レイヴンにユーリの旅の様子を聞く話

※三部中盤の時間軸です。

 帝都下町にある酒場・箒星。静かな夜の店内でひとり洗い物をしていると、入り口の扉が開く音がする。ぼんやりとした明かりの中に見えるのは、ひとりの人影。わたしはその人に向かって「いらっしゃい」と声をかけた。
「あら? お嬢ちゃん、ひとり?」
 店にやってきたのはレイヴンだった。レイヴンは店内にいるのが店員ではないわたしだけなのを見て、首を傾げている。
「おかみさんは? お店、やってない感じ?」
「やってるよ。おかみさん、娘さんの寝かしつけしてるから、戻ってくるまでわたしが店番してるの」
「おお、なんか下町って感じね。じゃあお邪魔しますよっと」
 レイヴンはわたしの説明に納得したようにうなずくと、カウンター席の真ん中に座った。
「どうぞごゆっくり」
 わたしは店番のつとめを果たすべく、レイヴンの前にお冷やを置く。レイヴンはへらっと笑うと、「ありがとうね」と手をひらひらと振った。
 レイヴンはわたしの幼馴染み兼恋人であるユーリの旅の仲間だ。ユーリたちは今は空に現れた化け物……と言っていいのかすらわからない「あれ」を打ち倒すために世界を巡っているらしい。一行の次の目的地はイリキア大陸の北にある島とのこと。その島へ向かう準備をするために、昨日からこの帝都に滞在しているのだ。
「注文も受け付けるよ」
「んー、まだいいや。青年とね、ちょっと飲む予定なのよ。青年が来たら頼むよ」
「へえ……」
 レイヴンを含めた旅の仲間が下町に滞在することは今までもままあった。けれど、その間もユーリとレイヴンが二人だけで行動するところは見たことがない。ユーリがレイヴンと二人で飲むなんて珍しい……というのも変かな。わたしはユーリが旅に出ている間、ユーリがどう過ごしているのか知らないのだから。
「……」
 ふと、店内に沈黙が流れる。
 ユーリやフレンの紹介で、わたしもユーリの旅の仲間とは顔見知りだ。特にジュディスとは年が近い同性ということもありよく話すのだけれど、その反面レイヴンとはほとんど会話らしい会話をしたことがない。ユーリやフレンと一緒にいるぐらいだから悪い人ではないのだろうけれど、女好きでいい加減……なんて話をカロルから聞くこともある。それに加えてなんだか掴めない印象もあり、二人きりではなにを話せばいいか、いまいちわからない。ほんの少しだけれど、この状況に緊張してしまう。
「やだなあ、そんな警戒しないでよ」
 そんなわたしの心の内を見透かしたかのように、レイヴンは頬杖をついてへらっと笑った。
「おっさん、女の子は好きだけど、彼氏や旦那のいる子は対象外よ。第一、お嬢ちゃんのこと口説こうとしたらそれだけで青年にボコボコにされちゃうって。おっさんそんな勇気ないわよ~」
 冗談めかした口調で話すレイヴンに、わたしは思わず笑ってしまう。
 レイヴンの言葉は本当のものなのだろうけれど、わたしの緊張をほぐす意味もあったのだろう。彼の狙い通り、少しばかり張りつめていたわたしの心はふっと解けた。
「ねえ、レイヴンって旅の間もユーリとよく二人で行動するの?」
 解けたついでだ。わたしはカウンターに肘をつき、先ほど浮かんだ疑問をレイヴンに投げかける。
「今日はユーリと飲むんでしょ? 二人でいるところあんまり見たことなかったから、意外だなって思って」
「んー……そうね、確かに機会が多いわけじゃないけど……。夜の買い出しとかはよく二人で行ってるかな。ほら、治安のいい町ばっかりじゃないから、女の子とか子どもとかはあんまり夜には出歩かない方がいいかなって」
「へえ……」
「ま、うちの子たちみんな強いからあんまり心配しなくてもいいんだろうけど、嫌な思いもさせたくないしね」
 なるほど、フレンはいつも旅に同行しているわけではないらしいし、そうなると夜に出かけるときは必然的にユーリとレイヴンの二人の行動になるのか。
 ユーリはぶっきらぼうだけれどなんだかんだ気の利くタイプだから、夜間の買い出しをエステルやカロルたちに任せないのは予想できる。しかし、レイヴンもそうなのか。いい加減に振る舞っているけれど、やはりユーリやフレンと一緒に旅をするような人なのだ。
 ひとり納得していると、レイヴンがわたしをじっと見つめているのに気づいた。
「な、なに?」
 レイヴンは笑ってはいるけれど、いつものだらしない笑みではない。子どもでも見るような、穏やかな目。突然のまなざしに戸惑っていると、レイヴンは「ああ、ごめんごめん」と言いながら両手を顔の高さまで上げた。
