ユーリに看病される話
※エンディング後の話です。
「疲れたー……」
帝都下町、噴水広場脇の路地裏でわたしは腰を下ろした。人目がないのを確認して、大きな声でうなだれる。
先日、珍しく帝都は天気が荒れた。強風が吹き荒み大雨が降り、広い帝都の中でもわたしたちの住む下町を含めたザーフィアスの一部が被害を受けた。家の浸水だけでなく、屋根が飛ばされたり通りにがれきが散らばったりと、そこかしこに嵐の爪痕が残っている。人的被害がなかったことは不幸中の幸いだけれど、嵐から五日がたった今もわたしたち下町の住民は街の片づけに追われている。他にも荒れてしまった畑の整備をしたり、いまだ怖がる子どもたちの面倒を見たり……。さすがに走り回りすぎたのだろう。自覚するほど疲れて溜まっている。
「ユーリがいたらな……」
ぽつりと、わたしの口から言葉がこぼれ落ちる。
ユーリはフレンと並んで街で一番力仕事が得意だし、なんだかんだとリーダーシップのあるタイプだから、他の住人の士気も上がるだろう。ユーリがいれば街の片づけはだいぶスムーズに進むはずだ。
しかし、ユーリはここにはいない。嵐の三日前にギルドの仕事でダングレストへ発ったのだ。下町に帰ってくるのはしばらく先と聞いている。
「はあ……」
わたしは空き家の壁に寄りかかり、狭い空を見上げる。わたしの口から、今度はため息がこぼれた。ユーリがいたらな、という思いとともに。
ユーリがいれば、街としても助かる。それに、なによりわたしがユーリに会いたい。大変なときだからこそ、恋人の顔が見たい。
ユーリは水道魔導器の魔核を取り戻すために街を出たのをきっかけにギルドを作り、今はギルドの仕事で世界を回っている。ユーリが下町を出ている間は、当然会うことはできない。もともとユーリは騎士と揉めて牢屋に十日ぐらい入ることも多かったから、会えないこと自体は慣れているけれど、それでも、こういうときに顔が見えないと、どうしても心が沈んでしまう。
こんなとき、ユーリがいてくれたら。そう思わずにはいられない。
「……仕方ないか」
ま、そんなこと言ったっていないものはどうしようもない。ふらふら遊び歩いているのならともかく、ユーリも仕事なのだから。
「よし、もうひと頑張りするかな」
ユーリもダングレストで仕事に励んでいるのだろう。わたしもわたしの仕事をしなくては。気合いを入れ直して、わたしは腰を上げる。しかし。
「え……」
勢いよく立ち上がった瞬間、頭から血の気が引いた。まずい、立ちくらみだ。自覚したけれど、もう遅い。白い光がチカチカと光ったかと思えば、あっという間にその光が目の前を覆って視界が真っ白になってしまう。右も左も、上も下もわからなくなって、わたしの体はふわふわと浮いたようにコントロールを失う。真っ白な視界の中に、地面が近くなったのだけがかすかに見えた。ああ、わたし、倒れているんだ。けれども遠くなった意識ではどうすることもできない。宙に浮いたような感覚のまま、地面にぶつかる直前で目の前が真っ暗になった。
「……っと、セーフ」
ブラックアウトした世界の中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。ぶっきらぼうだけれど、どこか暖かみのある、安心感を覚える声。その声に呼応するように、真っ暗だった視界がだんだんと元に戻ってくる。目を開けた先に見えたのは、声の主。逆光の中にいる……真っ黒な長い髪の……。
「ユーリ!?」
そこにいたのはユーリだった。ユーリは倒れかけたわたしを抱き留めてくれたのだろう、わたしはユーリに抱きかかえられる格好だ。
「なんでここに……? ……うっ」
どうしてユーリがここに? ダングレストにいるはずじゃ? 驚きのあまり大声を出すと、また頭がぐらついた。体が宙を回るような感覚が蘇って、わたしはえずくような声を出してしまう。
「大声出すなよ、マジで気失うぞ」
「う……」
「大人しくしてろって」
