ」
 私はダイゴさんから二つの石を受け取った。手の中で光る赤い石。チルット、喜んでくれるかな。
「まだ時間はあるけど、そろそろ戻ろうか」
「そうですね」
「ちょっと待ったー!」
 洞窟から出ようとすると、突然の声が私たちを呼び止める。振り向けば、そこにいるのは二人組の男女だ。
「トレーナーでしょう? 目と目が合ったらポケモン勝負!」
 あ、まずい。トレーナーに出会ってしまった。たいしてポケモン勝負が強くない私にとって、トレーナーとの勝負は避けたいものだ。ちらりとダイゴさんを見やれば、彼はすでに腰につけたボールに手をかけている。
「そっちも二人ならダブルバトルでどうだ!?」
「ボクは構わないけど、きみはどう?」
「できなくはないですけど、足引っ張るだけかと……」
 一応手持ちのポケモンはいるし、野生のポケモンと対峙することもある。とはいえ、チャンピオンのダイゴさんと、流星の滝にいるほどのトレーナーの戦いに参加するほどの実力は絶対にない。正直に伝えると、ダイゴさんは腰のベルトからモンスターボールを外した。
「大丈夫。ボクがいれば負けることはないよ」
 そう言い放つダイゴさんは、言葉に負けない不敵な笑みを浮かべている。先ほどまでの少年のようなきらきらした笑顔とも、いつもの柔和な微笑みとも違う。自信に満ちた表情に、私の心臓は大きく跳ねた。
「じゃあ……大丈夫です。私も行けます」
 ダイゴさんは私の答えに頷くと、勝負を仕掛けてきた二人組に向き直す。
「ダブルバトルでいいよ。やろうか」 
「よし! 行って、ハブネーク!」
「頼んだ、ザングース!」
 二人組はすぐにポケモンを出してくる。やはりここにいるだけのトレーナー、しっかり鍛えられたポケモンだ。私はおそるおそる、唯一の手持ちであるエネコを出した。
「エネコ、行って!」
「メタグロス!」
 大きなメタグロスの横に、私のエネコがちょこんと佇む。人見知りのエネコだけれど、バトルとなれば話は別だ。彼女もポケモン、バトルの準備自体はできている。
「きみのエネコはまもるを持ってるかな」
 ダイゴさんに小さな声で聞かれ、私は首を横に振った。
「それならサポートをお願いしてもいい?」
「わかりました」
「メタグロス、コメットパンチ!」
 ダイゴさんの指示を受け、メタグロスは素早くザングースに向かってわざを繰り出す。重量のあるメタグロスの攻撃に、ザングースは一発で沈んでしまう。ザングースのトレーナーの男性は一撃で瀕死になるなんて思っていなかったのだろう、「まさか」という表情で頭を抱えている。
「エネコ、あまえる!」
 私は残ったハブネークに補助攻撃を仕掛ける。サポートわざなら「うたう」も持っているけれど命中率が悪い。それなら「あまえる」で攻撃力を下げるのが私にできる最善の手だろう。
「ハブネーク! かみつく攻撃!」
 女性トレーナーの指示に従い、ハブネークはエネコに向かって大きく口を開けた。あまえるで攻撃力が下がっているとはいえ、エネコに耐えられるだろうか。どうにか耐えて、そう祈りながら唇を食いしばってエネコを見つめると、ハブネークとエネコの間にメタグロスが入ってくる。
「メタグロス!?」
 私の驚きの声とともに、メタグロスはハブネークの攻撃を受けた。鋭い歯を受けてもメタグロスは表情をまったく変えない。
「メタグロス、サイコキネシス!」
 ダイゴさんの指示に従い、メタグロスはサイコキネシスを繰り出す。弱点を突かれたハブネークも一撃で沈み、ダブルバトルはあっという間にこちら側の勝利となった。
「二匹とも一発で戦闘不能になるなんて……」
「あなた……その格好で気づかなかったけど、もしかしてチャンピオンのダイゴさん!?」
 女性のほうがダイゴさんに気づいたようで、口に手を当て驚いた声をあげる。男性トレーナーは「そりゃ勝てないわけだ……」とがっくりと肩を落とした。
「ザングースもハブネークもよく鍛えられていたよ。二人とも頑張ってね」
「は、はい」
「頑張ります!」
 ダイゴさんの言葉を受け、二人は少し頬を染めて照れくさそうに返事をする。チャンピオンと戦える機会なんてそうそうない。ポケモントレーナーとして高みを目指しているのなら今の言葉は嬉しいものだろう。二人は「ありがとうございました」と最後にお礼を言って、ハジツゲの方へと去っていった。
「さて、結構時間がたっちゃったな。戻らないと」
「あ……その前に。メタグロス、大丈夫?」
 メタグロスはかすり傷とはいえエネコをかばってダメージを受けている。ボールに戻される前にそう聞くと、メタグロスは「グ」と低い声で頷いた。
