星巡り/ガラル編
『ここでっ! ジムリーダーカブのマルヤクデがダイマックスだーっ!!』
ガラル地方、エンジンシティのジムスタジアム。ガラル地方にやってきた私たちは、ジムリーダー戦の見学に来ていた。ジムリーダーのポケモンがダイマックスをすると、それに対抗するためにチャレンジャーの少女も自分のジメレオンをダイマックスさせる。巨大なポケモンを前に、スタジアムの観客たちもいっそうヒートアップした。
「すごい……ガラルのジム戦って本当に迫力がありますね!」
ガラルではジム戦が観光の一つになっているとは聞いていたけれど、巨大化したポケモンの戦いを目の当たりにするとその人気も納得だ。満員のスタジアムも、熱気に満ち溢れている。
「わ、ダイマックス技……!」
チャレンジャーのダイマックス技であるダイストリームが決まる。スタジアムの中に雲が立ちこめ、雨粒が降ってきた。しかし、その雨も何のその、スタジアムの熱気は強まる一方だ。
「ダイゴさん、見てください! チャレンジャーの子、すごく強いですね!」
隣で観戦するダイゴさんの肩を揺らすけれど、ダイゴさんの反応はいまいち薄い。このバトルを楽しんでいないわけではないようだけれど……。
「ダイゴさん、どうしたんですか……?」
「ん? いや……ボクのバトルのときより興奮しているみたいだから、少し妬けてね」
ダイゴさんの言葉に、私は目を丸くした。まさか妬いているなんて思ってもみなかったのだ。
「それは……ダイゴさんの試合は緊張しますから……」
「ボクが負けると思って?」
ダイゴさんは足を組んで私の顔を覗き込む。その表情は自信に満ちていて、自分が負けるとは露ほども思っていない様子だ。その表情に、私は思わず胸をときめかせてしまった。
「負けると思ってるわけじゃないですけど、ダイゴさんもメタグロスたちも怪我しないか心配で……」
実際、私もダイゴさんが負けるとはほとんど思っていない。ただ、ポケモン勝負はなかなかハードだ。ポケモンはもちろん、トレーナーも怪我を負う危険性がある。
ダイゴさんは私の答えが意外だったのか、目を丸くして組んでいた足を元に戻した。
「ありがとう、怪我しないよう気をつけるよ」
「はい、気をつけて。それにしても、すごい熱気……ホウエンもポケモン勝負は活発な方だと思ってましたけど、なんだか別種の雰囲気ですね」
「ガラルでは完全にエンターテイメントとして成立しているね。観光産業にもなってるみたいだし、ホウエンにもうまく取り入れられないかな……」
ダイゴさんはじっとジムリーダーとチャレンジャーの戦闘を見つめている。さすがデボンの御曹司、ホウエンの未来についても考えているようだ。
スタジアムが湧く中、チャレンジャー側の勝利で戦闘は終了した。かなりギリギリの戦いだったけれど、チャレンジャーの勢いが勝ったようだった。
観客が二人のトレーナーとポケモンに大きく拍手を送る中、ジムリーダーであるカブさんの声が実況のマイクにわずかに入る。
「このガラルのダイマックス文化を担うのはきみたち若いトレーナーだよ。ただ守るのではなく、きみたちでより良いものにするんだよ」
聞こえた言葉に、ダイゴさんは小さく頷いているようだった。まだ残る拍手の中、ダイゴさんはゆっくりと口を開く。
「ボクも次世代に繋いでいかなくちゃね」
「……ダイゴさんだってまだ若いですよ?」
「でももう大人だからね。チャンピオンも引退したし……次にどうバトンを渡していくかを、考えていかなくちゃ」
ダイゴさんは真っ直ぐスタジアムを見つめている。その先にはきっと彼なりの未来が見えているのだろう。
「次……」
次の世代、即ち子供たちに、私たちがなにを伝えるべきか。今まで考えてこなかったけれど、この旅も終盤になって初めてその重要性に気づく。
この旅を通して見たもの、聞いたもの、知ったこと、学んだこと。それらを子供たちに繋ぐこと。それも旅を終えたあと、私たちがするべきことの一つなのだろう。
*
エンジンスタジアムをあとにした私たちは、同じエンジンシティ内のポケモンの家にやってきた。やはり大きな町だけあって保護施設も大きい。スタッフに手伝いを申し出ると、とても喜んでくれた。
「よしよし……」
私は膝の上に乗せたホシガリスに声をかけながら、毛繕いを進めていく。捨てられたポケモンのようだけれど、今は心の傷も癒えているのかずいぶんと人懐っこい子だ。
「ホシガリス、気持ちよさそうだね」
「ダイゴさんのタンドンも安心した顔をしてますよ」
隣に座るダイゴさんは、怪我をしているというタンドンに手ずからポケモンフードを食べさせている。タンドンもホシガリスと同様にリラックスした様子で、この施設の居心地がいいことが見て取れる。
「いい施設だね。そうだ、さっきスタッフにガラルの伝承について聞いてみたんだけど、詳しいことは伝わってないみたいだ」
「そうですか……」
ガラルに来てすぐガラルの伝説について調べてみたけれど、「大昔、ガラル地方の空に黒い渦が現れ、あちこちで巨大なポケモンが暴れ回った。それを鎮めたのが英雄とされる剣と盾を持った一人の若者だった」ということしかわからなかった。おそらく巨大なポケモンというのはダイマックスしたポケモンだろうけれど、黒い渦の正体も、それが起こった具体的な場所もわからないままだ。伝承があればその場所を訪れてみたかったのだけれど、伝わっていないのなら仕方ない。ここでの手伝いを終えたらガラル地方の町を順番に回るのがいいだろうか。そんな話をダイゴさんとしていると、一匹のポケモンがこちらへやってきた。
「ワンッ!」
やってきたのはいぬポケモンのパルスワンだ。パルスワンは長い黄色のしっぽを大きく振って私に飛びついてきた。頬をすり寄せ嬉しそうに甘えた声まで出している。
「クゥン!」
「わっ、よしよし」
「ずいぶん人懐っこい子だね」
「ワンッ!」
