星巡り/ジョウト編

 世界を旅して回ろうと決めたあの日から一ヶ月。急ピッチで旅の準備を整えた私とダイゴさんは、ホウエンを飛び立ちジョウト地方のコガネシティへやってきた。
「コガネシティはさすがに人が多いね」
「はい。すごい賑やか……町全体が明るいですね」
 リニアの発着駅やデパート、ラジオ塔と人の集まる施設が多いコガネシティ。行き交う人々もどことなく陽気な様子で、町全体が楽しげな雰囲気だ。
「うん。明るくて旅の始まりとしてはいい雰囲気だ」
「はい。それにしても……」
「ん?」
「ダイゴさん、デボンにまでしっかり根回ししてたんですね」
 私はふと、旅の準備をしていたときのことを思い出す。
 一年以上の旅になるのだから、私も勤務先であるデボンを辞めるつもりでいた。けれど、旅の準備を始めた矢先、デボンに「見聞を深めるための最大二年の休暇が取れる」……なんていう新しい制度ができた。タイミングからして、ダイゴさんが発案したとしか考えられない。
「私が一緒に行くって確信してたんですか?」
「ふふ、もともとおやじとこの休暇制度のことは話してたんだよ。世界……と言わなくてもいろんな場所を巡ってその経験を仕事に還元してもらえればデボンにもいいんじゃないかって」
 ダイゴさんが掴めない笑みを浮かべるから、私はじっと怪しんだ視線を送った。
「本当だよ?」
 ダイゴさんはそんな視線を意に介さず、くすくすと笑ったまま。もう、こういうときのダイゴさんって微妙になにを考えているかわからないというか、底が見えないと言うか、なんというか……。
「さて、まずはどこに行こうか。コガネシティを回るのもいいけど」
「そうですね……」
 あまりこの件を突っ込んでも仕方ない。思考を切り替え、ジョウト地方のタウンマップを広げた。歴史ある町や港町、離島もあるジョウト地方。どこから見て行こうか相談している最中、ふと聞き覚えのある音が聞こえてきた。
「この音……」
 あの流星群の夜に聞いた音と同じ。風を切る鋭い音。間違いない。私はあの青い石の入ったショルダーバックの肩紐をぎゅっと握った。
「ラティオス……!」
 見上げた空の先にいるのはやはりラティオスだった。大きな体を流線型に変化させ、一直線へ北へと向かっている。
「まさかラティオスもジョウトに来ていたとはね……」
「あの流星の滝で見た子でしょうか」
「どうだろう。あのときはラティアスも一緒だったけど今はラティオスだけみたいだし……とにかく追ってみようか」
「はい!」
 その提案に乗らないはずがない。私は力強く頷いた。
 向かう先はコガネシティの北、歴史の町エンジュシティだ。

 私たちは自然公園を通り、エンジュシティへ入った。コガネシティの隣の町ではあるけれど、コガネとは打って変わって古い建造物が多い、歴史の重みを感じさせる町だ。
「さすがにラティオスはもういませんね」
「すごいスピードだったからね。ちょっと町の人に聞いてみようか。すみません」
 ダイゴさんはポケモンセンター近くにいる、ヘルガーを連れた壮年の男性に声をかけた。
「ラティオス……ホウエンの伝説のドラゴンタイプのポケモンなんですが、コガネ方面からこちらにやってきませんでしたか?」
「ああ、青と白のポケモンだよね? 少し前に来てみんな驚いていたよ」
「どこに行ったかわかりますか?」
「いやあ……空高く飛んでいって見えなくなってしまったからなあ……」
「そうですか……」
 ラティオスが次に向かった場所の手がかりは残念ながらなさそうだ。肩を落としていると、男性が再び口を開く。
「あのポケモンのことが気になるなら、北にある焼けた塔に行ってみては? あの塔の上でしばらく旋回してたので」
 焼けた塔。聞いたことのある名前だ。マップで確認しようとすると、男性は「この道をまっすぐ行けば見えてくるよ」と教えてくれた。
「なるほど、ありがとうございます。行ってみますね」
「気をつけて」
 二人で男性に会釈をして、教えてもらった道を北に歩き出す。エンジュシティは碁盤の目のような町なので、迷うことはなさそうだ。
「……」
 焼けた塔へ向かう途中、ふと気になってポケモンセンターを振り返る。あの男性の連れているヘルガーが、少し元気がなさそうだったのだ。
「どうしたの?」
「あ、いえ……」
