突然ダイゴさんの家の泊ることになる話
今日は休日。お昼過ぎに私が住んでいるカナズミでダイゴさんと待ち合わせをして、彼のエアームドに乗せてもらいトクサネへ。宇宙センターの内部を見学して、その後は海辺でホエルコウォッチング。日が暮れたら島のカフェで食事をして、今日のデートはお開き。行きと同じくダイゴさんのエアームドで家まで送ってもらう予定……だったのだけれど。
「あれ……」
宇宙センターすぐそばのカフェでダイゴさんと夕食を終え、外に出た瞬間、額にぽつ、と小さく冷たい感触が走った。
「雨?」
顔を上げれば、空には厚く黒い雲がかかっている。カフェに入る前まで見えていた綺麗な星々は一つも見えない。
「そうだね。この雲はまずそうだ」
「わっ」
ダイゴさんは雨にたじろぐ私にスーツの上着をかぶせると、私の手を取った。
「とりあえずボクの家に行こう。たぶんすぐに土砂降りになる」
「は、はい」
ダイゴさんはそう言うと、私の手を引いて自身の家の方向へ走り出す。
短くない距離を走っている間にも、どんどんと雨は強くなってきた。ダイゴさんの上着が雨から守ってくれるけれど、それでも頭と肩にぽつぽつと雨粒の感触が伝わってくる。彼の家に着く頃には、雨はすっかり本降りになっていた。
ダイゴさんは家に入るなり、すぐに棚からタオルを取り出し私に渡してくれる。
「すっかり降られたね。ごめん、カフェで待ってた方がよかったかな」
「いえ、カフェももう閉店時間でしたし……」
ダイゴさんは片手で自身の髪を拭きつつ、もう片方の手でテレビをつけチャンネルをニュース番組に合わせた。
『トクサネシティの急な雨はこのあともしばらく続く見込みで……』
淡々とした口調のキャスターの後ろに、トクサネの宇宙センターの様子が中継で映されている。真っ黒な雲、そしてテレビ画面でもわかるほどの強い雨。私たちが家に入ってからもさらに雨は勢いを増しているようだ。
「珍しいですね、トクサネで急な雨なんて」
「そうだね。トクサネは天気が安定していることで有名なんだけど……」
「わっ!」
ダイゴさんの言葉の途中で、窓の外が一瞬光った。そして直後に響くゴロゴロという重低音。激しい雨に加えて雷まで落ちているらしい。
「雷か……」
雷光が見えてから音まで時間差がほとんどなかったということは、相当な近さに雷が落ちている。少しばかり恐怖を感じて、私は身を震わせた。
「怖い?」
「いや、びっくりしただけなので大丈夫……」
ダイゴさんの心配そうな声に、つい強がりを口にしてしまった。しかし、その強がりは再びの雷鳴に打ち消される。
「ひゃっ!?」
先ほどの倍はあろうかという雷鳴に、再び大きな声をあげてしまった。ぱっと口を手で押さえるけれどもう遅い。ちらりとダイゴさんを見れば、彼は穏やかな笑顔で私を見つめている。
「家の中なら滅多なことがない限り大丈夫だよ」
ダイゴさんは私の手からタオルを取ると、そっと私の髪を拭き始めた。子供を宥めるかのような優しい手つきに、照れくさくなると同時に、無性に心がくすぐられる。
「はい……ありがとうございます」
外から聞こえる雷鳴は相変わらず私の恐怖を煽るけれど、タオル越しに伝わるダイゴさんの手の温もりに安心感が湧いてくる。頬を優しくタオルで撫でられて、私は目を細めた。
「今日はうちに泊まっていきなよ」
「えっ!」
しかし、安心した心はダイゴさんの言葉で再びひゅっとこわばった。
「さすがにこの雨の中で、きみを乗せて空は飛べないよ」
ダイゴさんは私の耳を拭うと、小さく苦笑する。
空を飛ぶを使えない私がトクサネから自分の家のあるカナズミに帰るには、船を使うかダイゴさんのエアームドに乗せてもらうしかない。いつもはダイゴさんに送ってもらっているのだけれど、彼の言うとおり、この激しい雨の中で空を飛ぶのは危険が大きすぎるだろう。
「明日も休みだったよね」
「は、はい。でも……」
「なにか問題がある?」
小さく首を傾げるダイゴさんに、私は口ごもる。
ダイゴさんの家には、前に一度だけ泊まったことがある。ただ、今日は泊まる予定はなく夕食でお開きの予定だったので、いきなり泊まることになるのは、ほんの少し緊張するというか、萎縮してしまうというか。
「今日は泊まるつもりじゃなかったですし……」
小さな声で答えると、ダイゴさんはふっと小さな笑顔を浮かべた。
「きみが望まないことはなにもしないよ」
ダイゴさんは優しい声でそう言うと、私の頭を大きな手で撫でた。柔らかい感触がくすぐったくて、私は下を向く。
「す、すみません……」
「謝ることじゃないからね」
私の目に、ダイゴさんの優しい笑顔が映る。
ダイゴさんはいつもそう。どこまでも、私に優しくしてくれる。ダイゴさんの優しさに触れるたび、私の心はいつも彼に奪われる。
「……くしゅっ」
気が抜けたせいか、ふっと背筋に寒気が走る。雨に濡れて冷えてしまったのだろう。
「冷えちゃったね。お風呂……雷鳴ってる間は危ないか。服を貸すから着替えておいで」
「は、はい。ありがとうございます」
ダイゴさんに白いシャツを渡され、私はバスルームへ入った。洗面台の前に立ち、濡れてしまったチュニックを脱ぐ。
「寒……」
