星巡り/パルデア編
パルデア地方のテーブルシティにある私立オレンジアカデミー。ダイゴさんのリーグのコネクションでこの学校の一部施設の入室許可をもらった私たちは、学校の図書室でパルデア地方について調べている。
私が手に取った本は、赤い表紙が特徴的なスカーレットブックという本だ。パルデアの中心にある大きな穴、エリアゼロの探検記として有名な一冊だけれど、今では奇書と言われているらしい。
「不思議な生き物が生息している……」
この本によると、エリアゼロの奥深くにはポケモンかもわからない不思議な生物が生息しているとのこと。アローラで出会った別世界のポケモンのようなものだろうか。観測隊が撮ったというその生き物の写真を確認し、私はさらに本を読み進めていく。
エリアゼロには不思議な生き物だけなく、食べればたちまち元気になる不思議な植物もあるらしい。その植物のこともイラスト付きで紹介されている。どうやら地上とは生態系が異なるようだ。
「いい本があった?」
スカーレットブックを読んでいると、別の本を読んでいたダイゴさんが声をかけてきた。私はその問いに頷き、ダイゴさんに本の表紙を見せる。
「これ、パルデアの大穴の本です」
「ああ……パルデアと言えばパルデアの大穴だけど、関係者以外立ち入り禁止なんだよね」
「ダイゴさんでも入れないんですか?」
「ボクはそんな権力者じゃないよ」
ダイゴさんは首を傾げて苦笑する。
このアカデミーにはダイゴさんが学校の理事長にかけあって入らせてもらっている。ダイゴさんならパルデアの大穴も入れるのかと思ったけれど、さすがに難しいようだ。
「リーグの管轄ならなんとかなったかもしれないけど、大穴には研究施設があるみたいだからね。部外者が簡単には入れないよ。テラスタルの研究もしてるらしいから興味はあるけど……」
「そうですか……うーん……」
パルデアと言ったら大穴と言っていいぐらい有名な場所だ。せっかくだから一度見てみたかったけれど、関係者以外立ち入り禁止ならば仕方ない。ダイゴさんとどこに行くか話し合っていると、アカデミー内が突如ざわめき出す。
「ねえ聞いた? セルクルタウンの方にホウエンのドラゴンポケモンが出たって話!」
「聞いた聞いた。先生が言ってたよ、名前はラティ……なんだっけ」
漏れ聞こえる会話に、私とダイゴさんは顔を見合わせた。きっと彼らが話しているのはラティオスのことだろう。
「セルクルタウン……ここから近いね」
「行ってみましょう」
私たちは急いでアカデミーから出ると、テーブルシティから西にあるセルクルタウンへと向かった。
セルクルタウンにはすぐに着いたけれど、すでにラティオスの姿はなかった。ラティオスの飛行スピードは非常に速い。どこかに飛び去ってしまったのだろう。
「もう旅も最後だし、できればラティオスに会いたいね」
私はダイゴさんの言葉に頷いた。
今まで行く先々でラティオスの姿を見てきた。世界中を旅している中で毎回会うなんてなにかの縁だ。もうすぐ私たちの旅も終わるから、もう一度ラティオスを見つけてホウエンへ帰りたい。
ラティオスの行く先を調べるのなら、町の人に話を聞くのが一番だろう。人の多い場所へ向かうと、どうやらそこは有名なケーキ店のようだった。その名もパティスリームクロジ。ケーキ店には行列ができており、わざわざ聞かずとも行列に並ぶ人たちからラティオスの話題が漏れ聞こえてきた。
「さっきすごいポケモンがいたよね。見た?」
「見た見た。オリーブ大農園のほうでしょ? 普通のポケモンじゃないっぽいよね」
オリーブ大農園はセルクルタウンからすぐ近くの観光名所だ。ラティオスの話をする若い女性二人組に、私たちは声をかけた。
「あの、すみません。そのポケモン、私たちの地方のポケモンだと思うんですけど、どこに行ったかわかりますか?」
「うーん、どこに行ったかは……オリーブ大農園の前はビシャビシャの斜塔のほうにいたって話ですけど」
