ユーリと香水の話

※三部以降の時間軸です。

 ジュディスから香水をもらった。ハルルの三つの花で作った香水だそうだ。
「ギルドの報酬のおまけにいくつかもらったんだけど、私だけじゃ使いきれないから」
 今回の凛々の明星の仕事はハルルの住民からの依頼だったらしい。仕事を終えて下町にやってきたジュディスは、噴水広場で何本かの香水瓶を見せてきた。すでにジュディスは香水をつけているのか、ジュディスの体は甘い香りを纏っている。
「試作品なんですって。こんなにもらったのよ。ひとりじゃ使いきれないわ」
「そっか。ありがたくもらうね」
 しかし、下町育ちのわたしには香水なんて縁遠い。どうやって使えばいいのだろう。手のひらほどの香水瓶を掲げて真昼の太陽に透かしてみる。もちろんそこに使用方法など浮き出たりはしない。
 角度を変えながら香水瓶を眺めていると、隣のベンチに座るジュディスがくすりと笑った。
「香水はね、キスしてほしいところにつけるのよ」
 妖艶な笑みとともに放たれた言葉に、わたしは頬を熱くした。
「き、キスって」
「ふふ。ユーリにキスしてもらいたいところにつければいいのよ」
 追い打ちのようなジュディスの声に、わたしの体がさらに熱を帯びる。
 ユーリ・ローウェル、ジュディスの所属するギルド凛々の明星の一員で、わたしの恋人だ。わたしがキスしてほしいと思う相手なんて、ユーリただひとりであることをジュディスももちろん知っている。
「いやでも、そんなこと言われても……」
 キスしてほしいところ、なんて言われても。それこそどこに香りをつければいいのかわからないじゃない。そもそもわたしが知らないそんな話を、ユーリが知っているはずがないし。
「大丈夫よ、ユーリにはそれとなく伝えておくから」
 ジュディスはわたしの耳元に口を寄せると「ユーリももうすぐ買い出しから戻ってくるわ。それまでに、ね」と囁いた。
 いやいや、そんな。いやいや、ねえ?





「あれ、なんかいい匂いすんな」
 ジュディスと別れて数時間後。わたしの家へとやってきたユーリが開口一番にそう言った。
「ジュディスから香水もらったの。ギルドの仕事の報酬だって言ってたけど」
 まさかロマンチックのかけらもないユーリが香水の匂いに気づくとは。わたしはイス代わりのベッドに腰かけたまま、目を丸くしてユーリを見やった。
「ああ、あれか。オレやカロルはいらねえし、全部ジュディに渡したんだよな」
 ユーリは「これか」と言って棚に置かれた香水瓶を手に取ると、左右に軽く揺らしてみせる。
「そういやジュディがなんか言ってたな……」
 ユーリの言葉に、わたしの心臓は小さく跳ねる。
「キスしてほしい場所につけるんだっけか。口で言えばいいじゃねぇか」
 ジュディス、本当にユーリに話したのか。ユーリもユーリでこういう話は右から左に流しそうなのに、まさか覚えているなんて。わたしは動揺してしまって、思わず肩を揺らした。
「ほら、言うのが恥ずかしいとか」
「はっきり言ったほうがわかりやすいだろ」
「それはまあ……そうだけど」
 ユーリの言うことはもっともなのだけれど、「ここにキスしてほしい」と言えれば苦労しないというか。それじゃロマンがないというか。
「……なあ、おまえ、様子おかしくねぇ?」
「え」
「なんか落ち着かねぇっていうか……」
 ユーリは訝しげな視線をわたしに送る。その目が痛くて、わたしはユーリから視線を逸らした。
「そ、そんなことないけど」
 いや、別に、そわそわなんてしていないけれど。別にユーリになにか隠しているわけではないけれど。断じてないけれど。
「……はーん」
 ユーリはなにかに気づいたような声を出すと、口角を片側だけ上げた。まるでなにかを企むような笑みだ。あ、これ、絶対よくないこと考えている。瞬間的に察したわたしは、全身を強ばらせて身構えた。
「な、なに?」
「なあ」
 ユーリは笑みを浮かべたまま、わたしの隣に座る。古いベッドの軋む音がした。
「どこにつけたんだよ」
 ユーリの問いかけに、わたしの頬が一気に熱くなる。
 確かに香水はつけた。ジュディスの「キスして欲しいところにつけるのよ」という言葉を聞いて、とある場所につけてみた。ユーリが気づくことなど、まったく期待もせずに。
「いや、別にその」
 まさかユーリが香水に気づくなんて。まさかユーリがジュディスの言葉を覚えているなんて。予想外の出来事に、わたしはなんと答えていいかわからずうろたえてしまう。
「いや、やっぱ言わなくていいわ」
「えっ。ひゃっ」
 言いよどんでいると、ユーリがわたしの首もとに顔を近づけてくる。微かに触れた鼻先がくすぐったくて、わたしは反射的に声をあげた。
「ちょ、ま、待って」
 わたしの制止の声も聞かず、ユーリはわたしの右の首筋から今度は耳元へと移動する。ユーリの口から漏れる吐息が、わたしの奥底を刺激する。
「言いたくねえんだろ? こうやって確認しねぇと」
「あの、言う、言うから!」
 キスして欲しいところに香水をつけてみたけれど、まさかこんなことになるなんて。絶対絶対、ユーリは香水つけていることにすら気づかないと思っていたのに! あとで「やっぱり気づかないよね」と一人でため息を吐くことになると思っていたのに!
「いいって、恥ずかしいんだろ?」
「余計恥ずかしいことなってるんだけど!?」
 ユーリの鼻先すなわち顔が、わたしの体をまさぐり始める。二の腕、わき腹、鎖骨のあたり。わたしは声が出てしまいそうになるのを抑えるだけで精一杯だ。
「っ、そんなとこつけるわけないでしょ!」
「わかんねぇだろ、そんなの」
「ひゃっ」
 ユーリの指が、わたしの首筋に這う。いつの間にかわたしの体はベッドに押し倒されていて、ユーリの長い髪がわたしの頬にかかっている。
「なあ、別に口塞いでるわけでもねぇのに」
 ユーリの唇が、弧を描いたままゆっくりと動く。
「言わねぇってことは、もこのほうがいいんだろ?」
 妖しい笑みを浮かべたユーリの言葉に、一気にわたしの全身は熱くなる。
「……っバカ!!」
 なにも反論できなくて、わたしは両手で顔を覆って足をばたばたと動かした。
 わかっているのなら、わざわざ言わなくたっていいのに。でもここで言うのがユーリ。大事なことは言わないくせに、こういうことばっかり言うんだから!
「隠すなよ」
「っ!」
 わたしの顔を覆っていた手は、ユーリに引き剥がされてしまう。目の前に見えたユーリの顔はどこまでも楽しそうで、そして、たじろぐほどの色気を纏っていた。
「まどろっこしいのも悪くねえかもな」
 言葉とともに、ユーリとわたしの体がベッドに沈む。
 せっかく香水をつけたのに、結局全部混ざり合って、どこに香水をつけたかなんてわからなくなってしまった。