ユーリに好きって言ってもらいたい話


※三部中盤ぐらいの時間軸です

「よっ、ただいま」
 ノックされた自室のドアを開けると、そこにいたのは恋人のユーリだった。
「ユーリ!? 帰ってたの!?」
 突然現れた恋人の姿に、わたしは目を見開いた。
 ユーリは今ギルドを作って世界中を旅して回っており、たまにしかこのザーフィアスの下町に帰ってこない。今朝方「最近ユーリと顔合わせてないんだよね」と友人に愚痴をこぼしていたのだけれど、このタイミングで戻ってくるなんて。
「今さっきな」
「ほかのみんなは?」
「自由行動。みんな適当に過ごしてるよ。そっちはなにしてたんだ?」
 ユーリは我が物顔でわたしの部屋に入ると、いつもの古い椅子に座った。その視線は机の上に積まれた本へ向かっている。
「それ、市民街からの人から譲ってもらった絵本。子供たちが読むかなってもらったんだけど、ボロボロだから直してたの」
 わたしはユーリの隣に座り、一冊の本を手に取る。表紙の補修をしたり、バラバラのページの順番を直したり。合間の時間にやっていた補修作業ももうすぐ終わりそうだ。
「なるほど」
 ユーリは一冊の絵本をめくると、バラバラになっていたページを組み合わせ始める。こういう細々した作業は苦手なはずなのに、手伝ってくれるようだ。
「下町、なんか変わったことあったか?」
 ユーリは作業を続けながら、ぽつりとつぶやく。
「んー……。あ、隣の一階と二階に住んでた二人、結婚したんだよ」
「マジ?」
「うん」
 わたしは次の本を手に取りながら、言葉を続ける。
「この間帝都がいろいろ危なくなったでしょ? あのときに結婚とか『後回しにしちゃいけない!』って思ったんだって」
 隣に住んでいた二人は、わたしたちの三歳年上だ。二人は長く付き合っていたけれど、こういうきっかけで結婚することもあるんだなあ。
「新婚のせいかやたらラブラブでさ、前はむしろ倦怠期って感じだったのに」
 わたしは隣の住人だからか、女性側からしょっちゅう彼の愚痴を聞かされていたのだけれど、最近は付き合い始めたばかりのような仲の良さだ。新婚パワーをこんな形で感じることになるとは。
「へえ」
「この間も水道魔導器の近くで語り合ってて……」
 あれは三日前の夕暮れ時のこと。新婚の二人は好きだよと言って肩を寄せ合い、人目もはばからず親密な様子を見せていた。仲睦まじいのは良いけれど、ちょっと目のやり場に困るというか……。
「……」
 そういえば。とあることを思い至って、わたしはじっとユーリを見つめた。
「なんだよ」
「ユーリってさ、好きとかあんまり言わないよね」
「はあ?」
 新婚の二人の様子を思い出し、ふと思った。ユーリってそういうこと、あまり言わないなあ、と。まったく言わないわけではないけれど、頻繁に言うわけでもない。
「ねえねえ、たまには言ってくれない?」
 わたしは本をいったん机に置いて、ユーリの顔をのぞき込む。
「なんだよいきなり」
「だってなかなか言ってくれないし」
「言わないわけじゃねえだろ」
「それはそうだけどさ、最近聞いてないなーって。って、痛っ」
 ユーリを期待の瞳で見つめたけれど、ユーリは軽い凸ピンを返してくる。うう、これがユーリの返事か……。
「もう」
 わたしは額を手のひらで押さえながら、唇を尖らせた。
 ま、確かにユーリはねだったからって言ってくれるタイプでもないか……。けれど、「言わないわけじゃない」のなら、今言ってくれてもいいじゃない。
 今、ユーリは世界中を旅して回っていて、下町にはたまにしか帰ってこない。自由に動き回っているほうがユーリらしいから、充実した様子のユーリの姿を見てわたしも喜ばしいと思っている。しかし、会えない日々が続けば、恋人として寂しい気持ちは当然強くなるのだ。たまに帰ってきたときには、そのぐらい言ってくれてもいいじゃない。
「……はい、修繕終わり」
 ため息をつきながら、最後の一冊の表紙を補修した。これで絵本の修繕は完了だ。
「手伝ってくれてありが……わっ!?」
 本を机に置いて立ち上がろうとしたけれど、ユーリに腕を引っ張られた。ユーリの膝の上に座る格好になってしまい、わたしの頭の中には「?」が浮かんでいる。
「ユーリ?」
 ユーリはわたしの問いかけに応えず、じっとわたしを見つめるだけ。
 強い視線に、わたしの心臓が小さく跳ねた。
「どうし……」
 ユーリは左手をわたしの後頭部に添えると、強い力で自身の方へ引き寄せる。わたしの耳元で、ユーリの唇が小さく動く。
「愛してる」
 優しく囁かれた言葉に、わたしの頬に熱が集まる。心臓の鼓動を感じながらゆっくりと顔を上げると、そこにはからかうような笑みを浮かべるユーリがいた。
「いてっ!」
「ずるい!」
 思わずユーリの胸のあたりをポコポコと叩く。なに、なんで、言ってくれないと思わせてからあんなこと言うの、しかもあんな顔をするの、ずるいじゃない!
「痛っ! が言えって言ったんだろうが!」
「言ったけど!」
 突然そんなの反則だ! 照れてしまってどうしようもなくなって、わたしは顔を両手で覆った。その手のひらに伝わるほどに、わたしの頬は熱を持っている。
「隠すなっつーの」
「ひゃっ」
 ユーリは顔を隠していたわたしの両手を剥ぎ取って、挑発的な笑みを浮かべながらわたしを見つめた。う、ユーリ、絶対この状況を楽しんでいる。
「で、お前は?」
「え」
「オレだけに言わせるつもりかよ」
 ユーリはにやにやとした表情で、わたしをじっと見つめてくる。顔を隠したいけれど、わたしの両手はユーリによって塞がれている。
 確かにユーリにねだっておいてわたしはだんまり、は通じないだろう。ユーリが面白がっていそうなのが少し癪に障るけれど……。
 ……いや。
「なあ」
 ユーリは急かすように、いっそう顔を近づけてくる。その瞳の中に、かすかな期待の色が見えた気がした。
 わたしと同じように、ユーリもわたしの言葉を待っているのかな。
 いつの間にか解かれた手を、ユーリの背中に回す。そして、ユーリの耳に唇を寄せた。
 いつも心の大切な場所にある想いを告げる。
 噛みつくようなキスが、きっとユーリの返事の代わり。