 先ほどの男性はポケモンセンターの前でヘルガーを優しく撫でており、二人の関係は良好そうに見える。おそらくこれからポケモンセンターで治療をしてもらうのだろう。私の心配は杞憂だったようだ。
 私は体を向き直し、改めて焼けた塔へと向かった。

「想像以上にボロボロですね……」
 エンジュシティ北端、焼けた塔内部。「焼けた」塔なのだから綺麗な塔ではないと予想はしていたけれど、床が軋むどころか至るところに穴が開いている。
「わっ」
 右足を乗せた床が、一際高い音で「キィ」と鳴る。踏み抜いてしまうかと思って、思わず足を引っ込めた。
「怖い?」
 首を傾げて聞くダイゴさん
「さすがに……」
 ダイゴさんと出会ってから山や洞窟はよく行くようになったけれど、こういったボロボロの建物は初めてだ。怖いことを素直に伝えると、ダイゴさんは私の手を取った。
「大丈夫、ボクがいるから心配しないで」
 ダイゴさんの大きな手に包まれて、私はほっと息を吐いた。手をつなぐだけで安心するなんて我ながら単純だけれど、ダイゴさんの大きな手はいつだって私に安心感をもたらしてくれるのだ。
「うわ……大きな穴」
 塔の中央部には、地下がすっかり見えるほどの大きな穴が開いている。人どころか大型のポケモン複数が一挙に通れそうなほどだ。
「エアームド、見てきてくれるかな」
 ダイゴさんはボールからエアームドを出し、地下の様子を見に行くよう指示を出す。エアームドは鋼鉄製の翼をはためかせ、地下階へと飛んで行った。
「焼けた塔……昔この塔が焼けたときに三匹のポケモンが火事に巻き込まれ死んでしまった……そこに虹色のポケモンがやってきて、三匹のポケモンを蘇らせた……」
 地下階を飛ぶエアームドの姿を眺めながら、焼けた塔の前にいた老齢の男性に教えてもらったことを復唱する。虹色のポケモンはおそらくジョウトに伝わる伝説のポケモンのことだろう。この塔はどうやらジョウト地方の伝説のポケモンにゆかりのある場所らしい。
「隣のスズの塔は虹色のポケモン……ホウオウが休む場所として建てられてみたいだね」
「ラティオスはなんで焼けた塔に来たんでしょうね」
「うーん……あ、戻ってきた」
 地下の様子を見に行ったエアームドが、再び地上階へ上がってくる。エアームドはすとんとダイゴさんの隣に着陸した。
「ありがとう、お疲れさま。なにか気になるものはあった?」
 ダイゴさんの言葉に、エアームドは小さく首を横に振る。残念ながら特筆すべきことはなかったようだ。
「そうか……ここにラティオスの手がかりはなさそうだね」
 焼けた塔になにかラティオスの痕跡が残っていないかと思ったけれど、手がかりがないのなら仕方ない。私たちは揃って焼けた塔を出た。
「あれ、エアームド、ホコリついちゃってるね。ちょっとじっとしてて」
 塔内部は薄暗くて気づかなかったけれど、エアームドの銀色の体に少しばかりホコリがついてしまっている。人やポケモンの気配が薄い塔の地下はホコリが多かったのだろう。塔の前で立ち止まり、エアームドの体を乾拭きしながらダイゴさんとこれからのことを話し始める。
「次はどうしようか。ラティオスの向かった先はわからないし」
「シンプルにジョウトを回りましょうか。エンジュは見所もいっぱいあるし……あれ」
 そんな話をしていると、一組のポケモンとトレーナーの姿が目に入る。先ほどポケモンセンター前で話をした男性とヘルガーだ。やはりヘルガーはどことなく元気がない様子で、なんだか無性に気になってしまう。
「あ……」
 じっと見つめていると、ヘルガーが重い足取りでこちらへやってきた。まずい、じろじろ見過ぎただろうか。慌てていると、ヘルガーはダイゴさんのエアームドに顔を寄せた。
「クゥン……」
 寂しそうな声でヘルガーは鳴く。トレーナーの男性が「すみません」と慌てているけれど、エアームドは嫌がる様子はない。むしろヘルガーに気遣っているようにすら見える。
「クゥ……」
 ヘルガーは弱々しい声を出すと、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「あの……すみません。ヘルガー、ずいぶん元気がなさそうですけど……」
 立ち入ったことかもしれないと思いつつ、どうしても気になってしまった。見る限り怪我をしている様子はないのに、なぜこんなにも弱っているのだろう。
「あ、それは……」
「クゥン……」
