アクアマリン/4
「はあ……」
週の真ん中の水曜日、夜八時。デボンコーポレーション内の経理部前の廊下にて、私は大きなため息を吐いた。ため息を誰かに聞かれる心配はない。なぜならすでにこのフロアには誰もいないからだ。
廊下に設置された自動販売機のミックスオレのボタンを押すと、ピロロロと明るい音楽が鳴り始める。どうやら当たりだったらしく、ミックスオレが二つ出てきた。
本日何度目かもわからないため息をまた吐いた。当たりの演出にもイラッとするぐらいに疲れているようだ。疲れた頭に糖分を足そうとミックスオレを買ったけれど、二つもいらない。一つは持ち帰ろうか考えていると、エレベーターホールから到着音がした。先ほど退勤した部長が忘れ物でも取りに来ただろうか。ホールに目を向けると、そこにいたのは意外な人物だった。
「ダイゴさん!?」
「やあ」
ダイゴさんは私を見つけると、いつもの笑顔を浮かべこちらにやってきた。
「下で経理部の部長に会ってね。若い女の子に仕事を任せちゃってって話をしてたから、もしかしたらきみかもって思って来てみたんだ」
「あー……」
部長は五分ほど前に具合が悪いとのことで退勤している。私一人残すことに対して申し訳なさそうにしていたけれど、まさかダイゴさんと話していたとは。
「こんな時間まで仕事?」
「ダイゴさんこそ」
「ボクはおやじと話し込んじゃってね」
おやじ。意外な呼称に私は目を丸くした。先日の石の話をしたときの少年のような表情といい、ダイゴさんって意外と親しみやすい面があるようだ。
「部長もずっと残業してるみたいだけど、経理部って人足りてない? おやじに相談しようか」
「いや、普段はそんなことないですよ。今は決算時期に病欠が重なっただけなんで……」
同期は風邪をこじらせ、別の同期は親戚の訃報でシンオウ地方へ。先輩は子供の入院で長期休暇、ほかの先輩も子供の熱が下がらずずっと欠勤のまま。決算で忙しい中、欠員の穴を埋めるため連日遅くまで残業をしていた部長もさすがに限界だったのだろう。先ほど「ごめんね……」と言いながら青い顔で帰って行ったのだ。
「そっか、大変だね。なにか手伝おうか?」
「えっ、そんな」
思わぬダイゴさんの申し出に、私は慌てて首を横に振った。
「大丈夫ですよ。もうあらかた片づきましたし、私もこれ飲んだら帰りますから」
「そう?」
「あ、ミックスオレ一本いります? 当たりが出たんですけど二つはいらなくて……」
「ありがとう、もらっていくよ。もう遅いから、気をつけてね」
「はい」
ダイゴさんはミックスオレを受け取ると、爽やかな笑顔を向けて下りのエレベーターに乗った。扉が閉まる直前にダイゴさんがこちらに手を振るから、私は軽く一礼する。
「……嘘吐いちゃった」
エレベーターが完全に閉まったあと、私は一人でため息を吐いた。
ミックスオレを飲んだら帰る、なんて大嘘だ。まだまだ仕事は積み上がっている。
ダイゴさんの申し出はありがたかった。しかし、社長の息子でデボンの役員職であるダイゴさんに手伝うと言われても、簡単には頷けない。
私はデスクに戻り、ミックスオレを開封した。甘ったるい味が、疲れた頭に染み渡る。
「あとちょっと頑張ろ……」
今日明日でできるだけ決算書類を進めておきたい。気合いを入れて、パソコンの画面に向き直した。
次の日の午後七時。今日も一人で残業をしている私は、経理部の入ったフロアの自動販売機前にいる。
今日も今日とて人手不足の経理部だ。昨日までの欠勤者は誰も復帰できず、具合の悪そうな部長も定時過ぎに退勤した。明日は何人か復帰できそうなのが救いだ。
救いがあっても、今日の仕事が山積みなのは変わらない。これからの残業時間のお供はどうしようか。甘い甘いミックスオレで脳に糖分を補給するか、それとも炭酸のサイコソーダですっきりするか。疲れた頭ではどちらに決めるかも一苦労だ。お金を握りしめたまま自販機前でボーッと悩んでいると、突如横からミックスオレのボタンが押された。
「!?」
