放課後、部活をしていると進路指導担当の先生が体育館にやってきた。 第一志望の大学の推薦をもらえることになったのだ。 「ありがとうございます!」 「ああ、がんばってたからな」 一応小論文と面接はあるけど、相当のことがない限り落ちることはない。 監督に断りを入れて、親にも連絡を入れた。 これで一安心だ。 そのはずなのに、どこか喜びきれない。 辰也の件が、怖い。 私はこれで、東京に行くことがほぼ決まった。 辰也とは、離ればなれになるかもしれないんだ。 怖くて怖くて仕方ない。 * 「、お待たせ」 全体練習が終わり、辰也が自主練を終えるのを部室で待っていると、辰也が笑顔で部室に入ってきた。 「お疲れ」 「、推薦決まったんだって?」 辰也の声は少し高く興奮しているようだ。 笑顔の理由はこれか。 辰也は私の吉事を、いつも自分のことのように喜んでくれる。 「うん」 「よかったね。お祝いしようか?」 「気が早いよ、まだ合格したわけないし」 「そうだけど…簡単なお祝いぐらいさ。オレもに話したいことあるし」 辰也は真っ直ぐな瞳で私を見つめてくる。 話したいこと、それは進路の話だろうか。 怖いけれど、聞かなくてはいけない話だろう。 ぐっと心の中で決意を固めた。 「…うん」 辰也が帰り支度を整えるのを待って、二人で辰也の家に向かった。 * 「はい、ココア」 辰也の家に行くと、辰也がココアを淹れてくれる。 今日は上に生クリームが乗っている。 「わ、なんか豪華」 「今日はお祝いだから。今はこんなことしかできないけど…ちゃんと決まったらケーキでも食べよう」 「ありがとう」 カップに口を付けると程よい甘さが口の中に広がる。 辰也は何度も入れてくれてるから、私の好みをちゃんと把握してくれているのだ。 「おいしい」 「よかった」 なんでもない会話が胸に沁みる。 辰也の言う「話したいこと」は、ほぼ間違いなく進路のことだろう。 『室ちん、卒業したらアメリカ行くって言ってたよ』 敦の言葉がずっと頭の中でリフレインしている。 辰也がアメリカに行くというのなら、私は応援しなくちゃいけないのだろう。 だってきっと辰也はやりたいことがあって、夢や希望を持ってその道を選んだのだろうから。 「進路のことなんだけど」 辰也の言葉に、肩を強張らせる。 怖い。 「…?」 私の様子がおかしいことに気付いたのか、辰也が話を中断して私の顔を覗き込んでくる。 その優しい表情に、堪えていた感情が溢れ出す。 「辰也…」 ぎゅっと辰也の服の裾を掴む。 口を開いた瞬間に、涙がポロポロと零れた。 「行っちゃやだ…っ」 溢れた涙が止まらない。 行ってほしくない。離れたくない。 それが辰也の夢だとしても、私はどうしてもそう思ってしまう。 辰也と離れるなんて、耐えられない。 国内ならまだしも、アメリカなんて遠すぎる。 どうしても、行ってほしくない。 「…」 辰也の優しい声が小さく響く。 今は優しい言葉がつらい。 「どこに?」 辰也がきょとんとした声でそう言う。 …どこに? 「え…?」 「いや、本当に…」 顔を上げると、辰也は本当にわからないといった顔をしている。 慌てて辰也に聞く。 「え、だってアメリカに行くって」 「オレが?」 「う、うん」 「いつ?」 「卒業したらって…敦が言ってたよ」 恐る恐る聞くと、少し考えた後辰也は納得したように「ああ…」と呟いた。 「卒業したら…っていうか、1月に入ったら3年は暇になるだろ?そのときアレックスや友達に会いにアメリカに遊びに行きたいなって話はしたけど」 辰也は少しバツの悪そうな顔で言う。 アメリカに行くって、遊びに!? 「だ、だってさっきこの間荒木先生ともそういう話してたし」 「さっきって、教官室の?」 「うん…。