、機嫌直して?」
「………」

今日の部活は早めに終わるから、帰りに一緒に勉強しよう。
そう約束したけど、氷室がいろいろしてくるものだから、なんだかそんな気分じゃない…。

「ごめんね?」
「…もうしない?」
「うん」

私は大きくため息を吐いた。

「…本当?」
「うん」
「じゃあ、いいよ」
「うん。じゃあ行こう」

そう言って氷室は私の頭を撫でると、そのまま私の手を握る。
向かうのは、氷室の部屋。





「お、お邪魔します…」
「どうぞ」

氷室の部屋に入るのは初めて。
どうしたって緊張してしまう。

、緊張してる?」
「そ、そりゃもちろん…」

しんとした家の中。
…もしかして。

「ねえ」
「ん?」
「…誰もいないの?」
「誰かいるのといないのどっちが緊張する?」
「え!?」

いたらいたで緊張するけど、いないのはもちろん…その…。

「いないよ」
「そ、そうなんだ…」

誰もいないんだ…。
ま、まあでも、二人っきりっていったってまだ付き合って3日目だし、別に…。

「緊張してるのは、何か期待してるってこと?」
「なっ…違うよ!」
「冗談だよ」

氷室が言うと冗談に聞こえない…。
心の中で呟きながら、氷室の部屋に入った。

「適当に座って」
「う、うん…」
「お茶でいい?あとオレンジジュースとかあるけど」
「えっと、お、お茶で」

ぴんと背筋を立たせて正座する。
ダメだ、やっぱり緊張しちゃう…!

「…
「え?」

氷室は正座する私の隣に座って、私に手を伸ばす。
え、ちょ、ちょっと


「あははっ!ひ、氷室!やだくすぐったい!」

氷室は私の脇腹を思いっきりくすぐった。
くすぐられるのなんて久しぶりで、笑いが止まらない。

「ちょ、ちょっと!あははっ!」
「……」
「はあ…、氷室?」
「…はい。お茶持ってくるね」

氷室は私の頭をぽんと叩いて、部屋から出て行った。

「…はあー…」

いきなり何かと思ったけど、少し緊張がほぐれた。
…うん、よかった。

「………」

氷室の部屋は散らかってもないけど綺麗に片付いてもいない感じだ。
ゴミとかはないけど、ちょっとものが乱雑に置かれてる場所があったり。
あまりじろじろ見るのは申し訳ないと思いつつ、やっぱり気になってしまう。

「あ」

目についたのは、ボードに貼られた写真。

「はい、お待たせ」
「あ。ありがとう」

氷室は持ってきてくれたお茶を小さいテーブルに置いた。

「何か気になるものでもあった?」
「あ、えっと、あれなんだけど」

さっきの写真を指差すと、氷室はボードごと持ってきてくれた。

「これ、アメリカの友達?」
「うん」

やっぱり、バスケをしている写真が多い。
今よりちょっと幼い氷室。
なんだか、変な感じ。

「………」
?」

当たり前だけど、私の知らない氷室がたくさんいる。
私にだって氷室の知らない友達がいるし、わかっていたことだけど。
私の知らない氷室の世界があって、それを寂しいと思ってしまう。
過去にまでヤキモチなんて、バカみたいだ。

「………」
「…こいつはね、あっちに行って初めて仲良くなった奴」
「え?」
「小学校が一緒でさ。最初は言葉通じなくて大変だった」

氷室は優しい目で私を見て、私を柔らかく抱き寄せる。

「気になることがあったらなんでも聞いて。全部答えるから」
「…うん」

私の心を見透かしたような言葉に、胸の奥が温かくなる。
知らないことはたくさんあるけど、きっと教えてくれる。

「…この人、日本人?」
「ああ、一個下でね。火神大我っていうんだ。今は日本に帰ってきてて、インターハイの後に会ったな」
「インターハイ出てたの?」
「いや、出てないけど、たまたまね。でも冬にはきっと対戦できる」