 男性が言いよどんでいると、ヘルガーは再びエアームドに頬を寄せる。その瞳は揺れており、どこか哀愁を感じさせる色合いだ。
「ここじゃなんだから、うちに来て話を聞いてもらってもいいかな」
 男性からの問いかけに、私とダイゴさんはすぐに頷いた。それほどまでに、このヘルガーの様子が気になるのだ。

 男性の家は焼けた塔のすぐそばの一軒家だった。綺麗に片づけられた部屋に案内され、軽くお互いの自己紹介をした。男性――ミヤさんというらしい――はヘルガーのことを詳しく話し始める。
「あの子は一年前にトレーナーを亡くして、施設を通して引き取ったんだ。これが前のトレーナーとの写真だよ」
 ミヤさんが見せてくれた一枚の写真には、かなり高齢の男性とヘルガー、そしてエアームドが写っている。
「エアームドも一緒にいたんですね」
「ああ。でもエアームドもトレーナーが亡くなる少し前に他界したらしくて……。ヘルガーは前のトレーナーやエアームドとはずっと一緒にいたらしいから、突然一人になってしまってまだ立ち直れないみたいなんだ」
 なるほど、ヘルガー元気がないのはそのせいだったのか。しかし、一年もの間ずっとあの様子では……。
「長年連れ添ったトレーナーとの別れはそれだけ寂しいだろうから……。でも、ずっとこの様子では心配でしょうね」
 ダイゴさんの言葉に、ミヤさんは小さく頷いた。
「なんとか元気づけてあげたいけど、この子ももう高齢であまり遠出とかの無茶はさせられなくて」
「なるほど……」
「さっきエアームドに会ったときは珍しく嬉しそうにしてたからこっちも嬉しくて、すみません、家にまで来てもらって」
「いえ、そんな」
 ミヤさんの言葉通り、ヘルガーは部屋の隅でダイゴさんのエアームドに寄り添ってくつろいだ様子だ。エアームドも穏やかな表情でヘルガーを見つめている。
 ミヤさんは「そろそろヘルガーにご飯をあげないと」と言ってキッチンへ向かった。その間も、ヘルガーのことが気になって仕方ない。
「放っておけないって顔をしているね」
 隣に座るダイゴさんにそう言われ、私はぱっと顔を上げた。
「それは……」
「ボクも同じだよ」
 ダイゴさんに微笑まれ、私はほっと安堵した。お節介だとは思いつつ、あんなに落ち込んだ様子を見たらどうしても放っておけないのだ。
 私たちはヘルガーの食事を用意し終えたミヤさんに再び詳しい話を聞くことにした。ヘルガーの前のトレーナーの男性はかなり強かったらしく、ヘルガーとエアームドを連れてジョウト各地を旅していたこと。トレーナーが亡くなる直前までいろんな町や島を駆け回っていたことを教えてもらった。
「じゃああまり家にはいない生活だったんでしょうか?」
「いや、ヒワダタウンに家があったんだよ。ただヘルガーを引き取ったときにはもう取り壊されてて……」
「なるほど……」
 ミヤさんの話を聞きながら、私はテーブルの上の写真を見つめた。前のトレーナーとヘルガー、エアームドが寄り添いあう一枚の写真。信頼関係が伝わる、温かな写真だ。その写真の中の、とあるものに目が行った。
「あの、すみません、これは……」
 それを指さして、ミヤさんに問いかける。それは、トレーナー、ヘルガー、エアームドがお揃いで首から下げている透明な石だ。
「ああ、それ、ヘルガーを引き取ったときはつけてなかったんだよ。前のトレーナーの遺品はちゃんと整理されてて、ヘルガーのものはもらったんだけどそこにもなくて……」
 つまり、処分されたか、もしくはどこかで失くしてしまったのか。前者ならどうすることもできないけれど、もし後者なら……。
「クゥ……」
 いつの間にか私の隣にヘルガーがやってきていた。私の手にある写真を見たいようだ。私はそっとヘルガーにその写真を見せた。
「ガゥ……」
 懐かしそうに瞳を揺らすヘルガー。本当にトレーナーとエアームドのことが好きだったのだろう。ずっと一緒だった仲間との別れをいまだ悲しむ様子に、私の心は痛む。
「ねえ、ヘルガー。この石はどこかで失くしちゃったのかな」
 私の問いかけに、ヘルガーは小さく頷いた。
「どこで失くしたかはわかる?」
 会話に入ってきたのはダイゴさんだ。しかし、ヘルガーは今度は首を横に振ってしまった。
「そうか……」
 私とダイゴさんは、お互い目を見合わせる。きっと今、私たちは同じことを考えているはずだ。
