星巡り/カロス編
美しい森と海に囲まれたカロス地方。その中でも一番の都市であるミアレシティに、私たちは降り立った。
「わあー……!」
空港から出てすぐに広がるミアレシティの町並みに、私は感嘆の息を漏らす。煉瓦造りの道に、外観の揃ったビルや店舗。オシャレな町並みに心が弾む。
「カロスに行くの楽しみだってずっと言ってたもんね」
「はい、ずっと来たかったんです!」
昔からずっとカロスへ行ってみたかった。夢が叶って自然を足取りが軽くなる。
「ボクもカロスは大好きなんだ。素敵な石が豊富でね、何度か来てるんだ」
「へえ、採掘できる場所も多いんですね」
私は石が豊富という言葉を採掘場所が多いと頭の中で自動変換する。ダイゴさんと一緒にいるうちに、こういったことにすっかり慣れてしまった。
「今回はダイゴさんは怪我明けですし、山とかは避けて町を回る感じにしましょうね」
「そう……そうだね。うん、仕方ないか……」
ダイゴさんは残念そうに眉を下げた。山に行けない、はイコール採掘ができない、だからだろう。かわいそうだけれど今回ばかりは仕方ない。なんといってダイゴさんは死にかけたのだから。
「に心配かけたくないからね」
ダイゴさんはそう言って、にっこりと笑ってみせる。
本当は自分自身のために無理はやめてほしいのだけれど、ダイゴさんにはそれが難しいらしい。でも、私を悲しませないためなら頑張れるとダイゴさんは言う。
「はい、心配ですよ」
「大丈夫、に悲しい顔はさせないからね」
「ふふ、ダイゴさんが無茶しないよう、ずっと見張ってないといけませんね」
「そうだよ、そばにいてね」
クスクスと笑い合いながら、私たちは軽い足取りでミアレの町を歩いた。
*
ミアレの町並みを楽しんだのち、私たちはミアレの西にあるエイセツシティに来ていた。エイセツシティのはずれにある、ポケモンの村を訪れるためだ。
「このあたりはあんまり寒くないですね」
エイセツシティとポケモンの村の間にある迷いの森を歩きながら、私は小さく呟いた。
「エイセツシティの寒さは氷タイプのジムから漏れ出る冷気が主な原因みたいだからね」
「それもすごいですね……」
町全体を冷やすほどの冷気とは、ジムの中はどれほど寒いのだろう。ポケモンのパワーはやはり強大だ。そんな力を持つポケモンと共存するためにも、今はポケモンの村を目指さなくては。
ポケモンの村には悪い人間にひどい目に遭わされたポケモンや、心ないトレーナーから逃げたポケモンが集まっているという。また、中には力が強すぎるあまり周囲から距離を取っているというポケモンもいるとか、いないとか。
鬱蒼とした迷いの森をしばらく歩くと、急に開けた場所に出た。
「ここがポケモンの村かな」
迷いの森と打って変わって、目の前には明るい雰囲気の草原が広がっている。間違いない、ここがポケモンの村だ。
「ふ?」
花畑の隙間から、一匹のポケモンがこちらを覗く。あのポケモンはカロス地方に生息するニャスパーだ。ほかにもさまざまなポケモンが私たちの様子をうかがっているようだ。
「エネコ、出ておいで」
人間にひどい目に遭わされたポケモンが、すぐに見知らぬ人間と関わるのは難しいだろう。最初にフレンドリーなエネコと接してもらい、こちらに心を許してもらおうという作戦だ。案の定エネコはニャスパーやトリミアンと楽しそうに遊び始めた。
「なるほど、いい案だね。じゃあボクは……」
ダイゴさんはボールからメタグロスを出した。明らかに強者のオーラを放つメタグロスに近づいてきたのはゾロアークだ。どうやらバトルをしたいらしい。メタグロスとゾロアークはお互い技を出し合って、生き生きとした表情でバトルを開始した。
「エネ! エネ!」
ポケモンたちの様子を眺めていると、エネコが私の足下にやってきた。私の隣でしっぽを振って、なにやらポケモンの村のポケモンたちに声をかけている。
「くおん……?」
エネコに呼ばれたのか、一匹のトリミアンがこちらにやってきた。トリミアンは私の手のにおいをかぐと、その場にすとんと座り込む。足にトリミアンの毛がふわふわと触れて、少しくすぐったい。
「えーね!」
エネコは嬉しそうに鳴くと、満足げな様子でトリミアンの隣に座る。もしかして、エネコがトリミアンに私のことを「怖くないよ」と伝えてくれたのだろうか。私はエネコにお礼を言って、トリミアンの隣に座った。
「トリミアン、ちょっと触っていい?」
長い間手入れをされていないのだろう、トリミアンの毛はボサボサだ。私はトリミアンが頷いたのを見て、そっとブラシでトリミアンの毛を梳き始める。
「オン!」
「わっ、ごめんね」
固まった毛を力を込めて解こうとしたら、トリミアンが嫌がる様子を見せる。
いけない、いけない。カントーでフジ老人に言われた「目の前のポケモンを大事にね」という言葉を思い出す。この子がどうされたら喜ぶのか、嫌がるのか。確認しながら、トリミアンにそっと触れていく。
「くぅん……」
トリミアンは甘えた声を出すと、その場でぺたんと寝転がる。いつの間にかリラックスしてくれたようだ。
「よしよし……」
さすがにトリミアンのトリミングはできないけれど、毛並みを整えるぐらいは私にもできる。ボサボサのまま生活するのは大変だっただろう、少しでも楽になってくれたのなら私も嬉しい。
「トリミアン、綺麗になったね」
スーツの上着を脱いだダイゴさんが、私の隣にやってきた。
「はい。ダイゴさんとメタグロスもたくさん勝負してましたね。お疲れさまです」
「ふふ、力が有り余ってる子も多いみたいだからね。たまにはパワーを発散させないと」
「そうですね。でもここ、たまに人が来てるんですよね?」
