星巡り/カントー編

 アサギシティから高速船アクア号に乗り、私たちはカントー地方のクチバシティへとやってきた。どこかノスタルジックな雰囲気のあったアサギシティと違い、このクチバシティは明るく華やかな様子だ。同じ港町でもホウエンのカイナシティに近い雰囲気を感じる。
「あ……サント・アンヌ号だ!」
 アクア号から降りた港の近くに、豪華客船であるサント・アンヌ号が停泊している。以前ニュースで見たことがある、確か世界一周をしているような大きな船だ。
「ああ、今はクチバに来ているんだね」
 私の感動をよそに、ダイゴさんはさらっと流してしまう。……これ、もしかして。
「……ダイゴさん、乗ったことあります?」
 まるで定期船を見るかのようないつもの目線。サント・アンヌ号は庶民には手が届かないような豪華客船だけれど、デボンの御曹司であるダイゴさんなら乗船経験があってもおかしくない。
「前にちょっとね」
 や、やっぱり……。あんぐり口を開けていると、ダイゴさんは「ああ、違う違う」と言葉を続けた。
「船で世界一周したわけじゃないよ。サント・アンヌ号は港につくたびトレーナーを招待して交流パーティをするからね。何度かリーグやデボンの関係で呼ばれたことがあったんだよ」
「そんなパーティがあるんですか?」
「うん。クチバに停まってるってことは今もやってるはずだよ。そうだ、顔がきくから乗せてもらおうか」
「えっ」
 思ってもみなかった返しに、私はぽかんと口を開けてしまった。パーティって……パーティ!?
「で、でも……ダイゴさんはともかく私もいいんですか?」
「パートナーとして参加すれば問題ないよ。せっかくの旅だからね。これも一つの経験だよ」
 確かに船上パーティに参加するなんてなかなか機会があるものではない。「いろんな人やポケモンに出会えるよ」というダイゴさんの言葉が決定打となり、私はダイゴさんとともにパーティに参加することになった。

 ダイゴさんが船の責任者に話に行くと、あっさりとパーティ参加の許可が出た。むしろ、許可どころか元チャンピオンでデボンの御曹司であるダイゴさんの参加は、向こうからすると大歓迎のものだったようだ。
 さて、参加が決まった私たちはパーティに着ていく服の調達へ向かった。そこまで堅苦しいものではないけれど、「パーティ」である以上ドレスコードが存在する。ホウエンから旅立つときに服はいくつも持ってきたけれど、さすがにドレスは手元にない。
「うーん、こっちのほうがいいかな」
「だ、ダイゴさん。そんなに真剣に考えなくても……」
 軽い気持ちでダイゴさんに「ドレスってどんなのがいいですか?」と聞いたら、ダイゴさんは目を煌めかせて私のドレスを選び始めた。私としては、どの程度のフォーマルさが必要なのか、落ち着いたものがいいのか華やかなもののほうがいいかを聞いたつもりだったのだけれど……。
「うん。次はこれを着てみて」
「だ、ダイゴさん……もう船に向かわないとまずくないですか?」
「あ、そうだね。うーん……やっぱりこれかな」
 ダイゴさんが手に取ったのは二番目に着たミントブルーのセミアフタヌーンドレスだ。華やかだけれどフォーマルすぎないドレスを見て、どの程度の格式のパーティなのかなんとなく想像することができた。
も気に入ってくれた?」
 満面の笑みで聞かれ、私は内心「ずるい人」と思った。ダイゴさんはちゃんと私の好みもわかっている。わかっていて、私の好み、パーティの格式、そして自分自身の好みすべて計算してベストなドレスを選んだのだ。
「わかってるでしょう?」
「の口から聞きたいな」
 小さな抵抗のつもりで本音を隠したのだけれど、ダイゴさんに期待の瞳を向けられて、私はすぐに観念した。私はこのダイゴさんの透明感のある瞳に弱いのだ。
「私も好きです、このドレス」
 このドレスを試着したとき、とても心が躍った。表情には出さないようにしていたけれど、ダイゴさんは気づいていたのだろう。
「じゃあ決まりだ。近いしドレスは着て向かおうか」
「はい」
 ドレスを購入し、私とダイゴさんはすぐ近くのクチバの港へ向かった。ダイゴさんのパートナーとしてパーティに参加するのだから、失礼のないようにしなくては。頭の中でデボンの初期研修で教わったマナーを必死に思い出す。
 ……ん?
「あ、あの、ダイゴさん」
 サント・アンヌ号に乗る直前、クチバの桟橋で思わずダイゴさんを引き留める。
「ん?」
「本当に私が一緒で問題ないんですか……?」
 最初はパートナーと聞いて付き添い人ぐらいの考えでいたけれど、こういうパーティの場での「パートナー」は恋人もしくは配偶者のことだろう。ダイゴさんの恋人なのはその通りなのだけれど、こういった場に「パートナー」として出ると言うことは、周囲にも紹介されるということ。
「もちろん。ほら、二人で参加してる人もたくさんいるよ」
「い、いえ、そうじゃなくて……大きな会社の方々も来ているみたいですし、パートナーとして出るっていうのは、その……」
 私の言葉の意味がわかったのか、ダイゴさんはふっと笑う。自信に満ちた、妖しさを含んだ笑みだ。
はボクの、自慢のパートナーだよ」
 ダイゴさんは私の手を取って、手の甲にキスをした。頬が熱くなると同時に、心の奥がきゅっとときめいた。甘くて惚けるような、優しい痛み。
 デボンのような大きな会社の重役もいるのだろう。そんなパーティに、私がダイゴさんのパートナーとして参加していいのだろうか。そんな思いはまだあるけれど、ダイゴさんが選んでくれたこの機会を大切にしよう。私はダイゴさんにエスコートされ会場へ入った。
「わあ……っ」
 会場の中はたくさんの人とポケモンがおり、熱気に溢れている。カントーのポケモンなのか、それともほかの地方のポケモンなのか、私の知らないポケモンの姿も見える。ダイゴさんの「いろんなポケモンや人に出会えるよ」という言葉を思い出し、私は心を躍らせる。新しいポケモンとの出会いがたくさんありそうだ。
「盛り上がってますね。あ、ポケモン勝負もしてる!」
 奥の壇上ではバトルが行われている様子が見える。「トレーナーを招待している」とダイゴさんも言っていたし、このパーティの目玉の一つなのだろう。
「ボクもエキシビションマッチに参加することになってるんだ。そろそろ行かないと。きみ一人になっちゃうけど、気をつけて」
