ダイゴさんの指と指輪の話
とある休みの日。今日はダイゴさんと一日一緒に過ごす約束だ。お昼過ぎに待ち合わせをして、ダイゴさんとトクサネの海辺を軽く歩いたあと、日が暮れた頃にダイゴさんへの家へとお邪魔した。
「どうぞ、入って」
「お邪魔しますね」
ダイゴさんの部屋はいつ来ても綺麗に整頓されている。「なにもなくて恥ずかしいけどね」なんてダイゴさんは言うけれど、きっちりコレクションされた石があるじゃないと毎回思う。
「なにか飲む?」
「コーヒーいいですか?」
「了解」
ダイゴさんはスーツのジャケットを脱ぐと、リビングに併設されたキッチンへ。私は彼を待つ間、飾られた石を眺めることにした。ダイゴさんのように石に興味があるわけではないけれど、採取地までしっかり記されたコレクションはちょっとした博物館のようで興味深い。なによりこれらすべてダイゴさんが採掘したのかと思うと、ダイゴさんの旅の欠片が見えるよう。ぴかぴかに磨かれた空のガラスケースがひとつあるけれど、ここにはきっと先日採掘に行ったというジョウトの石が飾られるのだろう。先ほど海辺でそのときの話をしてくれたダイゴさんの少年のような表情を思い出すと、ガラスケースに私の笑顔が映った。
「コーヒー、できたよ」
「ありがとうございます」
ダイゴさんの声とともに、ふわりとコーヒーの香りが漂った。私はいつも座っているイスに腰掛け、ダイゴさんが淹れてくれたコーヒーを一口飲む。うん、おいしい。
一方のダイゴさんはコーヒーには口をつけず、カップだけテーブルの上に置いた。そしてベストを脱ぎ、イスの背に置いていたジャケットとともにハンガーへ掛ける。
いつもはスーツを着ているダイゴさんも、家の中では少しラフな格好になる。ベストに続いてボルドーのアスコットタイを緩め、胸元のボタンもいくつか外した。喉から胸元のあたりが露わになって、私の心臓は小さく跳ねる。
ダイゴさんは細身だけれど、一つ一つのパーツはやはり男の人だ。ほんのりと浮き出る喉仏に、はっきりと見える首の筋。そして太い鎖骨のラインは「男の人」を思わせるには十分で、無性に心が疼いた。
「男の人」なダイゴさんに視線が釘付けになってしまい、一口だけ飲んだコーヒーのカップを握りしめたままでいると、ぱっとダイゴさんと目が合った。
「そんなに見つめられるとさすがに照れるな」
ダイゴさんは袖口のカフスボタンを外しながら、笑顔を私に向ける。その明るい笑みには、言葉とは裏腹に照れなど微塵も感じられない。
「す、すみません……人の着替えをじろじろと」
ダイゴさんに照れた様子が見られないとは言え、着替えを凝視するのは失礼だろう。しかも内心考えていたことが考えていたことなので、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、私は一人うなだれた。
「きみに見つめられて悪い気はしないよ」
軽い服装になったダイゴさんは私の隣に座ると、コーヒーの入ったカップを手に取った。
大きな手だなあ、と瞬間的に思った。
ダイゴさんのカップと私のカップは色が違うだけで同じものだ。付き合い始めた頃にダイゴさんが揃えてくれたもの。同じ大きさのものを持つと、手の大きさの違いがよくわかる。手を繋いだときも思うけれど、私よりずっと大きな手だ。
「今日はずいぶん熱い視線を送ってくれるね」
ダイゴさんは正面を向いたまま、視線を私に向けてくすりと笑った。先ほどの明るいものとは少し違う、妖しさを孕んだ笑顔だ。
「す、すみません……ダイゴさんの手、大きいなって思って」
「手?」
素直に思っていたことを告げると、ダイゴさんはカップを置いて自身の手を見つめた。その手はやはり私と違って大きい。関節もはっきりと見えて、ゴツゴツとした無骨な印象を受ける。