トリミアンもボサボサではあるけれど、何年も放置されていたわけではなさそうだ。それにほかのポケモンもある程度の手入れがされている様子が見える。
「そうだね、ここのことはリーグの人に聞いたんだけど、限られた人間が訪れてポケモンの世話をしているみたいだ」
「……私、入ってよかったんですか?」
「はは、もちろん。トリミアンも気持ちよさそうたしね。さて、一休みしたしボクはまたバトルしてくるよ。まだうずうずしてるポケモンも多いみたいだ」
「はい、行ってらっしゃい」
バトルへ行くダイゴさんを見送ると、座ったままのエネコがまた一鳴きした。すると、今度はニャスパーがやってくる。
「ふ?」
「あなたもブラッシングしたほうがいいかな」
ニャスパーは返事こそしなかったけれど、私の前にちょこんと座る。まだまだ手入れが必要なポケモンは多そうだ。私は腕をまくって気合いを入れた。
「ふう、ずいぶん長居しちゃいましたね」
結局あのままポケモンの村で一日過ごし、村の中でキャンプを張って一晩過ごすことになった。今はポケモンの村からエイセツシティに戻っているところだ。
「本当に。でも楽しかったな」
「はい。私もいろんな子と触れ合えて楽しかったです」
最初は脅えていた子たちも、エネコを通して私に心を開いてくれた。少しでもあの子たちの心の傷を癒せたのなら、私も嬉しい。
「そういえば……あそこには力が強すぎるポケモンもいるって言ってましたけど、ダイゴさんと戦ってた子たちなんですかね?」
「いや、たぶん違うと思うよ。……あ、エイセツに着いたね」
「寒……っ」
迷いの森からエイセツシティに出ると、一気に空気が冷え込んだ。私は慌てて手に持っていた上着を羽織る。
「ポケモンの村は暖かかったたからね……余計に寒く感じるな」
「そうですね……」
マフラーも取り出して防寒していると、ふと一人の男性がこちらに歩いてくるのが見えた。年齢は七十代ぐらいだろうか、高齢ではあるけれど背筋はピンと真っ直ぐで、スーツにシルクハットと言った服装も相まって洗練された印象を受ける。
「ポケモンの村だって?」
男性はかぶっていたシルクハットを取ると、しゃがれた声で私たちに話しかける。
「あ、えっと……」
ポケモンの村のことはあまり言わない方がいいと聞いている。なんと返せばいいのかわからずに言い淀んでいると、男性が口を開く。
「きみたち、ポケモンの村に行ってきたのかい。あそこには事情のあるポケモンがいるけれど……きみたちは大丈夫そうだね。ほかの人にはあの村のことはあまり口外しないでくれると嬉しいな」
どうやら彼もポケモンの村に詳しい人物のようだ。私は安心して彼の言葉に同意した。
「はい、もちろん」
「旅の人かい?」
「今は世界中旅をしているんです。この前までアローラに行ってました」
「アローラ! いいところだね。私も妻との新婚旅行でアローラに行ったんだよ。もう四十年以上前だけどね」
老紳士は気恥ずかしそうに左手で頬を掻いた。その薬指には指輪が渋い光を放っている。
「思い出の場所なんですね」
「そうだね。……そうだ。きみたち、カロスはもう回り終えたのかい?」
「いいえ、まだ来たばかりなんです」
「そうか。それなら一つ頼みを聞いてくれないかな」
頼み事とはなんだろう。ダイゴさんと首を傾げていると、老紳士の後ろから一匹のポケモンが顔を出した。
「バケッチャだよ」
「ばけちゃー!」
オレンジ色の体に焦げ茶の顔、そして丸みを帯びた可愛らしいフォルム。カロス地方のポケモンのバケッチャだ。見る限りバケッチャの中でも一番小さいサイズのよう。胸にキラリと光るペンダントトップはルビーだろうか。赤い石が眩しい輝きを放っている。
「この子ね、カロスを見て回りたいみたいなんだけど、私はもうこの通り年だからね。よければこの子にカロスの各地を見せてくれないかな」
「え……」
「無理を言っているのはわかってるけど、お願いできないかね」
「ばけ!」
私はじっとバケッチャを見つめる。
人のポケモンを連れ歩くのは少し緊張するけれど、元々カロスを回るつもりだったのだからこの子と一緒に行くことは問題ない。むしろ、ホウエンでは出会えない子と触れ合えるのが楽しみなぐらいだ。
ダイゴさんはどう思っているのだろう。隣のダイゴさんを見上げると、ダイゴさんも私と同じように微笑んでいる。ダイゴさんも私と同じ考えなのだと、一目でわかった。
「ボクたちでよければ一緒に行かせてもらいますよ」
「本当かい? ありがとう。じゃあこれを……」
老紳士はさらっと一枚の紙になにかを書き始め、そのメモをこちらへ渡してきた。メモにはヒャッコクの日時計、クノエの大木等、地名が羅列されていた。
「もしもね、きみたちがその近くに行くことがあったら、そこに寄ってほしいんだ。あくまで近くに行ったらで構わないから」
「はい、わかりました」
メモをざっと見る限り、書かれている場所は有名な観光地だ。人やポケモンも多く集まる場所だし、私たちとしてもここを巡るのは悪くない選択肢だろう。
「あ、そうだ。このペンダントは……」
「ああ、それね。バケッチャが大切にしているものだから、つけたままでいてほしいんだ」
バケッチャがつけているペンダントはルビーと思われる石がついている。高級品のようだから、なくさないように気をつけなくては。
「じゃあ、カロスを見て回ったらエイセツシティに戻ってきますね」
「ありがとう、よろしくね。私の家はそこだから」
「はい、わかりました」
「バケチャー!」
老紳士は会釈をすると、自身の家があるというエイセツシティ西へ去っていった。
「バケッチャ、これからよろしくね」
「ばけちゃ!」
なんだか急展開だけれど、バケッチャを含めたちょっと不思議なカロスの旅が始まった。
*
エイセツシティを出た私たちは、十八番道路を通って隣のレンリタウンへ向かう。
