星巡り/イッシュ編

 イッシュ地方の町の一つ、ライモンシティ。スポーツ施設やミュージカル会場、ポケモンのバトル施設まで揃った繁華街に、私たちは降り立った。
「華やかな町ですね……ちょっと眩しいぐらい」
「本当に。観光客も多いみたいだね」
 道行く人は観光マップや大きなキャリーケースを持った人も多い。私たちのような旅人や、観光客も相当多いのだろう。
「あれ、登山風の人もいますね」
 華やかな町の風景にはあまり馴染まない、登山服に大きなリュックを背負った人もちらほら見える。周辺に山があるのだろうか。
「隣のホドモエからじゃないかな。ホドモエは採掘場がいっぱいあるんだよ!」
 ダイゴさんはぱあっと表情を明るくすると、生き生きとした笑顔で話し出す。あ、まずい。これは長くなりそうだ……。
「ここ数年でホドモエも開発が進んでいてね。ジムリーダーもやってるヤーコンさんがホテルをたくさん建ててるから滞在する場所も豊富だし。しかも最近はエメラルドとか新しい鉱石も採れることがわかって……」
 ダイゴさんは饒舌にホドモエ周辺の採掘場について語り出す。こうなったダイゴさんはなかなか止められない。私は話を聞きながら、タウンマップでホドモエの場所を確認することにした。
 ホドモエはライモンのすぐ西にある町だ。確かに最近は開発が進みホテルが建ち並び、採掘目的の登山客以外にも観光目的の旅行者も増えているらしい。
「ボクが前にホドモエに行ったときは採掘する時間がなくてね。ホウエンにはない石がたくさんありそうなんだけど……」
 ダイゴさんは顎に手を当てうーんと唸り始める。ああ、明らかにホドモエに行きたくてうずうずしているな。「行きたい」と言わないのは、きっと私に遠慮をしているのだろう。
「採掘、行ってきたらどうですか?」
 遠慮なんていいのに、そう思って問いかけると、ダイゴさんは驚いた顔を見せた。
「私はライモンで買い物でもしてますから。たまには別行動でも大丈夫ですよ」
「でも……」
「私も服とか見たいですし」
「そう? ……そうだね、ホドモエは橋を渡ればすぐだし、ライモンは比較的治安もいいし。だけど……」
 ここまで言っても悩むダイゴさんに、私は思わず苦笑した。心配してくれるのは嬉しいけれど、私だって大の大人だ。それになによりエネコもいるのだから、町歩きぐらい問題ない。
「そんなに心配しないでくださいよ。なにかあったらすぐ連絡しますし」
「うん……そうだね。ありがとう! 行ってくるよ!」
「あ……っ」
 ダイゴさんはそう言うと、ライモン西のゲートへと走っていった。別行動にしましょうと言い出したのは私だけれど、まさかこんなにすぐに行くとは……。きっとそれだけ採掘に行きたかったのだろう。ダイゴさんは石のことになると本当に子供みたいになってしまう。
 さて、私もライモンの町を回ろう。この町はモデルのカミツレさんがジムリーダーをやっていることもあってか、オシャレなブティックも目立つ。ダイゴさんが私に遠慮して採掘に行くのを躊躇してしまうように、私もダイゴさんが一緒だと服屋やアクセサリー店を見るのはつい遠慮してしまう。今日は思う存分買い物を楽しもう。

「エネ~!」
「ふふ、エネコ、ご機嫌だね」
 何軒かブティックを見て回ったあと、私はエネコにせがまれて遊園地に来ていた。観覧車が回る様子を見ながら、ベンチに座って休憩だ。
「エネコ、リボン似合ってるよ」
「エネッ」
 ブティックで買った赤いリボンをつけて、エネコはご機嫌な様子だ。この赤いリボンと同じ色の人間用のカットソーは、私の持つショッピングバッグの中にある。
「これ、似合うかなあ……」