「もう、心配しなくても大丈夫ですよ。ダイゴさん、がんばってくださいね」
「うん。ありがとう、行ってくるね」
 裏へと入っていくダイゴさんを見送って、私はグラスを一つ取った。このパーティは立食式になっており、みな思い思いの場所で過ごしているようだ。私も会場の端の方でバトルステージを眺めることにした。
「エネコ、出ておいで」
 周囲のトレーナーの多くが手持ちポケモンをボールから出してパーティに参加している。私もせっかくだからエネコを出して、エキシビションマッチを観戦することにした。
「ダイゴさんもバトルするんだって。楽しみだね」
「エネー!」
 エネコはダイゴさんが大好きだ。彼のバトルの模様が楽しみなのだろう。ぴょんぴょんとその場で嬉しそうに跳ねている。
 エネコと一緒に、エキシビションマッチを観戦する。最初はホープトレーナー同士の戦い、次はカントーのジムトレーナーと船で旅をしているトレーナーとのバトル……数組のバトルが終わったあと、ダイゴさんとメタグロスがステージへと上る。別地方とはいえ元チャンピオンの登場に、会場は色めき立った。そんな雰囲気に飲まれることなく、ダイゴさんとメタグロスは自信に満ちた表情を見せている。
 相手はどうやらカントー地方のエリートトレーナーらしい。エリートトレーナーが繰り出したのはサイドン、カントー地方のポケモンだ。かなり鍛えられたポケモンのようで、立っているだけでも強い威圧感を放っている。
 ついにバトルが開始される。メタグロスはダイゴさんの指示のもと、サイドンの鋭い攻撃を避けていく。そしてカウンターのようにメタグロスのコメットパンチが繰り出される。
 不敵な笑みを崩さずにバトルを続けるダイゴさん。その横顔に、私は釘付けになってしまった。
「かっこいいな……」
 素直な気持ちが、ぽつりと口からこぼれた。
 ダイゴさんは優しい人だ。石の話をするときなんかは少し子供っぽい表情をするけれど、普段は穏やかで温かな人。そのダイゴさんが、バトルのときだけは自信に満ちた妖しい笑みを見せる。そんなとき、いつだって私の瞳はダイゴさんに釘づけになってしまうのだ。
 今回のエキシビションマッチは、ダイゴさんとメタグロスの完勝で終わった。拍手の中、ダイゴさんはメタグロスをボールに戻し裏へとはけていく。エキシビションマッチはここで一度休憩となり、ステージ前にいた人たちもぱらぱらと会場のあちこちへ散って行った。
 私も一息つこうと、持っていたノンアルコールのカクテルを一口飲んだ。ずっと握りしめていたから、すっかりぬるくなってしまっている。
 ダイゴさんはすぐに戻ってくるかな。出てくるのは先ほど入って行った場所からだろうか、それとも出口は別なのかな。きょろきょろとしていると、すっと誰かが近づいてきた。
「あ、ダイゴさ……」
「やあ、少しいいかな」
「え……」
 ダイゴさんが戻ってきたのかと思い、ぱっと顔を上げたけれど、そこにいたのは知らない男性だった。ダイゴさんより少し上の三十代ぐらいだろうか。
 人違い? それとも私に何か用が? 戸惑っていると、その男性が私の背中に触れてくる。
「っ!」
「ね、少し話そうよ」
 その言葉だけならまだパーティ内での会話を楽しみたいのかと思えたけれど、私の背中に触れたこの手で、彼の目的が違うものであることが一瞬でわかる。
「いえ、連れがいますので」
 抑揚のないトーンで言い放って、男から距離を取る。パートナーとの参加だと言えばさすがにこの男も退散するだろう。
「あ、そっか。残念」
 私の予想通り、男は両手をあげるとすぐにどこかに去って行った。しかし、ほっと安心したのもつかの間、また別の男性が話しかけてきた。
「こんにちは。エネコちゃん、可愛いですね」
 同年代と思われる男性に声をかけられ、私は再び警戒する。先ほどの人と同じ目的か、それとも今回は純粋なパーティの交流目的だろうか。
「エネッ」
 人見知りのエネコは知らない男性を前に脅えてしまったのだろう。私の後ろに隠れてしまう。私は慌ててエネコをボールに戻した。
「す、すみません、この子人見知りで……」
「いえ、大丈夫です。僕の方こそ突然すみません。エネコってホウエンのポケモンですよね。この船で旅を?」
 男性はエネコに怖がられたことを気にする様子もなく、話を続けていく。この語り口、変な誘いではなく、純粋に船のポケモントレーナーと話をしたいだけなのかもしれない。私は身構えていた心を少し緩めた。
「いえ、このパーティだけ参加しています」
「ああ、僕もなんですよ。昨日のパーティにはいませんでしたよね?」
「はい、参加は今日だけです」
「やっぱり。あなたみたいな綺麗な人、昨日も見ていたら覚えてるはずですから」
 ……。これは、世間話の中のお世辞か、それとも……。
「これでも僕はカントーだと名の通ったトレーナーでね。いやあ、昨日のエキシビションマッチ見てほしかったなあ」
「はあ……」
「きっと君も見惚れたんじゃないかなあ」
 男性が私に一歩近づくから、私は反射的に同じ分だけ一歩下がった。
 これは確実に交流目的ではない。ナンパ目的なのは明白だ。私はため息を吐いて、周囲を確認した。確かにパーティの参加者のうち、女性一人でいる人間はほとんどいない。なるほど、女性一人でエネコみたいな小さなポケモンを連れている私がよく声をかけられるわけだ。
「すみません、そろそろ連れが戻ってきますので」
 私は男から距離を取り、冷たい声で言い放つ。交流目的ならともかく、ナンパ目的の人間と話すことはない。
「でもずっと一人だったよね」
 その言葉とともに、再び男が私に近づいた。思い切り顔が近くなって、私は思わず顔をしかめてしまう。
「いえ、本当に……」
「嘘吐かないでよ」
「っ!」
 男の手が、私の肩に伸びてくる。反射的にその手を振り払おうと右手を上げたそのとき、反対側から肩を抱き寄せられた。
「ダイゴさん!」
 そこにいたのはダイゴさんだった。ダイゴさんは鋭い瞳で、声をかけてきた男を睨むように見つめている。
「ボクのパートナーになにかご用でしょうか」
「あ……っ、さっきチャンピオンって紹介されてた……!」
 男はダイゴさんの顔を見て、慌てた様子で両手を上げた。降参のポーズのつもりだろうか。バツが悪そうにそそくさと去って行く男の後ろ姿を見て、私はほっと安堵の息を吐いた。
「ダイゴさん、ありがとうございます」