「ミヤさん、ちょっといいですか?」
 ヘルガーには部屋で待っていてもらい、私とダイゴさんはミヤさんを家の外へ連れ出した。
「ヘルガーがつけていたこの石……見つけたらヘルガーを元気づけられるかなって思うんですけど」
 ミヤさんにそう伝えると、彼は口を大きく開けて驚いた様子を見せた。
「ええ!? そりゃ喜ぶだろうけど、でもそんな雲を掴むような話じゃないか?」
「仰るとおりダメもとですね。ヘルガーに聞かれたら期待を持たせてしまうし、もしダメだったとき余計にショックを受けるだろうから、ヘルガーには聞こえないよう外に出てもらったんです」
「私たち、いろんな場所を旅するためにジョウトにやってきたんです。いろんな場所を巡りながら、この石を探してみようかなって」
「なるほど……私もあの子が少しでも元気になってくれたら嬉しいけど……」
「じゃあ決まりですね。なにかわかったら連絡しますから」
 話がまとまったところで、ミヤさんにヒワダタウンにあったという前のトレーナーの家の場所を教えてもらった。取り壊されてしまったというけれど、一番の手がかりがありそうなのはやはりそこだ。
「なんだか悪いねえ……たまたま会っただけなのに」
「旅は道連れ、ですよ」
「……うん。よろしくね」
 ミヤさんと別れ、私とダイゴさんはエンジュシティを出た。向かう先は南にあるヒワダタウンだ。



 アルフの遺跡、つながりの洞窟を越え、私たちはヒワダタウンへとやってきた。ヒワダタウンは都会から少し離れた場所にある、のどかな雰囲気の小さな町だ。
「わあ、ヤドンがいっぱいいる。可愛いですね」
 ヒワダのすぐそばには「ヤドンの井戸」という井戸があり、町全体でヤドンを大切にしているらしい。町のあちこちにいるヤドンはどの子ものんびりとしており、警戒心は薄そうだ。それだけ町の人たちから愛されているのだろう。
「やぁん」
 ダイゴさんの足下に、一匹のヤドンがやってくる。ヤドンは大きなあくびをしたあと、こてんと眠りこけてしまった。
「ふふ、ボクのこともまるで気にしてなさそうだ」
「本当にのんびりしてますね。可愛い」
 ヤドンの様子を眺めながら、ヒワダの町を歩いていく。
 ミヤさんに教えてもらったとおり、ヘルガーの前のトレーナーの家はすでに更地になっていた。物置でも残っていればと思ったけれど完全な空き地で、ヘルガーの持っていた石の手がかりはなさそうだった。
 ただ、ご近所の方に話を聞いたところ、そのトレーナーはよくウバメの森にお参りに行っていたとのこと。私たちはヤドンのいる町の西にあるウバメの森へ向かっている。
 道中、町のヤドンと戯れながら、ウバメの森の入口にたどり着く。森の中は大きな木々が立ち並んでおり、鬱蒼とした雰囲気だ。まだ昼間のはずなのに、樹木の影で中は薄暗い。
「トウカの森を思い出すな。ここも草タイプや虫タイプのポケモンが多いみたいだし」
 木々の隙間からキャタピーやパラスが姿を見せている。地元ホウエンのトウカの森にいるケムッソやキノココを思い出して、私は頬を緩めた。
「あ……」
 ウバメの森の中を進んでいくと、少し開けた場所に出た。木々や雑草のない空間の真ん中に、小さな祠が佇んでいる。
「森の神様がいるんですよね。先にお参りしましょう」
「そうだね。少しの間お邪魔します」
 祠には森の神様が眠っているらしい。おそらくはポケモンなのだろう。森の神様だから、草タイプだったりするのかな。私は目を閉じ、祠の前で手を合わせた。
「……しかし、これだとここにも手がかりはなさそうだね」
 お参りを終えたダイゴさんが、困ったようにため息をついた。
 祠や祠の周辺はゴミ一つない。きっとヒワダタウンの人たちがこまめに手入れに来ているのだろう。一応周囲を探してみたけれど、やはりあの石らしきものはなかった。
「うーん……さすがに見つからないか」
「ですね……」
 肩を落としていると、ふと鼻の頭に冷たいものが当たった。慌てて空を見上げたら、そこからぽつぽつと雨粒が落ちてくる。
「あれ、雨!?」
「そういえばヤドンがあくびをしていたね」
 ヤドンがあくびをすると雨が降る……ヒワダタウンをはじめとするジョウト地方に伝わる伝承らしい。確かにウバメの森に入る前、ダイゴさんの足下に歩いてきたヤドンがあくびをしていたっけ。
「祠の下で雨宿りさせてもらおう」
「はい」