「え? あたしはひそやかビーチにいたって聞いたけど」
「ビシャビシャの斜塔とひそやかビーチか……ありがとうございます」
私たちは女性二人にお礼を言って、ほかの人にも話を聞いてみる。どの人もラティオスの行き先はわからないとのことだったけれど、オリーブ大農園の前にビシャビシャの斜塔とひそやかビーチにいたことは確かなようだ。
私たちはムクロジのテラス席でケーキを食べながら、これからどこへ行くかを話し合う。
「ビシャビシャの斜塔もひそやかビーチもここから遠くはないね。共通点は……」
「パルデア十景……?」
「ぐらいかな……」
ビーチは海の近くだけれど、大農園は内陸。共通点らしいものはパルデア十景に選ばれた場所というぐらいだ。
「せっかくだしパルデア十景を巡ってみようか。ラティオスも景色のいいところを回っているのかもしれないし」
「なんだか観光旅行みたいですね……」
「はは。ほら、景色のいい場所は自然豊かでポケモンも多かったりするから」
見聞を広めるための旅が観光旅行のようになるのはどことなく後ろめたさがあるけれど、ダイゴさんの言うとおりパルデア十景はポケモンが多くいるような場所も含まれる。私たちは順番にパルデア十景を回ることにした。
*
セルクルタウンを出発した私たちは、オリーブ大農園から一番近い列柱洞へ行くためにロースト砂漠へやってきた。列柱洞はこの砂漠を越えた先にある。
「、砂漠を越えるのは初めて?」
「はい、初めてです……」
「方向感覚が狂うからね、気をつけて」
ホウエンにも砂漠はあるけれど、私はそこにも行ったことはない。ロースト砂漠は過酷な砂漠というほどではないようだけれど、用心するに越したことはない。
「そうだ。はぐれないようにまたロープで結んでおく?」
ダイゴさんはシンオウの雪道を歩いたときと同じ提案をしてくる。吹雪と砂嵐、どちらもひどくなれば前が見えなくなる。一度はぐれてしまえばお互いを見つけることは困難だろう。私はその提案にすぐに頷いた。
「赤いのと青いの、どっちがいい?」
ダイゴさんは鞄から二つのロープを取り出して、にっこりと笑ってみせる。シンオウで赤いロープを結んだときも、ダイゴさんは「赤い糸だね」なんて笑っていた。ダイゴさんは本当にもう、人が真剣に答えたというのにこうやってからかってくるんだから。
「もう……どっちだっていいです」
「赤いのじゃなくていいの?」
ダイゴさんはきょとんとした表情で首を傾げる。本当にこういうところ、ずるいんだから。
「……赤いのは、もとから繋がってるでしょう?」
赤いロープを結ばなくても、赤い糸はきっと私とダイゴさんを結んでいるはず。小声でそう呟けば、ダイゴさんはぱあっと表情を明るくさせた。
「うん、そうだね、そうだった。じゃあ、はい」
ダイゴさんは嬉しそうに表情を綻ばせながら、赤いロープの端を私に手渡した。
「ふふ、結局赤いロープなんですね」
「そりゃあね」
そう言いつつも、私もどこか弾む気持ちでロープを腰にしっかりと結んだ。これで砂嵐が来てもはぐれずに済みそうだ。
「わ、歩きにくい……」
砂漠に足を踏み入れると、すぐに地面に足を取られる。雪道も歩きにくかったけれど、この砂地もまた別種の難しさがある。
「しっかり足を踏みしめてね」
「は、はい。ダイゴさんは慣れてますね」
「ホウエンの砂漠は化石が取れるからね、よく行ってたんだよ」
なるほど、さすがダイゴさんは石のある場所どこにでも赴くのだろう。そういえばデボンの商品にも砂漠歩きのための道具が多く揃えられていたっけ。もしかしたらダイゴさんや、ダイゴさんと同じく石好きのツワブキ社長が開発に関わっていたりするのだろうか。
ロースト砂漠中央部にある物見塔が見えてきたところで、私たちは岩影で一休みすることにした。
「砂漠を歩くのって想像以上に疲れますね……」