「ううん、ボクこそ一人にしちゃってごめんね」
「でもダイゴさんにも気をつけてって言われてたのに……」
 言われたときはなにに気をつけるのだろうと思っていたけれど、こういう意味だったとは。一人でもちゃんと追い払えるようにならないと。そう思いながら、私はダイゴさんに改めて声をかけた。
「ダイゴさん、バトルお疲れさまでした。かっこよかったですよ」
「本当? きみにそう言ってもらえて嬉しいよ」
「ダイゴさん以外のバトルも見てましたけど、本当にいろんなポケモンがいましたね。ホウエンでは見たことない子がたくさん見れました」
 再度パーティ会場を見回してみる。そこには本当にいろんなポケモンがいて、私の胸に興味がどんどんと湧き上がってくる。
「少しほかのトレーナーと話をしてみる? それとももう降りようか?」
「えっ、今降りたらもったいなくないですか?」
 パーティに参加してから私たちがしたことと言えばエキシビションマッチだけだ。せっかくパーティに来たのにここで会場を出るなんてもったいないのでは。
「……」
「だ、ダイゴさん?」
 ダイゴさんは突然黙ると、じっと私を見つめてくる。いきなりどうしたのだろう。戸惑っていると、ダイゴさんはふっと笑った。
「さっきので気分が悪くなってないか心配だったけど……大丈夫そうだね」
「あ……」
 そうか、変なナンパで私が気分を害していないか心配してくれていたのか。私はダイゴさんの背中に手を置いて、彼を見上げた。
「私は大丈夫ですよ」
「でもはすぐに強がるからなあ」
 ダイゴさんはもう一度私を見つめる。そして、ふっと表情を崩した。
「でも今日は本当に大丈夫そうだ」
 ダイゴさんに頬を撫でられて、私も頬を緩める。
 自分でも「大丈夫?」と聞かれたときに、大丈夫でなくても「大丈夫」と強がってしまう自覚はある。けれど、それはダイゴさんの前では違う。
「ダイゴさんの前では強がらないですよ」
 すぐに強がってしまうけれど、ダイゴさんの前では強がらないでいられる。甘えた気持ちを、素直に出すことができる。
「うん。嬉しいよ」
 ダイゴさんは大きな手で私の頬を包んだ。甘い瞳で私を見つめてくるから、私の胸もときめき始める。
「キスしたいけど……さすがにここではまずいね」
「っ!」
 思ってもみなかったダイゴさんの言葉に、一気に私の頬が熱くなる。「もう!」とダイゴさんの胸を軽くはたくけれど、ダイゴさんは「ふふ、またあとでね」と意に介さない。
「じゃあ行こう。はい」
 ダイゴさんに促され、私はダイゴさんと腕を組む。エスコートされる格好で、パーティ会場を歩いていく。
「ダイゴくんじゃないか! パーティに来ていたんだね」
 大きな声で話しかけてきたのは初老の男性だ。ダイゴさんが小さく「シルフカンパニーの専務だよ」と教えてくれたので、私もスムーズに会話に入れた。
 シルフの専務と別れたあとも、ダイゴさんに挨拶に来る人が後を絶たない。さすがデボンの御曹司兼ホウエン地方の元チャンピオン、それだけ顔が広いのだろう。大企業の重役やら、各地方のリーグの元職員やら……私一人ではお目にかかることもできなかった人たちとの会話は緊張しっぱなしで、さすがに少々疲れてきた。人が途切れたところで、私とダイゴさんは会場の隅で飲み物をもらった。
「ダイゴさん、やっぱりこういうの慣れてますね」
 様々な人と話したけれど、ダイゴさんは相手によって会話の内容や語り口を変え、うまく話を広げていった。さすが立場のある人は違うと改めて思う。
はパーティは初めてだろう? こそよく対応していたよ。あの子、嬉しそうだったね」
 ダイゴさんが言うのは、シンオウリーグの元職員の女性のことだろう。お孫さんと一緒にパーティに参加しており、お孫さんは捕まえたばかりのポケモン……ニャルマーとなかなか仲良くなれないと嘆いていた。私はニャルマーを毛繕いして、女の子に仲良くなるためのアドバイスをしたのだ。
「そんなたいしたことは……ああいうことぐらいしかできませんし」
「十分だよ。あの子が嬉しそうだったんだから、それが一番だ」
 あの子の笑顔を思い出し、私はつい口元が綻んだ。喜んでもらえて、本当によかった。
 ダイゴさんと談笑していると、一人の男性が近づいてきた。年齢は五十代ぐらいだろうか。彼は「ダイゴさん、久しぶりだね」と声をかけてくる。
「こちらこそ、ご無沙汰してます」
 ダイゴさん曰く、彼はセキエイリーグの職員とのこと。私も簡単に自己紹介し彼と握手を交わした。ダイゴさんと職員の方は、話に花を咲かせる。
「ダイゴさんはチャンピオンをやめてしまったんだよね。やっぱりデボンの仕事に専念するために?」
「いずれはその予定ですけど、今は世界各地を回ってます。旅をして見て回ったことをリーグやデボンに……ひいてはホウエンに還元できたらと思っていますよ」
「へえ……ずいぶんと志が高いね」
「そんな。各地のポケモンと人間の関わりを見ていけばデボンが他地方で事業する際にも役に立ちますしね。たとえばジョウトはポケモン信仰が強いので……」
 ダイゴさんはジョウトの土地柄を踏まえた具体的な事業案をすらすらと話し出す。ジョウトを回っているとき、ヘルガーのことだけでなくそんなことも考えていたのか。俯瞰したものの見方に、私は心の中で「すごい……」と呟いた。
 私なんてジョウトにいるときはヘルガーのことで頭がいっぱいで、そんなこと考えもしなかった。淀みなくこれからの展望を話すダイゴさんの横顔が、なんだかとても遠く感じてしまう。
「はあ、なるほど……。きみみたいな後継者がいるならデボンも安泰そうだ」
「そんな。買いかぶりすぎですよ。カントーでは最近変わったことはありましたか?」
「そうそう、カントーは最近隕石や台風なんかで怪我をした野生のポケモンが多くてね」
「隕石……ですか」
「お月見山に落ちたらしいよ。小さいものだから大きな被害はないけど、生態系が変わるかもと危惧している団体があってね」
「あの、お月見山ってクチバの北の方ですよね」
 気になる話題に、私もおそるおそる話に入る。職員の男性は頷いて言葉を続けた。
「そうだよ。そういえば……少し前にフジ老人も来てたみたいだね」
「フジ老人って、シオンタウンのポケモンハウスを運営している方ですよね」
 フジ老人はポケモンジャーナルでも頻繁に特集されているので私もよく知っている。気になる人物の名前に、私はつい前のめりになった。