ダイゴさんがパルスワンの頭を撫でると、パルスワンは嬉しかったのかいっそう高い声で鳴く。本当に人懐っこい。ここの施設の子は人に慣れた様子の子が多いけれど、その中でもトップクラスだろう。
「わ、すみません。その子、人間が大好きで……」
慌てた様子で女性スタッフがこちらにやってくるので、私とダイゴさんは「大丈夫ですよ」と笑顔で答えた。
「この子、生まれてすぐ親とはぐれてしまった子なんです。でもとにかく人懐っこくて、特に子供によく懐くから各地の保育園とか養護施設に遊びに行かせたいと思ってるんです」
「へえ……保護施設でそういうこともやってるんですか」
「最近始めた取り組みなんです。ほかにも力仕事を必要としている企業に有償で格闘タイプの子を派遣したり、農村部で畑仕事を地面タイプの子に手伝ってもらったり……」
女性スタッフの話に、私とダイゴさんはなるほどと頷いた。確かに捨てられたポケモンをただ保護して次のトレーナーを見つけるだけではなく、ホウエンでもそういった取り組みができればいい循環になりそうだ。
「そういえばお二人はホウエンから来たんですよね、観光ですか?」
「観光というか、旅……ですかね。ホウエンのほかの地方にどんな文化があるかとか、どんなポケモンがいるか知りたくて。ガラルには来たばかりなので、これから各地を巡ろうと思ってるんです」
「へえ……!」
「ほかの地方でもいろんな保護施設にお邪魔しました。私、ホウエンでもポケモンの家にときどき手伝いに行ってるので……ホウエンの施設にもフィードバックできたらなって」
「なるほど……あ!」
女性はなにかを思いついたように手をぱんと叩くと、こちらへずいと一歩近づいた。
「さっき、パルスワンに各地の施設を巡らせたいって話しましたよね」
「は、はい」
「ガラルを巡るなら、よければこの子と一緒に各地の施設を巡りませんか?」
突然の申し出に、私もダイゴさんも目を丸くした。二人で顔を見合わせて、思わず女性に問い返す。
「え……ボクたちでいいんでしょうか」
「もちろん! ただ大変でしょうから、もしよければですけど……」
どうですか? と重ねられ、私たちは「ちょっとカロスのときと似てますね」と笑い合った。
「ボクたちでよければ喜んで」
「わあ、ありがとうございます!」
どうせガラルを巡るつもりなのだから、パルスワンを連れて行っても問題ない。むしろ私たちも勉強になることが多いだろう。
そうと決まれば早速準備だ。スタッフからパルスワンの特徴と、各地の保育園や養護施設の場所を教えてもらい、パルスワンの好物がたくさん入った食料袋も受け取った。早々に準備を整えて、ガラル巡りに出発だ。
「パルスワン、よろしくね」
「ワンッ!」
エンジンシティの西出口。パルスワンに改めて挨拶をすると元気よく返事をしてくれた。パルスワンもこれからどこへ行くのかわかっているようで、張り切っている様子が見て取れる。
「すみません、快く引き受けてくださって感謝しています」
「いいえ、こちらこそいい勉強になりそうですから」
見送りに来てくれたのは件の女性スタッフだ。パルスワンは彼女によく懐いているようで、しばしのお別れにパルスワンは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「この子、ワイルドエリアで生まれてすぐに保護されたからほかの場所のこともよく知らないんです。施設だけじゃなくて、いろんな場所も見せてもらえたら嬉しいです」
「もちろん。もともといろんな場所へ行くつもりですから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「はい、じゃあ行ってきますね」
「ワンッ!」
そうして私たちはエンジンシティを出発した。カロスのときとはまた違う、楽しい旅になりそうだ。
*
「もうすぐガラル鉱山が見えるね」
三番道路を歩いている最中、ダイゴさんが声を弾ませる。鉱山、即ち鉱石。ダイゴさんは鉱山に入るのをさぞ楽しみにしているだろう。
「ワンッ!」
「パルスワンも楽しみかい? ……ん?」
ダイゴさんが隣を歩くパルスワンを見て首を傾げる。どうやらパルスワンが急に立ち止まってしまったようだ。具合でも悪くなったのかと、私とダイゴさんは慌ててパルスワンの様子をうかがう。
「パルスワン、どうし……ええっ!?」
「ワンッ!」
座り込むパルスワンを見て、私もダイゴさんも仰天してしまう。パルスワン自体は出発のときと変わらない。ただ一つ、パルスワンがお腹の下でタマゴを温めていること以外は。
「タマゴ!?」
「いつの間に!?」
「ワフッ」
出発のときはもちろんパルスワンはなにも持っていなかった。この短時間にいったいどうやって……。
「だ、ダイゴさん、どうします……? タマゴは施設に預けた方がいいでしょうか……?」
出発前に施設のスタッフと旅のトラブルの様々なパターンを話して備えておいたけれど、タマゴを持ってくるパターンは完全に想定外だ。どこから持ってきたのか、もしくはパルスワンが産んだのか。ポケモンがタマゴを産む瞬間はいまだ誰も見たことがないけれど……どちらにせよ、どうするか決めなくては。
「そうだね、ただ……」
「ワフゥ」
パルスワンは体を丸めてタマゴを大事そうに温めている。このタマゴが孵るのを待っているようだ。
「タマゴを引き離すのはかわいそうですね……」
「そうだね。とりあえず施設に連絡を取ってみるよ。向こうが構わないのならタマゴを持って各地を回ろう」
「お願いします」
ダイゴさんが施設に電話をしている間、私はパルスワンの隣に座りパルスワンとタマゴの様子を観察した。
「パルスワン、このタマゴはあなたが産んだの?」
「ワフ?」
「メスだしその可能性もあるよね。それともどこからか持ってきたの?」
「ワン?」