砂に足を取られ、さらに風に舞った砂が口の中や目に入り……覚悟はしていたけれど、砂漠越えは想像以上に体力を消耗する。持ってきた水を一気に飲んで、大きく深呼吸をした。
「そうだね。でも休憩はほどほどにしよう。夜になる前に砂漠は越えたいからね。この砂漠はそこまで厳しくないけど、夜の砂漠はだいぶ冷えるんだ」
「はい、了解です」
私は頷きつつ、お腹を満たそうと栄養食品を鞄から取り出す。そのとき、ふと目についたのは鞄のポケットに入れた丸い石だ。
「心のしずく……」
ホウエンの流星の滝で見つけた青い小さな丸い石。ダイゴさんは「もしかしたら心のしずくかも」と言っていたけれど、本当のところはわからない。
その丸い石が、心なしか光を放っているように見える。
「あ……っ」
石を手に取って眺めていると、手が滑って地面に落としてしまった。数メートル先に転がってしまったので、私は慌てて拾いに行く。ロープで繋がるダイゴさんも、もちろん一緒に。
「ふう、危なかった」
「大丈夫? なくさなくてよかった」
「はい。あれ……」
心のしずくを拾おうと屈むと、しずくの隣に一枚の植物の葉っぱが落ちていることに気づく。こんな砂漠地帯になぜ葉っぱが? 疑問に思いつつ、私はしずくと一緒にその葉を拾い、鞄のポケットへとしまった。
「さて、食事を終えたら出発しようか。残りは半分ってところだから頑張ろう」
「はい!」
私はダイゴさんの言葉に頷いて、簡易の栄養食品を口にした。心の隅でしずくが光っていたことを気にしながら。
日が暮れるギリギリに私たちは砂漠を抜けた。ふうと一息吐く間もなく目に入ったのはパルデア十景の一つである列柱洞だ。巨石が連なった景観は圧巻で、パルデア十景に選ばれたのも頷ける。
「わあ! すごいね! こんなに大きな石が並んでる!」
列柱洞を見るやいなや、ダイゴさんは興奮した様子で語り始める。
「この列柱洞はね、どうしてこんな形になっているかまだわかっていないんだ。今学者の間でも研究が進んでいらしいけど……」
ダイゴさんは早口で列柱洞の知識を話し始めた。私はふんふんと頷きながら周囲を見渡してみる。ラティオスの姿はないようだ。ラティオスを探したいところだけれど、ダイゴさんも楽しそうだし、しばらくはこの列柱洞を探索しようか。そう思った瞬間、ふと私の鞄が光り出す。
「えっ!?」
慌てて鞄の中を開けると、さらに光が強くなる。その光の元は……。
「心のしずく……」
心のしずくが、強い青白い光を放っている。先ほどロースト砂漠で見たとき少し光っている気がしたけれど、気のせいではなかったようだ。
「この光、いったいなにが……?」
ダイゴさんもさすがにこの事態に話を中断し、私の手にある心のしずくをじっと見つめた。光はだんだんと強くなっている気がする。
「あ……」
しずくを見つめていると、どこからか聞き覚えのある音が響き始める。風を切る鋭いあの音。そう、この旅で何度も聞いてきた、ラティオスが飛行する音だ。
「ラティオス……!」
北の空高くに、駆けるラティオスの姿がある。しかし、今までのラティオスとは様子が違う。周囲をきょろきょろと見渡しており、どこか不安そうな様子だ。
「ラティオス、どうしたんだろう……」
ぽつりとダイゴさんが呟くと、ラティオスがこちらを見た。上空高くにいるから表情はわからない。けれど……。
「ボクたちを呼んでいるね」
ダイゴさんが、低い声で呟いた。そう、ラティオスが私たちを呼んでいる。そんな気がするのだ。
「行ってみよう。エアームドに乗って」
「は、はい」
私はしずくを手に握って、ダイゴさんのエアームドに跨がった。
ラティオスは私たちが追ってくるのを確認すると、そのまま北へと駆けていく。
ラティオスを追いかけてやってきたのはオージャの湖だ。ラティオスはこの湖の中央の島付近で姿を消した。必ずこの周辺にいるはずだ。
「ラティオス? どこだい?」