「彼女はホウエンのポケモンハウスにボランティアをしに頻繁に通っているんですよ」
「へえ」
「あ、いえ、そんなたいそうなものじゃなくて……」
「彼女は謙遜していますが、彼女の献身にはボクも頭が下がります。施設長もいつも感謝しているんですよ」
 ダイゴさんの言葉に、胸が熱くなる。この声色はお世辞ではなく、ダイゴさんの本心だ。恋人にそう言ってもらえて、とても嬉しい。
「それならフジ老人と話が合いそうだ。一度会ってみるといいかもね」
 職員の方にそう言われ、私は目を丸くした。あまり考えていなかったけど、確かにせっかくカントーに来ているならフジ老人と話したいかもしれない。
「フジ老人、今はニビにいるらしいけど、すぐにほかの町に行くって言ってたからなあ。少ししてからシオンタウンのポケモンハウスに行った方が確実に会えると思うよ」
「はい、ありがとうございます」
「ああ、パーティもそろそろ終わるみたいだね。じゃあ、また」
「はい、失礼します」
 男性に会釈をして、私とダイゴさんもパーティ会場から出ることにした。船の前で、カントーのマップを見ながらこれからの予定を話し出す。
「フジ老人に会うならシオンタウンだね」
「でも今はカントーのほかの町にいるらしいし、先にお月見山に行きません? ダイゴさん、隕石見たいんでしょう?」
「あ、バレた?」
 悪戯っぽく笑うダイゴさんに、私は「もう」と軽いため息を吐いた。
「隕石に興味ないダイゴさんなんてダイゴさんじゃないですよ」
「ふふ、光栄だなあ」
 今のどこに光栄に思う要素があったのだろう。ツッコミを心の中で抑えつつ、私は話を続ける。
「私も気になりますから」
「じゃあニビシティからお月見山に行ってもいいかな。ニビには博物館もあるんだよ!」
 ダイゴさんの語り口からして、ニビの博物館には石の展示があるのだろう。私たちは準備を整えたらニビへ向かうことにした。



「わあ、見て! 化石の展示だよ!」
 ニビシティ北の博物館。ダイゴさんは博物館の一階で嬉しそうに展示ケースにかぶりついている。
「ふふ、よかったですね」
 サント・アンヌ号のパーティを終え、私たちはディグダの穴を通ってニビシティへやってきた。町の北にあるニビ博物館はなかなか大きな博物館で、昔のポケモンの化石や宇宙からの飛来物などの展示がされている。案の定、ダイゴさんは石の展示に夢中になっている。
「すごいなあ……歴史を感じるね」
 キラキラした瞳で化石を見つめるダイゴさんはまるで子供のよう。サント・アンヌ号のパーティで企業の重役やらとスマートに話していた様子とはかけ離れた可愛らしい姿に、私は目尻を下げた。
「これは……つきの石だ!」
 ダイゴさんが見つめるのは、一つの石が入ったケースだ。つきの石……エネコが進化するのに必要な道具として聞いたことがある。
「つきの石は珍しいんだよね。これが展示してあるなんて……」
「へえ、珍しいんですか?」
「みずの石やリーフの石なんかは販売ルートが確立している地方もあるんだけど、つきの石はほとんどないんだよ。すごいな……。あっ、こっちは宇宙から持ち帰った砂だ!」
 ダイゴさんはじいっと石の展示に見入っている。それ自体は別にいいのだけれど、さすがに私はずっと石を見つめているだけでは飽きが来てしまうので、ダイゴさんから離れて学芸員さんに話を聞くことにした。

「……ダイゴさん、ダイゴさんってば」
 化石展示に夢中になっているダイゴさんに声をかけるけれど、ダイゴさんはいっこうに私の声かけに気づかない。いったいどれだけ見入っているんだ。
「ダイゴさん、もうすぐ閉館ですよ!」
「えっ、もう?」
 大声を出しながらダイゴさんの腕を引っ張って、ようやくダイゴさんはこちらを見た。まったく、どれだけ石が好きなんだか。まあ、そういうところも可愛いと思ってしまう私も私なんだけれど。
「はい、閉館ですから一度出ますよ。スタッフの方たちからいろんな話を聞いたので、ポケモンセンターで話しましょう」
「……うん。わかった」
 ダイゴさんはそう言いつつも、目線はまだ化石の展示に向けられている。もう、この人は石のこととなるとこうなんだから……。
「……名残惜しいのはわかりますけど、迷惑になりますからね! 早く出ますよ!」
「うわっ、ちょっと待って」
 私はダイゴさんを引きずるようにして博物館を出て、ニビシティのポケモンセンターに入った。休憩スペースに座って、タウンマップを見ながら先ほど学芸員さんから聞いた話をそのままダイゴさんへ伝える。
「お月見山、ピッピの数が少し増えてるみたいですね。でも生態系には今のところ大きな影響はなさそうとのことです」
「そうなんだ。それはよかった」
「ただ隕石が落ちた周辺の生息地域から追われたポケモンがいて、麓のポケモンセンターでは保護を進めているみたいですね。いずれお月見山に帰すようですけど……」
 私はタウンマップに記された、お月見山麓のポケモンセンターを指さした。もともと山登りやジム巡りをしているトレーナーで賑わいがちな山の麓のポケモンセンター。それに保護まで加わって、今は人手が足りずなかなか大変なことになっているらしい。
「なるほど……もともとお月見山には行く予定だったし、手伝いをできたらいいね」
「はい!」
 二人でニビからお月見山のルートを確認して、今日はもう休むことにした。疲れた状態で手伝いをしてもかえって迷惑をかけるだけだ。しっかり英気を養ってからお月見山へと向かおう。
 ポケモンセンターで休んだ次の日、私たちはお月見山の麓へとやってきた。話に聞いていたとおり、ポケモンセンターはお月見山に生息するポケモンで溢れている。
「西の地域にいたポケモンが生息域から追われてしまったんです。少しずつお月見山の中のほかの地域へ逃がしてるんですが、どの地域にどれだけのポケモンを当てはめればいいか、慎重に検討しているところです」
 職員さんの話に、私はなるほどと頷く。確かに一度にポケモンを放ったら今度はそこの地域の生態系が狂ってしまうだろう。だからと言ってあまり長くポケモンセンターに保護しておくわけにもいかないし、なかなか難しい判断を迫られているようだ。
「手伝いに来ていただけて助かります。保護したポケモン同士で喧嘩してしまって……その子の手当てをお願いできますか?」