 私たちは慌てて祠の軒下へと入った。祠自体は大きくはないけれど、雨を避けるには十分だ。
「はあ……」
 雨雲を見上げて、思わずため息をついてしまう。
 ヒワダタウンにもこのウバメの森にもヘルガーの持っていた石の手がかりすらない。ダメもとだったとはいえ、少なからず気持ちが落ちてしまう。
「あまり落ち込まないで。そうだ、森の写真やきのみでも持って帰れたら、少しは懐かしめるかな」
「そうですね、せめてなにか……あれ」
 ヘルガーを励ます方法を二人で考えていると、向かいの木の陰に小さなナゾノクサの姿が見えた。ナゾノクサは困った顔でこちらの様子をうかがっている。
「ナゾノクサは特性がようりょくそだし、雨があまり好きじゃないのかな」
 ナゾノクサはときどき水を払うように体を振っている。私はダイゴさんの言葉にうなずき、しゃがんでナゾノクサに視線を合わせた。
「こっちおいで。一緒に雨宿りしよう」
 木の陰より祠の下の方が雨はしのげるだろう。そう思い両手をナゾノクサに広げると、ナゾノクサは小さな足でひょこひょことこちらへ歩き出す。
「ナゾ!」
「じっとしててね」
 濡れてしまったナゾノクサを、タオルで丁寧に拭いていく。あらかた拭き終えると、ナゾノクサは元気にぴょんぴょんと跳ね始めた。
「ふふ、やっぱり雨が嫌だったのかな」
「ですね。ふふ、あんまりはしゃぐとまた濡れちゃうよ」
「ナゾ~!」
「あ、そっちに行ったら……」
 ナゾノクサははしゃぎすぎたのか、くるくると跳ねて祠のヘリの外へ出てしまう。私はとっさにナゾノクサを掴まえた。すると、その瞬間。
「わっ!?」
 突然まわりの風景が歪み始めた。木々も地面も曲がりくねり、空と地面が一繋ぎになりぐちゃぐちゃに混ざっていく。この世のものとは思えない光景に、私はその場で立ちすくんでしまう。
! こっちに!」
 ダイゴさんは私の腕を引っ張って、ぎゅっと強く抱きしめる。私もナゾノクサを抱えたまま、ダイゴさんにしがみついた。
 空間が歪んでいる? ポケモンの技? 真っ白な頭で考えていると、歪んだ景色の先にぼんやりと一匹のポケモンが見えた。
「ヘルガー!?」
 そこにいたのはエンジュシティで出会ったヘルガーだ。ぼやけているけれど、間違いない。しかし、あの子にしてはずいぶん元気があるように見える。
「え……っ」
 ヘルガーのそばに、一人の男性の姿が現れる。高齢の男性……あの写真で見た、ヘルガーの前のトレーナーだ。
「どうして……!?」
 あの人は亡くなったはずだ。なのにどうして? 思わず大きな声を出すと、ダイゴさんに「しっ」と唇に人差し指を当てられる。
「ヘルガー、あの石をつけてる……」
 ダイゴさんの小さな呟きを聞いて、私ははっとする。確かにヘルガーの首にはあの透明な石が輝いているのだ。
「時渡り……以前ジョウトの知り合いに聞いたことがある。ウバメの森の神様は、自由に時間を飛び越える……」
「時間を……」
 時間を越える時渡り、すでに亡くなっているヘルガーのトレーナーの姿、そして失くしてしまったはずの透明な石……。
「もしかして……過去に来てしまった?」
 突飛な考えだという自覚はある。しかし、今はそれしかこの状況に説明がつかない。
「そうかもしれない。少し様子を見てみよう」
 ダイゴさんの小声の呼びかけに、私は黙って頷いた。少なくともなにか特殊なことが起こっているのは確かだ。動かずに、じっとヘルガーとトレーナーの様子を見つめてみる。はっきりとは見えないけれど、ヘルガーの周囲の風景は水辺のように見える。池のような小さなものではない、川か湖、海……少なくともウバメの森ではない。
 ヘルガーはトレーナーの指示のもと、野生と思われるゴルバットと戦いを開始した。ヘルガーの強さは圧倒的で、ゴルバットからの一撃を避けダメージもなくあっという間に勝利した。戦いに勝ったヘルガーはトレーナーに撫でられて、とても……とても嬉しそうにトレーナーに頬を寄せた。ぼやけた映像でもわかるほどに、ヘルガーは幸せそうだ。
 ヘルガーは前のトレーナーのことが本当に大好きだったのだろう。そんなトレーナーとの永遠の別れのつらさは、きっとどれだけ時間がたっても薄まることはない。
「ヘルガー……」
 ぎゅうっと心が痛む。一年という時間がたってもヘルガーはずっと落ち込んだままだ。なんとかあの子を、元気づけてあげられたら。その思いが強くなる。