老紳士のメモにある場所の中で一番近いのはヒャッコクシティの日時計だ。私たちはレンリタウンを通ってヒャッコクシティへ行く予定を立てている。
「ばーけーちゃ!」
バケッチャはふわふわと浮いて、明るい声を出している。老紳士の口振りからして、最近はあまり外出もしていなかったのだろう。バケッチャは久しぶりのお出かけが楽しみなようだ。
「ふふ、楽しそうですね」
「ばけちゃ~!」
バケッチャは楽しそうにくるりと空中で回ってみせる。そして、私の胸へぽすんと飛び込んできた。
「バケチャ!」
「に抱っこしてほしいのかな?」
「チャ!」
ダイゴさんの予想は当たりのようだ。バケッチャは期待の瞳で私を見つめている。
「いいよ、甘えん坊さんなんだね」
「バケ~!」
バケッチャは嬉しそうな表情で私の腕の中で体を揺らす。ずいぶんと人懐っこい子のようだ。
「バーケ! バーケ!」
「ふふ、よしよし」
「もしかしたらあの人にもいつも抱っこされてたのかな」
「そうかもしれませんね」
「バケ!」
三人で十八番道路を歩いていく。カロスはただの道路もどこかオシャレで、歩いているだけで気分が弾む。腕の中のバケッチャも歌を歌って楽しげだ。
とはいえ、さすがに長い道を歩けば疲れが溜まってくる。十八番道路の途中で私たちは休憩を取ることにした。
「バケッチャ、これはポロックっていうホウエンのお菓子なの。気に入ってくれると嬉しいな」
「ばけ!」
バケッチャは赤いポロックをぱくっと丸飲みすると、楽しそうにその場でふわふわと跳ね始める。どうやら気に入ってもらえたようだ。
「ポロック、好きみたいだ。よかったね」
「はい。バケッチャ、もっと食べる?」
「ばけ~!」
バケッチャはどんどんとポロックを食べ始める。何個も何個も食べるから、私とダイゴさんは慌てて止めた。ポロックはおいしいけれど、食べ過ぎるのはさすがによくない。
バケッチャは満足そうに息を吐くと、食後のお昼寝なのか、ごろんとその場で横になった。
「バケッチャ、小さい子だと思ってたけど、もしかしたら一番大きなサイズになったりしてね」
「もし旅の間に大きくなったら抱っこするのが大変になっちゃいますね……」
「ふふ、しばらくはこのままでお願いしたいね」
ダイゴさんは眠るバケッチャのお腹を撫でる。暖かな太陽の日差しがルビーのペンダントに反射した。
*
レンリタウンを越え、私たちはヒャッコクシティへ足を踏み入れた。行ってほしい場所のメモの一つにここの日時計が入っているのだ。
「わあ!」
ヒャッコクシティ北にある大きな大きな日時計。半透明のクリスタルでできたピンク色の日時計は、ヒャッコクシティの名物だ。私もずっとこの目で見てみたいと思っていた。
「バッケー!」
腕の中のバケッチャも日時計を前にして嬉しそうだ。カロスを巡るのを本当に楽しみにしていたのだろう。そして、ダイゴさんはダイゴさんでキラキラした瞳で日時計を見つめている。石を前にしたときの、あの子供みたいな表情をするダイゴさんだ。
「ダイゴさんも日時計見られて嬉しそうですね」
「そりゃあもう! 日時計を構成する石の成分はわかっていない部分も多いんだ。それ以外にもいつどうやってできたのかも不明で今も研究が進められていてね」
「へえ……太古のロマンってやつですね」
「そうなんだよ!」
ダイゴさんは私の右手を勢いよく掴む。だいぶ興奮気味の様子だ。何度か日時計も見に来ているらしいのにこれとは、相当お気に入りのようだ。
「バケ! バケ!」
バケッチャは私の腕の中からするりと抜けると、一つの看板を指さした。カメラマークのついた看板で、カロスの名所各地でカメラマンが写真を撮るサービスを行っていると記されている。観光が売りの一つであるカロスらしい試みだ。
「バケッチャ、写真撮りたいみたいですね」
「そうだね。じゃあ撮ってもらおうか」
「バケ!」
カメラマンを呼ぶと、バケッチャは再び私の腕の中へ入ってくる。もう、本当に甘えん坊なんだから。
「いきますよー、はいチーズ!」
日時計の前で、カメラマンの合図に合わせてポーズを取る。シャッター音が小さく響いて、カメラマンはグーサインをこちらに送ってくる。
「はい、写真のサービスだよ~」
「わ、ありがとうございます」
カメラマンは現像した写真を一枚渡してくれた。ヒャッコクの日時計をバックに、ダイゴさんと私、バケッチャが微笑んでいる。
「ばけ~!」
バケッチャは写真を見て嬉しそうに手をぱたぱたと動かした。ふふ、そんなに嬉しかったんだなあ。
「エイセツに帰ったらおじいさんにも見せようね」
「ばけ~!」
バケッチャは大きな声で返事をすると、勢い余ってか私の腕から飛び出した。そして、隣にいた男性に体ごとぶつかってしまう。
「わ、すみません!」
「いえいえ、やんちゃなバケッチャだね」
「ばけ……」
バケッチャは先ほどまでの明るさはどこへやら、申し訳なさそうにしょんぼりと首を垂れた。男性の「気にしていないよ」という言葉で、ようやくほっとしたように顔を上げる。
「きみたちは旅の人かね?」
「はい。ホウエンから来て、いろんな地方を旅してるんです」
「ほう、ホウエンから。あそこは確か海と陸のポケモンがいたね」
五十代ぐらいの男性は、たくわえた髭を無造作にいじりながら言葉を続ける。
「カロスの伝説のポケモンについて知っているかい」
「いえ、全然……」
私もダイゴさんもミアレに滞在しているときにカロスの伝説について調べてみたけれど、短い間で調べた範囲ではほとんど文献が出てこなかった。町の人たちにも聞いてみたけれど手がかりはなく、カロスはあまり伝説のポケモンの逸話は大々的には残っていないようだった。
「ふむ、私の知ってる範囲でよければ話そうか」