アメリカとか、気軽に行けないとか、そういう話してたでしょ…」 「ああ、あれか。あれはさ」 辰也は優しい瞳で私を見つめる。 「オレ、ありがたいことにスカウト2校からもらって、どっちにするかずっと悩んでたんだ。この間その件について監督に相談してたとき、監督の昔の教え子って人が来てさ。スカウト来たひとつの学校がその人の母校で、いろいろ聞かせてもらって…。で、その人の母校にすることにしたから、アドバイスもらったお礼とかもしたいなって話をしたら、その人は今アメリカで仕事してるらしくて、じゃあ気軽に会いに来られる距離じゃないんですねって」 辰也曰く、さっきの監督との会話はこうらしい。 「そうか、決めたか。あいつの母校のほうに」 「はい。学校見学もして、いいところだなって思ったので」 「そうか。じゃあ推薦書を書いておくよ」 「ありがとうございます。…そういえば、この間のOBの方ってこの近くに住んでるんですか??」 「ああ、あいつか」 「はい。いろいろアドバイスもらったお礼も言いたいですし、あとできたら一回ぐらい一緒にバスケしたいなって思ったんですが」 「いや…あいつは今アメリカで働いてるからな。遠いからな…たまたま休暇が取れて帰省してたが、もう向こうに戻ってるはずだ」 「あ、そうなんですか…気軽に来られる距離じゃないですね」 「そうだな。まあ、教師としては元気でやってくれればそれでいいさ。しかしお前もバスケバカだな。経験者と見るとすぐにバスケをしたいと言うんだから」 「…こんな感じなんだけど」 辰也の言葉にようやく勘違いなのかと思い始める。 私、思い切り泣いてしまったのだけど…。 「え、あ、えーと…あれは!?本棚にあった大学案内!」 「え?」 「英語の奴?」 「…?」 辰也は本当にわからないといった顔で首を傾げる。 辰也に断って、この間見つけた案内を本棚から取り出した。 「これ」 「…?ああ、これか!」 辰也はそれを見てようやく納得した顔を見せた。 「これ、アメリカにいたときにもらったやつだよ。あっちにいた頃はずっととまでは言わなくても大学まではアメリカかなと思ってたし…これ、持ってきてたんだな」 辰也は少し懐かしそうな顔で案内を見つめた。 ぎゅっと拳を握って、核心部分を聞く。 「じゃ、じゃあ、アメリカには」 「行かないよ。大学も東京の大学に決めたし」 そう言われ、全身の力が抜けた。 辰也に倒れ込んでしまう。 「」 「…私たち、ずっと一緒なんだよね?」 「もちろん」 ほっとして、また涙があふれてくる。 さっきとは違う涙だ。 安心して、糸が切れたかのようにぼろぼろと涙があふれ出す。 「辰也…」 「大丈夫だよ、。言っただろ?を置いてどこかに行くわけないって」 その言葉にはっと顔を上げる。 確かに辰也は前々からそう言ってくれていた。 「あのね。辰也のこと信じてなかったわけないの」 その言葉を信じてなかったわけじゃない。 「ただ、どうしても不安で…」 辰也は確かに「どこにも行かない」と言っていたし、その言葉を信じていた。 だけどそれを否定するような事実ばかりが重なって不安ばかりが募ってしまった。 「わかってるよ、」 辰也は疑った私を優しく抱きしめてくれる。 温かい。 「信じていても不安になる気持ちはよくわかる。オレもそういうことあるから」 辰也はよしよしと私を宥めるように頭を撫でる。 少しずつ心が落ち着いてくる。 「うん…」 「大丈夫だよ、」 辰也がぎゅっと私の手を握る。 大きな手で私の両手を包み込んでくれる。 「オレは絶対いなくならない。ずっとずっとのそばにいるよ」 「うん」 「と離ればなれなんて、オレが耐えられないよ」 辰也の言葉にうれしくなって、彼に飛びついた。 