「はい、もちろん」
 職員の指示のもと、ダイゴさんは岩タイプなどのポケモンを、私はそれ以外のポケモンをそれぞれ別室で手当てすることとなった。ポケモンセンター受付の裏で、プリンやピッピの手当てを進めていく。
「プリンはかなり柔らかいので、気をつけて」
「はい」
 ジョーイさんに教えてもらいながら、プリンの小さな手に包帯を巻いた。ホウエンにもプリンは生息しているけれど、実際に触れ合ったことはない。想像以上にふわふわの皮膚で、触れるだけで緊張してしまう。
「こんな感じで大丈夫ですか……?」
「はい。プリンも喜んでますよ」
「プリ~!」
 両手を上げて喜んでくれるプリンを見て、ほっと安心する。この子は野生に帰す予定の子だ。あまり人の手を入れすぎてもよくないので、ポケモンだけの部屋へと連れて行き、怪我をした別のポケモンを部屋から出した。
「こんなにポケモンがたくさんいて大変ですね」
 博物館の学芸員さんから聞いていたけれど、想像したよりずっとポケモンセンターはポケモンで溢れている。この子たちをなるべく人慣れさせず、しかし健康に野生に帰すのは骨が折れるだろう。
「ええ……少しずつ野生に帰していますが、生態系を壊さないようにするためには慎重にやらないと。この前フジ老人に協力してもらって一部の子は帰せたんですが」
「フジ老人、いらっしゃってたんですね」
 サント・アンヌ号でフジ老人がお月見山に来ていたことは聞いていた。やはりこのポケモンセンターに手伝いに来ていたのだろう。
「はい。先週までここで手伝ってくれて。いろんな町の様子を見てからシオンタウンに戻る予定だって言ってましたよ」
「なるほど、それならシオンタウンには急いで行かなくてよさそうだね」
「わっ!」
 突然後ろから聞こえたダイゴさんの声に、私は驚いて大きな声を出す。
「ごめんごめん、驚かせたかな」
「ダイゴさん、別の部屋で手伝ってたはずじゃ……」
「ちょっとジョーイさんと話したいことがあってね。すみません、今よろしいですか?」
「大丈夫ですよ」
「ポケモンの生息域について研究しているホウエンの博士に連絡を取ってみたのですが……」
 ダイゴさんはホウエンの博士から聞いたという洞窟に棲む主なポケモンの生息域やそれぞれのポケモンの縄張りの範囲、その博士のツテでカントー近郊に住む別の博士にお月見山に向かってもらうよう話を通したことをジョーイさんに伝え始める。どうやら手伝いをしながら応援の要請も行っていたらしい。
「助かります。オーキド博士は今ほかの地方に調査に行ってて帰ってくるのが今週末で……」
「困ったときはお互い様ですから」
「ありがとうございます。ここって町のポケモンセンターでもないので、こういうことがあっても注目されにくくて困ってたんです」
「顔は広いので、必要があればほかにも人手が呼べると思いますよ」
 そう言ってダイゴさんは再び電話をかけ始める。カントーの知り合いに応援を頼んでいるのだろう。
 私はピッピの手当てをしながら、電話をかけるダイゴさんの横顔を横目で見つめた。淀みなく現状を説明し、人を手配してほしいと話すダイゴさんの横顔はやたらと大人っぽく見える。ニビの博物館で見たあの幼い表情とはまるで違う、精悍な顔つきに、私はなんだか切なくなってしまった。
「ピィ?」
「あ……ごめんね。はい、これで大丈夫」
「ぴー!」
 嬉しそうなピッピを部屋に帰し、次に手当てすべきポケモンを探し始める。すると、一匹のプリンが私の足にしがみついてきた。
「あれ……」
「プリ!」
「あ、その子は野生の子じゃないんです。お月見山の中でトレーナーとはぐれちゃったみたいで」
 ジョーイさんの言葉を聞いて、私はすぐにプリンを抱き上げた。野生の子ではないのなら、人の手に慣れてしまっても問題ないはずだ。
「トレーナーは見つかったんですか?」
「山で滑落して骨折しまって、今は入院してるんです。来週退院予定なので、それまでここで預かってるんです」
「ぷ……」
 プリンは腕の中でしゅんと落ち込んだ様子を見せる。トレーナーと会えなくて寂しいのだろう。
「大丈夫、もうすぐ会えるよ」
「ぷり……」
「そうだ、少し汚れちゃってるから毛繕いしようか。いい?」
「プリ!」
 プリンが頷いたのを確認して、私はその場に座りプリンを膝に乗せた。そっと柔らかい肌を傷つけないよう、毛繕いを進めていく。
「トレーナーさん、もうすぐ退院だからね。大丈夫」
「ぷり?」
「すぐに会えるからね」
 プリンが安心できるよう声をかけながら、毛繕いを進めていく。大丈夫、大丈夫。寂しくないよ。プリンをそっと撫でていく。
「プリンかい? 可愛いね」
「ダイゴさん」
 電話を終えたダイゴさんが、私の隣に座った。プリンをじっと見つめて、優しくプリンの頬を撫でる。
「プリンのお世話、変わるよ。きみは少し休んできたら?」
「えっ、どうして……」
「少し疲れた顔をしているから」
 ダイゴさんに言われて、はっと右手で顔をおさえた。
 ああ、やっぱりダイゴさんはなんでもお見通しだ。疲れているわけではない。顔を曇らせた理由は別にある。
「疲れてるんじゃないんです」
 ダイゴさん相手に強がってもどうせ彼にはすぐに見抜かれてしまう。私は素直に心の内を話すことにした。
 膝の上のプリンを撫でながら、私はゆっくりと口を開く。
「ダイゴさん、ここに来てから応援の人を呼んだり、博士に連絡を取ったりして、対症療法をするだけじゃなくてちゃんと根本を解決しようとしてるじゃないですか。ダイゴさんはちゃんと俯瞰的に物事を見てるのに、私は目の前のポケモンを手当てするのに頭がいっぱいで……」
 サント・アンヌ号でもそう。ダイゴさんはジョウトでの旅を通じて得たものをどう還元しようかすでに考えている。一方私は、自分の前にいるポケモンのお世話をするだけで精一杯。その先を考えることが、なかなかできない。
「せっかく旅をしているのに、目の前のことで精一杯で、旅の目標とかもちゃんと考えていなくて」
 パーティのときにダイゴさんが「この旅の経験をデボンやホウエンに還元する」と言っていた。じゃあ私は? なんのためにこの旅を? それを考えているダイゴさんがとても大人に見えて、そして自分がとてもちっぽけな存在に思えて、少し気持ちが落ち込んでしまった。ただ、それだけ。
「旅の目標なんて、旅をしながら考えたっていいんだよ」