「あれ……」
 じっとヘルガーを見つめていると、ふとトレーナーに撫でられるヘルガーの首にあの石がなくなっていることに気づく。ゴルバットと戦う前は確かにあの首に光っていたはず……。
「わっ!?」
 ぐるぐると考えていると、再び世界が歪み始める。とっさにダイゴさんの体に掴まると、ダイゴさんもしっかりと私を抱きかかえる。辺り一帯が白い光に包まれて、あまりの眩しさに反射的に目をつぶる。
 再び目を開いたときには、周りは緑に囲まれたあのウバメの森に戻っていた。
「ここは……現代?」
「みたいだね」
 ダイゴさんと一緒にポケナビの画面をのぞき込む。そこには確かに「今日」の日付が表示されていた。
「なーぞ?」
 ほっと胸を撫で下ろしていると、腕の中のナゾノクサが高い声で鳴く。
「びっくりしたかな、もう大丈夫だよ」
「ナゾ!」
 ナゾノクサは私の腕を飛び出して、ぴょんと地面の上を跳ね始めた。もう雨は上がっているから嬉しいのだろう。突然の時渡りに対するショックもなさそうで、私はほっと息を吐いた。
「ナーゾ!」
 ナゾノクサは跳ねるように祠へ向かって歩き出す。すると、ナゾノクサは祠の下でふっと姿を消してしまった。
「えっ!?」
「いなくなった!?」
 私もダイゴさんも、慌てて祠の下をのぞき込む。しかし、そこにはナゾノクサの影も形もない。
「……」
 その場で私たちは顔を見合わせて首を傾げた。ナゾノクサ、どこに行ったのだろう……。
 突然起きた時渡り。祠で消えたナゾノクサ。……まさか。まさか、ね。
「そ、そうだ。さっき過去に飛んだとき……最後はヘルガーの首にあの石がなかったんです」
 ナゾノクサの正体について、あまり考えても仕方ない。……というか、考えるとかなり不敬なことをしたのではと怖くなってくる。私は思考を切り替えて、ヘルガーの石についての話をダイゴさんに持ちかけた。
「本当? それならあの石はそこでなくした可能性が高いってことか……」
「はい。時間はたっちゃってるけど、あの場所がわかれば見つかるかも……」
「そうだね……忘れないうちにお互い覚えていることを出していこう」
「はい」
 私たちはその場に座り、ジョウト地方のタウンマップを広げた。先ほどの光景、あそこにあったものは……。
「水辺でしたけど、小さな池ではなさそうでしたよね。海か湖か……湖だといかりの湖が有名ですね」
「ゴルバットの向こうにクラブとメノクラゲが見えたよ。だから海じゃないかな」
「海だと……アサギシティ、タンバシティ、うずまき島あたりですかね。ゴルバットがいたってことは洞窟の可能性が高いから……」
 私とダイゴさんは、タウンマップの同じ場所を指さした。そこはもちろん。
「うずまき島!」
 海のある場所、洞窟となればうずまき島が一番の候補だ。
 顔を見合わせて、私とダイゴさんは立ち上がる。向かう先は海の向こう、うずまき島だ。



 うずまき島はアサギシティから海を渡った場所にある。ひとまず私たちはアサギシティからタンバシティ行きの船でタンバへ向かった。そしてタンバからダイゴさんのポケモンに波乗りをしてもらい、やっとうずまき島へ上陸した。
「わ……アサギの灯台の明かり、ここまで届くんですね」
 うずまき島洞窟入口からでも、アサギの灯台の黄色い光が見えている。アサギからのタンバへの船に乗っているとき、船乗りさんが「灯台の明かりはどこまでも届く!」と自信満々に言っていたのを思い出す。本当にこんなに遠くても明かりが見えるんだ。
「灯台の明かりはポケモンが照らしてくれているんですよね。アサギに戻ったら挨拶したいなあ」
「そうだね。ぜひ。さて……」
 ダイゴさんはメタグロスをボールから出す。うずまき島の野生のポケモンは強いと聞く。ダイゴさんもメタグロスも、穏やかながら緊張感を持っている様子が見て取れた。
「メタグロス、よろしくね。薬もたくさん持ってきたから心配しないで」
 私はメタグロスにタンバシティで買った薬を見せる。
 タンバシティでヘルガーについて聞き込みをしていたとき、古い薬屋さんにも話を聞いた。そのときに店長さんが「うずまき島に行くなら薬を持って行った方がいいよ。あそこは広いし、ポケモンも強いからね」とアドバイスをしてくれたのだ。
「行こう。ボクから離れないでね」