パルスワンは私の問いかけに首を傾げるだけだ。誤魔化しているのか、パルスワン自身もわからないのか。……いや、どちらでも構わないだろう。パルスワンがこんなにタマゴを大切そうに温めているのだから。
「連絡取れたよ。ボクたちがよければそのままタマゴを孵してほしいってさ。産まれた子は施設で引き取るって」
「わかりました。連絡ありがとうございます」
「ワンッ!」
「ふふ、パルスワン、嬉しい?」
パルスワンはタマゴと一緒に行けることが嬉しいのだろう。明るい声で鳴き、しっぽを左右に大きく振っている。
「それじゃあ改めて出発しようか。タマゴはボクが持つよ。パルスワン、それでいいかい?」
「ワン!」
「大切に運ぶからね。じゃあ行こう」
そうして、私とエネコ、ダイゴさんとポケモンたち、パルスワン、そして一つのタマゴのガラルの旅が始まった。
*
コン、コン、コン……。
ガラル鉱山の中に、鈍い音が響きわたる。ダイゴさんが鉱山で採掘をする音だ。
「ワフッ」
「ふふ、パルスワンもいい石を見つけたみたいだね」
三番道路にあるガラル鉱山。この山に着いて早々、ダイゴさんは生き生きとした表情で採掘道具を取り出した。ダイゴさんの採掘作業が始まったのだ。
そこまでならいつも通りなのだけれど、今回は一緒に歩くパルスワンもダイゴさんと同じ表情で石の壁を見つめ始めた。どうやらパルスワンも石好きらしい。今は二人並んで壁をトンカチで叩いている。
「うん、いい石だね。きみの目の色とそっくりだ」
「ワフぅ!」
「あ、ここを掘ってほしいのかな。了解だよ」
ダイゴさんとパルスワンは飽きもせずに採掘作業を続けている。この旅で出会うポケモンの石好きの確率がやたら高い気がするけれど、ダイゴさんと引き合っているのだろうか……。
「ワンッ!」
後方で二人の様子を後ろで眺めていると、パルスワンが私の元へ一つの石を持ってきた。淡いブルーの楕円の石は、私の手のひらにちょうど収まるぐらいの大きさだ。
「綺麗な石だね」
「ワンッ!」
褒められて嬉しいのか、パルスワンは嬉しそうに表情を崩した。パルスワンは鼻先でつんつんと青い石を私の方へ寄せてくる。
「もしかしてプレゼントかな。ありがとう」
「ワン!」
「大切にするね」
きっとパルスワンの友好のしるしなのだろう。私は喜んでブルーの石を受け取った。
「でもそろそろ先に行かないとね。日が暮れちゃうよ」
「ワフ……」
「えっ、もうそんな時間かい?」
石の壁を叩いていたダイゴさんも、慌ててこちらを振り返る。まったく、この人は採掘をしていると周りが見えなくなるんだから。
「そうですよ。一度出ましょう」
「そっか……うん、仕方ないね。パルスワン、行こう」
「ワフ……」
パルスワンは耳を垂らしてあからさまに残念そうな表情を見せる。ダイゴさんもパルスワンみたいな耳があったら同じように耳を垂らしていたのだろうなあ……。
改めて私たちは鉱山の中を歩き出す。このガラル鉱山はホウエンの山と違いカラフルな石があちらこちらに見えている。きっと鉱石を構成する成分が違うのだろう。ところどころに機械を使用している採掘作業員の姿も見える。おそらくダイゴさんのような趣味ではなく、仕事として採掘をしている人たちだ。
「あの人たちは鉱石関係のお仕事の人たちですかね」
「いや、マクロコスモス関連の人たちかも。マクロコスモスはこの鉱山からエネルギーを発掘しているらしいね」
「マクロコスモス……最近ホウエンでも聞きますね」
確かマクロコスモスはガラル随一の大企業だ。製造業だけでなく航空業や運送業、保険会社などの関連会社も持っているとか。
「マクロコスモスは大きな企業だからね。特にエネルギー産業がメインだったかな……。短い間に急成長したらしいけど、デボンも見習うところがあるかな」
ダイゴさんは採掘作業の様子をじっと観察する。その表情は先ほどまでのキラキラした少年のような表情とは違い、真剣な経営者の表情だ。そのギャップに、私の心臓は大きく跳ねる。
「? どうしたの? 顔が赤いよ」
ダイゴさんに顔を覗き込まれ、私は思わず大声で「なんでもないです!」と言ってしまった。
うう、ダイゴさんのこういうところ、本当にずるいと思う。
*
ガラル鉱山を抜けた私たちがやってきたのはターフタウンだ。段々畑のある緑豊かなこの町には、エンジンシティのポケモンの家と提携している児童養護施設がある。パルスワンが訪れる、最初の施設だ。
「わーっ! パルスワンだ!」
「あたしにも触らせて~!」
「あ、ずるい! 僕も!」
養護施設に入った途端、パルスワンは子供たちに囲まれる。パルスワンがおしくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅうと潰されそうになるから、先生が慌てて「みんな落ち着いて!」と声をかけている。
「ワフッ!」
しかし、当のパルスワンはしっぽを大きく振って嬉しそうな様子だ。子供たちが喜んでくれて嬉しいのだろう。エンジンシティのポケモンハウススタッフが言っていたとおり、パルスワンは子供が大好きなのだ。
私は一歩前に出て、子供たちに声をかける。
「みんな、順番に並んでね。パルスワンに触るときは優しくそっとね、パルスワンもびっくりしちゃうから」
「はーい!」
子供たちは聞き分けがよく、すぐにパルスワンの前に一直線に並んでくれた。子供たちは一人、もしくは二人組になって順番にパルスワンと触れ合っていく。
「背中のあたりをそっと触ってね。うん、そう、そっとね」
「しっぽの先は嫌みたいだ。あまり触らないようにね」
私とダイゴさんはパルスワンの横で、子供たちにパルスワンとの触れ合い方を教えていく。
「あたし、パルスワン初めて見た! かわいいのね!」
「ありがとう、パルスワンも嬉しそうだよ」
「えへへ!」