男性は得意げな表情で、ゆっくりと伝説のポケモンのことを話し始める。
「昔、伝説のポケモンがまがまがしい翼でカロス地方を包み込んだ、そうするとあたりのポケモンがばたばたと倒れていったという……ただ、それだけの話だけどね」
ポケモンが倒れたという話に、私は思わずぎゅっとバケッチャを抱きしめた。今までの地方と違い、恐怖を感じる逸話だ。
「逆に生命力を与えるポケモンがいるという話もあるね。しかし、どちらのポケモンも長く眠りについていて、あまり詳しいことはわかっていないんだけどね」
なるほど、ホウエンには海を司るポケモンと陸を司るポケモンがいるように、カロスにも対になるような伝説のポケモンがいるらしい。しかし、ポケモンが眠っている場所の情報はなさそうだ。
「生と死……」
真剣な表情で話を聞いていたダイゴさんが、ぽつりと呟いた。
「ダイゴさん?」
「ああ、いや……生命力を与えるポケモンと奪うポケモンかと思ってね。もしかしたらゴーストタイプと関係があるのかな」
「ばけちゃ?」
バケッチャはダイゴさんの言葉にとぼけたように首を傾げる。
「はは、バケッチャが伝説のポケモンだったら面白いね」
「ちゃ~!」
バケッチャはふるふると首を横に振る。自分は違うと言いたいのだろう。
「では、私はこのあたりで失礼するよ。カロスの旅、楽しんで」
「はい、ありがとうございました」
男性は日時計のある場所からヒャッコクシティの町の中へと歩いていく。私たちも日時計は十分見たし、そろそろ次の場所へ行くべきだろう。
「あ、そうだ。食料調達しませんか? さっき十八番道路でだいぶ食べちゃいましたし」
「ああ、そうだね。ヒャッコクの食料品店は……」
ダイゴさんがマップで食料品店の場所を確認する間、私は食料がどれだけ残っているか確認するために鞄を開けた。しかし。
「あれ……」
「どうしたの?」
「ポロックが増えているような……」
十八番道路での休憩を終えたあとから比べて、ポロックの数が増えている。ほかの食料に変化はなく、明らかにポロックだけがおかしい。
「あれ、本当だね」
「はい。これ、増えているというか、エイセツシティを出発したときとほとんど変わってないと言うか……」
ポロックを補充したのはエイセツシティだったはず。あのときケースいっぱいに補充して、今も同じようにケースぎりぎりまでポロックが入っている。
「バケッチャ、あんなに食べてたのにね」
「うーん……」
十八番道路で休憩したあとにポロックを補充したんだっけ……? 覚えがないけれど、そうでないとポロックのこの量に説明がつかない。
不思議に思いつつも、ポロック以外の食材調達のために私たちは町に戻った。
*
ヒャッコクの次に向かったのはクノエシティだ。老紳士から預かったメモに記された大木を見に行くためにクノエシティに入った私たちは、マップを頼りにクノエの大木へ向かう。
「この木のことかな」
「わ……すごい大きさ」
案内看板も出ているけれど、見なくてもわかる。この巨大な木がクノエの名物の大木だろう。
「ばけちゃ!」
バケッチャはクノエの大木を前に、日時計のときと同じようにはしゃぎ出す。私の腕の中で踊るように体を揺らすバケッチャが可愛くて、私は自然と笑顔になった。
「バケ~!」
バケッチャは私の腕からするりと抜けると、木の周りをくるくると飛始める。やはり草タイプ、木のそばが嬉しいのだろうか。
その一方で、私は少し空恐ろしさを感じている。この大きな木は、ほかの木と纏っている空気が違う気がするのだ。
「樹齢一五〇〇年の不思議な大木に人が集まってクノエシティができたらしいね」
ダイゴさんは木の前の看板を読み上げ、ふむふむと頷いた。
やはり私以外の人間にとってもこの大木には不思議な魅力があるのだろう。じっと見つめていると自然とこの木に吸い寄せられてしまう。
そんな木を中心に作られた町のためか、この町全体もほかの町とは一線を画す空気を纏っている気がする。おとぎ話の中にいるかのような、ふわふわと浮いた気持ちになってしまう。
「なんだか不思議な空間ですね……別世界に行ってしまいそう」
ジョウトのうずまき島やシンオウの湖でも似たようなことを思ったけれど、あれはまた神々しさを感じる場所だった。しかし、ここはもっと不思議で少し空恐ろしい感覚だ。
「じゃあが行かないように手を繋いでおかないと」
ダイゴさんはぎゅっと私の右手を握った。見上げた彼の顔には優しい笑顔が浮かんでいる。
「もう、ダイゴさんってば」
繋いだ右手から、安心感が広がっていく。恐怖が次第に消えていく。
ダイゴさんは私が本当に怖がっていることをわかっていたのだろう。冗談めかしていたのはきっと私に気を遣わせないため。ダイゴさんのこういういところ、本当に好きだと思う。
「ばーけちゃ!」
大木を見上げると、バケッチャがはしゃぎながらクノエの大木を上っている様子が見える。バケッチャには私のように怖がる感情はなさそうだ。
「バケッチャ、楽しそうだね」
「本当に。あのメモ、バケッチャが行きたいところのリストなのかもしれませんね」
ダイゴさんは老紳士からもらったメモを見る。彼が行ってほしい場所というのは、バケッチャが行きたい場所なのかもしれない。もともとこのメモの場所は回るつもりだったけれど、バケッチャのためにもすべて行かなくてはという気持ちが強くなる。
「ばけちゃ~!」
「ふふ、バケッチャ、あんまりはしゃぐと落ちちゃうよ」
いくら浮くことができるゴーストタイプとはいえ、油断すると落下してしまうかも。声をかけると、バケッチャは首を傾げてその場でくるくる回り始める。
「あれ……?」
その様子を微笑ましく見ていたら、突然バケッチャの姿が消えた。枝の影に隠れたわけでもなさそうだ。
