妬くか妬かないかの話

 私のエネコはダイゴさんによく懐いている。今日もダイゴさんが私の部屋に来た途端、エネコはモンスターボールから飛び出してダイゴさんの元へ一目散に駆け寄った。
「エネ~!」
「よしよし。今日もきみは可愛いね」
 飛び跳ねて喜ぶエネコと、エネコを抱き留めるダイゴさん。いつの間にか当たり前になった光景に、私は頬を緩ませた。
「夕飯作りますね」
「ありがとう。手伝おうか?」
 エネコを抱きしめたまま立ち上がるダイゴさんを、私は「エネコが寂しがっちゃいますよ?」と言って制止した。手伝ってくれるのはありがたいけれど、嬉しそうにはしゃぐエネコとダイゴさんを引き離すのは気が引ける。
「じゃあお願いするね。ポケじゃらし借りてもいいかな」
「もちろん」
「ありがとう。エネコ、おいで。こっちで遊ぼうか」
 ダイゴさんがソファに座ると、エネコは軽い動きで彼の膝の上に飛び乗った。ぴょんぴょんと跳ねてはしゃぐエネコは、ポケじゃらしなんてなくても十分楽しそうだ。
 さて、私は夕飯を作らないと。笑顔の二人に心を和ませながら、キッチンの冷蔵庫を開けた。

 夕飯のカレーを食べている間も、エネコはダイゴさんに夢中だ。最初は「ご飯のときは静かにね」と言われてしょぼんとしっぽを垂らしていたけれど、ダイゴさんの手からポケモンフードを食べさせてもらってすぐにご機嫌に。夕飯後の片づけは食事を作らなかった方が担当する習慣になっているのだけれど、今日はダイゴさんの膝の上でエネコがすっかり落ち着いてしまったので、私が一人で片づけることに。
「ごめんね、一人でやらせてしまって」
「いいえ、ダイゴさんこそ構ってくれてありがとうございます」
 お皿も洗い終え、ソファに座るダイゴさんに食後のコーヒーを持って行く。エネコの声が聞こえないと思ったら、ダイゴさんの膝の上ですやすやと寝息を立てていた。
「ありがとう。エネコははしゃぎ疲れたのかな。もう寝てしまったよ」
「いつもすみません……」
 私はダイゴさんの隣に座り、安心しきった顔で眠るエネコの額を撫でた。もう、幸せそうな顔をしちゃって。そんなことを思いながら、エネコをモンスターボールに戻した。
「エネコ、本当にダイゴさんが好きですね」
 通常エネコは「なかなかトレーナーに懐かない」と言われるようなポケモンだ。しかし、私のエネコは自分のトレーナーですらないダイゴさん膝でぐっすりと寝入るほど、ダイゴさんを慕っている。なにも知らない人が二人を見たらひっくり返ってしまうのではないかと思うほど。
「エネコに妬いてる?」
「いや、どっちかっていうとダイゴさんに妬いてます……」
 ダイゴさんは心なしか弾んだ声で聞いてくるけれど、残念ながら私の素直な気持ちはこれだ。
「エネコ、私にだってなかなか慣れてくれなかったんですよ」
「そうなの?」
「ダイゴさんにはすぐに懐いたし、今もすごく仲いいし……」
 幸せそうに眠るエネコを思い出しながら、私ははあとため息を吐いた。
 エネコが私の隣でぐっすり眠ってくれるようになるまで短くはない時間がかかった。それなのにダイゴさんにはこんなにすぐに懐くなんて。ダイゴさんがポケモンの扱いがうまいことを差し引いても、ダイゴさんに少しばかり嫉妬してしまう。
「妬かないで。時間はかかったかもしれないけれど、今といるときのエネコはとても幸せそうな顔をしているよ。ボクには見せないような、ね」
 ダイゴさんは穏やかな笑顔で私の手を取ると、そっとエネコの入ったモンスターボールにその手を近づける。心なしか、赤いボールは温かい。
「……ありがとうございます」
 ついつい妬いてしまうけれど、ダイゴさんの言うとおり、エネコは私の大切な相棒だ。エネコの入ったモンスターボールを撫でると、自分の心も凪いだような、柔らかな気持ちになる。
「……そういえば、エネコに妬いてるって言ったらどうするつもりだったんですか?」
 ふと思いついた疑問をダイゴさんにぶつけてみる。自分にこんなに愛情を向けているエネコを、ダイゴさんが邪険に扱うはずもない。「妬かなくて大丈夫だよ」と笑って言ってくれるつもりだったのかな。頭の片隅でそう思いながら、首を傾げてダイゴさんを見つめた。
「それはもちろん」
「っ!」
 ダイゴさんは飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに置くと、私の手を取った。先ほどと同じような仕草のはずなのに、感じるのは優しさや甘さではない。指先で撫でるような動きはどこか扇情的で、私は小さく身を捩った。
「妬く必要なんてないぐらいボクがきみを好きだって、教えてあげるよ」
 ダイゴさんは私の手の甲にそっと唇を落とす。私を見つめるダイゴさんの表情は、今までの穏やかなものとはまるで違う、誘うような妖しい笑み。さらに、色気を孕んだいつもより少しだけ低い声。想像していなかった艶を纏った雰囲気のダイゴさんに、私の心臓は大きく跳ねた。
「なんてね」
 ダイゴさんはすぐにいつもの柔和な笑顔に戻るけれど、私の胸は疼いたままだ。心の奥にあるのは、甘くときめきだけじゃない、小さく沸き上がる焦げるような強い欲。
「や……」
 ダイゴさんは再びカップを手に取ろうとするから、私はぎゅっと彼の服の袖を掴んでそれを制止した。下を向いたまま、視線だけをダイゴさんに向ける。
「やっぱり妬いて、ます」
 ダイゴさんは一瞬目を丸くした後、すぐに口元に笑みを作った。
 ダイゴさんは知っている。私が本当は妬いていないことを。妬いていない私が、この言葉を告げた意味も、聡い彼はわかっている。
「それならきみに伝えないといけないね」
 言葉とほぼ同時に、キスが降ってくる。右手で顎を持ち上げられて、一度、二度、何度も。甘いキスに頭も全身も酔い始める。
「そんな可愛いお誘い、どこで覚えたの?」
「ダイゴさんが教えたんですよ」
「ふふ、そうだね」
 ダイゴさんは私の頬を撫でる。指が首筋まで下がって、私は小さく体を震わせた。
「どれだけボクがを好きか、教えてあげるよ」



