変わりゆくもの/9
「! フレンと付き合ってるって本当!?」
「はあ!?」
家に飛び込んできた友人のウラの言葉に、わたしはひっくり返った。
「ま、はあ!? なに!?」
ウラの言葉の意味がまったくわからず、わたしは朝食を中断して立ち上がる。
「え、違うの?」
「違う、違う! え、なに!? なんでそんな話が!?」
ウラはわたしの隣のイスに座ると、「なーんだ」と笑顔を見せる。
「カキラおばさんから聞いたの。おととい市民街であんたとフレンがそんな話をしてたって言ってて……」
おととい、市民街という言葉を聞いて、思い出すのはフレンがナンパ男から助けてくれたときのことだ。あのときあのナンパ男は「彼氏持ちかよ」と大声で言い捨てていた。おそらくそれが勘違いされてしまったのだろう。
「それ、誤解! フレンが変な男から助けてくれて……」
わたしは誤解を解くため、二日前の出来事の詳細をウラに話した。ウラはすぐに納得してくれたようで、ほっと息を吐く。
「なーんだ、びっくりした」
「わたしもびっくりだよ……」
「にはユーリがいるもんね」
ウラの言葉に、わたしは飲んでいたミルクを吹き出した。
「ちょ、汚いなあ」
「そっちが変なこと言うからでしょ!」
ただでさえ今はユーリの名前を聞くと心臓が跳ねてしまうのだ。付き合うだの付き合ってないだのの文脈でユーリの名前を出されれば、どうしたって動揺してしまう。
「だってユーリとあんなに仲いいじゃない」
「そりゃ悪くはないけど……」
「よく喧嘩もしてるけどさ、喧嘩するほど仲がいいって言うし」
フレンばかりか、ウラからもそう見えるのか。むずがゆいような、もどかしいような、恥ずかしさを感じてわたしは下を向いた。
「本当にユーリとなにもないの?」
「ないけど……」
「ふーん……。ユーリ、結構人気だからね。昨日も一個上の人たちが市民街で騎士にナンパされてるとこ助けてくれたってうれしそうに話してたよ」
昨日……なるほど、昨日ユーリが騎士団と揉めていたのはそれが原因か。市民を守るはずの騎士がいったいなにをやっているんだか。
呆れつつも、ウラの言葉が心に棘のように刺さるのを感じていた。
フレンのように表立ってはいないけれど、ユーリも女子に人気がある。顔も整っているし、憎まれ口を叩きつつも下町のみんなを助ける性分だから当然だろう。
ユーリとの関係について、気持ちを告げて関係を壊す危険を冒すぐらいなら、友達のままでいいかもしれないと思っていた。なんなら、少し前まではこのままが心地いいとすら感じていた。
でも、「このまま」を過ごしているうちに、もしユーリに恋人ができたら? 恋人と幸せそうに過ごすユーリを前にして、わたしは今までのように笑って過ごせるだろうか。そんなの、無理に決まっている。だって、想像しただけで裂けるような痛みが心を襲うのだから。
いくらわたしが今のままがいいと思っていたって、周囲は変わる。大好きな下町だって、以前とは変わった。わたしが子どもの頃より経済状況はずいぶんとよくなり、飢えて困るような者はほぼいなくなった。昔は市民街へ働きに出るのも難しかったけれど、今では日雇いとは言えある程度の仕事を得ることができている。
ハンクスさんに聞いたところによると、わたしたちが生まれる前の下町は、わたしたちが子どもの頃よりもっと劣悪な環境だったらしい。そのときから考えれば今の状況はめざましい変化だろう。
下町の住民の優しさは変わらない。それでも下町を取り巻く状況は変わっていく。
変わるもの、変わらないもの。
変わらなければならないもの。
わたしとユーリは、どうなっていくのだろう。
「ユーリのこと考えてるの?」
考え込んでいると、ウラがにやにやと笑いながらわたしの顔をのぞき込んだ。わたしははっと彼女から顔を背ける。
「まあユーリのことは置いておいてもさ、フレンとのこと気にした方がいいんじゃない? ちょっと噂になってるよ」
「嘘ぉ……」
「フレン、モテるからね。恨みを買う前に誤解解いたほうがいいよ」
「恨み……確かに買うかも……」
フレンの人気ぶりはわたしも知っている。あの女子たちを敵に回しかねないという事実に、わたしは思わず机の上に突っ伏した。最近はいろんなことが起きて、心臓だけでなく頭の中も爆発しそうだ。
ウラから噂のことを聞いた翌日。噂は女子の間で広がっているらしく、女の子たちに聞かれては訂正している。二つ下の女の子に聞かれて誤解を解いたときにはうれしそうに泣かれてしまった。フレン、罪な男だなあ……。
「はあ……」
市民街での仕事の帰り道も、イーラおばさんに「フレンと付き合ってるのかい?」と首を傾げられてしまった。全員が知り合い状態の下町、その中でもフレンは特に有名人だ。みんながフレンの話題に敏感になるのは自然なこととはいえ、さすがに疲れてきた。
「あ……」
水道魔導器前に、黒いポニーテールが見えた。間違いない、ユーリだ。この間からユーリの姿を見るとドキドキしてしまって仕方ない。
平常心、平常心。心の中で唱えながら、わたしはその場で深呼吸した。高鳴る鼓動を抑えながら、ユーリに駆け寄って声をかける。
「ね、ユーリ」
しかし、ユーリはふいと顔を背けてしまう。
え、なにそれ。今、無視された?