なに!? と思って慌てて横を向けば、そこには見知った顔があった。
「やあ」
「ダイゴさん!?」
隣で微笑むのは紛れもなくダイゴさんだ。彼は自販機にお金を入れると、出てきたミックスオレを私に渡してくる。
「やっぱりいたね」
「え、どうして!?」
思ってもみなかった人物の登場に、私の頭は大混乱だ。しかし、慌てる私をよそに、ダイゴさんはスタスタと経理部の中に入っていく。「待って」と言っても待ってくれない。
「なんでまだ私がいるって……」
「今日もきみがいるような気がしてね。ボクの勘はよく当たるんだよ」
「勘って……」
「今日こそボクも手伝うね」
「えっ。いや、でもそんな」
ありがたい言葉ではあるけれど、どうしてもダイゴさんに仕事を頼むことに躊躇いがある。いくら毎週一緒にポケモンセンターに行っているとはいえ、社内では私にとっては上司どころか、さらに上の上の人なのだ。
「遠慮しないで」
「そういうわけじゃ……」
「いいから。ここがきみのデスクかな。チルット、こんばんは」
「チル!」
机の横にチルットの入ったケージが置いてあるから、ダイゴさんはすぐに私の席がわかったのだろう。彼はケージの中のチルットに挨拶をすると、机の上に置かれた台帳を手に取った。
「お昼に部長に聞いたよ。営業部から今さら経費があがってきて、それの入力が追いついてないって」
「そ、そうですけど……」
「フリーのパソコンはこれだよね。伝票貸してもらえるかな」
すごい。ダイゴさん、私の言葉など一切意に介さず一人で話を進めていく。なんというか、言葉を選ばずに言えば、ものすごく強引だ。あ、あれ。ダイゴさんってこういう人だったっけ?
「ダイゴさん、あの……」
「じゃあこう言うね。これは上司命令だよ」
ダイゴさんはそう言うと、私に右手を差し出した。その顔には、言葉とは正反対の満面の笑みが浮かべられている。
「……ダイゴさん、その言い方はずるいですよ」
「ふふ、そうかな」
「これ、お願いします」
上司命令と言われてしまえば私は従うしかない。大人しく未入力の伝票を差し出された右手に渡すと、ダイゴさんはフリーパソコンの電源をつけた。
「きみはきみの仕事をお願いするよ」
「……はい」
私は自席につき、自分の仕事を進めることにした。帳簿と合わない勘定科目があるから、その差異を見つけなければいけない。
カタカタ、と隣からキーボードを叩く音がする。軽妙な音を聞いていると、自分の心も軽くなっていることに気づいた。
本当のことを言えば、一人でこの仕事をこなすのは難しかった。まだ仕事はなにも終わっていないけれど、ダイゴさんが来てくれて、無理にでも仕事を引き受けてくれて、それだけで目の前が明るくなった気分だ。
「チル!」
二人で仕事を始めて、どれぐらいたっただろうか。キーボードを叩く音と紙のこすれる音だけが響くオフィスの中で、突然チルットの高い鳴き声が響き渡った。
「どうかしたのかな」
「あ、ご飯の時間だからですね……」
気づけば時刻は八時を過ぎている。日によって多少前後するけれど、基本的にこの時間には食事を終えていることが多いので、鳴いて教えてくれたのだろう。私は一度自分の仕事の手を止め、エネコとチルットのポケモンフードを鞄から出した。
「こっちがチルットのかな」
「あ、そうです」
ダイゴさんは机の上に出した怪我ポケモン用のフードを青いお皿に移し始める。「このぐらい?」と逐一確認をしてくれる一方で、エネコのお皿には一切手をつけようとしない。エネコはひどい人見知りだから、あまり関わらないようにしてくれているのだろう。
「エネコ、チルット、ご飯だよ」
二匹分の準備を終え、私はエネコをモンスターボールから出した。チルットは保護した当時は私が手ずからご飯を食べさせていたけれど、今はエネコと同じように自ら食事を摂ることができる。私はエネコとチルットの前にご飯を出して、自分の仕事へと戻った。
「み……」
チルットはご飯をすぐについばみ始める。その一方で、エネコはなかなかご飯に手をつけようとしない。
