1st day


 の入院の用意を終え、菫を後ろに乗せ真はまた家に向かい車を走らせた。

「おかあさん、たいへん?」
「大したことねえよ。ただの盲腸だ」
「もうちょう」
「右の腹が痛いってことだ」

 真の言葉を受け、菫は自分の右のお腹を抑えてしかめっ面をした。

「いたいの、やだね。おかあさん、かわいそう」

 菫はまるで自分のことのように顔を曇らせた。こういうところはに似たのか、少なくとも真に似たのではないだろう。

「すぐ治る」
「ほんとう?」
「ああ」

 真は短い返事を繰り返す。子供にもわかるように話をすることが真は苦手だった。自分の子供時代、大抵のことは理解できてしまっていたからだ。
 ときたま菫が何かを言って、真が返事をする。会話とも言えない会話を繰り返しながら家までに短い距離を走っていると、菫がお腹を抑えた。

「おとうさん」
「あ?」
「おなかすいた」

 ああ、と思い真は時計を見る。時計の針は19時半を指していた。

「あー…もうそんな時間か」

 家にはもう着くが、何か用意するのが面倒だった真はちょうど目の前にあったファミレスに車を停めた。店に入ると混雑のピークは過ぎたのか、すぐに 席へと案内される。真は店員から受け取りメニューを一つ菫に渡す。

「どれがいい」
「これ!おこさまランチ!」

 菫はすぐにお子様ランチAセットを指さす。

「そ」

 真も早々にメニューを決め、店員を呼んだ。料理より先にお子様ランチについてくるらしいおもちゃが運ばれてきた。

「くまさんだ!」

 菫はクマのネジ巻き式のおもちゃを手に取り目を輝かせる。

「サンタさんにね、くまさんもらったの」

 菫の言うクマは毎晩一緒に眠っているクマのぬいぐるみだろう。あれをあげたのはサンタじゃなくオレだと真は思う。昨年のクリスマス前、に「菫にクリスマスプレゼント買ってやって」と言われて買ったものだ。しかし菫とすれ違いの生活をしている真が菫が喜ぶものなどわかるはず もない。クマのぬいぐるみを選んだのは、「女の子へのプレゼントに最適!」と書かれていたから。ただそれだけだ。

「おとうさんはくまさん好き?」
「は?」

 菫は首を傾げながら聞いてくる。真は予想外の質問に素っ頓狂な声を上げてしまう。

「別に…ふつう?」

 クマを好きか嫌いかなんてそもそも考えたことのない真はそう答えるしかなかった。しかしその答えを聞いた菫はしょぼんと下を向いてしまう。

「くまさん、かわいいよ」

 そう言われても真は何を言えばいいかわからない。子供はこういうところが苦手だ。という通訳が欲しいと心の底から思う。

「じゃあ、スパゲッティ好き?」
「は?」
「スパゲッティ!」

 なぜそこでスパゲッティが、と思った後に真は自分が先ほどスパゲッティを頼んだことを思い出した。

「まあ…好きっちゃ好きか」

 確かにこういう場に来るとパスタの類を頼むことは多い。好きか嫌いかと聞かれれば好きだろう。
 そう思い肯定の返事を出すと、菫はぱあっと顔を明るくさせた。

「お待たせしましたー。ご注文のボンゴレスパゲティとお子様ランチAセットです!」

 店員が二人の分の料理を持ってくる。目の前に置かれたお子様ランチを見て、菫は再び目を輝かせた。

「はた!」
「旗?」
「えーと…アメリカのはた!」

 菫はお子様ランチのご飯に刺された旗を指してそう言った。

「違う」

 真がそう言うと、菫はキラキラした目をしぼませる。

「ちがうの?おかあさん、言ってた…」

 が言ってたと聞いて、真はすぐに理解する。

「あいつが言ってたのは、こっちだろ」

 真はそう言ってメニューに書かれたBセットの旗を指す。その写真のものこそが星条旗、アメリカ国旗だ。

「それ!」
「こっちはイギリス国旗」
「こっき」
「イギリスの旗」

 がアメリカ国旗とイギリス国旗を間違えるなんてありえないし、菫に嘘を押してるはずもない。単純に菫が「お子様ランチに刺さっている旗はア メリカの旗」と思い込んでいるのだと思い言ってみればやはりその通りだった。

「イギリス、すみれがうまれたところ?」

 菫は旗をご飯から取ってそう言った。

「そう」

 菫は真が海外赴任中に産まれた子供だ。二年前に日本に戻ってきたので、菫はイギリス時代の思い出はないだろうが。

「イギリス…」

 菫はじっとユニオンジャックを見つめる。見知らぬ故郷に想いを馳せているのだろうか。

「冷めるぞ」
「!いただきます!」

 真に言われ菫は慌ててスプーンを手に取った。小さい口で夢中に食事をする菫を見ていると、真の胸にはなんとも言えない感情が湧き立って来る。


「おとうさん、食べるのはやいね」

 早々に食事を終えた真を見て、菫が目を丸くしてそう言った。確かに真は食事スピードが速めだ。

「よくかんで食べなさいって、おかあさん言ってるよ」
「…大人だからいいんだよ」

 無論大人だからいいというわけはない。しかしその言葉は真にとって聞き飽きた言葉だった。と食事を共にすれば、必ず言われる言葉だからだ。
 真は食後のコーヒーを頼もうと店員を呼ぶベルを鳴らした。店員はすぐさまやってくる。

「はい」
「コーヒーひとつ」
「かしこまりました。ご注文は以上で?」
「はい」
「こちら下げてもよろしいですか?」
「はい」

 そう言って店員は真の食べ終えた皿を持つ。それを見て菫がまだ食べ終えていない自分の皿を掴んだ。

「すみれの持ってっちゃだめ!」

 まだ食べ終えてないのだから持っていかれるはずもないのだが、まだ幼い菫にはわからなかったのだろう。ぎゅっと自分の皿を持つ菫を見て、真は思わ ず口角を上げた。

「持ってかねえって」
「ほんと?」
「大丈夫、食べ終わるまで待ってるからね」

 店員に言われようやく安心したのか、菫は皿から手を離し食事の続きを始める。
 真はコーヒーを飲みながらその様子をずっと見ていた。