カチンと来て、わたしは思い切りユーリのポニーテールを引っ張った。
「いででで!」
「ちょっと、なんで無視するのよ」
「……聞こえなかったんだよ」
「ふーん……」
周りも静かだったと言うのに、聞こえなかったなんて本当だろうか。いぶかしみつつも、わたしは話題を本来のものへと移す。
「ね、夕飯そっちで食べたいんだけどいい? 今日仕事先で余ったお肉もらえたから子どもたちも喜ぶかなって」
わたしは抱えた袋をユーリに見せる。決していいお肉ではないけれど、下町の子どもたちにとっては貴重なお肉だ。ひとりでは食べきれないし、子どもたちに振る舞いたい。
「肉ね……好きにすれば」
ユーリは平坦な声でそう言うと、手をひらひらと振って自宅の方向へひとりで歩き出してしまう。
なんだろう、なんだか妙にそっけないような。もともとユーリは愛想がいいタイプではないけれど、それにしても違和感があるような。
「虫の居所でも悪いのかな……」
体調不良でもなさそうだし、単純に機嫌が悪かったのかもしれない。ユーリが不機嫌さを表に出すことは珍しいけれど、ユーリにだって我慢できないときがあるだろう。わたしは特に気にせず、一度自宅に荷物を置いてからユーリたちの家へと向かった。
「お邪魔しまーす」
「やあ、いらっしゃい」
「お姉ちゃんだー!」
「わっ、よしよし」
孤児の家へ入ると、フレンと子どもたちが出迎えてくれる。五歳の女の子がぎゅっと抱きついてきたので、わたしはその子の頭を撫でた。
「あれ、ユーリは?」
家の中を見渡すけれど、ユーリの姿が見えない。てっきり先に帰っているのだと思ったのに。
「ああ、夜勤の警備の仕事をするってさっき市民街へ向かったよ」
「え……そうなの? わたし、聞いてないんだけど……」
さっき会ったときにはそんなことまったく言っていなかった。仕事なら仕方ないけれど、顔を合わせたのだから言ってくれてもよかったのに。
「急に決まったようだから」
「そう……」
「ユーリがいなくて残念だった?」
うつむいていると、フレンがからかうような声でそう聞いてくる。わたしは一気に熱くなった顔を上げた。
「フレン!」
「はは、ごめんね。ずいぶん寂しそうだったから、つい」
フレンは謝りつつも、変わらぬ言葉を続けてくる。フレンって法や規則には四角四面なくせに、こういうところは「ユーリの親友」だ。
「ユーリから聞いてるよ、豚肉が手に入ったって」
「うん、わたしが作るよ。フレンは子どもたちのこと見ててくれる?」
「ありがとう、お願いするね」
フレンは花を飛ばしながら、子どもたちと遊び始める。
フレンは肉料理が好きなのだ。あまり大っぴらには言っていないけれど、ユーリもわたしも気づいている。まあ、フレンのことだから、全員分に足りなければ子どもたちに譲るだろうけれど。
さて、わたしの腕の見せ所だ。お肉は子どもたちに多めにするにしても、きちんとフレンにも行き渡らせるように調理しないと。
「……」
包丁を持って、ふと考える。ユーリは、夕飯はどうするのだろう。
「フレン、ユーリって夕飯どうするか聞いてる?」
わたしは顔だけフレンのほうに向けて問いかける。フレンは子どもたちの相手をしながら答えた。
「帰ってきたら適当に食べるって言っていたよ」
「そっか……あのさ」
「ユーリの分、作っておくんだろう? ユーリが帰ったら伝えておくよ」
フレンはわたしの心を見透かしたかのように、満面の笑みを浮かべている。恥ずかしいけれど、フレンの言葉の通りだ。
ユーリはお昼も行商の手伝いをしていたはず。さらに夜まで仕事となればいくら体力のあるユーリでも疲れるだろう。夕飯ぐらい手間をかけずに食べられるようにしておきたい。
気合いを入れて、わたしは貴重なお肉の調理を始めた。
*