島の中央に着陸した私たちは、ラティオスの姿を探し始める。しかし、時刻はすでに深夜、町の灯りもないこの湖でポケモンの姿を探すのは困難だ。ダイゴさんの呼びかけにも返答らしいものはなく、ただ風の音がするだけだ。ラティオスが私たちを呼んでいるような気がしたのは、ただの勘違いだったのだろうか。
「見つかりませんね……」
「うん、それにこう暗いとどうにも……」
諦めかけていると、手に握ったままのしずくの光が強くなる。周囲一帯を包むほどの強い光だ。青白い光によって、あたりの景色が照らされる。
「しずくが……」
「これなら周囲がよく見えるね。、そのまま掲げてくれるかい」
「は、はい」
私はダイゴさんに言われるまま、しずくを高く掲げた。しずくが灯火のようにあたりを照らしてくれるから、ダイゴさんはラティオスの姿を再び探し始める。
「あそこだ!」
ダイゴさんは声を上げ北を指さす。その先には小高い山があり、途中の切り立った崖には大きな穴が開いている。そして、その中に、私たちが探していた「彼」の姿が見えた。
「ラティオスと……あれは、ラティアスもいるね」
「ラティアスも!?」
ラティオスとラティアスは対になるポケモンだ。一緒にいること自体に不思議はないけれど……。
「とにかく行ってみよう」
「は、はい」
私たちは再びエアームド乗り、ラティオスとラティアスがいる洞穴に飛んだ。
エアームドの背中から、私はじっとラティオスとラティアスの様子を窺う。やはり二匹ともどこか様子がおかしい。特にラティアスは地面に横たわっており、遠くからでも元気がないように見えるのだ。
ほどなくして、エアームドが洞穴の中へ降り立った。そして、すぐにラティアスの様子がおかしい理由を知る。
「ラティアス、怪我してる……!?」
地面に横たわるラティアスの体には、至るところに傷がある。切り傷や打撲痕……どれもかなりひどい傷だ。ポケモン勝負でできた傷ではない、おそらくこれは……。
「この傷は……自然災害に巻き込まれたかな」
私はダイゴさんの予想に同意した。ポケモン勝負でできるような傷ではないし、人間がラティアスのような力を持ったポケモンにこんな傷を残すことはできない。おそらくは台風や津波などの自然災害によるものだろう。
「ラティアス、手当てするよ。いいかな?」
「きゅう……」
私はさっそく鞄から救急用品を出して手当てを始める。ラティアスの右側は私が、左側はダイゴさんが手当てをしていく。タンバでもらったキズぐすりを塗り、凍傷と思われる箇所には氷なおしを塗り込んだ。しかし、ラティアスはぐったりとしたままだ。
「ラティアス……」
「きゅ……」
「ダメだな、力が入らないみたいだ……」
ラティアスの弱々しい鳴き声が洞穴に響く。その表情には生気がなく、今にも事切れそうなほどに弱っていることが見て取れる。どうしよう、このままではラティアスが……。
いや、諦めてはいけない。今ラティアスを助けられるのは私たちだけ。今諦めたら、ラティアスの命の火が消えてしまう。
なにか方法はないだろうか。私は必死に思考を巡らせる。旅の中で何度もポケモンの手当をしてきた。それ以外にも、いろんなポケモンと出会い、知識もつけてきたはずだ。なにか……。
そう思ったとき、ふとスカーレットブックの一節を思い出す。『食べればたちまち元気になるという植物があるという……』、その文章とともに添えられたイラストの植物を、つい最近見たのだ。そう、ロースト砂漠で拾ったあの葉っぱだ。
「ラティアス、これ、食べれる!?」
パルデアの大穴の植物がロースト砂漠にあるわけがない。もしこれがその植物だったとして、奇書と言われるあの本に書かれたことが正しいとは限らない。しかし、今はこれに賭けるしかない。
ラティアスは顔をほんの少し上げると、その葉を口にした。ゆっくりと咀嚼するけれど、飲み込む力がないのかそこで終わってしまう。
「ラティアス、これも飲んで」
私はおいしい水をそっとラティアスの口に含ませ、飲み込む手助けをした。ラティアスは小さく口を動かして、水と葉を飲み込もうとしている。
