変わりゆくもの/おまけ2
平和な下町の昼下がり。わたしは友人のウラと一緒に、自宅で孤児たちの服を繕っていた。
わたしたちが幼い頃に比べ下町の経済状況はよくなったけれど、新しい服を気軽に買えるほどではない。自分の服を直すのはもちろん、自分で直せない子どもたちのために繕うことは、下町の立派な労作のひとつだ。
「市民街の露店にさ、かわいい髪飾り売ってるの。買いたいから今必死に貯金してるんだ」
「ウラ、そういうの好きだもんね」
「そうそう、市民街と言えばさ、こんな噂知ってる?」
「えー?」
わたしもウラも、この作業は慣れたもの。手元は忙しくても、お互い口は暇だ。おしゃべりに花を咲かせて楽しい時間を過ごしている。ころころ変わる話題は、自然と恋の話へと移っていく。
「いやあ、ようやくユーリとくっついたかあ」
「ようやくって……」
「だってあんなに焦れったい感じだったじゃない。なにがきっかけで付き合い始めたの?」
ウラのストレートな質問に、わたしは針を止めずに記憶をたどる。明確なきっかけ、それは……。
「おーい、いるか?」
当時のことを思い返していると、窓を叩く音と同時にユーリの声が聞こえてきた。針と服を置いて窓を開けると、大きな袋を抱えたユーリがいる。
「ユーリ、どうしたの?」
「午前の仕事先で林檎もらってな。配ってんだ」
「わ、たくさんある……」
袋の中には大量の林檎が入っている。ちょっと傷みかけている様子、おそらく売り物にならないからともらってきたのだろう。
「彼氏も来たことだし、私はお暇しようかな~」
「え、別にそんな……」
「わたしの担当分は直し終わったし。市民街で午後からできる仕事探してくるよ」
わたしの制止も聞かず、ウラは手をひらひらと振って出て行ってしまった。まあ、先ほど頑張って貯金をしているという話もしていたから、本当に仕事もしたいのだろうけれど。
「邪魔するぜ」
ユーリはウラが出た玄関ではなく、窓からひょいと身軽な動作で入ってくる。まったく、ふつうに入ってくればいいのに。
「林檎、今食うか?」
「あ、うん」
「ナイフ借りるぞ」
ユーリはキッチンからナイフを取ると、イスに座ってするすると林檎を剥き始めた。わたしはユーリの隣に座って、服の修復作業を再開する。
ユーリは器用だ。大雑把な性格なのに手先は器用で、特に料理に関しては細やかな作業も苦労することなくやってのけてしまう。
その様子を見つめながら、わたしはウラの「なにがきっかけで付き合い始めたの?」という言葉を思い出す。
それはやはりフレンとの噂だろう。フレンとわたしが付き合っているという噂が流れたときは頭を抱えたものだけれど、雨降って地固まるというか。落ち着くところに落ち着けたというか。
「フレンにお礼言うべきなのかな……」
ちくちくと針を進めながら、わたしはぽつりと呟いた。
「なんだよ突然」
「さっきウラと話しててね。あんなに焦れったかったのにユーリと付き合い始めたきっかけあるのって聞かれたから」
結果的には両思いだったわけだから、噂がなくてもいずれは付き合っていたのかもしれない。けれど、「今」こうしているのはあの噂があったからだろう。
「別にいいだろ、あいつがなんかしたわけじゃねぇし」
「一応わたしは後押しもしてもらったんだよね……」
ユーリとの関係に悩んでいるとき、フレンに「大事なのは君の気持ちなんじゃないかな」と助言された。フレンはお節介と言っていたけれど、あの言葉がひとつの後押しになったことは間違いない。ユーリと付き合い始めたことについて、フレンと「よかったね」「ありがとう」とやり取りはしたけれど、後押ししてもらったことについて、改めてお礼を言った方がいいかな。