噂が流れ始めてから三日がたった。相変わらず下町の女の子やおばさんたちに噂の真偽を聞かれている。最初は同年代だけで回っていると思っていたけれど、想像以上に噂は広がっているようだ。
「はあ……」
下町を歩きながら、わたしはため息を吐いた。
もう否定する労力についてはどうでもよくなってきた。いや、面倒は面倒だけれど、それ以上に気を揉んでいることがある。
ユーリに知られたら、嫌だな。噂が大きく広がっていることを知ってから、ずっとそう思っている。
ほかの人に勘違いされるのも困り物だけれど、ユーリに誤解されるのは種類が違う。ユーリにだけは、フレンと付き合っているなんて思われたくない。
ま、ユーリは噂が好きなタイプでもないから、さすがにユーリにまで噂は届かないだろう。昨日フレンにそれとなく聞いてみたけれど、フレンも噂のことはまったく知らない様子だったし、広がっていると言っても噂好きの女性陣の間での話のようだ。
「あ……」
ぼんやりと歩いていると、思い浮かべていた人物の姿が向こうに見えた。高く結んだポニーテールを揺らす、ユーリの姿が。
「ユー……」
手を振って名前を呼ぶけれど、ユーリは呼びかけに応えずそのまま向こうへ歩いて行ってしまう。
「え……」
聞こえなかった、のかな。この間と違って距離はあったし、声が届いていなくても不思議はないのだけれど。
うん、たぶん聞こえなかったのだろう。きっとそう。
心のどこかに引っかかりを感じながら、わたしは空を切っただけの手を見つめた。
*
「ねえ、最近ユーリの様子おかしくない……?」
噂が立ってから一週間。わたしはユーリたちの家で夕飯を食べながら、ユーリのいない団欒の席でフレンに問いかけた。
最近、ユーリの態度がそっけない。わたしが話しかけようとしても、声をかける前にそそくさとどこかへ行ってしまう。顔を合わせても生返事でどこかつれない態度を取る。今日のようにこの家に食事に来ても、急な仕事が入った、よその家の修理に呼ばれたなどとなんだかんだと理由をつけていつもいない。
ユーリはもともと愛想がいいわけではないけれど、これはさすがに気のせいではない。
「うーん……言われてみればちょっと大人しい気もするけど……それ以外は特に」
「でも今日もいないし……」
「ああ、昔は年齢的に夜の仕事は任せてもらえなかったからね。最近は割のいい警備の仕事ももらえるようになったって嬉しそうに話したよ」
「そう……?」
子どもたちもフレンに同意のようで、特に変わったと感じてはいないようだ。今朝ウラにも聞いてみたけれど同じ答えだった。
それなら、ユーリはわたしにだけそっけないの?
フレンの作った煮魚を口に含むけれど、味がしない。噛んでもうまく飲み込めない。
みんなには態度を変えず、わたしにだけ冷たい態度を取るユーリ。なによ、なんで……。
「なによそれ!」
わたしはぎゅっと拳を握った。わたしは「そっけなくされて悲しい」で終わる女じゃない。このままでたまるか! 絶対問いただしてやる!
「ねえ、フレン。ユーリの明日の予定は!?」
「え、行商の手伝いだったかな……」
「ありがとう!」
わたしは残った料理をかき込んで、いつもユーリが座っているイスを見つめた。
待ってなさい、ユーリ。「気ぃ強え女」の本領見せてやるんだから!
ユーリたちの家で食事をした次の日。わたしは夕方になるのを待って、市民街へとつながる坂道に向かった。
ユーリはそろそろ仕事から帰ってくるはず。わたしは坂道を覗ける路地に身を隠した。先にユーリに見つかったら逃げられてしまうかもしれない。うまく隠れて、確実にユーリを捕まえなくては。
「来た……」
待つこと三十分、ようやくユーリの姿が見えた。わたしに気づいた様子はなさそうだ。わたしは息を潜めて、ユーリがこちらへ近づくのを待つ。
ユーリがわたしのいる路地の前に来るまで、あと三歩、二歩、一歩……。
今だ!