「それは、そうですけど……」
「それにボクは職業柄人脈があるからね。単純に手当てや世話以外にできることがあるってだけだよ」
 ダイゴさんは優しい瞳で私を見つめる。深い瞳に、私は吸い込まれそうになる。
もきっとこの旅でいろんな人やポケモンと出会えるよ。そうしたらなにか起きたときの選択肢が増えるんじゃないかな」
 ダイゴさんはそっと私の背中を撫でる。温かな手が、私の心を包んでいく。
「……そうですよね」
 大きく息を吸って、大きく息を吐く。ダイゴさんの言うとおり、くよくよしたって仕方ない。せっかくの旅なのだから、悩んで落ち込むよりも、いろんなことを経験して吸収していくほうがいいに決まっている。
「それに、きみにはきみにしかないものを持っているよ」
 ダイゴさんは私の膝に視線を向けると、クスリと穏やかな笑みを浮かべる。ダイゴさんに釣られて自分の膝の上を見つめると、プリンがぐっすりと眠っていた。
「安心して眠ってるみたいだ」
「プリン……」
「ポケモンに優しく接することができるのも、ポケモンがのそばで安心できるのも、の美点だよ。誇ってほしいな」
 ダイゴさんの言葉と、プリンの穏やかな寝顔が私の心に沁みていく。ダイゴさんとプリンが教えてくれた私の長所、これを忘れないように、失わないように、もっと大きくできるように。旅を通して、成長していけたらいいな。

 それから応援が来るまでの間、ポケモンセンターに泊まり込んで保護の手伝いを行った。十分な人手が揃ったところで、私たちは次の町へ向けて出発することとなった。
「シオンタウンへはどうやって行きましょうか」
「お月見山を越えてハナダシティに行くか、クチバに戻って海沿いを回る方法もあるね」
 ポケモンセンター内でシオンタウンへ行くルートをダイゴさんと相談していると、ジョーイさんが「月曜の夜、お月見山広場で踊るピッピが見られるんですよ」と教えてくれた。今日はちょうど月曜日、私とダイゴさんは広場でピッピが出現するのを静かに待つことにした。

「今日は満月ですね」
 ふと空を見上げると、そこにはまん丸の月が浮かんでいた。ピッピが踊るにはうってつけの夜だろう。
「ピッピ、出てきますかね」
「うん、きっと」
 ピッピに警戒されないよう、木陰に身を隠して広場を見つめる。ポケモンセンターの職員さんの話によると、ピッピが踊るようになったのは最近のことのよう。隕石の影響があるのだろうか。
「エネ!」
「あ、エネコ。じっとしてて」
「エネ~!」
 エネコが木陰から飛び出そうとするので、私は慌ててエネコを抱きかかえた。
 ピッピもエネコもつきの石で進化するポケモンだ。なにか通じるものがあるかと思いボールから出してピッピが出現するのを待っていたのだけれど、このエネコのはしゃぎようは当たりなのかもしれない。
「あ……っ」
 息を潜めていると、広場に一匹のピッピがやってきた。あたりをきょろきょろと見回したのち、草むらのほうへ向かって「ピ!」と大きな声で鳴く。すると、声を合図とするように何匹ものピッピが姿を見せた。
「来たね」
「はい」
 踊ってくれるかな、どうかな。踊らなくても今のままでも可愛いけれど、せっかくだから踊るところが見たいな。期待を膨らませながら、広場のピッピを見つめる。
 一匹のピッピが、空の満月を指さした。そのピッピがステップを踏むようにリズミカルに歩き出す。もう一匹のピッピも同じようにステップを踏み、さらにほかのピッピも続いていく。ピッピたちは連なり広場を円形に歩いていく。足下は楽しげにステップを踏んで、そして小さな手で指を振る仕草を見せている。これがきっと、ピッピの踊りなのだろう。
「わ……本当に踊ってるね」
「可愛いですね」
 ピッピたちに気づかれないよう、ダイゴさんと小声で会話する。すると、私の腕の中のエネコがもぞもぞと動き出した。
「エネ~」
 後ろ足をリズミカルに動かして、小さな前足で指を振る仕草をしている。きっとピッピの踊りの真似だろう。ピッピに続いたエネコの可愛いダンスに、私は顔をだらしなく緩めてしまう。
「あ……っ」
 風が吹いて、満月が雲に隠れた。月明かりがなくなり、辺り一面が暗くなる。すると、ピッピたちは突然踊りをやめて、お月見山洞窟内へと帰ってしまった。
「なにか残ってるね」
 ピッピが踊っていた広場の中心に、先ほどまではなかった物体がある。手に取ってみると、それはニビ博物館で見たつきの石だった。
「つきの石か。ピッピはつきの石で進化するし、月から来たという説もあるぐらいだから、つきの石と親和性があるんだろうね」
 ほんのり緑がかったつきの石。雲が晴れて見えた満月にかざすと、ふわりと柔和な光を放つ。
「エネコもつきの石で進化するんですよね」
「うん。エネコ、使ってみるかい?」
 ダイゴさんは私の腕の中のエネコに問いかけるけれど、エネコは「ネー!」と嫌そうに私の胸の中に潜ってしまった。
「気乗りしないみたいだね」
「エネコ、進化は嫌?」
「エネネ!」
 エネコは思い切り首を横に振り、私にしがみつく。進化が相当に嫌なのだろう。「大丈夫、無理に進化させないよ」と話せば、「ネ?」とようやく顔を出してくれた。
「ボクのポケモンは強くなりたがるし、進化も積極的なんだ」
「メタグロスたちですね」
「うん。この世界にはいろんなポケモンがいるんだね」
 ダイゴさんは私の腕の中のエネコを撫でた。エネコは満足そうに甘えた声で応える。
「はい、本当に」
 エネコもメタグロスも、同じポケモン。かたや進化を求めずトレーナーの腕の中で甘えている。かたやバトルに積極的で強さを求める。いろんな人間がいるように、いろんなポケモンが、この世界にはいるのだ。



 お月見山をあとにした私たちは、ハナダシティとイワヤマトンネルを通ってシオンタウンへやってきた。ラジオ塔はあるけれどジムもない小さな町は、ゆっくりとした時間が流れているように感じられる。
 町の人に話を聞いたところ、フジ老人はシオンに戻ってきているとのこと。私たちはゆったりとした町を歩き、シオンタウン中央部にあるポケモンハウスへとやってきた。事前に訪問したいむねを連絡していたので、スムーズに中へと案内してもらえた。奥にいたのは一人の老人。彼は肘掛け椅子に座り、膝の上に乗せたカラカラを愛おしそうに撫でている。その表情はとても穏やかで慈愛に満ちている。間違いない、この人がフジ老人だ。