 カミツレさんが赤いカットソーを、相棒のゼブライカが赤いリボンをつけた写真を見てついつい買ってしまった。しかし、カミツレさんとまったく体型の違う私が果たして似合うのだろうか。今になって心配になってきた。
「エネッ」
「エネコ?」
 バッグの中の服を確認していると、隣のエネコが突然しっぽを逆立てた。警戒のポーズだ。草むらならともかく、こんな町中で警戒のポーズを取ることは通常ならまずない。私は慎重に周辺を確認した。
「あ……」
 エネコの視線の先を見やると、入口の方で複数人が揉めているのが見えた。全身を黒い服で身を包み、顔も黒いマスクで覆った団体。明らかに観光客や一般のトレーナーではない。しかし、混雑した遊園地内ではそれ以上のことはわからなかった。
「あれ、プラズマ団だって!」
 なにが起きているのか不安に思っていると、戸惑う周囲の人々の声が聞こえてきた。
「えっ、プラズマ団っていなくなったんじゃないの?」
「わかんない。でもまたポケモン取られちゃうかも!」
 プラズマ団? ポケモンを取られる? わけがわからないながらも、「ポケモンが取られる」というワードに、私はひとまずエネコをボールに戻した。
「ダイゴさん……」
 どうしよう、ダイゴさんに連絡をすべきだろうか。私に直接なにかあったわけではないけれど、トラブルには違いない。少し迷ったけれど、ナビを取り出そうと鞄を探る。
「あ……っ!?」
 ナビを探している最中に、揉め事が悪化する。一般人と思しきトレーナーのポケモンが、プラズマ団と言われた団体に奪われそうになっているのだ。
 これではダイゴさんは間に合わない。だからと言って弱い私がしゃしゃり出ても時間稼ぎにもならない。
「そうだ、ここにはジムが……!」
 ライモンのジムは遊園地内にある。ジムにならジムリーダーやジムトレーナーなど強いトレーナーがいるはず。助けを求めるならジムだ……!
「わっ!」
 ジムの方へ走り出すと、一人の女性とぶつかった。足のすらっと伸びたスタイルのいい女性。間違いない、モデルでジムリーダーのカミツレさんだ。
「す、すみません」
「こちらこそごめんなさい!」
 カミツレさんはプラズマ団のもとへ走り出す。どうやらすでにプラズマ団が出たことはジムに伝わっていたようだ。
「げ、ジムリーダー!」
 プラズマ団の面々は、ジムリーダーの登場に慌てた様子であっという間に去って行った。
「はあ……」
 プラズマ団はいなくなったものの、遊園地内はまだざわついたままだ。私も歩く気力が湧かなくて、そのままベンチに座り込んだ。私が被害に遭ったわけでもないのに、まだ心臓がバクバクと大きく鼓動を打っている。
 組織的に人からポケモンを奪う団体はホウエンにもいた。その話を聞くたびに恐怖で震えていたけれど、まさかイッシュに来て出会うなんて……。
「あ……」
 群衆の向こうに、ダイゴさんの姿が見えた。いつの間にかライモンに戻ってきていたようだ。
「ダイゴさん!」
 大きな声で呼びかけると、ダイゴさんはすぐに私に気づいてくれる。駆け寄ってきたダイゴさんを見て、私はようやく緊張から解放された。

「そうか、プラズマ団が……」
 ライモンシティ遊園地の観覧車内。私の隣に座るダイゴさんは、足を組んで小さく呟いた。
 観覧車の下でダイゴさんの事の顛末を話そうとしたけれど、遊園地の中はかなりざわついていた。そのため、取り急ぎ静かに話せそうな観覧車に乗り、私は先ほどあったことをダイゴさんに話したのだ。
「イッシュでは一年ぐらい前までポケモンを人間から解放するという活動が盛んだったらしいけど……今もまだその考えを広める人が残ってるんだね」
「解放……?」
 聞き慣れない「ポケモンの解放」というワードに、私は首を傾げた。ダイゴさんは一度大きく瞬きをして、言葉を続ける。