ユーリは長い髪を揺らしながら、小さくため息をついた。呆れたような物言いだけれど、優しさを含んだ声だ。わたしは大人しくユーリに体を預けることにした。
「おまえん家行くぞ。動くなよ」
ユーリはわたしの返事を聞かず、わたしを抱えたまま歩き出した。
「よ、っと」
わたしの家に着いてすぐ、ユーリはわたしをベッドに寝かせた。使い古したベッドだけれど、ずっと使ってきた馴染みのあるベッドだ。いつものベッドに感触に、わたしは安堵の息を漏らした。
「ユーリ、ありがと……」
「どーいたしまして」
ユーリは声はいつもの愛想のない調子だ。でも、そこにわたしを気遣うような色が見える。
わたしは何度か瞬きをして、大きく深呼吸した。ユーリに抱きかかえられたおかげで頭に血が巡ってきた。本調子ではないけれど、先ほどよりだいぶ回復している。
「……ユーリ、ダングレストで仕事してたんじゃないの?」
わたしは横になったまま、ユーリに問いかける。
ユーリはダングレストでギルドの仕事をしていたはずだ。なんだっけ、確か酒場の仕事の手伝いだったっけ……。なんにせよ、今はまだ仕事の真っ最中のはず。
わたしの問いかけに、ユーリはベッドに腰掛けて口を開く。
「終わったから戻ってきたんだよ」
ユーリは軽い口調で、肩をすくめた。
そう言っているけれど、終わったなんて本当かな。だって、仕事が終わるのはしばらく先だと言って下町を出たじゃない。ユーリのことだから、下町を嵐が襲ったと聞いて早めに仕事を切り上げてくれたんじゃないかな。
そうだとしても、ずいぶんタイミングがいい。わたしが倒れる瞬間に帰ってくるなんて。運命なんて信じていないけれど、運命みたいなタイミング。なんだか無性に嬉しくて、わたしはじっとユーリを見つめた。
「しっかし、下町やべぇことになってんな。フレンはいねぇの?」
「こっちに向かってるけど、砦で足止めされてるって手伝いに来てくれた騎士が言ってたよ。砦の方も嵐で大変みたい」
「ああ……だからか。いつもなら下町になんかあったらすっ飛んでくるもんな」
「ユーリだって同じじゃない」
フレンもそうだけれど、ユーリも下町になにかあれば文句を言いつつも飛んでくる。下町のことが心配で、そして大切だからだろう。
「おまえだってそうじゃねぇか。どうせ今回も走り回ってたんだろ」
「う……」
「それはいいけど、倒れるまでやるなよな」
「はーい……」
倒れてしまった手前、ユーリの言葉に反論できない。わたしは枕に顔を埋めて、小さな声で返事をした。
「飯でも食って体力つけろよ。なんか作るぜ。なにがいい?」
「ううん、大丈夫」
ユーリは腰を上げてそう言ってくれるけれど、わたしは首を横に振る。数分前に倒れたばかりで、まだなにか口に入れる気にはなれない。
「遠慮すんなって」
「さすがにまだ食べれそうにないし、それに……」
わたしは立ち上がったユーリの服の裾を、ぎゅっとつかんだ。ユーリはその手を見て、目を丸くする。
だって、食事を用意するのなら向こうに行ってしまうでしょう。せっかくユーリが帰ってきたのだから、そばにいたい。下町の片づけをしなくちゃいけないのはわかっているけれど、でも、あと少し、あと少しだけ、ユーリのことを独り占めさせてほしい。
ユーリは丸い目を元に戻して、ふっと笑う。そして、再びベッドに腰を下ろす。
「どこにも行かねぇよ」
ユーリはぽんと優しくわたしの頭に手を置いた。大きな手が、わたしに安心感をもたらしてくれる。
「……ギルドの仕事は?」
「当分はオフ。結構金も稼げたしな。下町も今人手いるだろ」
「ん……」
「……ったく。おまえ、放っておくとすぐ無理するからな」
ユーリの呆れたような、でも愛情を感じる声を聞いて、わたしは頭に置かれたユーリの手に触れた。すると、ユーリの手はわたしの手を握り返してくれる。温かい手が、わたしの手を包み込んでいる。
「しばらくはここにいるぜ。心配すんな」
ここに。下町に。わたしのそばに。
ユーリの温もりを感じながら、わたしは目を閉じた。甘いまどろみに、落ちて行く。