パルスワンという種がもともと子供に人気な上に、このパルスワンが人懐っこいことも重なり触れ合いイベントは大盛況だ。さて、子供たちは一通りパルスワンと触れ合えたかな。一息入れようかとダイゴさんと話していると、施設のスタッフが一人の男の子を連れてきた。男の子は脅えた表情で、スタッフの女性に隠れるようにパルスワンを見つめている。
「ぼく、どうしたのかな」
ダイゴさんは屈んで男の子に視線を合わせた。男の子は、ぎゅっと女性スタッフの手を握って弱々しく口を開く。
「このこ、ぼくのこと、たたかない?」
飛び出した言葉に、心にちくりと痛みを感じる。私は笑顔を作って、男の子に答えた。
「大丈夫、叩かないよ」
男の子は女性スタッフにも後押しされ、パルスワンにそっと手を伸ばす。パルスワンもほかの子には自分から近づいていたのに、今は男の子が自分に触れるのをじっと優しい表情で待っている。
男の子の小さな手のひらが、パルスワンの背中に触れる。
「わあ……ふわふわ」
パルスワンの柔らかな毛並みに触れると、強ばっていた男の子の表情は和らいだ。ふわり、ふわり、何度も背中を撫でる手を往復させる。パルスワンも嬉しそうに目尻を下げている。
「パルスワン、またね」
「ワン!」
男の子が小さく手を振るのに応えるように、パルスワンは大きくしっぽを左右に振った。男の子は女性スタッフに連れられて、奥の部屋へと戻っていった。
あの子になにがあったのかは、私たちにはわからない。しかし、あの男の子の心をほんの少しでも和らげることができたことを、嬉しく思う。
これでこの施設でのパルスワンのお手伝いは終了だ。私たちは施設のスタッフに挨拶をして、ターフタウン外れでキャンプを張り夕飯を作ることにした。
「ワンッ」
パルスワンはお行儀よくおすわりをして、ダイゴさんがカレー鍋を回すところをじっと見つめている。カレーが出来上がるのが楽しみなようだ。
「よし、これでいいかな」
「ワフッ!」
「ふふ、パルスワン、今日は頑張ったから大盛りにしようね」
「ワン!? ワフ!」
ダイゴさんが大盛りのカレーをパルスワンの前に置くと、パルスワンは嬉しそうにカレーを食べ始める。よっぽどお腹が空いていたのか、パルスワンはすっかりカレーに夢中だ。
「もお疲れ」
「ダイゴさんも」
私とダイゴさんもそれぞれカレーを食べ始める。うん、おいしい。ヴルストを乗せたボリュームたっぷりのカレーのうまみが、じわりと口の中へ広がっていく。
「今日のことは勉強になったね。ああいうポケモンとの触れ合い方があるのか……」
ダイゴさんは食事を続けながら、今日の施設訪問を振り返る。
「ホウエンでも仕事を手伝ってくれるポケモンはいるけど、こうやって保護施設から派遣するタイプの事業が成立すると双方にいいよね。パルスワンみたいに適性のある子を見つけるのは難しいだろうけど……」
「そうですね……」
私は隣でカレーを食べるパルスワンを見つめた。パルスワンは満足げな表情を浮かべている。カレーの味だけではない、今日一日に達成感を覚えているのだろう。
「私、保護したポケモンは野生に帰したり、新しいトレーナーを見つけたり……それだけが人間にできることだとずっと思ってました」
私は曲がりなりにもカナズミのポケモンの家に手伝いに行っている立場として、思うことをぽつぽつと話し始めた。
「それでいいと思ってましたし、それ以外の方法なんて考えもしませんでした。こうやって、ポケモンそれぞれの特性を生かして社会に役立てる仕組みもあるんですね」
今回のことはパルスワンが人懐っこく、さらに子供が特に好きという特徴から可能な仕事ではあるだろう。けれど、ほかのポケモンにもそれぞれの特徴があり、なにかできることはあるはずだ。この仕組みが広がれば、ポケモンの保護施設が陥りがちな財政難も解決してポケモン保護の手を広げられるかもしれない。
「そうだね。パルスワンも嬉しそうだし……こういう取り組みがもっとできたらいいね」
私はダイゴさんの言葉に強くうなずいた。もちろん、簡単に取り入れられるものではないだろう。けれど、少しずつホウエンのポケモンハウスもいい方向に動かしていけたらいいなと思う。
「ワン! ワン!」
「パルスワン、どうしたの……あっ」
会話の途中、突然パルスワンが大きな声で鳴き始めた。なにかあったのかとパルスワンの視線の先を見ると、ダイゴさんが置いたポケモンのタマゴが揺れていた。
「動き始めてる……! もうすぐ孵るんでしょうか」
「そうだね。元気いっぱいな子供たちに触発されたかもしれないね」
「ワフゥ!」
パルスワンは満面の笑みを浮かべ、しっぽを大きく振ってご機嫌な様子だ。
「楽しみだね、パルスワン」
「ワフ!」
このタマゴが孵る日は近いのだろう。どんなポケモンが産まれてくるか、私も今から楽しみで仕方がない。
*
ターフタウンを出た私たちが次にやってきたのはラテラルタウンだ。この町の保育園でもパルスワンは大人気で、次から次へとパルスワン目当ての子供たちがやってきた。パルスワンも子供たちと触れ合えてとても満足そうだった。
ラテラルタウンの保育園での仕事を終えた私たちは、次の目的地であるナックルシティまでの道を歩いている。
「パルスワン、ラテラルタウンの保育園でも大人気でしたね。もともとワンパチやパルスワンは子供から好かれやすいポケモンだし、この子も人懐っこいし」
「うん。パルスワンもまたほかの子供に会えるのが楽しみみたいだ」
「ワフッ!」
パルスワンはしっぽと振って明るい声を出す。おそらく「楽しみだ」と言っているのだろう。
「ふふ、ナックルシティまではもうすぐだから……おや」
ダイゴさんは突然足を止め、穏やかな表情を真剣なものに変える。
「野生のポケモンがいるね。ちょっと強いかな」
私たちの目の前に立ちはだかるのはスナヘビだ。体は小さいけれど警戒心をむき出しにしており、避けて通ることは難しそうだ。ダイゴさんは腰のボールを手に取り戦闘の準備を整える。……しかし。