「あなたたちは……」
「初めまして、フジ老人。お会いできて光栄です」
「ああ、お約束の。わざわざ来ていただきありがとうございます」
 フジ老人はカラカラを抱きかかえたまま立ち上がり、こちらに一礼する。私たちも慌てて頭を下げ自己紹介をした。
「私はときどきホウエンのポケモンハウスにときどき手伝いに行っているんです。ポケモンハウスに置いてあるジャーナルで何度もフジ老人の記事を読みました。是非お話ししたかったので、お会いできて嬉しいです」
「いやいや、そうだったのか。若い人がボランティアに参加してくれるのは嬉しいよ」
 フジ老人に手を差し出され、私はその手を握って握手を交わす。しわの多い大きな手は、これまでたくさんの苦労をしてきたと思わせる。
「よければここのポケモンとも触れ合ってもらえると嬉しいな。捨てられたポケモンが最近は多くてね……脅えてる子も多いんだよ」
「そうなんですか……。私にできることがあるなら喜んでお手伝いします」
「カラ……」
 フジ老人の腕の中のカラカラが悲しげに鳴く。「こんにちは」と声をかけると、カラカラは短い両手で頭の骨を引っ張り、それを目深にかぶった。
「この子はまだ小さいのに母親が病気で死んでしまってね。ほかにも捨てられたポケモンたちがいるから、優しく接してもらえたら嬉しいよ」
「はい、もちろん」
「ダイゴくんは……そうだね、向こうで力仕事を手伝ってくれると助かるな。ここのスタッフは私みたいな老人や女性が多いから、力仕事がたまってしまってるんだ」
「ボクでお役に立てることがあるなら喜んで。こういう施設ではポケモンに頼ることも難しいですしね」
 そうして私とダイゴさんは別部屋でそれぞれ手伝いをすることとなった。さすが有名なポケモンハウス、地方を問わずいろんなポケモンが保護されている。フジ老人の指示のもと、甘えるニャースと遊んでみたり、右腕を怪我したニューラの手当てをしたり。手伝いをしながら、フジ老人に聞きたかった話題を投げかけた。
「ホウエンでも最近はよくカントーのポケモンが保護されたりしてるんです。ホウエンの子なら多少は詳しいんですけど、ほかの地方の子となるとさっぱりで…………カントーの子たちについて教えてもらえたらと思って」
「そうだね……。カントーに比べるとホウエンは暑いだろうから、室温は気をつけてもらった方がいいかもしれないかな。あとは気候の差もね、カントーは比較的安定してるから……」
 膝の上で甘えるコダックを撫でながら、フジ老人のアドバイスを頭に叩き込んでいく。気候のことは完全に盲点だった。ホウエンに帰ったら園長に話しておこう。
「でも、ポケモン一匹一匹で性格も特徴も違うからね。しっかり目の前の子と向き合うことが大事だよ」
 フジ老人はゆっくりと、しかしはっきりとした口調でそう言った。目の前のポケモン、今はこのコダック。この子は少し前にトレーナーを亡くしてしまったそう。人恋しいのか、いつも人と触れ合いたがるらしい。大切な人を亡くして落ち込んでいるだろうその気持ちを、少しでも癒せたらいいなと思う。
「こだ~」
 コダックは頭を抱えると、突然私の膝から降りてしまった。窓際へ行くと、晴れた空を見上げ始めた。
「ああ、前のトレーナーとよく日向ぼっこをしていたらしくてね。この時間になると窓際でぼんやりするのが日課なんだよ」
「そうなんですね」
 コダックは寂しげに、しかし優しい表情で窓の外を見つめている。きっと亡くなったトレーナーのことを思い出しているのだろう。今は一人……いや、二人きりにするべきだろう。
「そうだ。ポケモン保護に興味があるなら、ナシマの6の島に行ってみたらどうかな。あそこはポケモンの保護区もあってね」
「ナナシマってカントーの南にある島嶼群ですよね。保護区があるんですか」
「ああ、保護区と言っても捕獲禁止みたいなものじゃなくてね、自然とポケモンを大切にしようって場所だね。きみの視野を広げるにも役立つはずだ」
 その言葉に、心が沸き立つ。旅の目的も定まっていない私だけれど、この旅を通して視野を広げることができるなら。それはきっと素晴らしい経験になるだろう。
「ぜひ行ってみたいです。ダイゴさんにも話さなくちゃ」
「ああ、それがいい。保護区以外もナナシマはいいところだよ」
「はい、ありがとうございます」

 その後もしばらくの間ポケモンハウスでいろんなポケモンと触れ合った。職員の方からお礼を言われたけれど、こちらとしても今まで接したことのないポケモンを知ることができて、むしろ私の方が感謝しているぐらいだ。
 シオンタウンを訪れて数日後、フジ老人たちに別れを告げて私たちはナナシマの6の島へ入った。カントーよりだいぶ南にあるこの島は、気温が高くどこかホウエンに似た雰囲気を持っている。
「あったかいですね……ちょっと暑いぐらい」
「うん。それにしても……」
 ダイゴさんはじっと私を見つめてくる。私はなにか顔に変なものでもついているのかと思い、慌てて頬を押さえた。
「な、なんでしょう」
がわがまま言うなんて珍しいなと思ってね。6の島になにかあるのかい?」
「あ……」
 もともとカントーを訪れたあとはそのまま次の地方へ向かう予定で、ナナシマに入る予定はなかった。ポケモンハウスを出たあと、ダイゴさんに「わがままかもしれないけど……」と6の島に行きたいむねを伝えたのだ。
「フジ老人に6の島にはポケモン保護区もあるから行ってみたらどうかって言われたんです。せっかくの旅だからいろんな場所に行ってみたくて」
「なるほど、いい考えだ」
 ダイゴさんはうんうんと頷くと、再びじっと私を見つめた。
「ただね、それはわがままなんかじゃないよ。むしろそういうことはどんどん言ってほしいぐらいだ」
「そう、ですか?」
「そうだよ。第一のそれがわがままなら、ボクなんてわがままし放題じゃない?」
「ふふ、確かに」
 ニビの博物館に一日中張り付いていたり、確かにダイゴさんこそわがまま放題かもしれない。ふふ、と笑みをこぼして、私はダイゴさんを見上げた。
「また行きたい場所があったら言いますね」
「もちろん。さて、フジ老人の言っていた保護区は……」
 ダイゴさんと一緒に広げたタウンマップをのぞき込む。保護区は北にあるしるしの林という場所らしい。
「あ、でも南には遺跡があるみたいですね」
「遺跡……!」