「ボクを警戒してるみたいだね」
パソコンの前に戻ったダイゴさんは、困ったように眉を下げた。
多くのポケモンは慣れていない人間の前ではなかなか食事を摂ろうとしない。今のエネコもきっと同じなのだろう。
……いや。
「エネコ」
私は仕事の手を止め、エネコを抱き上げた。じっと目を合わせれば、エネコの心が伝わってくるよう。
やっぱりそう。私の思ったとおり。怖がってはいるけれど、それはほんの少し。言葉を伝えれば、きっとエネコはわかるはず。
「ダイゴさんは優しい人だから、大丈夫だよ」
私の言葉に、エネコは耳を何度か小さく動かした。
ダイゴさんは優しい人。今日まで過ごした短くない時間の中で、彼に抱いた一番の印象はそれだ。今日はいつもより強引な面が見えるけれど、それも私を気遣ってのことなのが明白だ。
エネコはちらりとダイゴさんに視線を向ける。そして「エネ」と小さく鳴くと、私の腕からすり抜けて、ゆっくりとポケモンフードを食べ始めた。
「ちゃん、ありがとう」
ダイゴさんは私に笑顔を向けると、再びパソコンへと視線を返した。
キーボードを叩く音と紙の擦れる音以外に、エネコとチルットの可愛らしい生活音が聞こえるようになった。会話をしているのだろう、ときおり二匹の可愛い鳴き声が聞こえてくる。
ほどなくして食事が終わったようなので、二匹分のお皿を回収。エネコはボールに戻して、チルットの包帯を替えなくては。今度は包帯と薬を鞄から出して、チルットを抱き上げた。
「そういえばご飯のあとに包帯を替えてるって言ってたね。なにか手伝うことはある?」
「いえ、もう慣れてるので。ダイゴさんは仕事進めてもらえるとありがたいです」
「うん、わかった」
ダイゴさんの気遣いに感謝しつつ、私はチルットの包帯を解き始めた。自分の手を消毒したら、患部にきずぐすりとやけどなおしを塗る。
「ちる……」
「ちょっとだけ我慢してね」
チルットの羽の傷は深い。触れればまだ痛みが強く出る。苦しむチルットの表情を見ると申し訳ない気持ちが沸いてくるけれど、これも早く治すためなのだ。
薬を塗り終えたあとは、新しい包帯を巻き直す。チルットを保護して二ヶ月、毎日二回繰り返してきたため、さすがに一連の作業も慣れてきた。とはいえ、傷口に触れるのだから緊張感はある。
「終わったよ。よく頑張ったね」
「チル!」
時間をかけて一連の作業を終え、今度はご褒美にチルットに甘い桃色のポロックをあげる。チルットがエネコと同じく甘いポロックが好きでよかった。上機嫌なチルットの頭を撫でていると、ダイゴさんがじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「どうしました?」
「……ちゃん、ずっとそうやって世話をしてきたんだね」
「ええ、まあ……」
「いや、ごめん。忙しいのに余計なことだったね。仕事に戻ろうか」
「? はい」
ダイゴさんの言葉の意図が気になるところだけれど、今は目の前の仕事だ。チルットをケージに戻して、私は再びパソコンに向き直す。
「終わった……」
午後九時半、ようやく今日終わらせておくべき仕事がすべて完了した。倒れ込むようにデスクに突っ伏すと、ダイゴさんの「お疲れさま」という言葉とともに缶の置かれる音がした。
「あ……ありがとうございます」
目の前を確認すると、そこにあったのは温かいココアだ。そっと手に取ると、手のひらから全身へ温もりが広がっていく。
「あ、そういえばミックスオレのお金も……」
「いいよ、このぐらい」
「でも」
ダイゴさんはなにを言っても笑顔を崩さない。先ほど「上司命令だよ」と言ったときと同じ笑顔だ。笑っているのに、こちらに有無を言わせない雰囲気。ダイゴさん、穏やかで優しい人の印象が強かったけれど、意外と強引と言うか、なんというか……。
おそらくなにを言ってもダイゴさんは飲み物の代金を受け取ってくれないだろう。私は大人しく「ありがとうございます」と言ってココアと厚意をもらうことにした。