「すべてのトレーナーからポケモンを引き離すってことだよ」
 強い言葉に、私は言葉を失った。人とポケモンを引き離す? そんなことは……。
「二年ぐらい前にプラズマ団が提唱し始めたらしいよ。ポケモンを人間から解放して自由にさせるべきだって。各地で演説などの草の根活動をする裏で、強引にポケモンを奪う活動もしていたみたいだね。プラズマ団は解散したって聞いてたんだけど、まだ残党がいたのかな……」
 ダイゴさんの言葉を聞きながら、私はエネコの入ったボールに触れた。もしエネコを誰かに奪われたら。考えただけでぞっとする。
 その一方で、「ポケモンの解放」という言葉を全否定できない自分もいる。
「……プラズマ団って、そんなに大きな組織だったんですか?」
「うーん……ボクもリーグの関係で耳にしただけだから……。ただ、ポケモンを解放すべきという主張には、賛同する人も多かったみたいだ」
 私は膝の上でぎゅっと拳を握った。少し迷いながら、私は自分の考えを口にする。
「……ポケモンと人が離れるべきだって、正直に言うと、私も考えたことがないわけじゃないんです」
 頭の中で考えを整理しながら、少しずつダイゴさんに自分の考えを話していく。ダイゴさんは優しい表情で私の言葉を聞いてくれた。
「カナズミのポケモンの家にも人に傷つけられたポケモンがたくさんいて、この間のシンオウのチェリンボもあんなふうに捨てられて……」
 ポケモンを傷つける人間は、悲しいことに決して少なくない。傷つけられたポケモンを見れば、「ポケモンを解放すべき」という主張を抱く人間が出てくるのは自然なことと思ってしまう。
「でも……無理矢理引き離すのは許せません……」
 それでも、今一緒にいるポケモンと人間を引き離すのはやっぱり違う。そこだけは絶対に認められない。
「ボクも同じ考えだよ」
 ダイゴさんは膝の上の私の手にそっと触れる。
「今いい関係を築いているポケモンと人を、引き離すのがポケモンのためになるとは思えない」
 私はダイゴさんとともに、観覧車の外を眺めた。落ち着きを取り戻したそこは、ポケモンとトレーナーが楽しげに歩く姿が広がっている。
「エネッ」
 突然私のモンスターボールからエネコが飛び出してきた。エネコはぎゅっと私の胸にしがみつく。もしかしたら今の会話が聞こえていたのかもしれない。
「大丈夫、ずっと一緒だよ」
 エネコと離れる未来なんて、そんなこと考えたくもない。私はずっとこの子と一緒にいたい。エネコもそう思ってくれている。
「メタグロスたちもダイゴさんと離れたくないでしょうしね」
「そうだね、きっとそう思ってくれているって信じてるよ」
 ダイゴさんはエネコを優しく撫でてくれる。エネコは満足そうに甘い声で鳴いた。
「この世界にはいろんな人間やポケモンがいるから。ポケモンとともに歩むことを選んだ人も、ポケモンを持たない選択をした人。人間のそばにいたいポケモン、人から離れて暮らしたいポケモン……それぞれの考えを尊重しないとね」
 ダイゴさんの言葉に、私は深く頷いた。
 ポケモンと人間が共存できる世界。その世界を、私は守りたい。



 ライモンシティを出た私たちは、イッシュ地方東部にあるサザナミタウンに来ていた。
『私用で申し訳ないんだけどサザナミタウンに知り合いが来ててね。ちょっとサザナミに顔を出していいかな』
 先ほどのダイゴさんの言葉を思い出しながら、私はサザナミの海沿いを散歩している。
「綺麗な海……」
 東に広がる海は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。旅を始めてから各地方の海を見てきたけれど、どの海も異なる美しさを持っている。