 遺跡という単語に、ダイゴさんはうずうずと肩を揺らして目を煌めかせた。ぜひとも遺跡に行きたいのだろう。
「ふふ、大丈夫ですよ。最初に南の遺跡に行ってみましょう。しるしの林は星空が綺麗だって船員さんも言ってたし、保護区は夜に行けばいいですよ」
「本当!? ありがとう! 早速行こう!」
「わっ!」
 ダイゴさんは私の手を握ると、南のほうへと急ぎ足で歩き出す。もう、本当に石が好きなんだから。でも、子供みたいなダイゴさんが可愛くて、「まあいいか」と思ってしまう。
 ……ああ、そうか。私が「わがままかもしれないけど」と言ったとき、ダイゴさんも今の私と同じ気持ちだったのかな。そうだったらいいなと思いつつ、私たちは南の遺跡までの道である水の散歩道を歩いた。

「わあ! すごいな。珍しい石がたくさんあるよ!」
 遺跡の谷に着いたダイゴさんは、目をキラキラとさせて「てんの穴」という遺跡を見つめた。どれが珍しい石なのか私にはさっぱりだけれど、ダイゴさんが言うからきっとたくさんあるのだろう。
「実はナナシマは来たことがなくてね。珍しい石がたくさん取れそうだ!」
「ふふ、夜まで思う存分探索してください。私はこのあたりを見て回ってますから」
「うん! なにかあったらすぐに呼んでね」
 ダイゴさんはそう言うと、高揚した面持ちでてんの穴へ向かった。リュックから採掘道具を取り出して、遺跡周辺の岩を叩き出す。
「エネコ、出ておいで」
 私はエネコをボールから出して、周辺を散歩することにした。
 遺跡周辺はポケモンレンジャーが多いようだ。遺跡以外は自然がそのまま残っている雰囲気で、ポケモンも思うままに過ごしている様子がうかがえる。フジ老人が6の島を進めた理由が、少しわかった気がした。
「ちょっとホウエンに似てるね」
「エネ!」
 エネコとともに岩に腰かけ、辺りを見渡した。深い自然は私たちの故郷であるホウエン地方と近いものがある。
「エネ~」
「ふふ、はい、どうぞ」
 エネコが甘えたそうな声を出すので、私はエネコを膝に乗せた。エネコの毛繕いをしながら、遺跡の谷の様子を観察する。
 あるところではトレーナー同士がポケモンバトルをしているし、またあるところではポケモンレンジャーが岩に挟まったポケモンを助けている。てんの穴の周りでは、ダイゴさんのほかにも採掘に勤しんでいる男性が何人かいるようだ。
「あ……」
 ダイゴさんのそばに、一匹のヤドンが寄ってくる。ダイゴさんはヤドンに気づき、ヤドンの頭をよしよしと撫でた。
 クチバやニビ、シオンなどの都市部とは違う。自然が多く残り、野生のポケモンも多いこの地域は、ポケモンと人が緩やかに共存しているようだ。
 こういう景色、好きだな。ホウエンにもあるこの光景を、守りたいな。ぼんやりとそんなことを思った。

 日が沈み始めた頃、ダイゴさんはほくほくと嬉しそうな顔で「そろそろ北に向かおうか」と私のところへ戻ってきた。どうやら珍しい石がたくさん採れたようだ。
 私たちは水の散歩道を北に行き、緑の散歩道を通ってしるしの林へと入った。しるしの林は少し不思議な林で、草が生えない場所と生える場所がくっきりと別れている。
「あなたたち、ポケモンを捕獲しにきたの?」
 一人のレンジャーの声をかけられ、私たちは首を横に振った。
「いえ。捕獲は禁止なんですか?」
「ううん。保護区だけどね、捕獲禁止なわけじゃないよ。ただね、この林は独自の生態系があるから乱獲とかはしてほしくないから、林に来たトレーナーには声をかけてるんだよ」
 なるほど、確かにしるしの林の中にはポケモンレンジャーがそこかしこにいる。きっと無茶な捕獲をしないよう目を配っているのだろう。
「ボクたち、ポケモンの様子を見に来たのと……星を見に来たんです。しるしの林から見える星空は綺麗だって聞いて」
「ああ、それなら林の中央から見るといいよ。あの辺りは木がなくて空がよく見えるから」
「ありがとうございます」
 レンジャーの言葉を受けて、私たちは林中央部へ向かった。しるしの林は虫ポケモンが多いらしく、住宅街から離れたこの場所では虫ポケモンの鳴き声がよく聞こえる。
「だいぶ暗くなったね」
 完全に日が沈み、あたり一面が暗くなる。島の住宅街からも遠いこの場所は地上に光がほとんどない。草むらに座って空を見上げれば、満天の星が輝いていた。
「わあ……綺麗」
「都会から離れているからかな。星の数がすごいな」
「はい……」
 ダイゴさんは自然と私の肩を抱き寄せる。私もいつものように素直にダイゴさんに体を預けた。
「ナナシマは自然豊かでいい場所だね」
「ちょっとホウエンに似てますね。そういえば1の島は温泉もあるみたいですよ」
「温泉か。ますますホウエンを思い出すね」
 ぼんやりと、カントーの旅の思い出を話し出す。船で出会った人やポケモン、お月見山のピッピたち、ポケモンハウスの傷つきながらも人間と信頼を結ぶポケモンたち……。
「ダイゴさん、私……ポケモンと人が一緒にいるのが好きなんです」
 ふと、言葉が零れた。カントーを歩く中で、考えたことをダイゴさんに話し始める。
「ポケモンと人間が一緒にいるの、当たり前のようで当たり前じゃないと思うから……それを守るために、旅を通してできることを考えたいです」
 ダイゴさんに比べたら、まだぼんやりとした旅の目標だ。それでも、今私の胸にあるのはその思い。ポケモンと人が共存しているこの世界を守りたい。いろんなポケモンや人と出会って、それぞれが求めること、私ができることを見つけていきたい。
「ボクも協力するよ。一緒にできることを見つけていこう」
「はい」
 ダイゴさんの体温を感じながら、胸に抱いた思いを噛みしめる。私にできることなんて、小さなことかもしれない。でも、旅を通して得た経験は、きっとポケモンと人の共存に生かせるはずだ。
「あ……」
 見上げた空高くに、一匹のポケモンが見えた。白と青の大きな体のドラゴンポケモン、あれは……。
「ラティオス……」
「ナナシマにも来てたんだね」
 ホウエンでもジョウトでも姿を現したラティオス。まさかここでも出会えるなんて。
「ラティオスもボクたちみたいに世界中を旅してるのかもしれないね」
「そしたらまた会えるかもしれませんね」
 ラティオスが飛んで行ったのは北の方角。もしかして、もしかしたら、本当にまた会えるかもしれない。
 私たちが次に目指すのは北の大地、シンオウ地方だ。