 ダイゴさんの力強い言葉に頷いて、うずまき島の内部へと入る。話に聞いていたとおり、中は広く迷路のように入り組んでいる。
「ここまで広いと探すのは骨が折れそうですね……」
 ヘルガーがあの石を落としたのはうずまき島内部と考えて間違いないだろう。しかし、この広い洞窟内のどこかはわかっていない。隅々まで調べようとしたら途轍もない時間がかかるだろう。
「大丈夫。時渡りで見えた風景に、特徴的な大きな岩があったんだ。見ればすぐにわかるよ」
「本当ですか? それならその岩を探すのがよさそうですね。どんな岩でした?」
「うーん……言葉で説明するのは難しいな。見つけたらすぐに教えるよ」
 特徴的だけれど説明が難しいとは、どういうことだろう。首を傾げながらも、見つけたら教えてくれるのだから問題ないだろう。私はダイゴさんとともに洞窟内部を進んでいく。
 うずまき島内部は薄暗く、少し寒いぐらいだ。静かな洞窟の中には、ポケモンの鳴き声や水の落ちる音が響いている。洞窟は地下に広がっているようで、ときおり野生のポケモンを倒しながら私たちは下へと降りていく。
「なんだか……神秘的な空間ですね」
 外界から隔たれているためか、神聖な空気が流れているような感覚が走る。下に降りれば降りるほど張りつめた空気は強くなり、私は自然と背筋を伸ばした。
「そうだね。この洞窟には海の守り神がいるって話だけど……」
 タンバシティで住民の方から聞いた話だ。うずまき島の最深部には守護神たるポケモンが眠っていると。厳かな雰囲気はそのためだろうか。
「あれ、滝……」
 ダイゴさんの言う「特徴的な岩」が見つからないまま歩みを進めていくと、大きな滝にたどり着いた。おそらく海水が流れ込んで滝を作っているのだろう。
「きれい……」
 私の口から、無意識にそんな言葉が零れた。
 洞窟の中にあるとは思えないほどの大きな滝。その滝はあまりに美しく、そしてどこか畏怖の念を抱かせる。きっとここに海の神様であるポケモンが眠っているのだろうと、直感的に思った。
「海の神様、ここにいるんでしょうか……」
「そうだね。ボクもそんな気がするよ。ヘルガーのトレーナーは海の神様にお参りに来ていたのかな」
「そうかもしれません」
 前のトレーナーはウバメの森の祠にもよくお参りに行っていたとのこと。きっと信心深い人だったのだろう。海の神様にも信仰を抱いていても不思議はない。
「ここが最深部みたいだね。あの石は……あっ!」
 ダイゴさんはあたりを見渡すと、突然滝のそばへ走り出す。慌てて追いかけると、ダイゴさんは「これだよ!」と興奮した様子で高い声を出した。
「時渡りで見えたのはこの岩だよ!」
「こ、これですか?」
 滝のそばにある、地面から突き出た一つの岩。ダイゴさんの身長の半分ほどのそれは、周囲の岩とは特に違う部分は見当たらない。ダイゴさんは「かなり特徴的な岩だった」と言っていたけれど……。
「うん、間違いない!」
「そ、そうですか」
 ダイゴさんは自信満々にそう言い放つ。私には違いがわからないけれど、石好きのダイゴさんが言うのだからきっとそうなのだろう。
「じゃあ、このそばにあの石が……」
「探してみよう」
 地面に膝をついて、岩周辺を探し始める。前のトレーナーが亡くなったのは一年前、石を失くしたのはもっと前だろう。もうここには残っていないかもしれないけれど、探してみる価値はあるはずだ。
 持ってきた明かりを頼りに、薄暗い洞窟の中を手探りで探していく。近い大きさの石を拾っては確認し、落胆を繰り返す。しかし、落ち込んでいる暇はない。諦めずに落ちている石を一つ一つ確認する。
「あっ!」
 黒い岩の陰に、一つの石が落ちている。透明に輝いた手のひらほどの大きさの石だ。間違いない、ヘルガーがつけていたあの石だ。
「あった……!」
 少し傷はついているけれど、美しさは少しも損なわれていない。きらきらと輝いて、優しい光を纏っている。
「よかった……」
 ぎゅっと両手でその石を握りしめた。本当に、本当によかった。これであの子の助けになれるかもしれない。
「これで少しは元気を出してくれると嬉しいね」
「はい。元気になってほしいな……」
 私は石を鞄に大切にしまう。絶対になくさないように、厳重に。間違いなくエンジュのあのヘルガーの元に届けなくては。
「お参りもしていこう。帰りも海を渡るからね」
「はい」