「バケッチャ、どこ行ったの!?」
まさか本当に落下してしまったのか。慌ててあたりを見渡すけれどバケッチャの姿は見えない。
「バケッチャ!? どこだい!?」
ダイゴさんも焦った様子でバケッチャの名前を呼ぶ。どうしよう、バケッチャになにかあったら。急いで大木の根本を探すけれど、バケッチャは見当たらない。
「バケッチャ、返事して!?」
「バケ?」
「わぁっ!?」
突然バケッチャが私の前に現れる。私は思わず大声を出した。
「え、え、どこにいたの!?」
「バーケ?」
バケッチャは不思議そうに首を傾げているけれど、それはこっちのセリフというか、こっちがしたい仕草だ。
本当にバケッチャはどこにいたのだろう。今もどこからか現れたのではなく、本当に突然、なにもないところにバケッチャが現れたという感じだった。
「ばけ~?」
「あっ、バケッチャ!」
バケッチャはふわふわと浮いたまま、移動を始めてしまう。南へ飛ぶバケッチャを、私たちは慌てて追いかけた。
「はあ、はあ……」
楽しげに飛ぶバケッチャはどんどんと遠くまで行ってしまい、町を出たところでやっと止まってくれた。ここは十四番道路、通称クノエの林道だ。
「バケッチャ、急にどこかに行っちゃダメだよ」
「バケ~?」
「もう」
とぼけた声で首を傾げるバケッチャに、私は小さくため息をついてしまう。やんちゃなところは可愛いけれど、こういうときは困りものだ。
「バケ!」
バケッチャは私の嘆息など気にする素振りも見せず、その場にころんと座り込む。はしゃぎ疲れたのだろうか、それとも……。
「この場所が落ち着くのかな」
ダイゴさんは周辺を見渡す。確かにここは鬱蒼とした木、点在する沼と少しほの暗い空気がありつつも、植物も多い場所だ。ゴーストタイプと草タイプの複合のバケッチャには居心地がいいのかもしれない。ここに来たがったのもそれが理由なのだろう。
「じゃあ、ここで少し休憩しましょうか」
「そうだね、バケッチャもそれでいい?」
「バケ!」
ダイゴさんは湿っていない場所を選んでシートを敷いてくれる。私はお礼を言ってそこに座り、鞄から食料を出した。
「ほら、バケッチャ、ポロックだよ」
「バケ~!」
バケッチャはポロックがとても気に入ったようで、特に赤いポロックをよく食べてくれている。今もこちらが驚くほどの勢いで食べていて、のどに詰まらせないか心配になるぐらいだ。
「よしよし、あんまり慌てないようにね」
「バケッ!」
「バケッチャは赤いポロックが好きだね」
「そうですね。エネコは桃色のが好きだけど、バケッチャは赤いポロックばっかり食べてます」
ポケモンの性格によってポロックの味の好みも違う。やんちゃなバケッチャは赤いポロックが好きなようで、いつも赤いポロックばかり食べている。
「ふふ。ほら、こっちおいで」
バケッチャの口元にはポロックの食べかすがついている。それを拭おうとバケッチャの口元に手を伸ばした、そのとき。
「わっ!?」
「バケッチャ!?」
バケッチャがいきなり姿を消した。先ほどクノエの大木に上っていたときと同じだ。私もダイゴさんも慌ててバケッチャを探し始める。
「あ、いた!」
後ろの林を覗くと、向こうの木陰にバケッチャの姿が見えた。私たちは慌ててバケッチャの元へ駆け寄る。
「バケッチャ、勝手にどこかに行っちゃダメだよ」
「ばけ?」
バケッチャはなんでもないような表情で、首を傾げて私たちを見ている。私たちに心配をかけているとは思っていないようだ。
「きみになにかあったらボクたちだって嫌だし、おじいさんだって悲しむよ」
「チャ!?」
ダイゴさんの言葉に、バケッチャは一気に表情を曇らせた。嫌だと言わんばかりに頭を横に振って、悲しげな声で鳴いている。きっとおじいさんが悲しむのがこの子にとってはなによりつらいのだろう。
「バケッチャ、おじいさんが大好きなんだね」
私の問いかけに、バケッチャは大きく頷いた。やはりおじいさんの悲しむ表情を想像してしまったのだろう。
「じゃあ、怪我しないよう気をつけようね。一人でどこかに行ったらだめだよ」
「バケ!」
バケッチャが強く首を縦に振るのを見て、私たちはほっと息を吐いた。私たちはバケッチャを預かる立場、無事にバケッチャをおじいさんの元へ帰さなければならない。それになにより、私たちもバケッチャになにかあったら悲しいのだ。
「ゴーストタイプって今まであんまり接してこなかったんですけど、大変ですね……」
バケッチャを抱っこしながら、私はふうと息を吐いた。突然瞬間移動するのはゴーストタイプの特性なのだろうか。ホウエンのポケモンの家にはゴーストタイプはあまりいなかったので、バケッチャの行動には驚いてばかりだ。
「そうだね……」
「ダイゴさん?」
私の隣に立つダイゴさんは訝しげな表情を浮かべている。どうしたのだろうと首を傾げると、ダイゴさんは「いや」と言って笑ってみせた。
「ホウエンの四天王にもゴーストタイプ使いがいたからね。でもバケッチャとは少し違ったから、単純にこの子の特性かな」
「あ、なるほど」
私はもう一度バケッチャに「あんまり私たちから離れないでね」と注意した。バケッチャが元気いっぱいに返事をする横で、ダイゴさんがずっと難しい表情をしているのだけが気になった。
*
老紳士からもらったメモには、クノエの大木の次は十二番道路のメェール牧場が記されていた。一度ミアレに入ってからヒヨクシティを通り、十二番道路にあるメェール牧場へと入る。どうやらここではメェークルに乗ることができるらしい。
「ばけちゃ! ばけちゃ!」
「わっ、バケッチャ、落ち着いて」
バケッチャはメェール牧場に入るやいなや、小さな手で私の腕を引っ張ってなにかをせがんでくる。
「きみとメェークルに乗りたいのかな」