「エネコ、ダイゴさんは朝ご飯作ってるんだから」
「エネ~!」
「はは、今日も元気だね」
 次の日の朝。相変わらずエネコはダイゴさんに構ってほしそうに彼の足下でぴょんぴょんと跳ねている。さすがに朝ご飯の準備をしているダイゴさんの邪魔をさせるわけにはいかず、私はエネコを抱き上げた。
「もう、本当にダイゴさんが好きなんだから」
「エネ!」
「きみのポケモンに好かれるのは嬉しいよ」
 ダイゴさんはパンをトースターに入れると、笑顔のまま私の方へ振り返る。
「ねえ、こんな話を知ってるかな」
 あくまで俗説だけど、とダイゴさんは前置きをして話を続ける。
「ポケモンは自分のトレーナーをよく見てる。トレーナーが好意を向けてる相手には、ポケモンもよく懐くって」
「え……」
のエネコがボクにこんなに懐いてくれてるのは、のおかげかな」
 一瞬の間をおいて、言葉の意味を理解した私の頬は一気に熱くなる。
「えっ、いや、あの違くて」
 私に抱き上げられたまま、ダイゴさんの元へ行こうと空中で足を動かすエネコ。ダイゴさんへの愛情を全身で表すエネコ。この大きな愛情表現が私に由来があると思うと、とてつもなく恥ずかしい。
「ボクのこと、好きじゃない?」
 私の「違う」に反応したのだろう。ダイゴさんは首を傾げてそう問い掛けてくるけれど、その表情は満面の笑みに包まれている。
「す……、好きですけど!」
「嬉しいね」
 ダイゴさんは一歩私に近づくと、私の腕のエネコを大きな手で撫でる。そしてそのまま私にキスをした。「ボクもが好きだよ」と言葉を添えて。
「昨夜教えたから、知っていると思うけどね」
 耳元で囁かれた言葉に、また頬が熱くなる。
 ダイゴさんって、ずるい。