「おお、氷室に。いらっしゃいアル」

……とうとう着いてしまった。劉のお化け屋敷。

「…ね、ねえ。やっぱり…」
「どうしたの?」
「…なんでもない」

やめない?なんて言おうとしたけど、レギュラー陣の中で劉のところだけ行かないのも変だし、
それに何より、今更そんなこと言ったら、氷室が余計に喜びそうで…。

「せっかくだからまけてやるアル。一人分でいいアル」
「劉は優しいね」
「………」
「?、顔色悪いアル。大丈夫アルか?」
「……大丈夫」
「うちのお化け屋敷は本格派アルよ。覚悟がないならやめておいたほうがいいアル」

劉はにやりと笑ってそう言い放つ。
そう言われると、すぐに「大丈夫」とは答えられない。

「…えっと」
「大丈夫だよ。ね?」

氷室はにっこりと笑ってそう言う。
笑っているはずなのに、今まで見た表情の中で、一番怖い。
………ど、どうしよう。

「じゃあ、ちょっと待つアル。すぐ順番来るアル」
「え、劉、ちょっと待って」
「?やっぱりやめるアルか?」
、どうしてもダメかな?」

氷室はちょっと眉を下げてみせる。
私がその表情に弱いことを知ってか知らずか。

「ダメじゃ、ないけど…」
「じゃあ、決まりだ」
「お二人さん、もう入って大丈夫アルよ」

拒否しきれずに頷くと、氷室はまた笑う。
一つため息を吐いて、覚悟を決める。
そう、そうだよ。たかだか高校生の文化祭。そんなに怖くはないはず。うん、大丈夫!

劉に促され、私と氷室はお化け屋敷に入って行った。
当たり前だけど、暗い。

「…っ」
?」

や、やっぱりちょっと怖い…!

「ふふ」
「な、なんで笑ってるの…」
「だって、がこんなに抱き着いてくるの、あんまりないからね」
「っ!」

気付けば、恐怖のせいかいつの間にか氷室の腕にしがみついている。
顔がぽっと赤くなったのを感じて、思わず少し離れた。

「あれ?いいの?」
「だって…」
「怖くないの?」
「……」

確かに、何か掴むものがないと恐怖が増す。
で、でも…。

「怖いんだろう?」
「こ、怖いけど…」
「じゃあ、はい」

そう言って氷室は腕を私の方へ持ってくる。
少し迷ったけど、それをぎゅっと掴んだ。

、可愛いね」
「…そ、そればっかり」
「…ねえ、こんな話知ってる?」

氷室は楽しそうに笑いながら、語りだす。
何だろうと耳を傾けたのを、その後私は心底後悔した。





、大丈夫?」
「……大丈夫じゃない」

お化け屋敷から出て、青ざめた私を落ち着けるため氷室は私の手を引いて、文化祭で賑わう場所から少し離れた奥まったベンチに連れて行ってくれた。
…青ざめた原因の半分は氷室なんだけど。

「怒ってる?」
「………」

最初こそ怖かったものの、お化け屋敷自体はそこまで怖くなかった。私でも十分耐えられそうな感じだったのに。
氷室の腕を掴んで恐怖を耐えようとしていると、氷室は暗闇でも分かるぐらい楽しそうな顔をして。
お化け屋敷を歩きながら、うきうきと怖い話を話してきたのだ。

