変わりゆくもの/おまけ1

 ふたりきりとなったわたしの部屋で、ユーリの唇がわたしの唇に触れる。甘いキスは、一度だけでは終わらない。離れた唇は再び触れ合う。そしてさらにもう一度。
「ま、待って」
 繰り返されるキスに、わたしの心臓は限界寸前になっている。ユーリの肩を押し返すと、ユーリは不満そうな表情を浮かべながらも素直にわたしから体を離した。
 ユーリと付き合い始めて一週間がたった。下町は大きな事件もなく平穏な時間が過ぎているけれど、わたしのほうは毎日大事件というか、毎日心臓が大変なことになっているというか。
「ユーリって、意外と……」
「意外と?」
「なんか……積極的って言うか……」
 わたしは自身の唇をなぞりながら、ちらりとユーリを見やる。
 ユーリとわたしは付き合う前からフレンをはじめ友人たちに付き合っていると誤解されるような仲だった。だから付き合うと言ってもさほど変わらないと思っていたけれど、意外と変わるというか。思っていたよりユーリがぐいぐい来るというか。ふたりきりになるとなにかと触れてくるというか。簡潔に言うと、わたしの思っていた以上にキスしてくるのだ。あのとき突然キスしてきたぐらいだし奥手とはまったく思っていなかったけれど、だからと言って軟派なタイプでもないし、ここまでとは予想していなかった。
「おまえ……オレがどんだけ耐えてきたと思ってんだ」
「耐えてきたってそんな」
「惚れた相手が隣でぐっすり寝たまま一晩なにもせず過ごしてんだぞ、こっちは」
「う」
 ユーリが言っているのは空き家に閉じこめられたときのことだろう。あの件を持ち出されると、わたしもなにも言えない。わたしもまさかあんなに寝入るとは思っていなかったし、申し訳なかったと思っている。
「あれは、えーと……。その、ごめん……」
「まあ、過ぎたことだしいいけどな」
 肩をすくめるユーリを見て、わたしは先ほどのユーリの言葉を反芻する。
 惚れた相手、惚れた相手かあ……。ユーリの惚れた相手、好きな人。間違いなくわたしのことなんだけれど、変な感じで不思議な感じだ。ずっと友達で幼馴染みだったから、「好きな人」と改めて言われるとくすぐったい。
 ……あれ?
「そういえば……ユーリ、わたしに好きって言ってくれてないよね」
 改めて言われると、と思ったけれど、今も「好き」と言われたわけではない。さらに、付き合い始めたときもユーリが突然キスしてきたからそうなったわけで、告白の言葉があったわけではない。こんなにぐいぐいとくるくせに、ユーリの思いはきちんと聞いていない。
 ユーリの気持ちはわかっているけれど、ちゃんと聞きたい。ユーリの口から、ユーリに好きって言ってもらいたい。わたしはユーリを期待の瞳で見つめた。
「言わないの?」
「催促されて言うもんじゃねえだろ」
「そんなことないと思うけど……」
「わかってんだから別にいいだろ」
「わかってるけど……それでも聞きたいのが乙女心ってもんじゃん」
「乙女心ねえ……」
 ユーリの含みを持たせた物言いに、わたしはカチンと来てユーリの肩をはたいた。確かに可憐な乙女と言うには少し気が強いかもしれないけれど! そもそもそんな相手を恋人に選んだのは他ならぬユーリ自身じゃないか。
「いって! つか、だって言ってねえだろ」
「えっ。……そういえば、そうだね」
 確かに思い返してみれば、わたしもユーリに「好き」とは言っていない。なぜだが言っていた気になっていたけれど、ユーリからの指摘で初めて気づいた。お互いの気持ちはふたりともわかっているだろうけれど……。
「なに、ユーリも言ってもらいたいの?」
 なんてね。からかうように笑ってみせたけれど、わたしの思いと裏腹に、ユーリは一瞬目を丸くしたのち、ふいと顔を背けてしまった。ほんの少し見える頬は、かすかに赤い。
 あ、あれ。「バカ言ってんじゃねえ」と呆れられると思っていたのだけど。もしかして……言ってほしいの?
 ああ、そうか。わたしがユーリの気持ちを聞きたいように、ユーリもわたしの思いを言葉にしてほしいのだろう。乙女心なんて複雑な話ではない、ただ誰かを好きになったときの純粋な思い。たったひとりの恋人の気持ちを聞きたいという、ごくごく自然な小さな欲。
「ユーリ」
 恋人の名前を呼んで、じっとその目を見つめる。
 わたしのたったひとりの恋人。好きな人。
「好きだよ」
 ユーリに求められたから言葉にしたのではない。ただ自然と思いが溢れた。
 わたしはユーリが好き。素直じゃなくて、口はちょっと悪くって、それでも誰より優しいユーリが好きだよ。
 ユーリはなにも言わず、わたしをそっと抱き寄せる。そして優しくキスをして、耳元で小さく囁いた。ほんの短い、けれどわたしが一番欲しかった言葉。
 「好きだ」というユーリの声が、わたしの胸に温かく広がっていく。