「ワンッ!」
パルスワンがやる気に満ちた表情でダイゴさんを見つめている。自分が戦いたい、と言わんばかりの強い瞳だ。
「きみが戦うのかい」
「ワンっ!」
「うーん……」
ダイゴさんが悩むのも無理はない。地面タイプのスナヘビに電気タイプのパルスワンは相性が悪い。その上、パルスワンはほとんど戦闘経験がない。パルスワンを連れ歩き始めてからの戦闘はほとんどダイゴさんのポケモンが行ってきたのだ。
「ワンッ!」
しかし、パルスワンはじっとダイゴさんを見つめたままだ。譲るつもりはないらしい。ダイゴさんも熱意に押されたのか、「わかったよ」と言ってパルスワンの頬に触れる。
「いいかい、相性は不利だからね。すぐに決着をつけること。わかったかな?」
「ワンッ!」
ダイゴさんのアドバイスに大きく頷いたパルスワンは、きりっとスナヘビに向き合った。スナヘビとパルスワンの視線が交錯し、その場に静寂が走る。
「ギャウス!」
先に動いたのはスナヘビだ。スナヘビが地面を踏みならすと地面が大きく揺れた。パルスワンは一瞬バランスを崩し、その場で転んでしまう。
「パルスワン!」
「しっ!」
思わず私はパルスワンの名前を呼んでしまう。しかし、その声はダイゴさんに遮られた。
「ワンッ!」
パルスワンはすぐに立ち上がり、スナヘビとの距離を一気に詰めるとスナヘビの体に噛みついた。パルスワンの牙がスナヘビの胴体へとしっかりと食い込んだ。
「ギャッ!」
スナヘビは叫び声を上げると、体をよじりパルスワンを引き離す。もう一度スナヘビはパルスワンを睨みつけるけれど、もう力が入らないのだろう。すぐにその表情は苦悶の表情へと変わる。
「グ……」
スナヘビは戦闘の意欲をなくしたのか、草むらへと去っていった。
この勝負、パルスワンの勝利だ。
「パルスワン、すごいよ! おめでとう!」
「ワンッ」
私はパルスワンの元へと駆け寄った。するとパルスワンは「褒めて」と言わんばかりに私に頭をぐりぐりとこすりつける。
「ふふ、すごいすごい」
「ワフゥ」
私はよしよしとパルスワンの頭を撫でる。まさかパルスワンがあそこまで力をつけていたなんて。今日の夕飯は豪華なカレーにしなくては。
「パルスワン、本当にすごいね。……おっと、少し怪我をしてるかな。ちょっと一度休もうか」
ダイゴさんはパルスワンの体をじっと見つめると、優しい声でそう言った。おそらく先ほど転んだときについた傷だろう。大事はなさそうだけれど、早めの手当てに越したことはない。パルスワンが頷いたのを確認して、私たちはその場にテントを張った。
「よしよし……」
ダイゴさんが夕飯のカレーを作る最中、私はパルスワンの足の怪我の手当てを進める。傷は深くはなく、一晩休めばすっかり治るだろう。
「勝利の勲章だね」
「ワンッ!」
パルスワンは自慢げに胸を張る。よっぽど先ほどの勝利が嬉しいのだろう。かく言う私も、いまだ胸が躍っているのだけれど。
「ワフ、ワンッ」
パルスワンはテントの横に置いた鞄の近くへ行くと、なにやら鞄に向かって鳴き始める。どうしたのだろうと一瞬思ったけれど、すぐにその行動を理解した。その鞄にはパルスワンが持っていたタマゴが入っているのだ。
「タマゴに勝利の報告かな」
「ですね。今出します」
せっかく報告をするのなら鞄越しではなく直接がいいだろう。私は鞄を開けて、タマゴを取り出した。そのとき。
「わ……っ」
タマゴが一際大きく揺れ始める。落とさないよう抱きかかえると、タマゴの端に大きなヒビが入っていることに気づいた。
「もしかして……!」
タマゴが孵るのかもしれない。私は慌ててパルスワンの元へタマゴを持って行く。
「パルスワン、タマゴが孵るよ!」
「ワンッ!」
パルスワンの前へタマゴを置いた瞬間、タマゴの縦一直線にヒビが伸びる。そして、そのヒビに沿ってタマゴが二つに割れた。
タマゴがついに孵ったのだ。
「わんっ!」
タマゴから一匹のポケモンが元気よく顔を出す。その名もワンパチ、パルスワンの進化前のこいぬポケモンだ。
「ワンッ! ワンッ!」
「わん? わん!」
パルスワンは嬉しそうに顔を綻ばせると、早速ワンパチの顔を舐め始める。産まれてすぐのお手入れだろう。
「すごいね、本当に産まれるとは……」
ダイゴさんはカレーの火を止めると、興奮した様子でこちらへやってきた。ダイゴさんもタマゴからポケモンが孵る瞬間はあまり見たことがないらしい。
「小さいですね、まだ赤ちゃんなんだ……」
パルスワンがお手入れをするワンパチは、大きさとしては二十センチもないだろう。皮膚も柔らかそうで、まだ弱々しい赤ん坊と言った様相だ。
「そうだね、今日はこのキャンプで一晩過ごそうか。ワンパチに負担をかけたらいけないからね」
「はい、もちろん」
私はダイゴさんの問いかけに頷いて、再びパルスワンとワンパチを見つめた。このタマゴはパルスワンが産んだのかはわからない。けれど、仲良く寄り添う姿は親子のようだった。
*
ワンパチが産まれて一週間。私たちは旅を一休みしラテラルタウンに滞在している。もちろん、タマゴから孵って間もないワンパチに無理をさせないためだ。
しかし、ポケモンの赤ちゃんの成長は早いもの。ワンパチがタマゴから孵って三日がたつころにはすでに一人で歩き始めており、今は少しずつ泊まっているロッジから出て、外の世界に慣れさせているところだ。
「わんっ!」
「ウーッ、ワン!」
ラテラルタウンとナックルシティをつなぐ六番道路に、ワンパチとパルスワンの鳴き声が響く。
ワンパチとパルスワンの前にいるのは野生のマラカッチだ。マラカッチは完全に戦闘モード、幅の広い道なので避けて通ることもできそうだけれど、ワンパチもパルスワンも戦うつもりのようだ。
パルスワンはワンパチに一度視線を送ると、ワンパチの一歩前に出る。そして、素早くマラカッチに近づいてその胴体部分に噛みついた。