「おわっ!」
わたしは路地から腕を伸ばして、ユーリの左手を掴む。そのままその腕を引っ張って、ユーリを路地裏に連れ込んだ。
「は、な、なんだ!?」
「ちょっと話があるんだけど!」
「……」
最初はわけがわからないと言った様子のユーリも、わたしの姿を見て冷静さを取り戻したようだ。真っ直ぐ立って、「なんだよ」と低い声を出す。
冷たい口調に、ぎゅっと心に痛みが走る。ユーリがそんな声をわたしに向けるなんて初めてだ。
「……わたしのこと避けてるでしょ」
苦しみを飲み込んで、ユーリに問いかけた。ユーリは目を閉じて顔だけ横に向ける。
「そんなことねぇよ」
ユーリは顔を背けたまま、小さな声でそう言った。
うそつき。ユーリのうそつき。わたしはぎゅっと唇を噛んで、ユーリの視界に入るよう移動した。
「うそつき!」
「うそじゃねぇよ」
「ちゃんとわたしの目見て答えて!」
「……」
ユーリはやはりわたしから目を逸らす。
本当に、避けられているんだ。胸の奥が刺されたように痛む。
「ねえ、なんで!?」
痛みを隠して、大声でユーリに問いかける。避けられているのなら、せめて理由が知りたい。わたしがなにかしてしまったと言うのなら改めたいし、謝りたいとも思う。
「それとも……」
わたしに言えない理由なのか。じっとユーリを見つめるけれど、ユーリはわたしから視線を逸らしたままだ。
「別に……」
「……わたしだって、いきなり避けられたら傷つくよ」
それも、よりによってユーリに。ほかでもないユーリに避けられて、悲しくないはずがない。しかも、理由もわからずに。
「どうして……」
昨晩、必死に考えた。わたしがユーリになにかしてしまっただろうかと。しかし、どれだけ考えてもわたしに思い当たる節はなかった。しょっちゅう口論はしていたけれど、避けられる直前は喧嘩らしい喧嘩はしていない。
そんな中でひとつだけ、たったひとつだけ、「もしかして」と思った理由がある。
もし、もしも、ユーリに恋人ができていたら? その場合、付き合っていると勘違いされるような関係だったわたしは邪魔者だろう。ユーリが相手を思ってわたしを避けてもおかしくはない。
「……っ」
隠していた痛みが、涙となってあふれ出す。ユーリに泣いているところを見られたくなくて、わたしは慌てて後ろを向いた。
「……」
「う……っ」
涙が止まらない。息がうまくできない。苦しくて仕方ない。ユーリの顔が、見られない。
「……悪かったって」
「……」
「本当に悪かった。こっち向いてくれ」
先ほどまでの冷たい声ではない、いつもの……ううん、いつも以上に優しいユーリの声。その声に促され、わたしは乱暴に涙を拭い、ゆっくりとユーリへ顔を向けた。
「……なんでなの?」
わたしの考えの通りだったとしても、そうでなかったとしても、せめて理由を教えてほしい。このままわけもわからず苦しい思いを抱え続けるなんて、きっと耐えられない。
「……邪魔だろ、オレ」
「邪魔?」
「……フレンと付き合ってんだろ、邪魔だろ、オレ」
ユーリの言葉に、思考が完全に止まった。
「はあ!?」
再び回り始めた頭で、一番初めに出てきた言葉はそれだった。いや、言葉ではなくただの叫び声と言った方が正しいだろう。
「待って、ユーリまでその噂知ってるの!?」
噂について聞いてくるのは同年代の女の子やイーラおばさんをはじめとした女性ばかりだったから、ユーリにまで噂が回っているとは思わなかった。しかも時間がたったせいかここ数日はすっかり噂自体なりを潜めていたものだから、わたしも噂のことは思考の外に置いていたのだ。
「それ、誤解、誤解だから! この間市民街でナンパされたときにフレンが助けてくれて、たぶんそれがねじ曲がって噂になっただけで……」
早口で事情を説明すると、ユーリは目を丸くする。そして、腰に手を当てて大きな息を吐いた。
「なんだよ、ったく……」
「こっちの台詞だよ……」
ユーリたちの家に食事に行ってもユーリがいなかった理由がやっとわかった。あの家にいるのは子どもたちとユーリとフレンだけ。ユーリとフレン以外の同年代は少し前に下町のほかの住居で一人暮らしを始めたり複数人で居を構えたり、全員あの家を出たのだ。わたしが遊びに行けば、同じ年頃はわたしとフレンだけになる。わたしとフレンの邪魔をしないようにと、ユーリは気を利かせたのだろう。