「きゅう……」
ラティアスはようやく一枚の葉を飲み込んだ。すると、驚いたことにみるみるうちにラティアスの全身に生気が蘇ってくる。
「きゅう……!」
「ラティアス……!」
「きゅう!」
ラティアスは顔を上げると、一際高い声を出す。明るい声に血色のいい肌、どうやら一命は取り留めたようだ。
「しゅり」
すると、ラティオスがラティアスに近づいた。ラティオスはラティアスの顔の周りをぺろぺろと舐めると、安心したように息を吐く。
「はあ、よかった……」
ラティアスが窮地を脱したことに安堵して、私はその場にへたり込む。ラティアスを挟んで向こう側にいるダイゴさんも、安心したように笑顔を見せている。
「本当によかった。でも、まだ飛べる様子ではないね。少しここで療養した方がよさそうだ」
「そうですね……」
ラティアスの傷はかなり深い。傷が癒えないうちに動けばまたすぐに弱ってしまうだろう。
「きゅう……」
「しゅわ!」
ラティアスは不満そうな声を出すけれど、すぐにラティオスが窘めるようにラティアスの顔を頭でつついた。ラティオスとラティアスは兄妹という説を聞いたことがあるけれど、この雰囲気は本当にそうなのかもしれない。
ラティオスの様子がおかしかったのは、きっとラティアスを心配していたからなのだろう。私たちを呼んだのも、ラティアスの傷を手当してもらうためだったのかもしれない。
「ラティオスは怪我はない?」
「しゅわ」
ラティオスの体を確かめるけれど、傷らしい傷は見当たらない。しかし、ラティアスを心配していたためか、ひどく疲れた顔をしている。
傷ついたラティアスと、疲弊しきったラティオス。その様子を見て、私は二匹に声をかける。
「ね、怪我が治るまでお世話させてもらえないかな」
私はそっとラティアスの背中を撫でて問いかける。だって、こんな状態の二匹を放っておけない。知らなかったのならともかく、私は知ってしまったのだから。
「きゅう!」
ラティアスは明るい声で私の顔に頬を寄せる。ふわふわと頬ずりをされてくすぐったい。
「ふふ、オーケーみたいだね」
「ありがとう。あなたたちがここにいること、誰にも話さないから」
「しゅわ!」
「ボクも約束するよ。ラティオス、ラティアス、しばらくの間よろしくね」
「きゅ~!」
ラティアスは嬉しそうに甘えた声で鳴く。よかった、お節介ではなさそうだ。
こうして、私たちの不思議な共同生活が始まった。
*
「ラティオス、ラティアス、ただいま」
とある晴れた日の昼下がり。マリナードタウンで食料を調達した私とダイゴさんは、エアームドに乗ってオージャの湖にある洞穴へと戻ってきた。
「きゅう!」
「あ、こら。動かないの」
ラティアスが大きく体を動かそうとするから、私は慌てて制止する。ラティアスはいつもそう。この共同生活を始めて一週間がたつけれど、ラティアスはなにかにつけてすぐに動こうとしてしまう。このラティアスはなかなかやんちゃな性格のようだ。
「きゅう~……」
「ふふ、もう少しの辛抱だよ。もうすぐご飯だからね」
「きゅう!」
ダイゴさんの言葉に、ラティオスは喜びの声を上げる。ラティアスはやんちゃで食いしん坊なのだ。
ダイゴさんがサンドイッチを作る間、私はラティアスの手当てをするべくラティアスの隣に座った。包帯をほどいて、傷口にキズぐすりを塗り直す。こういった手当ての経験は過去に何度かあるけれど、相手は小さなポケモンばかりだった。人間ほどの大きさがあるラティアス相手だとなかなか重労働だ。すべての作業を終える頃には、私はすっかり汗だくになっていた。
「二人とも、お疲れ。サンドイッチできたよ」
「わあ、ありがとうございます。ラティアス、食べよう」
「きゅう!」
洞穴の奥の湧き水で手を洗い、私たちはサンドイッチを食べ始める。ガケガニスティックやアボガドの入ったトロピカルサンドはさっぱりとした味わいながらに栄養満点で、怪我をしたラティアスや疲れがたまっているラティオスにはぴったりだろう。