「かっち~!」
傷を負ったマラカッチは、焦った様子で草むらへと戻っていった。
「ワンパチ、パルスワン、お疲れ」
ダイゴさんが声をかけると、パルスワンは自慢げに胸を張る。それに続いてワンパチも同じポーズを取ってみせる。ワンパチはパルスワンの真似をしているようだ。
「親なんだね。ワンパチに戦い方を教えてるみたいだ」
ダイゴさんは二匹の様子を優しく見つめた。
私はふと、エンジンジムのジムリーダーのカブさんの言葉を思い出す。ガラルに来てすぐ、ジム戦を観戦していたときに聞こえたあの言葉。
『このガラルのダイマックス文化を担うのはきみたち若いトレーナーだよ。ただ守るのではなく、きみたちでより良いものにするんだよ』
次の世代に繋ぐと言うこと、それはきっとさまざまな形があるだろう。パルスワンとワンパチのように、親から子へ繋ぐこと。きっとこれも一つのその形だ。
「わんっ、わんっ!」
ワンパチはやる気に満ちた表情で遠吠えのような鳴き声を上げる。おそらく教えてもらった戦い方を実践したいのだろう。
「うーん……そうだ、メタング、出ておいで」
ダイゴさんはボールからメタングを出すと、ワンパチと向かい合わせる。そして、メタングにそっと「戦い方を教えてね」と呟いた。元チャンピオンの手ずから指導とは、なかなか豪勢な戦闘訓練になりそうだ。
ワンパチに戦い方を教えるパルスワン、メタング、そしてダイゴさん。その様子を眺めながら、私は自分が繋ぐべきものはなにかを考えていた。
*
ラテラルタウン周辺でしばらく過ごしたあと、私たちはナックルシティへやってきた。ナックルシティは大きな都市だけあり、保育園や養護施設も多くある。私たちはその中でもエンジンシティのポケモンハウスと提携している保育園へとお邪魔した。
「わあ、パルスワンだ!」
「さわらせてー!」
やはりここでもパルスワンは大人気だ。多くの子供たちがパルスワンに駆け寄るから、保育士の女性が「順番よ!」と声をかけている。
その一方、ダイゴさんは何人かのやんちゃそうな子供たちに囲まれているようだ。
「お兄ちゃん、チャンピオンなんでしょー?」
「元だよ。今は違うんだ」
「じゃあ弱いの?」
「ふふ、強いよ。勝負してみようか」
そう言ってダイゴさんはボールからメタングを出して、子供たちを連れ園庭へと入っていく。きっと子供たちにポケモン勝負を教えるつもりなのだろう。
一方の私は、三人ほどの子供たちとワンパチを触れ合わせるべく奮闘中だ。ポケモンの成長は早いとはいえ、ワンパチはまだ子供と言って差し支えない。ワンパチの負担にならないよう、気をつけながら子供たちと触れ合わせる。
「わあ、かわいい……まだ赤ちゃんなの?」
「そうだよ。だから優しく触ってね」
女の子がワンパチの背中にそっと触れる。するとワンパチは嬉しそうに顔を綻ばせた。親に似て人間の子供が好きなようだ。
「あ、しっぽは触らないでね。しっぽを触られるのは嫌いみたい」
「ええ、そうなんだ……ポケモンにさわるの、むずかしいなあ」
女の子は困ったように唇を尖らせた。確かにポケモンはたくさんの種類がいて、それぞれの種族によっての特徴がある。そして、同じ種族でも、一匹一匹に個性がある。それを一つ一つ覚えていくのは大変だろう。
「大丈夫だよ」
けれど、私は知っている。目の前にいる子としっかりと向き合えば、心が通じることを。カナズミのポケモンの家で、そしてこの旅を通して知ったことだ。
「ポケモンと向き合えば、ちゃんとわかるよ」
「ほんとう?」
「うん。ポケモンと一緒にいればね。時間がかかるかもしれないけど、ポケモンがなにを考えてるか、なにを求めているか、わかるようになるよ」
「そっかあ……あ、ワンパチ、寝ちゃった」
「あ、本当だ……」
ワンパチはさすがに疲れてしまったのか、私の膝の上で寝入ってしまった。眠っている間もしっぽを振っている。もしかしたら撫でられている夢を見ているのかも。
「赤ちゃんってかわいいね。わたしもね、もうすぐ弟がうまれるの」
「そうなんだ、楽しみだね!」
「うん!」
大きくうなずいた女の子の頬は少し赤く、弟の誕生を心待ちにしていることがうかがえる。きっとこの子はこれから出会う弟とも、向き合って心を通じ合わせてくれるだろう。
「さて、ワンパチは寝ちゃったからワンパチとの触れ合いは終わりだよ」
「ええー……」
「ごめんね、向こうでパルスワンが待ってるから、パルスワンのことも撫でてくれるかな」
「はあい!」
ワンパチを囲んでいた三人は、一斉にパルスワンの元へ駆けていく。向こうに見えるパルスワンは、新しい子供たちに構ってもらえて嬉しそうにしっぽを振っている。本当にパルスワンは子供が大好きだ。
私はワンパチをそっと膝から横のクッションへと移動した。やはりワンパチまだ子供、体力はないようだ。先にワンパチを連れてお暇させてもらおうか考えていると、一人の男の子がこちらへやってきた。
「おねえちゃん、ポケモンが考えてることわかるってほんとう?」
男の子は眉を下げ、悲しげな様子でこちらへ問いかける。先ほどの会話を聞いていたのだろう。
「ポケモンと一緒にいれば、少しずつわかるようになるよ」
「そっかあ……あのね、おねえちゃん」
男の子は手に持ったボールからポケモンを出す。出てきたのはメスのイエッサンだ。しかし、イエッサンの様子はどこかおかしい。脅えた様子で、体を小さく震わせている。
「この子は……」
「ぼくのイエッサンはね、おうちの前で捨てられてたの」
「……そっか」
イエッサンが脅えているのはそのためか。私は心に痛みを感じながら、男の子の話に耳を傾ける。
「ボールには入ってくれたけど、遊んでくれないんだ」
「……そうだね。少し時間がかかるかもしれない」
「ねえ、どうして自分のポケモン捨てちゃうの? かなしくないの?」