「いやあ、ちょっと思い出しちゃって」
 そしてグラスに入った水を飲みながら、いつものあの笑顔で話し出す。
「ダングレストとかで青年と二人で夜歩いてるとさ、よく女の子に声かけられるのよ。ほら、青年あの顔だから」
「え……」
 女の子、という言葉に、わたしの心臓が小さく跳ねた。乗り出していた体を引っ込めて、レイヴンの次の言葉を待つ。
「でも、青年絶対になびかないの。別にそんな変な意味じゃなくてもさ、お酒飲みながら可愛い子とちょーっとおしゃべりするぐらいいいじゃない、うちの女の子たちには内緒にするよーって言っても全然聞く耳なしって感じで。最初はお嬢ちゃんのこと知らなかったからさ、青年若いのに淡泊ね~なんて思ってたんだけど、淡泊なんじゃなくて一途だったのね」
 レイヴンは悪戯っぽくウインクなんてしてみせたかと思ったら、グラスをからからと回しながら言葉を続ける。
「下町に来てお嬢ちゃんの顔見るとさ、青年うれしそうな顔すんのよ。安心した感じって言うか」
「ユーリが……」
「本人自覚あるかわかんないけどね。今回みたいに帝都の近くに来れば必ず下町に寄るし、いつもお嬢ちゃんのこと気にしてんのね」
 レイヴンは背もたれに体を預けると、「いやあ、若い二人はおっさんには眩しいわあ」と大きく笑った。わたしはなんだか照れくさくって、下を向いて足の爪先で床をトントンと蹴る。
 旅をしているときのユーリを、わたしは知らない。ユーリが仲間たちとなにを話しているのか、どんな行動をしているのか、わからない。ユーリに聞けば教えてくれるけれど、すべてを知ることはできない。
 わたしがそばにいないからと言って、旅の間にユーリが浮気するなんて思っていない。ユーリは好きだとかそういう言葉をあまり口にするタイプではないけれど、ユーリのわたしへの気持ちを疑ったこともない。それでも、レイヴンの口からこうやってユーリの想いのかけらを聞くと、どうしようもなく胸の奥が熱くなる。心がうずく。顔が火照って、全身が熱くなってくる。
 ユーリに会いたい、な。会いたくて、仕方がない。
「本当、眩しいわあ」
 レイヴンの言葉と同時に、入口の扉が開く音がする。はっと顔をあげると、やはりそこにはユーリがいた。
、来てたのか」
「あ……おかみさんの代わりに店番してたの」
 わたしはおそらく赤くなっているだろう頬を手で押さえながら、じっとユーリを見つめた。ねえユーリ。今、うれしそうな顔をしてくれた?
「ああ、なるほど」
「おかみさん来たら帰るよ。そろそろ戻ってくると思うし」
「ええー、お嬢ちゃん行っちゃうの?」
 わたしの言葉を遮るように、レイヴンは口を尖らせる。ユーリはその様子を見て小さくため息を吐いた。
「ねえ、せっかくならお嬢ちゃんも一緒に飲まない? 青年と二人でお酒なんてよその町でもできるし、野郎だけってのも味気ないし」
「わたし? 今夜は暇だしいいけど……」
「ちょっと青年、そんな嫌そう顔しないでよ。そりゃおっさんは女の子大好きよ? でも彼氏のいる子には手出さない主義だから、心配しなくても青年の大切な彼女にはなんもしないって」
 レイヴンの言葉を聞いてユーリを見やれば、ユーリは目を丸くしたのちふいと顔を背けた。これは図星のときの仕草だ。
「わたしの心配してるの?」
「バカ」
「わっ」
 カウンターからユーリの顔をのぞき込むと、ユーリはほんの軽いチョップをしてくる。ああ、きっとこれは照れ隠し。レイヴンもそれをわかっているのか、わたしたちの様子を見て「輝いてるねえ」なんて言って笑っている。
「おっさん、余計なこと話しそうなんだよな……」
 ユーリは苦い顔をしているけれど、座ったのはカウンター席ではなく複数人で囲めるテーブル席だ。わたしを含めた三人で飲むことを了承したのだろう。レイヴンもその席へとグラスを持って移動する。
「それは否定できないかもね」
「おい、おっさん」
「あはは。わたし、外でのユーリの様子とか聞きたいかも」
「おまえ、またそういうことを……」
「お安い御用よ。青年だって話されて困ることなんかないでしょ?」
「別にねぇけどさ……」
 そんな話をしているうちに、おかみさんが奥の自宅から戻ってくる。わたしはおかみさんに軽く経緯を説明して、ユーリの隣へ移動した。
「なんか変な感じ、このメンバーで飲むなんて」
「おっさんはねえ、青年の昔話聞きたいわあ」
「よし、じゃあオレはおっさんの恥ずかしい話でもするか」
「ちょっと青年! おっさんのあんなことやこんなことを暴露するつもり!?」
「ふふ」
 三人の笑い声とともに、楽しい下町の夜が更けていく。