「キュイ」
 私の隣を飛ぶエアームドが、小さく鳴いた。
 ダイゴさんが用事を済ませている間、エネコと二人で海沿いを散歩しようと思っていたのだけれど、ダイゴさんが「用心棒だよ」と言ってエアームドを同行させてくれたのだ。ライモンでの騒動もあったので、私はその申し出を有り難く受け入れた。今はエネコ、エアームド、私の三人で海辺を歩いている。
「ダイゴさん、まだかな……」
 私はダイゴさんが挨拶をしている別荘の一つに視線を向けた。
 サザナミタウンは富裕層が多く暮らすエリアで、別荘も数多く立ち並んでいる。ダイゴさんの別荘もありそうだな……と思っていたけれど、イッシュに別荘は持っていないとのこと。……ほかの地域にはあるんだな、と思ったけれど、深くは聞かないでおいた。
 それにしても、ここに並ぶ別荘はどれも豪華だ。この別荘を持つ人たちはどんな人たちなのだろう、なんてことを考えていると、別荘エリアの一つの建物の窓が揺れた。
「あれ……」
 その窓から一匹のポケモンが飛び出してくる。イッシュのポケモンに馴染みはないのだけれど、あれは確かこいぬポケモンのヨーテリーだ。
「あの子……怪我してる?」
 ヨーテリーは遠目で見てもわかるほど体が汚れており、後ろ足も引きずっている。明らかに様子がおかしい。慌ててヨーテリーに駆け寄ると、ヨーテリーも私を見て足をかばいながらこちらへ走ってきた。
「きみ、どうしたの?」
「クゥン……」
「ひどい怪我……!」
 ヨーテリーの怪我はポケモンバトルでついたものとは思えない。それにひどく汚れた体、しばらく手入れをしてもらえていないのだろう。
「やあ、ごめん。待たせたね」
「ダイゴさん!」
 震えるヨーテリーを宥めていると、ダイゴさんがやってきた。私は慌てて今の状況を説明した。
「この子、あの建物の窓から出てきたんです。あの別荘って……」
「空き家って出てるね。野生のポケモンが入り込んでいるのか、それとも……」
 ダイゴさんは件の建物を見つめると、「見てみた方が早いかな」と言って空き家へと歩き出す。私もヨーテリーを抱きかかえ、ダイゴさんのあとをついて行く。
「この子が出てきたの、この窓です」
 ヨーテリーが出てきたのは建物西の窓だ。正面玄関からは遠いこの窓は引き戸タイプのもので、ヨーテリー一匹が通れる分だけが開いている。
 その窓を覗き込んで、私は言葉を失った。
「……っ」
 狭い部屋の中には何匹ものポケモンが詰め込まれている。部屋は掃除もされていないのだろう、ホコリやゴミで溢れていた。あまりに劣悪な環境だ。
 私はこらえきれず、部屋の中へ飛び込んだ。
「ひどい……」
 ヨーテリー同様、ここにいるポケモンたちは怪我も汚れもひどい。食事の用意だけはされていたようだけれど、そこかしこに落ちた食べカスが腐って悪臭を放っている。
「あれはプラズマ団のマークだね」
 窓から入ってきたダイゴさんが、壁にスプレーで描かれたマークを指す。やはり、ここにポケモンを閉じ込めていたのはプラズマ団だ。
「ライモンにいた彼らは、空き家になっていたここを根城にしていたのか……?」
 ダイゴさんは顎に手を当て考え込む。すると、ドアの外から足音がした。私たちは息を潜め、その足音が過ぎ去るのを待った。
「……行ったみたいだ」
 ダイゴさんはそっとドアを開けて、部屋の外を覗く。外の様子をうかがっているのだろう。
「あまり数はいないみたいだ。この人数ならボク一人でも大丈夫かな……」
「えっ、でも……」
 ダイゴさんは一人でプラズマ団に戦いを挑むつもりのようだ。いくらダイゴさんが強くとも、一対多数で大丈夫なのだろうか。