子供からの純粋な疑問に、私はすぐに答えられなかった。どうして人は、大切なポケモンを捨ててしまうのだろう。私にもわからない。きっと一生、理解することはない。
「どうしてだろうね……」
「おねえちゃんもわかんない?」
「うん……」
「そっかあ……」
男の子はじっとイエッサンを見つめている。この子はきっとイエッサンと仲良くなりたいのだろう。時間をかければいつか心が通じ合う日はきっとくる。しかし、その日までずっとこのままではイエッサンも心がつらいだろう。
「そうだ。エネコ、出てきて」
私は自分のボールからエネコを出した。人間に脅えても、もしかしたらポケモン相手なら友好的に接することができるかもしれない。
「エネ!」
「いえっさ?」
予想通り、エネコが声をかけるとイエッサンは表情を綻ばせた。私はエネコにポロックを一つ食べさせ、そのままイエッサンにも同じポロックを差し出した。
「あ、食べた……」
私の手から、イエッサンは桃色のポロックを食べてくれた。エネコのおかげでイエッサンの警戒心がだいぶ解けたようだ。
間近でみるイエッサンは毛がボサボサで、長く手入れがされていないことが窺えた。おそらくこの子がイエッサンを見つける前……捨てられる前から、あまり手入れをしてもらえていなかったのだろう。
「触るね……」
私はそっとイエッサンに触れた。一瞬イエッサンは体を震わせたけれど、すかさずエネコがイエッサンに話しかけてくれる。エネコと話してリラックスしたイエッサンを、私はそっとブラシで梳く。
イエッサンには多くの傷跡がある。決して深くはないけれど、体のあちこちについたその傷は、おそらくポケモン勝負でついた傷だろう。もしかしたら前のトレーナーはバトルに熱心な人間だったのかもしれない。ならば、この子が捨てられた理由は……。
「にゃっ」
顎の下をブラシで梳くと、イエッサンは甘えるような声を出した。ここを触れられるのが好きなようだ。
「ねえ、ここ、触ってみてごらん」
私は男の子に、そっと顎の下に触れるよう促す。男の子はおそるおそる、イエッサンに手を伸ばす。
「ふっふぅ」
「わあ……ふわふわだ」
イエッサンは嬉しそうに、ごろごろとのどを慣らし始める。どうやら少しだけこちらに心を開いてくれたようだ。
「さっさぁ」
「!」
イエッサンはお返しと言わんばかりに、男の子の頭を撫でた。そういえばメスのイエッサンは子守が好きだとエンジンシティの保護施設のスタッフが言っていた。もしかしたらこの子の子守をしようとしているのかもしれない。
「あっ……」
しかし、喜びもつかの間、イエッサンはすぐにボールに戻ってしまった。
「ボールに入っちゃった……」
「そうだね、でも心を開いてくれたんじゃないかな」
「うん、はじめてイエッサンがぼくにさわってくれたよ」
男の子は笑顔を咲かせて、嬉しそうにボールを撫でる。きっと、イエッサンとこの子が笑い合える日は遠くないだろう。
*
ナックルシティを出た私たちが次に来たのはキルクスタウンだ。ここがパルスワンとワンパチとのガラル巡り最後の地。ガラルの旅の終わりを感じてもの悲しい気持ちに包まれる。……けれど。
「寒……っ」
キルクスタウンはその寂しさを覆うほどの寒さだ。ちらほらと雪も見えており、私は体を縮こまらせる。
「シンオウもそうだったけどボクたちは雪に弱いね……」
「本当に……!」
ダイゴさんも私も南にあるホウエンの出身、雪にはとことん弱いのだ。
二人して体を震わせていると、私の足下にパルスワンがやってきた。すりすりと私の足に体を寄せている。私を暖めてくれているようだ。
すると、今度はワンパチがダイゴさんに体を寄せる。おそらくパルスワンを見て真似ているのだろう。
「ふふ、ありがとう。暖かいよ」
私たちはそれぞれパルスワンとワンパチの頭を撫でた。ふわふわの毛が、温かい。
凍えながらキルクスタウンを歩いていき、お目当ての場所にたどり着いた。そこは英雄の湯。昔ガラルを救ったという英雄が傷を癒した温泉らしい。今も傷を治す効能があるのか、多くのポケモンが温泉に浸かっている。
「ワンパチ、パルスワン、お疲れさま」
私とダイゴさんは、ワンパチとパルスワンを温泉へと入れた。
このキルクスタウンに来た目的はこれだ。ワンパチもパルスワンもガラルを巡る中で、たくさんの子供たちを癒してくれた。その労いをするために、この英雄の湯にやってきたのだ。
「気持ちいい?」
「わんっ」
「ワフッ!」
ワンパチはにっこりと笑って、パルスワンは大きくしっぽを振ってご機嫌な様子を見せている。よかった、英雄の湯を気に入ってくれたようだ。
温泉に入る二匹の様子を眺めていると、隣に一組のポケモンとトレーナーがやってきた。ポケモンはウッウ、トレーナーは十歳前後の少年だ。少年は落ち込んだ表情でウッウを温泉に入れている。
「おれたち、負けちゃったな」
おそらくジムチャレンジをしていたトレーナーなのだろう。漏れ聞こえる声からして、この町のジムリーダーに負けてしまったようだ。
「ごめんな、おれが頼りないせいで……」
「ウー……」
「もう時間切れだな。チャンピオンと戦いたかったけど、ジムチャレンジ、終わっちゃった……」
少年は私の隣でぽろぽろと涙を流す。なにか声をかけたいけれど、かける言葉が見つからない。ダイゴさんも同じなのだろう、彼は少年から少しだけ距離を取る。
「ワンッ」
すると、温泉に入っていたパルスワンが少年の元へ駆け寄った。何度か声を駆けて、少年の頬をぺろぺろと舐める。
「こいつ、慰めてくれてるのか……?」
「わんっ」
今度はワンパチがウッウのそばへと近づく。ワンパチもパルスワンを真似るように、ウッウの顔を小さな舌で舐め始める。
「ははっ、くすぐったいよ」
少年は笑顔を見せて、パルスワンをよしよしと撫でる。私はそっと彼に声をかけた。
「いきなりごめんね、びっくりしたでしょ?」