「バケッチャ、そうなの?」
「バケ!」
どうやらダイゴさんの予想は正解のようだ。私もメェークルに乗ってみたい気持ちがあるし、喜んでバケッチャと一緒に乗らせてもらうことにした。
「ボクはここで見ているよ。楽しんでおいで」
「はい、行ってきますね」
「ばけ!」
ダイゴさんが見守る中、私は牧場スタッフの指示に従ってそっとメェークルに跨がった。そして、私の前にバケッチャを座らせて、メェークルに出発の合図を送る。
「わっ!」
メェークルはぴょんぴょんと跳ねながら前へ前へと進んでいく。思っていたより大きな跳ね具合に、私は慌てて右手でメェークルの手綱を、左手でバケッチャを掴んだ。
「バケ~!」
バケッチャは嬉しそうに明るい声ではしゃぎ出す。バケッチャが落ちてしまわないようしっかり抱きしめながら、私はメェークルからの景色を眺める。
「わあ、綺麗だね、バケッチャ!」
「ばけちゃ!」
流れる周囲のカロスの景色が美しい。軽快な走りで浴びる風も心地よく、私も気分が高揚してきた。
「ばーけちゃ! ばーけちゃ!」
メェークルの走りに合わせてバケッチャが歌い出す。それがあまりに可愛くて、私も一緒に歌を歌った。
「はあ、楽しかったね。メェークル、ありがとう」
牧場を一周したところでメェークル体験は終了だ。乗せてくれたメェークルにお礼を言って、私たちはダイゴさんの元へ駆け寄った。
「おかえり、楽しそうだったね」
「はい、とっても」
「ふふ、これをあげるよ」
そう言ってダイゴさんは何枚かの写真を渡してくる。なんだろうと思いつつ見てみたら、そこにはメェークルに乗る私とバケッチャの姿が写っていた。
「え、いつの間に!?」
「ふふ、さっきカメラマンさんがたまたま通ってね。きみたちがあんまり楽しそうだからって撮ってくれたんだ」
「ばけ!」
バケッチャは写真を見て嬉しそうに空中で一回転する。ヒャッコクシティの日時計と同じく、思い出ができて嬉しいのだろう。私もこうやって思い出が形になって嬉しいと思う。
「ばけちゃ~!」
バケッチャはまだ楽しい気分が抜けないようで、牧場のメェークルになにやら話しかけ始めた。どうやら遊びに誘っているようだ。バケッチャとメェークルが追いかけっこを始めるから、私たちはその場に座って二匹を眺めることにした。
「そういえば、きみたちが乗っている間に牧場の方が以前もメェークルに乗ってはしゃぐバケッチャがいたって話をしてくれたよ」
「へえ、そうなんですか」
「老夫婦と来てたんだって。トレーナーはもう年だからって一緒には乗れなかったけど、バケッチャがあんまり嬉しそうだったからよく覚えているって言ってたな」
「あ、じゃあもしかして本当にこの子かもしれませんね」
この子のトレーナーは老紳士、そして結婚もされているとのことだった。もしかしたら、あの男性は以前にバケッチャと一緒にこのメェール牧場に訪れていたのかもしれない。
「そうだね。そのバケッチャも小さな子だったらしいから。……ねえ、ちょっと食料の確認をさせてもらっていいかな」
突然変わった話題に驚きつつ、私はすぐに頷いて鞄から食料を出す。ダイゴさんはその中のポロックケースを手に取った。
「ポロックの数が戻っているね……」
「え……また?」
一緒にポロックケースを覗くけれど、確かにポロックの数が戻っている。一度なら見間違いだったと思うけれど、二度目となると不安に包まれる。
「……戻ってるのは、赤いポロックだね」
「え……っ」
赤いポロックはバケッチャが好きなポロックだ。エネコもダイゴさんのポケモンもあまり口にしない。
バケッチャが食べた分だけ数が戻っている……? 不思議な現象に私もダイゴさんも首を傾げるけれど、答えが出るはずもなかった。
*
私たちは老紳士からもらったメモの最後の場所へやってきた。そこに書かれていたのは「映し身の洞窟」、シャラシティのすぐそばにある洞窟だ。
「バケッチャ、映し身の洞窟はクリスタルが取れるんだよ!」
「バケ!」
「うん。楽しみだね!」
メモの映し身の洞窟を見たときから、ダイゴさんはずっとここに来るのを楽しみにしていた。それも当然だ、この洞窟は珍しい石が取れると有名な場所なのだから。
「バケッチャ、きみも石が好きなんだね。気が合うようで嬉しいよ!」
「ばけちゃ~!」
「ダイゴさん、採掘はいいですけどあんまり無茶しないでくださいね」
アローラで負った怪我はよくなったとはいえ、怪我明けなのは変わりない。採掘するのはいいけれど、洞窟内で無茶は禁物だ。
「大丈夫、きみに心配はさせないよ!」
「バケ!」
ダイゴさんは少年のような笑顔を私に向けると、早速洞窟内で採掘を始める。まったく、本当にわかっているんだか。少し呆れつつも、我慢ばかりさせるのも精神衛生上よくないだろう。私はダイゴさんの様子を気にかけながら、洞窟内を眺めた。
映し身の洞窟というだけあって、洞窟内は鏡のようにこちらの姿を映す壁が至るところにある。これらは自然にできた鏡なのだろうか。だとしたら不思議な空間だ。
「バケッチャ、あっちにいいポイントがあるよ!」
「ばけ! ……チャッ」
ダイゴさんとバケッチャは奥の採掘ポイントへ行こうとしたけれど、突然バケッチャはダイゴさんの影に身を隠してしまう。
「バケッチャ、どうしたの?」
「チャ~」
問いかけるけれど、バケッチャは首を縦にも横にも振らない。行きたくないわけではなさそうだけれど……。
「あ、鏡……」
ダイゴさんが進もうとした先に、鏡になっている場所があることに私は気づいた。バケッチャはその鏡から身を隠すようにダイゴさんの隣で鞄にくっついている。
「バケッチャ、鏡に映るのが嫌なのかな」
「バケ!」