「触ってもいいですか?」
「ボクは構わないよ。メタグロス、どう?」
 ダイゴさんの問いかけに応えるように、メタグロスは一歩私に近づいた。触っても構わないと言うことだろう。
「エネコのこと守ってくれてありがとう」
 メタグロスを撫でるとひんやりとした感触が伝わってくる。エネコの温かな感触とはまるで違うけれど、大切にされてきたのが伝わってくる優しい肌触りだ。ほんの少し触れるだけで、ダイゴさんのこの子への愛情が伝わってくる。
「ネッ」
 エネコもメタグロスに明るい声で話しかける。きっとお礼を言っているのだろう。
「エネコ、ポケモン相手は大丈夫なのかな」
 ダイゴさんはエネコに聞こえないよう、小さな声で私に話しかけてくる。エネコの人見知りを気にしてくれているようだ。
「はい。ポケモン同士だとすぐ懐いちゃうんです」
「それならよかった。よければあとでエネコに『お疲れさま』って伝えてもらえるかな」
「わかりました」
 ダイゴさんは自分が話しかけたらエネコが脅えてしまうと思ったのだろう。気遣いにお礼を言うと、ダイゴさんは「どういたしまして」と笑顔を見せてくれた。

 流星の滝を出た私たちは、まっすぐポケモンセンターへと戻った。ジョーイさんから受けた現状のチルットの状態は大きな問題はなしとのこと。引き続き今の治療を続けながら、傷の回復を待ちましょうとのことだった。
 ポケモンセンターから出て、私はすぐに鞄にしまったあの赤い石を取り出した。
「ねえチルット、この石とかどうかな」
「チル!」
 チルットは赤い石を見て一際大きな声を出す。明るい声のトーン、きっと気に入ってくれたのだろう。嬉しそうなチルットの笑顔を見ると、私の心も弾んでくる。この石を取りに行ってよかった。
「せっかくなら首にかけられるようにしようか。接着剤でつけてもよければすぐにアクセサリーにできるよ」
「え、ダイゴさんが作るんですか?」
「うん。今日は道具も持ってきてるから」
 確かに石をそのままチルットに持たせるより、アクセサリーにしたほうが安全そうだ。しかし、首からかけるというのは……。
「あの、ケージにストラップのような形でつけることは可能ですか?」
「もちろんできるけど……それでいいの?」
「はい。チルットは私のポケモンじゃありませんから」
 トレーナーではない私が、チルトに首輪のようなかたちのものをつけるわけにはいかない。
 そう。この子は私のポケモンじゃない。いつか、私の前からいなくなる子だ。
 改めて思うと、心がひどく締めつけられる。じわりと視界が涙で歪んで、慌てて首を振って涙をおさえた。
ちゃん」
「す、すみません。大丈夫ですから」
 大丈夫、大丈夫。だってわかっていたことだから。大丈夫、私は大丈夫。
「チル!」
 チルットは明るい声で鳴くと、二つに割れた赤い石のうちの一つをつんつんとつつき始める。チルットの意図が汲めずに首を傾げていると、ダイゴさんがおもむろに口を開いた。
「一つをきみにあげたいんじゃないかな。きっとお揃いがいいんだ」
 ダイゴさんの言葉に、私はぱっとチルットを見つめた。チルットは「ル!」と大きく頷いている。
「そっか……チルット、ありがとう」
「チル!」
「嬉しいよ」
 チルットの頭を撫でると、チルットは嬉しそうに目尻を下げた。嬉しいな。こんなに懐いてくれて、私のことを大切に思ってくれて。あんまりにも嬉しくて、堪えたはずの涙がまた溢れそうになってしまう。

 その後、噴水広場にてダイゴさんに赤い石をストラップにしてもらった。私の石を鞄に、チルットの石をケージの入口につければ、チルットは上機嫌な様子で歌い始める。
ちゃん、前も言ったように、よければボクもチルットを見るよ。来週いっぱいはカナズミにいる予定だし」
 別れ際のダイゴさんの言葉に、私は首を横に振った。忙しいだろうダイゴさんの手を煩わせたくないと言う思いは変わっていない。けれど、今はそれ以上に。
「私がこの子のこと、見ていたいんです」
 できる限り、私自身でチルットの面倒を見ていたい。私のポケモンではないけれど、私の大切なポケモンだから。
「そう言うと思ったけど」
 ダイゴさんは苦笑しながら、すぐに言葉を付け加える。
「でも体調が悪いとか、そういうことがあったらすぐに連絡してね。力になるよ」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ、また来週」
 私はダイゴさんに手を振り、自分のマンションへと帰った。右手に持ったチルットの入ったケージと左肩に掛けられた私の鞄には、お揃いの赤い石がきらきらと輝いている。