「あんまり意識したことないなあ」
「大きいですよ。指も太いし」
正確には特別指が太いというより、関節の大きさが目立っている。もちろん指自体も私の指よりずっとしっかりしているのだけれど。
「指か」
ダイゴさんは自身の指をまじまじと眺めたあと、視線を私に移した。見つめる先は、私の左手だ。
「きみの指は細いね」
「そうですかね。まあ、ダイゴさんに比べれば」
「細いよ」
ダイゴさんはおもむろに自身の左手の薬指から指輪を抜いた。無骨なデザインのシルバーリングが、天井の明かりを受けて鈍く反射する。
「手、貸してくれるかな」
「え……」
ダイゴさんは返事を聞く前に、私の左手をそっと手に取った。
彼の視線が私の左手に向く。ダイゴさんがいつもつけている指輪が、私の左手に近づいていく。これは、もしかして。甘い小さな期待が私の中に膨らんで、その思いとともに心臓の音がだんだんと大きくなっていく。
ドクン、ドクン。心臓が一際激しい鼓動を打ったとき、ダイゴさんの指輪が私の指にかかる。
「ほら」
しかし、私の予想は外れ、ダイゴさんは私の左手の中指に自分の指輪をはめた。
「きみの中指でも緩いよ」
ダイゴさんの言葉の通り、中指にはめられたシルバーリングは緩くてくるくると回ってしまう。うっかりすると落ちてしまいそうなほどにサイズオーバーだ。
「そ、そうです、ね……」
しかし、今の私の心は、自分の指の細さなんてどうでもいいぐらいに羞恥に染まっている。
薬指に指輪がはめられるかも、なんて一人で勝手に期待してしまった。いや、別に、いつもダイゴさんがつけている指輪が私の薬指にはめられたところで、大きな意味はないとわかっている。けれど、それでも、恋人に指輪を特別な指にはめてもらうシチュエーションに憧れるぐらいの心は、私も持っているのだ。
うう、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。羞恥でどうにかなってしまいそう。真っ赤になっているだろう顔を隠すために、私は俯いてダイゴさんから視線を逸らした。ダイゴさんにはどうか心の内が伝わっていませんように。もし伝わっていたらここから逃げ出したい。今すぐに。
「」
ダイゴさんは私の名前を呼ぶと、私の左手の薬指を指先で優しく撫でた。指の根本を繰り返し、何度も。
「ボクがきみのこの指にはめる指輪が、ボクのお古なわけないだろう?」
ダイゴさんの言葉に、心臓が強く跳ねた。
耳と心に響く、誘いかけるような甘い声。言葉の意味がすぐにわかって、私の胸はどうしようもなく震えてしまう。触れられた薬指がくすぐったくて、熱い。
私の心の内なんて、ダイゴさんは全部わかっていた。わかった上で、私の心を一瞬で掴む言葉を、ダイゴさんはいつも紡ぐのだ。
「赤くなっているね」
ダイゴさんは左手で私の頬を撫でると、からかうような声でそう言った。
「わ、わざわざ言わないでください……」
自分の頬が赤くなっていることなんて、私が一番わかっている。唇を尖らせると、ダイゴさんは私の顔を覗き込んで笑顔を浮かべた。どこか食えないような雰囲気の、それでも優しさを含ませた甘い笑み。
「ねえ、この赤みは期待と受け取っていいのかな」
問いかけるダイゴさんの明るい声色こそ、期待の感情が滲んでいる。私たち二人とも、きっと同じ未来を思い描いているのだ。
私はそっと、ダイゴさんへ体を寄せた。
「もちろん」
小さな声で答えれば、「嬉しいな」と耳元にダイゴさんの声が響く。甘く優しい、真っ直ぐな、私の大好きな声だ。
「もう少し待っていてね」
ダイゴさんは私の左手の薬指にキスをする。
どうしよう。きっと今、頬だけでなく全身真っ赤になっている。