「ダイゴさんって結構強引なとこありますよね……」
私はココアを飲みながら、唇を尖らせた。今日はずっとダイゴさんのペースに巻き込まれていた気がする。いや、きっと気のせいではない。
「ふふ、さっきは優しいって言ってくれたじゃない」
「それは……優しいけど強引と言うか……」
クスクスと笑うダイゴさんに、私は小声で言葉を返す。
冷静になってみると、ダイゴさんがいる前でエネコにああ言ったのは少し恥ずかしかったかもしれない。けれど、あれは私の本当の思いだ。ダイゴさんは優しい人だと思っている。強引なところもあるけれど、その強引さも私を気遣ってのことだから。
「ボクの性格については否定しないけどね。きみはさ」
ダイゴさんは持っていたコーヒーのプルタブを開けながら、言葉を続ける。
「きみはなんでも背負い込みがちで、人に助けを求めるのが苦手だね」
ダイゴさんは笑顔のまま小首を傾げた。柔和なのにどこか鋭い言葉に、私はどうしたらいいかわからずに視線を下へ向ける。
「チルットだって、毎日包帯を替えるのも大変じゃない?」
「それは……」
「それに保護した当時はもっと手がかかっただろう」
ダイゴさんの言葉を、私は否定できなかった。
チルットの世話が、大変でないとは言えない。怪我をしたポケモンである以上、健康なポケモンより気を遣うことも多い。けれど、それでも。
「でも、トレーナーが見つかるまで私が面倒見るって決めたので」
「ほら、そういうところだよ」
ダイゴさんは困ったように笑いながら、缶コーヒーを机に置いた。
「きみはなんでも背負い込みがちだね」
「う……」
「ボクもチルットの面倒見るって言ってるのに、なかなか頼ってくれないし」
「そ、それは」
「ボクも手伝うのに強引にもなるよ」
う。もうぐうの音も出ない。私は観念して彼の言葉を否定するのをやめた。
「はい……」
「ふふ。だからかな。きみのこと、なんだか放っておけないんだよね」
そう言いながら、ダイゴさんはじっと私を見つめる。その瞳は、慈しむような、見守るような、とても優しいものだった。私は急に恥ずかしくなって、彼から視線を逸らす。
「あ……」
外した視線の先に見えたのは、チルットのケージの脇に佇むエネコの姿だ。夕飯が終わった後にボールに戻したはずなのに、いつの間にか自分で出てしまったようだ。
エネコはじっとダイゴさんのほうを見て、しっぽをパタパタと上下に動かしている。ダイゴさんの様子をうかがうようなその仕草は、彼に脅えているわけではなさそうだ。
「エネコ、おいで」
エネコは私の声に反応すると、すぐに私の膝の上に乗った。私はエネコを抱き上げて、ダイゴさんの側へ。
「ダイゴさん、撫でてみてください」
私の言葉に、ダイゴさんは目を丸くする。以前、エネコが自分に脅えていたのを見ているのだから当然の反応だ。
「いいの?」
「はい、きっと大丈夫」
さっき抱き上げたときにわかった。エネコはもうダイゴさんのことを怖がっていない。ダイゴさんが優しい人だと、エネコはとっくにわかっている。必要なのは、きっかけだけ。
ダイゴさんはエネコの額を人差し指の裏で撫でる。優しく、ゆっくりと。最初は驚いた様子を見せたエネコも、すぐに喉を鳴らし始める。
「ネ!」
エネコはすっかり気を許した様子で、甘えた声でダイゴさんの手のひらに頭を擦り寄せる。きっかけさえあればすぐに懐くだろうと思っていたものの、想像以上の甘えっぷりに私も驚いてしまう。
「エネ~!」
「あっ」
エネコは私の手からするりと抜けると、ダイゴさんの肩に乗る。しっぽをピンと立て、嬉しそうな様子を隠さない。
「ふふ、こんなに甘えてくれるなんて」
「すみません、いきなりこんなに甘え出すとは思わなくて」
「いいよ、大丈夫。むしろ嬉しいぐらいだ」
ダイゴさんはエネコを抱き上げて、じっとエネコと目を合わせる。そしてそのまま、ゆっくりと口を開いた。
「ふふ、トレーナーに似て可愛い子だね」
……。……え?