「ユーリってフレンとそういう話はしないの?」
「しねぇよ。男同士なんてそんなもんじゃねえ?」
「そういうもの?」
男同士のことは知らないけれど、確かにユーリとフレンが仲良く笑顔で恋愛話しているところは想像つかないかな。フレンの様子だとウラ同様わたしたちのことを焦れったく思っていたのだろうけれど。
「……?」
ぼんやり考えていると、ふと隣のユーリの様子がおかしいことに気づく。無表情……なのはいつものことだけれど、それにしてもその表情に色がないというか。怒っているというほどではなく、悲しげというわけでもない。この表情は……。
「ユーリ」
「ん?」
「なんか拗ねてない?」
そう、つまらなそうに目を伏せたこの表情は、ユーリが拗ねたときの表情だ。ユーリは図星だったのか、一瞬目を丸くしたあとにまたその目に不満をにじませた。
「拗ねてねぇよ」
「えー、絶対拗ねてる」
ユーリは隠しているつもりのようだけれど、長い付き合い、ユーリの隠した気持ちぐらいわかるのだ。……ユーリがわたしを好きなことには気づかなかったけれど、それはそれとして。
しかし、なぜ拗ねているのだろう。それはすぐにはわからず、わたしは先ほどまでの会話を頭の中で繰り返す。さっき話していたのはフレンの話だ。フレンにお礼を言うべきかとか、フレンとそういう話はしないのか、とか……。
そう、フレンの話をしていたらユーリが拗ねた様子を見せた。つまり、これは。
「……やきもち?」
ぽっと思いついた言葉に、ユーリは肩を揺らした。
「えっ、本当に!?」
正直完全な思いつきだったのだけれど、どうやら本当だったらしい。わたしは驚いて、うっかり針を机に落としてしまった。
「……そりゃ、隣でほかの男の話ばっかされて喜ぶやつなんざいねぇだろ」
ユーリは林檎を半分に切ると、ぶっきらぼうにそう言った。
確かにユーリが家に来てから、わたしはずっとフレンの話をしていた。いくらフレンがユーリの友人だと言っても、おもしろくないに決まっている。
「そ、だね。ごめん」
「別に謝られるほどのことじゃねぇけどさ」
「ううん、ごめんね」
わたしだってユーリがほかの女の子の話ばかりしていたら嫌だと思う。素直に謝ると、ユーリはふっと表情を緩めてくれた。
しかし、ユーリがやきもちか。ユーリはいつも余裕があるよう見えていたから、嫉妬なんてすると思わなかった。十五年間……ううん、十六年間一緒にいたけれど、意外な一面を見た気がする。
……いや。確かにわたしとユーリはずっと一緒にいたけれど、それは友達として。ユーリが恋人にどんな気持ちを抱くのかは、知らない。
初めて見るユーリの一面に、わたしは興味をそそられる。ユーリが妬くときはどんなときなのだろう。今はフレンの話題で妬いていたけれど、フレンだからこそ妬くのかな。フレンはユーリの親友だけれど、近しい立場だからこそ嫉妬の感情が芽生えるような気がする。わたしがほかの下町の男の子と仲良くしていても、こんなふうには妬かないんじゃないかな。もちろん試すつもりはないけれど、純粋に気になってしまう。
じっと見つめていると、ユーリはわたしの視線に気づいたのか、切り分けた林檎をお皿に置いた。
ユーリの顔が近づいて、わたしは自然と目を閉じる。
唇と唇が、触れる。
そっと目を開けると、すぐそこにユーリの顔がある。ユーリの鋭い瞳の中に、妖艶な色が見える。
ユーリのことはなんでも知っていると思っていた。なにせ十六年間一緒だったのだから。
でもあんなふうに嫉妬するなんて知らなかった。キスのときにこんな顔をするなんて知らなかった。きっとこれから先も、新しいユーリを知っていくのだろう。
わたしたちはもう一度キスをする。林檎みたいな、甘酸っぱい味がした。