「念のため応援は頼んでおくよ。さっき会っていたのが元ジムリーダーのアロエさんなんだ。彼女、博物館の館長をやっていてね、石のことをよく教えてもらってたから昔から知った仲なんだ」
 元ジムリーダーが応援に来てくれるのなら大丈夫だろうか。まだ心配の思いはあるけれど、一人で乗り込むよりはいくらか安心だろう。
は外で待っていて」
「え、でも……」
 確かに私はポケモンバトルでは役に立たない。むしろ外に出ていた方が足を引っ張らずに済むだろう。しかし……。
「……ごめんなさい。できません」
 この部屋にはたくさんの傷ついたポケモンたちがいる。この子たちを一瞬でも置いて行くなんて、私にはできない。
「ここでこの子たちの手当てをしたいんです。この子たちのこと、置いていけない」
 じっとダイゴさんを見つめる。わがままだとはわかっている。それでも、私はこの子たちを置いていくなんてどうしてもできない。
「でも……いや、そうだね。エアームド、彼女を守ってくれるかい」
 ダイゴさんはエアームドの鋼の羽を撫でる。エアームドは「キィ」と小さく頷いてくれた。
「危ないと思ったらすぐに逃げるんだよ」
「はい、わかってます」
「じゃあ行ってくるよ」
 ダイゴさんはボールからメタグロスを出し、部屋の外へ出た。私はその背中を見送って、部屋のポケモンたちに視線を移す。
「ひどい怪我……」
 どのポケモンもひどい怪我だ。汚れもこびりついており、衛生状態も相当悪い。
 まずは私に助けを求めてきたヨーテリーの体を拭いた。シャワーがあればもっとちゃんと洗えるのだけれど、タオルで取れるだけの汚れを取った。
 次は傷の手当てだ。タンバシティで買ったキズぐすりを塗って、包帯を巻いていく。ほかのポケモンも、その繰り返し。七匹のポケモンを手当てし終え、残るはあと一匹、部屋の隅に隠れているクルミルだ。
「こっちにおいで、怖いことはしないよ」
 脅えるクルミルに声をかけるけれど、クルミルは震えたままだ。相当脅えているのだろう。無理に触れることはできないけれど、クルミルにも治療が必要だ。
「そうだ。エネコ、声をかけてくれる?」
「エネ!」
 人間がダメならポケモンはどうだろう。エネコに頼んで、クルミルに近づいてもらう。
「くる……?」
「えね、エーネ!」
「クル……」
 エネコが気を引いてくれているうちに、そっとクルミルの汚れを拭う。クルミルは嫌がる様子もなく、私の手当てを受けてくれている。
「大丈夫……よしよし」
 クルミルが怖がらないよう、できるだけ早く怪我の手当てを終える。よし、これでひとまずは大丈夫だろう。
「っ!?」
 ほっと息を吐くと、ドアの外で足音がした。誰かが近づいてくる。ダイゴさんか、それともプラズマ団か。エアームドに指示をする準備をし、ドアの方を向いた。
、ボクだよ、入るね!」
 声とともに、ドアが開く。そこにいたのはダイゴさんだ。
「ダイゴさん! もう倒せたんですか?」
「アロエさんもイッシュの警察も来てくれたからね。こっちに敵は来てない?」
「はい、大丈夫です」
「この子たち、やっぱり奪われたポケモンみたいだ。倒したプラズマ団が話していたよ。イッシュの警察が元のトレーナーを探すってさ」
「そうですか……」
 警察が協力してくれる安心感の一方で、この子たちが無理に元のトレーナーから引き離されたという事実に胸が痛む。どうか、早く元のトレーナーの元で安心して過ごしてもらいたい。
「あ……」
 開いたドアから、連行されるプラズマ団の様子が見えた。三人ほどが出口の方向へ歩いていく。一人の男がドアの前を通った、そのとき。
「クル!」
 部屋にいたクルミルが、その男の元へ走り出す。しかし、男はしっしっと右手でクルミルを追い払う仕草を見せた。