そう話す氷室の横顔は嬉しそうな半面、どこか寂しそうだ。

「…何かあったの?」
「え?」
「なんか、複雑な顔してるから」

そう聞いてみると、氷室は苦笑する。

「…いろいろあったんだよ」
「聞いてもいい?」
「長くなるけど、それでもいいなら」
「うん」





あれからいろんな話を聞いた。
さっきのタイガくんの話や、バスケの師匠の話。
すっかり話し込んでしまって、大分時間が経ってしまった。

の話も聞きたいな」
「私?」
「オレの知らないの話が聞きたい」

私の話…。

「今度アルバム見せて?」
「え」
「嫌?」
「い、嫌って言うか恥ずかしいと言うか…」

中学のアルバムとか写真映り悪いし今よりアレだし…。
…でもまあ、私も氷室の写真ジロジロたんだから…。

「…うん。今度持ってくるね」
「楽しみにしてるよ」
「あ、ねえ、あれは?」

私が指差したのはまた別の場所にある写真ボード。

「これはこっち来てからのやつだよ」
「あ、本当だ…敦とかいる」

インターハイや合宿の写真が多く貼ってある。
というか、そればっかり。

「部活のばっかりだね」
「部活ばっかりしてきたからね。だってそうだろ?」
「うん…。やっぱ合宿のが多いね。これ最終日の花火のときのでしょ?」

一つ一つ指しながら思い出話を語って行く。
あれからひと月も経ってないのに、ずいぶん前のことみたいだ。

知らない氷室と知ってる氷室。
教えてもらうのも、思い出をなぞるのも、楽しい。

顔をほころばせながら写真を見ている途中、ふと外を見る。
気付けば、外はもう暗い。

「…あっ!」
「どうしたの?」
「もうこんな時間!」

今はまだ夏と言っていい季節。
それなのに、この暗さは…。

「勉強!勉強しに来たのに!」
「この時間じゃ、もう無理だね」

昨日一生懸命まとめたノート。
使わないで終わるなんてショックすぎる…。

「はあ…」
「じゃあ、また今度」
「え?」
「いつでも教えてくれるだろ?」
「あ…」

そうだ。
別に今日一回だけじゃない。
これからいくらでも、こんなチャンスはあるんだ。

「…また来るね」
「うん。いつでもおいで」

氷室の言葉に胸の奥が弾む。
…また来よう。
そう思って鞄を手に取ると、氷室が寂しそうな声を出した。

「あ、もう帰っちゃうの?」
「え?だってもうこんな時間だし…」
「もう少しだけ。ね?」

氷室は切なげな顔でそう言うから、私は断れるはずもない。
ま、まあ、今から勉強するには遅すぎるけど、ちょっといるぐらいなら…。
私はもう一度氷室の隣に座りなおした。

「…じゃあ、5分だけね?」
「うん」

氷室は私の体をぎゅっと抱きしめて、おでこにキスをする。
う、わ。
顔がカーッと赤くなるのを感じた。

「ひ、氷室、あの」
「ん?」
「…えっと…」

な、なんでこんなにドキドキするんだろう。おでこにされただけなのに。
…あ、そうか。

「…っ」
「顔が真っ赤だ」

今度は唇にキスをすると、氷室はちょっと笑いながらそう言った。

「…だって、その、二人きりだから」

考えてみれば、こうやって二人きりになるのは初めて。
部室で二人だけになることはあったけど、それはちょっと違うし、お見舞いに来てくれたときも同じ家にお母さんがいた。
二人きりで、キスをして。
赤くなって、当然だ。

「…
「…?」
「ねえ、あと10分にしない?」

氷室の言葉に、思わず笑ってしまう。

「それ言ったら、多分、きりがなくなっちゃう」
「…じゃあ、絶対15分。これで決めた」
「伸びてる」
「じゃあ、10分でいい?」
「…15分」
「決まり」

氷室は私をより一層強く抱きしめる。
だから私も、氷室をぎゅっと抱きしめた。

二人きりでキスをされると赤くなって恥ずかしくて。
でも、嬉しい。嬉しくて、ドキドキする。
ドキドキして、恥ずかしくなって、赤くなって。
そうしたら氷室はそんな私を見て可愛いと言って、またキスをする。

明日も学校で会える。その次も、その次の日だって。
またここに来る約束だってした。
だけど、離れたくない。帰りたくない。

15分だけじゃなくて、本当はもっと、ずっと一緒にいたいよ。













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13.02.01