ダイゴさんの上着が守ってくれたにも関わらず、これだけ濡れてしまった。おそらくダイゴさんはびしょ濡れの状態だろう。ダイゴさんもちゃんと着替えているだろうか。扉の向こうのリビングを気にしつつ、彼のシャツを広げた。
「あ……」
シャツを羽織った瞬間に、ふわりと香るのはいつものダイゴさんの香りだ。清潔感のある爽やかな香りの中に、かすかに感じる色気のある甘い香り。洗剤の匂いか、それとも香水が溶け込んでしまっているのだろうか。抱きしめられたときにだけ感じる蠱惑的な香りが漂って、私の心臓は小さく跳ねた。
小さなときめきを感じながら、シャツの袖に腕を通す。長い袖から私の手は出ない。私の体格ではダイゴさんのシャツはぶかぶかだ。
「大きい……」
余った服の袖をぎゅっと指で握る。わかっていたことだけれど、改めて感じる体格差に、心臓がトクントクンと鼓動を早く打つ。
「……」
いや、いや。ダイゴさんにああ言ったのに、なにを考えているんだ、私は。いつの間にか熱くなった頬を手で扇いで、火照りを抑える。濡れてしまったチュニックをハンガーに掛け、バスルームを出た。リビングに入ると、部屋着に着替えたダイゴさんの姿が目に入る。
「はい、これ」
ダイゴさんは笑顔で私にマグカップを一つ差し出した。中身はホットミルクのようだ。きっとあまいミツを入れているのだろうだろう、ふわりとあまい香りが漂った。
「冷えただろう? 温まって」
「あ……ありがとうございます」
私はカップを受け取りつつ、内心「むしろ顔が熱いんです」と視線を泳がせる。いやいやいや。いい加減頬の熱よ冷めてくれ。そう願いながら私は片手でカップを持ったまま、もう片方の手で頬を押さえた。
「あれ……」
視線をふわふわと動かしていると、窓の外の様子が変わっていることに気づいた。先ほどまでのバケツをひっくり返したような土砂降りはいつの間にか弱くなっている。雷鳴ももう聞こえない。
「雨、だいぶ弱くなったね」
ダイゴさんはソファに腰を下ろしながら、言葉を続ける。
「これならもう少しすればきみを送っていけるかな」
「あ……そう、ですね」
まだ雨は降っているけれど、この調子なら一時間もしないうちに雨は上がってしまいそう。雨さえ降っていなければ、ダイゴさんのエアームドは夜でも問題なくカナズミまで飛行できるだろう。
安堵する一方で、心の奥にぽかんと小さな穴が開く。私はぎゅ、とシャツの袖を握りしめた。ぶかぶかのダイゴさんのシャツは、私の手を簡単に覆ってしまう。
「、こっちにおいで」
視線を下を向けていると、ダイゴさんの穏やかな声が聞こえてくる。甘い響きに吸い込まれるように、私はダイゴさんの隣に腰を下ろした。
「っ!」
すると、ダイゴさんが私のシャツの胸元のボタンに手を添えた。脱がされる? 先ほどまでの優しい言葉とは真逆の行動に、私は驚きのあまりたじろいでしまう。
「あ……」
私の想像とは裏腹に、ダイゴさんは静かに私のシャツのボタンを閉めていく。一つ、二つと、両手を使って、丁寧に。
「右前のシャツは慣れていないのかな」
ダイゴさんの言葉に、私の頬はかあっと熱くなる。普段は着ることのない男物のシャツ、慣れていないせいかボタンがうまくはめられていなかったようだ。
「ごめんね、今はさすがに目の毒だ」
ダイゴさんはボタンを閉め終えると、クスリと笑った。
私は自分の胸元に手を添える。優しい感触が、まだ残っている。
トクン、トクンと小さく心臓が鼓動を打つ。甘い痛みが少しずつ広がって、思考を溶かしていく。
「……あ、の。ダイゴさん」
私は手を伸ばし、ダイゴさんの服の裾を掴む。
言っても、いいかな。伝えたら呆れられてしまうかな。そんな考えが頭をよぎるけれど、私の唇は勝手に言葉を紡いでいた。
「雨が上がっても……帰りたくないです」
ついさっき「泊まるつもりはないから」と言ったのは私のほうなのに、なんて勝手なことを言っているんだろうと自分でも思う。でも、帰りたくない。ダイゴさんの甘い香りに包まれて、優しさに触れてしまったら、もう帰れない。もっと彼に触れたい。触れてほしい。甘い欲が、溢れてしまった。自分の中に芽生えた欲を、抑えることができない。
ダイゴさんは目を丸くして私を見つめている。当然だ。ほんの数分前まで私は首を横に振っていたのだから。
「す、すみません……あんなこと言ったのに」
やはり呆れられてしまったかな。耐えきれずに思わず下を向くと、ダイゴさんの手が私の頬に触れた。ダイゴさんの手も、熱い。
「ねえ、。ボクもね」
そっとダイゴさんを見上げると、彼は笑みを浮かべていた。優しさの中に、妖艶さを孕んだ色気のある小さな微笑み。
「本当は、きみを帰したくなかったよ」
言葉の次に降ってきたのは優しいキス。触れた唇から、ダイゴさんの熱が伝わってくる。
「いつの間に焦らすことを覚えたの?」
「そ、そんなつもりじゃ」
「ふふ、たまにはこういうのも悪くないね」
私の反論はダイゴさんの唇で塞がれる。キスをしたまま、ダイゴさんの右手が、私のシャツのボタンを外した。それはきっと、私と同じ甘い欲のしるし。
雨の音は、もうしない。聞こえるのは、耳元で囁かれるダイゴさんの愛の言葉だけ。