「クル? クル!」
「お前みたいな弱っちいポケモンいらねえよ!」
 吐き捨てられた言葉に、クルミルはその場で呆然と立ち尽くす。私は思わずクルミルの元へ駆け寄った。
「クルミル……!」
「くる……」
 クルミルは小さく体を震わせて、ぽろぽろと涙をこぼした。私はなんと声をかけたらいいかわからずに、ただ近くでクルミルを見つめていた。
「……プラズマ団に懐いているんだろうね」
 彼らが見えなくなると、ダイゴさんが小さく呟いた。
「そんな……ひどい扱いをされてたみたいなのに」
 こんなに汚れるまで放置されて、怪我も手当てしてもらえなかったのに、それでもそんな相手に懐いてしまうの? そんな、そんなのって……。
「えね、えね」
「くる……」
 エネコはクルミルの頬を舐め、慰めるような声を出す。
 私はそんな二匹の様子を、呆然と見つめることしかできなかった。




 サザナミタウンの警察署で事情聴取を受けたあと、警察から保護したポケモンの移送を手伝って欲しいと依頼があった。なんでもホドモエにポケモンの保護施設があるそうだ。そこでポケモンたちを休ませて、しっかり腰を据えて元のトレーナーを捜索する方針とのこと。
 ホドモエまでは車で移動だ。ポケモンを複数移動させる場合は空を飛ぶなどの方法より、こういった交通機関の方が効率がいい。
「ホドモエの施設ってどんなところなんでしょう」
 車の中で、私は隣に座るダイゴさんにぽつりと呟いた。
「元プラズマ団がやっているところみたいだよ」
「ええっ!?」
 思ってもみなかった返答に、つい大声を出してしまう。車の中には運転手さんや警察の方もいる。私は慌てて口を押さえるけれど、もう遅い。
「……プラズマ団の施設って、大丈夫なんでしょうか?」
「この間採掘に行ったときに見てきたけど怪しいところはなかったよ。本当に反省しているみたいだ。なんといってもヤーコンさん……ジムリーダーのお墨付きだしね」
 そのままの流れで、ダイゴさんがアロエさんに聞いたというプラズマ団の詳細も教えてもらった。プラズマ団には二つの派閥があり、一つは今回残党として捕まえた、ポケモンを奪ってこき使っていた派閥。もう一つは、本当にポケモンの解放がポケモンのためになると信じていた派閥。後者が今から行く施設を運営しているとのこと。
「あ、着いたみたいだね」
 そんな話をしているうちに、ホドモエの施設に着いた。ホドモエの高台にあるその場所は、ホドモエのジムからもほど近い。
 少し不安を抱えながら施設にポケモンたちを連れてきたけれど、元プラズマ団という人たちと一緒に作業をするうちに、その不安はほぐれていった。彼らはこの間戦った残党とはまったく考え方が違う。施設にいるポケモンたちも綺麗に見た目も整えられ、傷ついた様子はない。不安がすべて消えたわけではないけれど、すぐそばのジムのジムリーダーであるヤーコンさんもしっかり見ていてくれているので、システムとしても大丈夫そうだ。
「何人かトレーナーがいらっしゃいました」
 作業中、警察官から声がかかる。保護したポケモンのトレーナーが早速見つかったようだ。
「クルミル!」
 私と同年代と思しき男性が、あのクルミルに駆け寄った。
「くる……」
 しかし、クルミルはあのプラズマ団を前にしたときとはまるで違う、脅えきった様子で男性を見つめている。
「俺のこと、もう忘れちゃってるんだな」
 男性の悲しげな声に、私は言葉を失った。
 あんなひどい扱いをしたプラズマ団に懐いて、元のトレーナーのことは忘れてしまった。そんなことって、そんなことが、あっていいのだろうか。
「あ、あの……」