 私たちは滝壺に向かって手を合わせた。帰りも安全に海を渡れますように。神様、よろしくお願いします。そう祈って、私たちは滝壺をあとにした。



 私たちは来た道を戻り、再びエンジュシティへやってきた。そして、すぐにミヤさんとヘルガーの家にお邪魔する。
「ねえ、ヘルガー。失くした石はこの石じゃないかな」
 横たわっていたヘルガーは、私の手のひらに乗ったその石を見てゆっくりと四本足で立ち上がる。じいっと石を見つめるその瞳は、だんだんときらめきを取り戻していく。
「クゥ……?」
 ヘルガーが「信じられない」といった瞳で私を見つめるから、私は「夢じゃないよ」と答えた。
「今つけるね」
 私は石のついたひもをヘルガーの首にかける。石を通してあったひもはさすがに切れてしまっていたので、ダイゴさんが道中で直してくれた。
 ああ、あの写真と同じだ。今、ヘルガーの首にはしっかりと前のトレーナーやエアームドとお揃いの石が光っている。
「ヘル!」
 ヘルガーは大きな声で一吠えする。「ありがとう」と、そう言ってくれているような気がした。
「本当にありがとう。まさか見つかるなんて……探すの大変だっただろう」
「いいえ、旅のついでですから」
 ミヤさんが深々と頭を下げてくるから、私たちは慌てて「気にしないで」と答えた。ミヤさんに頼まれたわけではない。私たちが勝手にやったことだ。
「ガウ!」
 ヘルガーは元気な声を出すと、ミヤさんの服を口で引っ張り始めた。どうやら外に出たいらしい。
「散歩か? 前は連れ出すのも大変だったのに……」
「ヘル!」
「本当に嬉しかったんだなあ……よかったなあ……」
 ミヤさんはよしよしと大きな手でヘルガーの頭を撫でた。彼の目に光るものが見えたのは、きっと気のせいではない。
「それじゃあ私たちはお暇しますね。ヘルガーもミヤさんもお元気で」
「えっ、そんな。お礼をしたいからちょっと待ってくれないか?」
「ありがたいお言葉ですけど、ご遠慮します。ボクたちはいろんな場所を旅する予定だから、行きたいところがたくさんあるんです」
「ああ、そうか……。じゃあせめてこれだけでも」
 ミヤさんがそう言って渡してくれたのは、手のひらに収まるほどの小さな赤い巾着状の袋だった。中に何か入っているようだけれど……。
「エンジュのお守りだよ。道中、ご安全に」
「はい。ありがとうございます」
「またエンジュに来たらここに寄ってね。私もヘルガーも待ってるよ」
「ヘル!」
 ミヤさんと元気になったヘルガーに別れを告げて、私たちはエンジュシティをあとにした。次の目的地であるカントーへ向かうため、アサギシティで船に乗る予定なのだ。



 再びやってきたアサギシティ。うずまき島で話したとおり、私たちは灯台のポケモンに挨拶をするためにアサギの灯台を訪れている。灯台頂上に着くと、そこにはデンリュウ――名前はアカリちゃんというらしい――がしっぽを煌々と光らせていた。
「こんばんは、アカリちゃん」
「パルゥ?」
「海を照らしてくれてありがとう。これからボクたちも船に乗るんだ」
「あなたの明かりがあるから、安全に船が航行できるの。本当にありがとう」
「パルぅ!」
 アカリちゃんは笑顔を見せると、よりいっそうしっぽを光らせた。ちょっと眩しいぐらいで、私は目を細める。
「そろそろ船の時間だね。アカリちゃん、またね」
「またアサギに来たら遊びに来るね」
「パル!」

 高速船アクア号に乗ったあとも、灯台から放たれるアカリちゃんの光がよく見える。私たちはデッキで風を受けながら、アサギシティの方を見つめた。
「アカリちゃんは前に病気をしたらしくてね。心配してたけど今はとっても元気そうだ」
「そうなんですか? 元気になったみたいでよかった」
「本当に」
「ヘルガーも元気になったし……よかった」
 遠くなるジョウトの地を見つめて、ジョウトの旅を思い返す。ヘルガーやヒワダタウンのヤドンにウバメの森の神様、アサギの灯台のアカリちゃん……。
「ジョウトはポケモンと人が助け合って生活してますね」
 このジョウトの旅を通して感じたこと。それが素直な今の思いだ。私も少しの間だったけれど、その一員になれていたらいいな。
「ホウエンだって負けてないよ?」
 ダイゴさんはデッキの手すりに頬杖をついて、自信に満ちた笑顔を見せる。ダイゴさんのホウエンに対する思いが見えて、私は笑みをこぼした。