が可愛いから、つい、ね」
「……」
「ごめんね?」
「……ミルクティー」
「え?」
「あそこの自販機で買ってきて」

少し頬を膨らませてそう言ってみる。
これくらいの我儘は許されるはずだ。

「はい。お姫様」
「なっ…」

顔が赤くなるのを感じて、氷室の腕を軽く叩く。

「お、怒るよ!?」
「はは。すぐ戻って来るから」

……も、もう、ほんとに……。

はあ、とため息を吐いてベンチに座りなおす。


…それにしても、結構回ったなあ。もう時間はあまり残っていないけど。
30分代わってくれた友人には改めてお礼を言わないと。

…でも30分なかったらお化け屋敷は行かずに済んだかもしれないのか…。


ぼんやりそんなことを考えながら氷室を待つ。
…というか、遅いな。
自販機はそんなに遠い場所じゃないんだけど。


「…?」

まさか何もないだろうけど、少し心配になって自販機の方へ向かう。

「あ」

自販機の前に氷室の姿。
目の前には、数人の他校の女の子。

…なんか、嫌な予感。

「ねえ、このお店ってどこでやってますー?」
「向こうの棟ですよ」
「あ、そうなのー?」

…道を聞かれてるだけ、ではなさそうだ。

「どうやって行くんですかー?よかったら案内してくださいよー」

や、やっぱり…!
猫撫で声で甘えたような喋り方。
間違いない。逆ナンされてる。

「…いや、人を待たせてるので」
「えー、じゃあその子も一緒でいいよ?」
「あの子だけど、いいの?」

氷室はいつ私に気付いてたのか。
くい、と顔を私の方に向けてそう言った。

「…あー、女の子…」
「あの子と一緒でいいなら、喜んで案内するけど」
「…お邪魔様〜」

女の子の集団はひらひら手を振って氷室の前から去っていった。

、遅くなってごめん」
「………」
「怒ってる?」
「…別に」
「嘘だ」

氷室は私の頬を優しく撫でる。

「…氷室のせいじゃないから」
「でも」
「怒ってるんじゃないよ」

怒ってるんじゃない。ただ、そう。
ただ、妬いてるだけだ。

「じゃあ、こうやって歩こう」
「えっ…」

そう言って氷室は私の手を取る。
こうやって、って…。

「そ、それはちょっと…」
「これならきっと誰も寄ってこないよ」
「でも」
は我儘だな」

氷室は困ったように笑う。
…本当だ。私は自分で思っていたよりずっと我儘だ。

「…もう、大丈夫。行こう?文化祭終わっちゃう」
「…うん」

そう言って手は離して、残り少ない時間で文化祭を見て回った。






「あー、疲れたー」
「疲れてんなよー。明日もあんだからな」

文化祭一日目の公開時間が終わり、今は簡単な片付けと明日の準備。

「楽しかった?」

今日、譲ってくれた友人にそう聞かれる。
彼女はホール担当だけど、そちらの準備が大半終わったのでこちらに来てくれた。

「うん。ありがとう」
「そっか。よかった」
「本当にありがとね」

明日は私も氷室も休憩時間がバラバラだから一緒に回ったりはできないだろう。
友達とも回りたいし、明日はみんなで回ろう。

「はーい、みんな準備終わったー?もう門閉まる時間だから解散してー」

実行委員の手をたたく音が響く。
手を洗って帰る準備をしないと。

、氷室くんと帰るんでしょ?」
「うん」
「じゃ、私先帰ってるねー」
「うん。バイバイ」

エプロンを鞄に入れて、下駄箱へ向かった。





「楽しかったね、今日」
「うん」

手を繋いで歩く帰り道。
いつも部活で遅くなるから、普段より明るい道だ。

「…?」
「なに?」
「やっぱり、怒ってる?」

足を止めて、氷室は私の方を向く。

「お、怒ってないよ」
「…そうだね。怒ってるって言うより、元気がない」

氷室はまた私の頬を撫でる。
優しい手だ。

「さっきのこと?」

そう聞かれて、小さく頷いた。
涙が出そうだ。

「ごめんね」
「…氷室のせいじゃないよ」
「でも」
「違うの」

違う。氷室のせいじゃない。そんなのわかってる。

「氷室のせいじゃなくて、私が…」

「…嫌なの、氷室が他の女の子に話しかけられたりするの」
「オレが好きなのはだけだよ」

わかってる。いつもそう言ってくれるから。その言葉が嘘じゃないって、わかってる。
それでも。

「わかってる、けど、嫌なの」

今回のことだけじゃない。氷室はいつもいろんな女の子から人気で、よく話しかけられて。
そういうの、全部断ってくれてるのわかってるけど、それでもいつも嫉妬してしまう。


「…ごめんね。氷室のせいじゃないのに、変なこと言って」
「いいよ。言いたいこと、全部言って」

言いたいこと、なんて、そんなの。

「だって、変なことばっかり」
「いいよ。無茶なことでもなんでもいいんだ。の思ってることが聞きたい」

氷室は私を優しく抱きしめる。
堪えきれなくなった涙が溢れた。

「あの、ね」
「うん」
「女の子に告白とか、ナンパとか、されたらやだ」
「うん」
「他の女の子に、優しくするのも嫌」
「わかった」
「…私だけ、見ててほしい」
「他には?」
「……キスしてほしい」

氷室は優しくキスしてくれる。
でも、それだけじゃ嫌だ。

「…一回じゃ、やだ」

「もっとして。たくさん、いっぱい」

そう言えば、何度も何度もキスをしてくれる。

氷室の制服を掴みながら、彼の優しさを噛み締める。
氷室が好きで、最初は一緒にいるだけで幸せだった。
だけどそれだけじゃ物足りなくなって、他の女の子が一緒にいるのが嫌と思うようになって、
好きだと言ってもらっても、それでも足りない。
もっと、もっと、そんなふうに思ってしまう。
氷室の一番になっても、まだ足りないなんて、私はどれだけ求めれば気が済むんだろう。

氷室を好きになるまで、自分がこんなに我儘なんて知らなかった。
氷室が好きで、すごく好きで、一緒にいると幸せで。
だけど、苦しい。

氷室が好きで、苦しい。






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13.03.08