 なんと声を掛ければいいかわからない。慰めの言葉は、彼にとって意味を成すだろうか。
 男性はクルミルをボールに戻した。そして、そのボールを優しく撫でる。
「二年も離ればなれだったもんな。でも、きっとやり直せるって信じてるよ」
 男性は私たちの方を向くと、「見つけてくれてありがとうございました」と頭を下げて施設を出て行った。
 ほかにもやるべき作業が残っているにも関わらず、私はその場に呆然と立ち尽くす。やらなくちゃ、ポケモンの世話をしなくちゃ。わかっているのに、俯いたまま動けない。
「盗まれたポケモンが、さらった人間に懐くことがあるんだね」
 隣に立つダイゴさんの暗い声が、耳に響く。そういった事例は耳にしたことはあったけれど、目の当たりにすると心がどうしようもなくざわつく。
「今回はプラズマ団がポケモンを手放したからすぐに元のトレーナーのところに戻ることになったけど……もし、さらった犯人がポケモンを手放したがらなかったら、どうするのが正解なんだろうね」
「そんな……っ」
 ダイゴさんの言葉に私は顔を上げた。そんな、それだけは許されない。
「悪人のところにポケモンを置いておくなんて、そんなのあり得ません」
「そうだね。でも、悪人でもポケモンには優しい人間もいる。そういう人間がポケモンを盗んで、ポケモンも懐いてしまったら……元のトレーナーのもとに帰すのが、正解なのかな」
 その質問に、私は答えられなかった。
 帰さなかったとして元のトレーナーの気持ちは? でもポケモンに優しく接しているのなら、帰さない方がポケモンにとっては幸せ? 本当に?
「ごめん、悩ませたかな」
「……」
「作業に戻ろう」
 私は部屋の奥へ向かうダイゴさんの袖を掴んだ。答えが出たわけではない。けれど、黙っていていいはずがないと思った。
「……いえ、ポケモンと関わる以上、考えなくちゃいけないことだと思います」
 きっとこの問題に答えはない。けれど、これからもポケモンと関わっていくのなら、こういった活動をするのなら、この問題から目を背けてはいけない。
 まっすぐダイゴさんを見つめると、ダイゴさんはふっと笑顔を見せてくれた。
「そうだね。なにがポケモンにとって最善か……考えなくちゃね」
「はい」
 二人で頷き合い、部屋に戻る。中にはたくさんの傷ついたポケモンたちがいる。この子たちのためにできることを、しっかりと考えなくていけない。

「はあー……終わりましたね」
 保護施設での手伝いを終えた私たちは、ホドモエのレストランのオープンテラスで夕食をとることにした。運ばれてきたパスタを食べながら、今日までの出来事を振り返る。
「アロエさんとヤーコンさんがプラズマ団のことをほかのジムやリーグに連絡しておくってさ。今回動いたプラズマ団は前の組織の指示じゃなく単独グループだったみたいだけど、もしかしたらまたプラズマ団が大きく動き出すのかもしれない」
「……怖いですね」
 プラズマ団が動くとなれば、ポケモンの解放を謳っていた派閥ではなく、無理矢理ポケモンを奪っていたグループが動き出すのだろう。また被害に遭うポケモンやトレーナーが出てくるのかと思うと、暗澹たる思いが心に落ちる。
「大丈夫、ヤーコンさんたちが見ててくれているから」
「……はい」
 机の上に置いた私の手を、ダイゴさんはぎゅっと握ってくれる。大きくて温かな手は、安心感を与えてくれる。
「イッシュの人たちは強いしね。一度はプラズマ団を退けたんだから」
「そうですよね。私たちもイッシュにいる間に協力できることをしていきましょう」
「もちろん」
 私たちがイッシュを回る時間は残り少ない。その間に、ここのポケモンのためにできることをしていきたい。
「あれ……」
