3rd day

 が入院して三日目。昨日と違い今日は早く帰れる予定だったので、菫を連れての見舞いに行くつもりだ。もう一つ書類を片付けたら会社を出る予定だった。
 仕事中、真の携帯が鳴る。仕事用ではなく私用の携帯だ。相手はベビーシッター。オフィスから出て電話に出た。

「はい」
『仕事中すみません。今よろしいですか?』
「どうぞ」
『菫ちゃん、熱があるみたいなんです。保育園から帰ってきてしばらくは元気だったんですけど…』

 そう言われ一瞬動揺しかけるが、ベビーシッターの声があまり深刻でない。恐らくただの風邪だろう。

『私が病院連れて行ってもよろしいですか?』
「はい。よろしくお願いします」

 早く病院に連れて行って方がいいだろうと思い、ベビーシッターにそう頼む。

『はい。わかりました』

 電話を切って携帯をポケットにしまう。
 別に急いで帰る必要はない。菫が風邪を引いてはの病院には行けないし、病児保育もしてくれるベビーシッターなので自分が帰って面倒を見る必要はない。

「……」

 少しの間考え、真は帰る準備を進めた。





 家に帰ると、菫とシッターはすでに病院から帰っていた。菫は疲れたのか自室で眠っている。シッターから話を聞くとやはりただの風邪のようで、安静にして栄養をとれば問題ないとのことだった。

「すみません、いろいろ」
「いえいえ。じゃあ、菫ちゃんお大事に」
「はい。ありがとうございます」

 そう言って真はシッターを笑顔で見送る。学生時代から幾度となくしてきたから作り笑顔は得意だった。からはしょっちゅう「猫かぶり」と言われたものだが、そもそも他人と接するとき人は仮面をかぶるものだろうと思う。その仮面が厚いか薄いかの違いだ。

 真は服を着替え、菫の部屋に入る。菫の荒い呼吸が聞こえてくる。

「…おとうさん?」

 菫は薄く目を開け真を見ると、小さな声でそう言った。

「おかあさんとこ、行こ」

 そう言って小さな手を布団から出してくる。今日に会うことを相当楽しみにしていたのだろう。

「今日は無理だ」
「なんで…?すみれがかぜひいちゃったから?」

 まさに菫の言葉通りなのだが、「そうだ」と肯定できなかった。昔の自分なら構わず「お前のせいだ」と言っていただろうに。

「おかあさん…」

 菫はとうとう泣き出してしまう。年の割に我慢強い菫だが、体調が悪いときは心も弱くなるのだろう。
 真は一度菫の部屋から出た。ポケットから携帯を出し、に電話を掛けた。

「……」

 長くコール音が鳴り響く。のいる病室では携帯の使用自体は禁止されていない。だが、通話となると特定のエリアでしか許されていないのだ。恐らく今はそこに向かっている最中だろう。

『…もしもし?』

 電話越しに聞いたの声は、ずいぶん久しぶりに聞くような気がした。

「ああ、オレだけど」
『うん。どうしたの?』
「菫が風邪ひいた」
『えっ!?』

 は基本的に冷静なタイプだが、さすがに娘のこととなれば話は別だ。恐らく身を乗り出して真の言葉に耳を傾けているのだろうと想像できる。

「大したことねーよ」
『そう…?』
「まあそっちには行けねえけど」
『そうだね、仕方ないかあ』

 菫だけでなくも残念そうな声を出す。少しの沈黙の後、真は口を開いた。

「菫に代わる」

 の返事を聞く前にもう一度菫の部屋に入る。眠る菫に携帯を渡した。

だ」
「おかあさん?」

 菫は必死に手を伸ばし真から携帯を受け取った。両手で携帯を持ち耳に当てる。

「おかあさん?すみれだよ」

 菫は嬉しそうな、しかしつらそうな声で必死に話す。

「おかあさん、あいたい…」

 菫はあふれる涙を拭うこともせず、ただただに自分の思いを伝えている。

「…うん。やくそくだよ」

 菫は大きくうなずくと、真に携帯を差し出す。

「おとうさん、おかあさんだよ」
「ああ」

 菫から携帯を受け取る。携帯を耳に当てると、の声が聞こえてくる。

『真、菫のことよろしくね』
「…ああ」

 そう言って電話を切る。菫を見やると、泣いてはいるがぎゅっと唇を噛んで堪えている。

「おかあさんとやくそくしたよ。おかあさんもすみれも元気になったら、いっぱいあそぼうねって」

 菫はごしごしと荒く服の裾で涙を拭う。こういうところは似だろうか。

「はやくげんきになる」
「じゃあ、寝ろ」
「うん!」

 そう言って菫は枕元のテディベアを抱き寄せる。それがないと眠れないというのだろうか。

「おとうさん、おやすみ」
「…ああ」

 菫は目を瞑ると、すぐに眠りに落ちて行った。
 真は菫の横に座り、彼女の頬を撫でる。