「もう、噂のせいだったなんて……」
体の力が抜けて、思わず膝に手をついてしまう。まさかあの噂がこんなことになるなんて思いもしなかった。張り詰めていた心が一気に解けて、緩んでしまう。
「ユーリにだけは誤解されたくなかったのに……」
ぽろりと、言葉がこぼれた。慌てて口を押さえるけれど、ユーリは目を丸くしてこちらを見ていた。
「別にその、変な意味じゃなくて……」
「……ふーん」
「あ、それよりさ、家にいない理由はわかったけど……道ばたでも避けてなかった?」
わたしは追及を避けるため、無理矢理話を変える。
フレンとわたしの邪魔をしたくないというのなら、わたしひとりのときに避けていたのはどうしてだろう。フレンに遠慮したのだろうか。ユーリとフレンの仲ならばあまり気にしなくてもよさそうな気がするけれど。
「……それは」
「なんかずっと不機嫌そうだったし……」
そう、避けているのもそうだけれど、なによりずっと機嫌が悪そうだった。ユーリが不機嫌を隠さないのは珍しいにも関わらず、ずっと腹を立てているような様子で……。
「おまえが……」
「え?」
ユーリは視線を下に向け、もごもごと口を動かす。よく聞こえず、わたしは首を傾げてしまう。すると、ユーリは一度目を閉じて、ゆっくりと瞼を開けた。
その目は、今まで見た中で一番強い瞳。十五年間一緒にいて、初めて見る瞳の色。
「……おまえがオレ以外のやつと付き合ってんのに、おまえの前で笑ってられるわけねぇだろ」
「え……?」
ユーリの言葉に、わたしは目を丸くする。
それはつい先日、わたしも思ったことだ。もしユーリに恋人ができたなら、わたしはユーリの前でうまく笑うことなどできないだろうと。だって、わたしはユーリが好きだから。
ユーリも同じように思っている。え、それはつまり、もしかして、もしかしたら。
わたしは緊張とほんの少しの期待をもって、ユーリを見つめた。ユーリは恥ずかしそうに頬を染めている。しかし、その視線は強く真っ直ぐわたしに向いている。
「……昔っから、大事なもんはフレンと半分にしたり交代で持ってたりしたんだよ」
「え、あ、いつもそうだよね……」
突然のフレンの話題に、わたしは首を傾げつつ頷いた。
ユーリとフレンは幼い頃ふたりで買った剣を一日交代で使っていた。それ以外も一つしかない林檎は半分にしたり、最近新しく手に入れたという戦いの指南書も一日交代で読んでいると聞いている。
大切なものや一つしかないものはなんでも半分こ。それが親友であるユーリとフレンの日常だ。
「でもは半分にはできねえし、そもそも物じゃねえ。が選んだんなら、オレはなんも文句言えねえって思ってた」
続く言葉に、わたしの胸は期待で膨らむ。ねえ、ユーリ。ユーリも、わたしと同じ気持ち?
「オレは、が……」
「あ、姉ちゃんいた!」
ユーリの言葉の途中で、突然路地に男の子が飛び込んでくる。下町に住む七歳の男の子は、勢いよくわたしを指さした。
「えっ、え、なに!?」
突然の乱入者に、わたしもユーリも目を白黒とさせてしまう。しかし、男の子はわたしたちのことなどお構いなしといった様子でわたしの腕を掴んだ。
「イーラおばさんが呼んでるよ。母ちゃん、赤ちゃん生まれそうなんだって!」
「え、うそ、もう!?」
確かにこの子のお母さんは臨月の妊婦だ。しかし、昨日イーラおばさんが「産まれるまでもう少しかかりそうだね」と言っていたのに。
「ユーリ、わたし……」
大事な、とってもとっても大事な話の途中だけれど、行かなくちゃ。だって、これもわたしの大事な役目だから。
「行って来いよ、話はまたあとでな」
ユーリは笑顔を見せると、ひらひらと手を振った。
「頑張って来いよ」
「……うん! またあとでね!」
わたしはユーリの応援に頷いて、男の子と一緒に駆け出した。この子の家は下町の中でも一番外周に近い場所だ。
「ねえねえ、姉ちゃん、弟かな、妹かなー?」
「ど、どうかな?」
ふたりで走りながらも、わたしは心臓の鼓動がどんどん早くなるのを感じていた。
ドキドキが止まらない。期待も止まらない。
ねえ、ユーリ。ユーリも今、同じ気持ちだよね。