「あれ、このパルスワンたち、お姉さんのポケモン?」
「まあそんな感じかな。その……」
私は慎重に言葉を選ぶ。なにを言えばいいか、この子に伝えるべきは、なにか。
ふと、温泉に入るウッウが目に入る。ウッウは少年を心配そうな表情でじっと見つめている。その瞳はまっすぐで、綺麗な色をしていた。
「……ね、ウッウはきみとジム巡りができて楽しかったんじゃないかな」
少し見ただけでも、ウッウが少年のことが大好きなのが伝わってくる。ウッウが悲しげな表情をしているのも、きっと大好きな自分のトレーナーが悲しんでいるからだ。
「ウー!」
ウッウは私の言葉に同意するかのように、大きな翼をはためかせた。そして、濡れた体のまま少年に抱きつく。
「わぁっ!」
「ウー!」
「わかった、わかったってば!」
少年はウッウをぽんぽんと叩くと、右腕で強引に涙を拭う。
「おれも楽しかったよ!」
明るい大きな声が、英雄の湯に響く。その声に、ウッウはとびきりの笑顔を見せた。
「あれ、ダイゴさん」
少年と別れ、パルスワンとワンパチの体を拭いているとダイゴさんがやってきた。今までどこに行っていたのだろう。
「ダイゴさん、どうして離れちゃったんですか?」
「一応ボクは元チャンピオンだからね。ボクが下手なことを言うと余計に傷つけてしまうかもしれないから」
「あ、そっか……」
どんなに優しい言葉をかけても、ダイゴさんは「チャンピオン」の栄光を受けたことがある人物だ。そんな人間からの慰めの言葉は、あの子には酷な可能性もある。
「でももう大丈夫みたいだね。大切な相棒がいるから」
「はい」
向こうにウッウと並んでキルクスタウンを歩く少年の姿が見える。しばらく悔しい気持ちは消えないだろうけれど、あの子のそばにウッウがいれば、きっと大丈夫。
「きみたちも本当に優しいね。励ましてくれたんだろう?」
「ワンッ」
パルスワンとワンパチは揃って胸を張る。労いのつもりでここに来たのに、この子たちは本当に優しい子たちだ。この優しい気持ちを、ずっと持ち続けてほしいなと心から思う。
*
ついにガラルの旅も終わりだ。エンジンシティに戻ってきた私たちは、ポケモンハウスにパルスワンとワンパチとともに帰ってきた。
「ワンッ!」
ポケモンハウスに入るやいなや、パルスワンは一目散に部屋の中に駆けていく。そこにいるのは一匹のエレズンだ。
「あのエレズン、さっき保護されたばかりの子なんです」
施設のスタッフが教えてくれる隣で、パルスワンはエレズンの世話を始める。ぺろぺろと顔の周りを舐めて汚れを取って、優しく声をかけている。
そして、それに続いてワンパチもエレズンの体を舐め始める。パルスワンの真似をしているようだ。
「ワンパチも大きくなったね」
「はい、本当に……」
ラテラルタウン近くでタマゴから孵ったときはあんなに小さかったのに、今は立派にエレズンの世話を焼いている。お母さんに似て優しい子に育ってくれた。
パルスワンからワンパチへ……次の世代へ、思いが繋がっているのだ。
「パルスワン、ワンパチ、おいで」
エレズンの手入れが一段落したところで、私は二匹を呼んで抱きしめた。これがお別れの挨拶だ。
「パルスワン、ワンパチ、あなたたちもいっぱい人間に甘えてね」
この子たちは誰かのお世話するのが大好きなようだ。それはとても素敵なことだけれど、自分もちゃんと誰かに甘えることを忘れないでほしい。
「元気でね、また会いに来るよ」
「わふ?」
「ワンッ!」
「バイバイ」
涙をこらえて、パルスワンとワンパチに別れを告げた。パルスワンとワンパチも、可愛い笑顔を向けてくれた。
「お別れは何度経験しても寂しいですね……」
ポケモンハウスを出て、私は隣のダイゴさんに気持ちを漏らす。
この旅の中でも何度も出会いと別れを繰り返してきた。何度経験しても、寂しい気持ちは変わらない。
「そうだね……でもまたすぐに会えるよ」
「はい」
私は涙を拭って、ダイゴさんの言葉に頷いた。会おうと思えばまたいつだってすぐに会える。パルスワンとワンパチだけではない。この旅で出会ったポケモンやトレーナーたちとも。
「それにしても……も甘えること忘れないようにね」
ダイゴさんは私の涙を拭いながら、眉を下げた。
「パルスワンたちに言ってただろう? あの子たちも確かにほかのポケモンの世話ばかりしてて心配だけど……それはも同じだからね」
ああ、なるほど。そういうことか。ダイゴさんの言葉の意図がわかって、私は思わず笑ってしまった。
「大丈夫ですよ、私はちゃんと甘えられる相手がいますから」
私はそっとダイゴさんに体を寄せた。ダイゴさんの体温が伝わってきて、私の心に安心感が広がっていく。
私のそばにはいつだってダイゴさんがいる。心から甘えられる人が、隣にいるのだ。
「そっか。そうだね」
ダイゴさんは私の肩をそっと抱いた。触れ合う肩が心地いい。
「ダイゴさん……」
ガラルでの旅を通して、「次の世代に繋ぐこと」を考えた。パルスワンからワンパチへ繋がる系譜を見て、ぼんやりと思ったことがある。
もし、もしも、この先ダイゴさんと家族を作ることがあるのなら、そんな未来が来るのなら。そのときが来たら、私はこの旅の経験を伝えていきたいと思った。この大切な思いを、繋いでいきたい。
「どうしたの?」
「ふふ、なんでもないです」
でも、それをダイゴさんに伝えるのはやめておいた。今はまだ、私だけの秘密にしておこう。
「気になるなあ……」
「ふふ、たいしたことじゃないですよ。……あ!」
くすくすと笑っていると、遠くから風を切る音がした。旅の中で何度も聞いたこの音は、あのポケモンが空を飛ぶ音。
「ラティオスだね」
やはりそこにいたのはラティオスだ。きっと、ガラルでも会えると思っていた。そして、次の最後の旅の場所でも会えるのだろう。
この旅の最後の地方は、パルデア地方だ。