「ねえ、ラティオス。どうして世界を回っていたか聞いてもいい?」
昼食の最中、気になっていたことをラティオスにぶつけてみる。
「あなたが世界を巡っていたのは、ラティアスを探すため?」
私の問いにラティオスは小さく頷いた。
世界を巡る間、ラティオスは焼けた塔や命の遺跡など、生命力に関わる逸話のある場所を多く巡っていた。もしかしたら、対となるラティアスが怪我をしていることを感じ取って、傷を癒せる手段を探していたのかもしれない。
ではラティアスはどうしてホウエンを離れたのだろう。疑問に思っていると、今度はダイゴさんがラティアスに問いかける。
「ラティアスはどうしてホウエンからここまで来たのかな」
「きゅぅん」
ラティアスは小さく鳴くと、洞窟の外を見つめた。その視線の先にあるのは大きな湖、そしてその向こうには広大な海が広がっている。
「ボクたちと同じかな」
「世界を見て回りたかった?」
私たちの問いに、ラティアスは大きく頷いた。
伝説のポケモンであるラティアスも、私たちと同じ思いを抱いている。なんだか不思議な感じだ。絵本でしか見たことがなかった伝説のポケモンを、こんなに近くに感じるなんて。
私はどこかくすぐったくて、つい表情を崩した。
そうやって、私たちはラティアスとラティオスとの時間を過ごしていった。ラティアスの怪我はひどいものだったから回復に時間がかかっているけれど、ラティオスの方はだいぶ元気になってきた。
「しゅうん!」
とある晴れた日、ラティオスが洞窟の外をじっと見て高い声で鳴き始める。なにかを渇望するような声だ。
「外に出たいのかな」
「しゅん!」
ダイゴさんの言葉に、ラティオスは力強く頷いた。ラティオスとラティアスはもともと空を駆けるポケモンだ。広い空を飛びたがるのは当然のことだろう。
「そうだね……きみはだいぶ元気になったからね。でもまだ本調子じゃないだろうから気をつけて。弱ったほかの地方の伝説ポケモンなんて、危ない人間に狙われるかもしれない。普段のきみなら問題ないだろうけど」
「しゅうん!」
ダイゴさんの言葉を聞いて、ラティオスは洞穴の外へと飛び立った。そして、オージャの湖上空を楽しそうに飛び回っている。
「きゅぅ!」
「ラティアスも外に出たいのかな。ごめんね、もうちょっと我慢してね」
「きゅう……」
ラティアスが空を駆ける様子を見て、ラティアスはうらやましそうに切なげな声を上げた。
ラティアスの怪我は順調に回復してきている。おそらくあと一週間もしないうちに再び飛び回れるようになるだろう。だからこそ、治りきっていない今は無理は禁物だ。ここで傷を広げてしまったら、再び飛べるようになるまで余計に時間がかかってしまう。
「そうだ、毛繕いするよ。だからもうちょっとだけ我慢して、ね?」
「きゅう?」
私はラティアスの隣に座って、ラティアスの羽毛を撫で始める。この洞窟で出会った当初は乱れていた毛並みも、シャンプーやブラッシングを繰り返したおかげで今では綺麗に流れている。
「私が伝説のポケモンを毛繕いする日が来るなんて、思ってもみませんでした」
自分のエネコやダイゴさんのポケモンたち、カナズミのポケモンの家に預けられたポケモンたちにはたくさん毛繕いやマッサージを行ってきた。しかし、普通なら会うことも叶わないような伝説のポケモンにこうやって毛繕いをするなんて、旅を始める前は想像もできなかった。
「ラティアスも気持ちよさそうだよ」
「きゅう!」
「ふふ、よかった」
ブラシを片手に、ラティアスの羽毛を整えていく。汚れを取って、ブラシで梳いて、最後には手で羽毛を流していく。
伝説のポケモンとの接し方も、ほかのポケモンと変わらない。目の前のラティアスと向き合えば、自然とこの子がなにを求めているかがわかるのだ。
「きゅうん!」
ラティアスは可愛い声を出すと、頭を私の膝の上に置いた。甘えた仕草に、私は心をときめかせる。