私の問いかけに、バケッチャは大きく頷いた。鏡に映りたくないのもゴーストタイプの特徴か、それともこの子の個性なのか。わからないけれど、ダイゴさんは「それなら」と言ってバケッチャを鏡から隠すようにして先ほど示した採掘ポイントへ移動した。
「ばけちゃ!」
「ふふ。このぐらいお安いご用だよ」
ダイゴさんはバケッチャを撫でて、「ここを掘ってみようか」と話している。二人は採掘に夢中なようだ。私は二人から離れすぎないよう気をつけながら、洞窟内を探索することにした。
映し身の洞窟内はほの暗い。場所によって合わせ鏡のようになっており、気を緩めると迷ってしまいそうだ。ダイゴさんたちの場所を逐一確認しながら、中を歩く。
「え……っ」
ふと見つめた鏡に、ダイゴさんの後ろ姿が映っている。しかし、その隣にいるはずのバケッチャの姿がない。おそるおそる振り返り、二人を見やる。そこには、夢中で採掘をするダイゴさんとバケッチャの姿が確かにある。
もう一度鏡の壁を見る。そこにはやはり、バケッチャの姿だけがなかった。
私は心臓が冷えるのを感じながら、バケッチャを見つめることしかできなかった。
その日の夜、私たちは映し身の洞窟からの隣の十番道路で野宿をすることにした。テントの中でそっとバケッチャを寝かしつける。
「今日はバケッチャも疲れたみたいだね。もう寝てしまったみたいだ」
「そう、ですね……」
すやすやと眠るバケッチャを見て思い出すのは、映し身の洞窟での出来事だ。バケッチャは鏡に映らなかった。あれはゴーストタイプだからなのか、それとも……。
「ダイゴさん、あの……」
「ん?」
ダイゴさんに映し身の洞窟での出来事を話そうか迷って、やめた。メモの場所を回り終えた今、もうバケッチャと一緒にいられる時間は残り少ない。余計なことは、今は言わなくてもいいだろう。
「……もうすぐバケッチャともお別れですね」
「そうだね、もうエイセツに戻るだけか……」
エイセツから出発して、カロスをほぼ一周した。バケッチャともたくさんの楽しい思い出を作ることができた。バケッチャもきっと満足してくれただろう。
「……おやすみ、バケッチャ」
*
カロスを一周した私たちは、再びエイセツシティへやってきた。バケッチャとの別れが近づいてくることに寂しさを覚えつつも、旅の満足感を抱きながら老紳士の家へと向かう。
「もうすぐおうちだよ、バケッチャ」
「バケ~」
バケッチャを腕に抱きながら、マップに記しておいた老紳士の家への道を歩く。迷いの森の近くまで来ると、彼の家が見えてきた。門の横のインターホンを押し、老紳士が出てくるのを待つ。
「…………」
「出てこないね」
しかし、いくら待っても老紳士は出てこない。出かけているのだろうか。町で時間を潰して出直そうかとダイゴさんと話していると、すっと門の扉が開いた。
『どうぞ』
どこからか男性の声が聞こえる。あの老紳士の声だろうか。中に入るのを躊躇っていると、私の腕の中からバケッチャがするりと飛び出した。
「バケッチャ?」
「ばけ……」
バケッチャが門の中へ入っていくから、私たちは慌てて後を追いかけた。バケッチャは家の中ではなく、裏の庭へと進んでいく。
「これは……」
裏の庭にあったのは二つのお墓だった。バケッチャは並んだ墓石への前へと移動すると、私たちの方を振り返る。
「バケ」
バケッチャはにこっと笑ってみせると、小さな手をこちらへ振った。すると、バケッチャはすっと透明になって消えてしまった。ルビーのペンダントだけが、墓石にこつんと音を立てて落ちた。
「え……!?」
もしかしてまた瞬間移動をしたのかと思ったけれど、クノエの大木のときとは様子が違う。バケッチャは、いなくなってしまった。そんな気がした。
「うそ、今のはバケッチャ……!?」
呆然としていると、突如後ろから女性の声がして私は焦って振り返る。そこには花束を持った二十歳前後と思われる一人の女性が立っていた。まずい、泥棒かなにかと思われてしまっただろうか。
「あ、あのすみません。私たち怪しい者じゃ……」
「勝手に入ってしまい申し訳ありません。ボクたちこちらの家の男性からバケッチャを預かっていたのですが、男性が留守のようで……」
隣のダイゴさんが落ち着いた様子で今の状況を語り出す。しかし、女性は戸惑った様子でこちらの言葉を遮ってきた。
「い、今バケッチャがいましたよね……!?」
「え、ええ……。しかし突然消えてしまって。なにかご存じでしょうか」
「知っているというか……おじいちゃんのバケッチャは一年前に死んでしまって……」
思いもよらぬ事実に、私もダイゴさんも言葉を失った。バケッチャが死んだ? 一年前に?
戸惑いつつも、どこかで納得している自分もいる。バケッチャが食べた分だけ戻るポロック、テレポートも覚えていないのに繰り返す瞬間移動、そして鏡に映らなかった事実。それらが今、すべて線で繋がった。
「あの……よければ話を聞かせてもらってもいいですか?」
私たちも女性も頭が混乱している。少し頭を落ち着けて話をしたほうがよさそうだ。女性は私の申し出に頷いて、家の中へと案内をしてくれた。お互い軽く自己紹介をしたのち(女性はガラル地方のジムで働いているらしい)、本題に入る。
「ボクたち、この家の男性からバケッチャを預かっていたんです」
「え……おじいちゃんから?」
「はい、七十前後の方でしたが……」
「こちらですか……?」
女性がおそるおそる一枚の写真を取り出した。そこに写っているのは高齢の夫婦と、一匹のバケッチャだ。男性のほうは間違いなく私たちが話したあの老紳士だった。
「は、はい。そうです」
「……この家に住んでた祖父は、一年前に亡くなってるんです……」
衝撃的な言葉に、私とダイゴさんは顔を見合わせた。バケッチャだけではなく、この人が一年も前に亡くなっている……?