「だ、ダイゴさん」
「さて、ずいぶん長居しちゃったね。そろそろ帰ろうか」
「え、あ、そ、そうですね」
ダイゴさんは私の腕にエネコを戻すと、缶コーヒーを飲み干して帰り支度を始める。
どうしよう。さっきの言葉、あまり深掘りしない方がいいのだろうか。……うん。しないでおこう。ダイゴさんってああいうこと普通に言いそうだし、きっと深い意味はないはず。一人でそっと心を決めて、私も帰る準備を始めた。
経理部を出て、二人でエレベーターに乗る。デボンの外に出れば、ひんやりとした風が私を包んだ。
「ちゃん、家まで送るよ。もう遅いからね」
「そう、ですね。お願いします」
「断らないんだ?」
自分で誘ったくせに、ダイゴさんは大仰に目を丸くした。わざとらしい表情に、私は唇を尖らせる。
「遠慮しても無駄でしょう?」
「よくわかったね」
「今日一日でよーくわかりました。家、こっちです」
私は鞄の肩紐をかけ直して、自分のマンションの方角を指す。以前にも送ってもらったことはあるけれど、もうずいぶんと前のことだから覚えていないだろう。
デボンから私の住むマンションは遠くない。短い帰路の中、ダイゴさんのほうから話が振られた。
「きみはポケモン勝負はあまりしないのかな」
「興味がないわけじゃないんですけど、エネコが……」
「あまり勝負向きではない?」
ダイゴさんの言うとおり、エネコは決してバトルが得意なタイプではない。それもあまりバトルをしない理由の一つだけれど、もっと大きな訳がある。
「エネコ、あんまり体が強くないのか、続けてバトルすると熱出しちゃうんですよね」
子供の頃はよく野生のポケモンや友人トレーナーとバトルをしたけれど、そうするとエネコはすぐに熱を出してしまう。ジョーイさんに何度か診てもらったこともあるけれど、特に悪いところがあるわけではなく、おそらく体質的なものだろうと言われている。
「じゃあ流星の滝では悪いことをしたかな」
「あ、いや。一、二回なら問題ないんですよ。ただ……エネコはバトルもそこまで積極的にやりたいわけじゃないみたいだし、何匹も育てられるほどの才能は私にはなかったし、なにより私の相棒はこの子だから」
私はモンスターボールの中のエネコを思いながら、自然と思い浮かんだ言葉を口にした。エネコがバトルをしたいのならきっと私ももっと強くなろうと頑張っただろう。しかし、私が子供の頃に選んだ相棒はこの子だったから。
「それに、ポケモンとの関わり方は一つじゃないと思ってますから」
「そうだね。ボクはバトルが好きだからつい考えがそちらに寄ってしまうけれど、この世界にはいろんなポケモンがいて、いろんな人間がいるからね」
ダイゴさんは穏やかな口調のまま、夜空を見上げた。つられて私も上を見れば、綺麗な星空が広がっている。「綺麗ですね」なんて話をしていれば、すぐに私のマンションに着いてしまう。
「ダイゴさん、今日はありがとうございました」
「どういたしまして。明日も手伝いに行こうか」
「明日はもう大丈夫ですよ」
「本当に? 昨日もそう言ってたよね」
「う……」
私の「大丈夫」には、もうすっかり信用がないらしい。いや、私の言動が招いたことではあるのだけれど。
「明日は本当に大丈夫です。あとはもう資料をまとめるだけですし、欠勤していた人たちも明日は何人か復帰予定なので」
「なるほど、それなら本当に大丈夫そうだね。でも、なにかあったらすぐに呼んでね。力になるよ」
ダイゴさんは明るい笑顔を私に向ける。温かくて甘い表情に、私は頬が少し熱くなるのを感じた。
「じゃあ、またポケモンセンターでね」
「はい」
私は頬に熱を持ったまま、ダイゴさんと別れ自分の部屋のある階への階段を上る。「残業で疲れたから」と言い訳しながら、部屋に入ってすぐにソファに飛び込んだ。
「はあ……」
ツワブキダイゴ。ほんの数ヶ月前まで、私にとっては遠い世界の、無関係の人だと思っていた。いや、きっと今でも遠い世界の人なのは変わらない。そう、私とは住む世界の違う人。たまたま関わりを持っただけの人。だから、今私の胸が甘い痛みを覚えているのはきっと気のせい。
自分の中に芽生え始めた感情に蓋をして、私は目を閉じた。