「ふふ、可愛い」
遠い存在だった伝説のポケモンが、私の膝の上で甘えた仕草を見せている。伝説のポケモンも、私のエネコも変わらない。可愛い可愛い、私の大好きな「ポケモン」だ。
*
「そろそろ飛んでも大丈夫そうかな」
さらに一週間がたったころ。ダイゴさんがラティアスの怪我の様子を確認する。怪我は綺麗に治っており、飛行には問題ないだろうとのことだ。
「今日は外に誰もいないみたいだ。外で食事にしようか」
ダイゴさんの誘いに乗って、私たちは洞窟の外へと出た。明るい朝日を浴びながら、オージャの湖真ん中の島でダイゴさんお手製のサンドイッチを食べ始める。
「ラティアスもだいぶ元気になったね。ホウエンにももう戻れそうかな?」
「きゅう!」
「ふふ、元気いっぱいだ」
ダイゴさんの隣でサンドイッチを頬張るラティアスは、すっかり活気にあふれた様子だ。この調子ならホウエンに戻れる日も近いだろう。
「きゅうん!」
ラティアスは早々にサンドイッチを食べ終えると、ふわりとその場に浮いた。空を自由に飛びたいようだ。
「いいよ、行っておいで。ただし無理はしないように。遠くまで行かないでね」
「きゅん!」
ラティアスはダイゴさんの言葉に頷くと、空高く飛び始める。自由に空を駆けるその様子は、幼い頃絵本で読んだラティアスの姿そのものだ。
「しゅわん……」
私の隣のラティオスが、震える声で鳴く。きっと怪我が治ったばかりのラティアスが心配なのだろう。
「大丈夫、ラティアスはもうあんなに元気だよ」
「……しゅわ」
ラティアスは怪我をしていたことが嘘のように、元気に空を飛び回っている。もうラティオスが心配しなくても大丈夫だ。
……いや、それだけではないのかもしれない。幼いと思っていた妹が、一人前に空を駆ける姿が寂しいのかも。ふと、そんなことを思った。
「ねえラティオス、毛繕いしてもいいかな」
思えば今までラティアスの世話に追われていて、ラティオスのことを気にかけることができなかった。ラティオスがお兄さんのような存在とはいえ、彼もリラックスする時間が必要だろう。
「しゅ……」
「ラティアスのことはボクがちゃんと見ているよ」
躊躇うラティオスの背中をダイゴさんが押す。ラティオスは少し迷いながらも、私の前に腰を下ろした。
「触るね」
声をかけて、そっとラティオスの背中に触れた。今までも必要な手入れはしてきたけれど、しっかりと腰を据えて毛繕いをするのは初めてだ。ラティアスと似た毛並みだけれど、やはりラティオスの方が一回りも二回りも背中が大きい。きっとラティアスは、この大きな背中に安心感を覚えているのだろう。
「ラティオス、ラティアスが無事でよかったね」
ブラッシングをしながら、ラティオスに声をかけていく。
「ずっと心配してたんだよね。お疲れさま。ラティアスのことはダイゴさんが見てくれてるから、ゆっくり休んでね」
旅の間、きっとラティオスはずっとラティアスのことを気にかけていた。人間と時間感覚が同じかはわからないけれど、長い間心配していたことには変わりない。ラティアスの怪我が治った今、ラティオスもゆっくりと心も体も休めてほしい。
ふと、ラティオスが私の膝に頭を乗せた。先日のラティアスと同じ格好だ。そして、すうすうと小さな寝息を立て始める。
ラティアスを探して世界を巡るぐらい心配していたのだ。ラティオス、大変だったね、会えてよかったね。
「お疲れさま、もうすぐホウエンに帰れるよ……」
そっとラティオスの背中を撫でる。優しい毛並みが、心地いい。
「……ボクたちも、そろそろホウエンに戻らないといけないね」
隣に座るダイゴさんが、小さな声で呟いた。
もうすぐ、私たちの旅も終わりを迎える。
*
「じゃあ、この飛行機だね」
とある日の夜、オージャの湖中央部、切り立った崖の洞穴の中。私とダイゴさんはホウエンへと帰る段取りを進めていた。