「あの……よければ詳しく聞かせてもらえませんか?」
「はい、もちろん」
女性は訝しげな表情を浮かべたまま、ゆっくりと口を開いた。
「さっき見えたバケッチャ……あの子もおじいちゃんたちが可愛がってたんですけど、おじいちゃんが亡くなってすぐに後を追うように……」
「あの、おばあさんのほうは……」
「五年前に亡くなっています。それからバケッチャはおじいちゃんと二人で暮らしていたんです。おばあちゃんが亡くなる前はカロスをよく旅していて、でもおばあちゃんが亡くなってからはおじいちゃんも足が弱くなってあまり外に出られなくなって……」
女性はそう言うと一冊のアルバムを見せてくれた。そこにはメェール牧場で遊ぶ夫婦とバケッチャの姿や、映し身の洞窟で採掘をするおじいさんとバケッチャ、ヒャッコクシティの日時計の前で笑う三人の姿など、あのメモにあった場所で撮られた写真が収められていた。
「これ……このブローチ、ルビーですか?」
ダイゴさんは夫婦が映る一枚の写真を指さした。二人の胸元にはルビーと思われるブローチが光っている。
「ああ、それ、なんだっけ……結婚何周年かの記念でおじいちゃんがおばあちゃんに贈ったって」
「四十周年かな……」
「え、どうしてわかるんですか?」
ダイゴさんは私の問いに、寂しげに笑った。
「結婚五十周年を金婚式って言うだろう? 結婚四十周年はルビー婚なんだよ」
ダイゴさんは映し身の洞窟の写真を見つめながら、「この方は石が好きだったみたいだからね……きっとルビー婚もわかってたんだろうね」と呟いた。
私は先ほどお墓の前で拾ったルビーのペンダントをぎゅっと握った。きっと、このペンダントは三人にとって大切な思い出だったのだろう。
「……おじいさんがバケッチャに最後の思い出を作ってあげたかったのかな。それとも、バケッチャが思い出を巡るためにボクたちの前に現れたのか……」
ダイゴさんの言葉に、私は胸がきゅっと痛んだ。
おじいさんとバケッチャが、私たちの前に現れた理由は今となってはわからない。だけれど、そこにあった理由は優しいものだったに違いない。
「……あの、あなたはあまり驚かないんですね」
私は思わず女性に問いかける。彼女はバケッチャが現れたことに驚いていたものの、その後の話はずいぶんと落ち着いた様子で聞いている。普通ならば到底信じられるような話ではないはずなのに。
「実はわたし、ゴーストタイプが専門のジムで働いているんです」
「ああ、なるほど」
ゴーストタイプが専門ならばこういった話も多少聞き馴染みがあるのかもしれない。納得しつつ、私たちはアルバムの続きを見せてもらった。いくつもの写真に、おばあさんに抱きかかえられているバケッチャの姿が写っている。バケッチャがよく私に抱っこをせがんでいたのは、きっとおばあさんのことを懐かしんでいたからなのだろう。
「よろしければ、ボクたちにもお墓参りをさせてもらえませんか?」
「はい、もちろん」
女性の許可をもらい、私とダイゴさんは家の裏のお墓へ向かった。おばあさんのお墓にはルビーが埋め込まれている。
「きっとおじいさんがお墓を作るときに入れたんだろうね」
「じゃあ、バケッチャがつけていたルビーはおじいさんのものですね」
私はルビーのペンダントを手のひらに乗せた。これはきっと、私が持っていていいものではない。
「帰しましょう、おじいさんの元に」
「そうだね」
おじいさんのお墓にルビーを置いた。そして、目をつぶって彼らに祈りを捧げる。どうか、安らかに。向こうで三人で会えていますように。祈りを終えてゆっくりと目を開けると、ルビーのペンダントは消えていた。
「ばけちゃ!」
どこからかバケッチャの声が聞こえてきた。明るいあの声だ。じわり、私の目に涙が浮かぶ。
さようなら、バケッチャ。どうか、安らかに。
*
私たちはお孫さんと別れ、ミアレシティに戻ってきた。カフェのオープンテラスで休憩しながら、今回のことを振り返る。
「ちょっと不思議な体験だったね」
ダイゴさんは紅茶を飲みながら、穏やかな表情で呟いた。
「はい……ダイゴさん、気づいてたんですか?」
思えばダイゴさんはバケッチャのことを時折怪しむような仕草を見せていた。もしかしたらバケッチャがすでにこの世にいないことに気づいていたのかもしれない。
「はっきり気づいてたわけじゃないけど……ホウエンの四天王におくりび山出身の人がいるからね。似たような話を聞いたことがあって、ちょっと気になったんだよ」
ダイゴさんはカップをソーサーに置いて、空を見上げた。私も一緒に青い空を見つめる。
「三人で会えてるといいですね……」
「きっと会えているよ」
じっと青い空を見つめていると、すっと雲の影から一匹のポケモンが現れた。あのポケモンは……。
「ラティオス……!」
空を駆けるのはラティオスだ。ラティオスは一直線に飛ぶと、西へと飛んでいってすぐに見えなくなってしまった。
「生と死……」
ふと、ヒャッコクでダイゴさんが呟いた言葉が脳裏に浮かぶ。
今までラティオスが現れた場所はジョウトの焼けた塔やアローラの命の遺跡など、生命力を司る場所が多かった。カロスの中心地であるミアレに現れたのも、生と死を司る伝説のポケモンがいるから……?
「ダイゴさん、もしかしたらラティオスはなにかを探しているのかも……」
それがなにかはわからない。けれど、ラティオスはただ目的もなく世界を巡っているわけではないのかもしれない。
「そうだね……そうかもしれない」
ダイゴさんは小さく頷くと、言葉を続ける。
「また会えたらわかるかもしれない」
私はダイゴさんのその言葉に頷いた。
伝説のポケモンになんて、そう何度も会えるものではない。けれど、きっとまた会える。そんな確信が、私の中に芽生えている。