 食後のコーヒーを飲んでいると、どこからかポケモンの声が聞こえてきた。周囲のポケモンの声ではない、風に乗ってきた声だ。同時に聞こえてくるのは風を切る鋭い音。間違いない、この声は……。
「北西の方から聞こえるね」
「ダイゴさん、この声って」
 ダイゴさんは頷くと、私の手を取った。私たちは空になった食器を片づけて、ホドモエを出る。
「北西にあるのは……フキヨセの洞穴か、電気石の洞穴かな」
「声は……こっちからですね」
 六番道路に出ると、今度は北から声が聞こえてくる。この方角にあるのはフキヨセの洞穴だ。フキヨセの洞穴へ向かうと、あの声も大きくなってくる。
 そう、もう何度も聞いた、ラティオスの声だ。
「あっ!」
 上空に聞こえるあの風を切る音。見上げた空に、イッシュの空を駆けるラティオスの姿があった。
「ラティオス……!」
「イッシュにも来ていたんだね」
 ラティオスはフキヨセの洞穴上空を旋回すると、「キュウ」と大きな声で鳴く。そして、空高くへ飛んで行った。
「フキヨセの洞穴には伝説のポケモンがいるって言ってたな……」
「じゃあラティオスは伝説のポケモンに会いに来たんでしょうか」
「そうだったら興味深いね」
「次の町でも会えるかな……」
 旅に出る前も旅に出てからも姿を見せてくれたラティオス。次も、きっと会える。そんな気がした。



 イッシュ地方を回り終えた私たちは、次の地方へ向かうためにヒウンシティへやってきた。飛行機が飛び立つのは明日。今日はヒウンシティの海辺をダイゴさんと散歩し、イッシュの旅の思い出を語り合うことにした。
 イッシュ地方の旅は、少し心に影を落とす部分もあった。なにがポケモンの幸せなのか……。ポケモンと関わっていく以上、考えていかないといけないことだ。
「こら」
 考え込んでいると、ダイゴさんに眉間を押される。面食らっていると、ダイゴさんはふっと笑った。
「考えなきゃいけないねとは言ったけど、あまり思い詰めすぎないで。オンオフの切り替えも大事だよ」
「そう……ですよね」
 確かに、ずっと考えていたってすぐに答えが出せるわけではない。次の地方に行くのだし、今ぐらいは気を緩めてもいいだろう。
「そうだ。船に乗らない? 綺麗な景色を見れば心も晴れるよ」
「船……ですか?」
「あれだよ」
 ダイゴさんが指さしたのは、港に停泊している大きな船。どうやら出航準備をしているようだ。
「ロイヤルイッシュ号だよ。ヒウンの湾内をぐるっと回って二時間でここに戻ってくるんだ」
「へえ……観光船なんだ。面白そうですね。あっ、もう出航するのかな」
「本当だ。急ごう!」
 私たちは走って出航直前のロイヤルイッシュ号へ飛び乗った。船内は広く、客室も多い。私はダイゴさんに手を引かれ、デッキへとやってきた。
「わあー……」
 展望デッキへ出ると、外には綺麗な夕焼け空が広がっていた。オレンジ色の夕焼けと青い海のコントラストが美しい。
「綺麗ですね……」
「うん、晴れてよかった」
 船のヘリから夕焼け色の空と海を眺める。オレンジ色の夕陽と青い海が混じって、幻想的な光景を生み出している。
「船内にはトレーナーも多いみたいですよ。ダイゴさん、行かないんですか?」
 客室内には腕に自信のあるトレーナーが多くいるという。ポケモンバトルもこの船の魅力の一つのようだ。特に今日はトレーナーの観光客が多いらしく、みな客室でバトルを楽しんでおり、デッキには私たち以外誰もいない。
「意地悪な質問だなあ」
 ダイゴさんは手すりに置いた私の手に自分の手を重ねる。
「今はとここにいたいよ」
 ダイゴさんは微笑むと、私の唇にキスをした。唇を離して、もう一度。
 オレンジ色の夕焼けが、私たちを包んでいた。