もう少し旅を続けたい気持ちはあるけれど、私にもダイゴさんにも仕事がある。当初の休暇を延長することもできるけれど、それはやめておいた。一度どこかで区切りは打たなくてはいけない。
「ラティオス、ラティアス。話があるんだ」
二匹を呼ぶと、ラティオスとラティアスは改まる私たちを不思議そうに見つめていた。
「急なんだけど……明日の夜にテーブルシティから飛行機でホウエンに戻るよ」
「きゅう?」
「だから明日の朝にはこの洞窟を発つの。あなたたちともお別れだね」
「しゅわ……」
ラティオスもラティアスも賢いポケモンだ。私たちの話をすぐに理解したようで、悲しげな表情を見せてくれる。別れを惜しんでくれているのだろう。
「きゅうん!」
すると、突然ラティアスが高い声で鳴き出した。短い手で私を引っ張り、背中に乗るよう促してくる。
「え? 乗れってこと……?」
「きゅうん!」
「ラティオスも同じことを言っているみたいだ」
ラティオスはラティオスで、同じようにダイゴさんに背中に乗るよう身振り手振りで伝えている。私たちは疑問に思いつつ、それぞれラティアスとラティオスの背中に乗った。
「わっ!」
二匹は私たちを背中に乗せたまま、洞窟を飛び立った。猛スピードで北へ飛ぶラティアスは、明確にどこかを目指しているようだ。
「ど、どこに行くの……!?」
「きゅん?」
ラティアスは「着いてのお楽しみ」と言わんばかりに、楽しげに首を傾げている。私は必死にラティアスに掴まって、彼女の向かう方向を見つめた。
「きゅうん!」
どれぐらい飛び続けていただろう。雪山であるナッペ山頂上に着くと、ラティオスとラティアスは空中で静止した。そして、二匹揃って夜空高くへと顔を向ける。
「わあ……っ」
ナッペ山から見えた夜空には、満天の星空が広がっていた。
「雪山だからかな、空気が綺麗だから星もよく見えるね」
「はい……すごい!」
夜空に煌めくたくさんの星々。一つ一つが違う輝きを放っていて、私はその星空に圧倒される。
「この景色を見せに来てくれたんだね」
「きゅうん!」
「ありがとう。すっごく綺麗だよ」
輝く星の光が私の心に眩しく映る。ああ、そうだ、あのときダイゴさんと流星の滝で星空を見たときも同じだった。あの綺麗な星空を見て、私も広い世界を見たいと思った。世界を旅したいと、心から思った。
心が震える。胸が高鳴る。美しい景色に、心臓が大きく鼓動を打っている。
「ダイゴさん……私、旅をして本当に良かったです」
私は涙を拭いながら、今の気持ちをダイゴさんに伝えた。
なんの涙かはわからない。感動の涙か、旅の終わりの寂しさの涙か。わからないけれど、涙が止めどなく溢れてくる。
「ボクもそう思うよ。本当に……楽しい旅だったね」
「はい……」
夜空に星が一つ、流れた。その流れ星に私は一つ願いをかけた。
この旅の思い出を、この先ずっと忘れることがありませんように。私の小さな、ささやかな願いだ。
*
「じゃあね、元気でね」
次の日の朝。オージャの湖に戻った私たちは旅支度を整えて、ラティオスとラティアスに別れの言葉をかけた。
「きゅうん……」
「あなたたちも道中気をつけてね」
「ホウエンでまた会えたら嬉しいな」
「しゅん!」
ラティオスとラティアスは頷くと、空高くへと飛んでいく。彼らもホウエンへと帰るのだろう。
二匹はふと、途中で体を止める。こちらを向いて、短い手で私たちに手を振ってくれた。私は嬉しくなって、大きく手を振り返す。
「またね!」
「きみたちも元気で!」
もう一度別れの挨拶を送ると、今度こそ二匹は東の空へと消えていった。
「じゃあ、ボクたちも帰ろうか」
「はい」
ダイゴさんが私に手を差し伸べるから、私はその手を躊躇いなく握った。
大きな手は、いつだって私を包んでくれる。この旅の最中も、そして、これからも。
私たちの旅は終わる。けれど、この旅の思い出を胸に、私たちの日々は続いていく。
「帰りましょう、私たちの故郷へ」