ぎゅっと抱きしめると抱きしめ返してくれる。 「絶対だよ」 「うん」 「ずっとずっと、一緒だよ」 そう言うと、辰也は答えの代わりにキスをくれる。 また涙が一つこぼれた。 「ごめんね。がずっと暗い顔をしてたのわかってたけど…前に言ってた推薦取れるかって心配してたのかと思って」 「ううん…私もずっと聞けなくて」 聞いて、もし肯定されたらどうしようと思うとどうしても聞けなかった。 こんなことなら早く聞けばよかったけど、怖かったのだ。 「、オレは絶対にのそばを離れない」 辰也は真っ直ぐ私を見つめる。 その言葉を今日何度聞いただろう。 何度聞いても、私を安心させてくれる言葉だ。 「約束だよ」 辰也は小指を差し出してくる。 私も小指を出して、その指を絡めた。 「絶対ね」 「もだよ」 「うん」 そう言って指切りをする。 ずっとずっと不安に思っていたことが消え去っていく。 「ずっと一緒だね」 「うん。卒業しても、就職しても、おじいさんとおばあさんになっても、死んでも、オレたちは一緒だよ」 辰也は真っ直ぐ私を見つめて、優しい声でそう言ってくれる。 「うん!」 * 「すげー室ちんに怒られたし」 次の日、部活を終えた敦が帰り際に不機嫌顔でそう言ってきた。 「?」 「『のこと泣かせただろ〜』って。室ちん、アメリカ帰るんじゃないんだね」 「!そうだよ!」 昨日のことを思い出して、思わず高い声を出す。 元はと言えば敦の発言が原因で…! 「帰るって、春休みに遊びに行くってことだったんでしょ!?」 「そうみたいだね〜。ま、いいじゃんこれからも一緒なんでしょ?」 「それはよかったけど…」 唇をとがらせていると、辰也がやってきた。 少し不機嫌な顔だ。 「アツシ、またに変なこと吹き込んでるんじゃないだろうな?」 辰也は低い声でそう言ってくる。 敦は明後日の方向を見て「別に〜」なんて言っている。 「を泣かせたこと許してないよ」 「ごめんってば。許してよ〜わざとじゃないし。はい、お菓子あげるから」 そう言って敦は辰也のまいう棒を一本取り出す。 だけど辰也はその手を跳ね除けた。 「謝るのはオレにじゃないだろ」 「ああ、そっか」 そう言って敦は私のほうに向き直す。 「ちん、ごめんね」 敦は私にまいう棒を差し出してくる。 ちょっと申し訳なさそうな顔で。 「…もう。しょうがないなあ」 なんだかんだと私は敦に甘い。 こう言われれば許してしまう。 「うん。ごめんね」 「いいよ、私もいろいろ勘違いしてたし…」 ぎゅっと敦にもらったお菓子を握る。 敦の言葉だけじゃなく、私も勝手に勘違いしてたわけだし、こんな顔されたら絆されてしまう。 「だよね、そうだよね」 「アツシ」 「はい、ごめんなさい」 開き直ろうとした敦を辰也が制する。 もう、本当にいいのに。 「じゃ、敦またね」 「うん。ばいばーい」 そう言って辰也と一緒に帰路につく。 しっかり手をつないで、一歩一歩しっかりと歩き出す。 「まったく…アツシにはしっかり言っておかないと」 「もう大丈夫だから、本当に」 「でも、の泣き顔なんてできれば見たくないよ」 辰也は私の頬を撫でながらそう言う。 「うれし泣きならいいんだけどね」と付け加える辰也の顔は穏やかだ。 「…辰也、ごめんね」 「?」 その手をぎゅっと握った。 昨日、言えなかったことを言わなくちゃ。 「私ね、辰也が本当にアメリカ行きたいなら応援しなくちゃいけないって、わかってたの。だけど、どうしても、応援できないって思って…」 恋人として、辰也がアメリカに行くというのなら応援しなくてはいけなかったのだろう。 だけど、何度思い直してもできなかった。 「行かないでほしい」という感情ばかりが先立ってしまったのだ。 「いいよ、そんなの。きっとオレだって同じこと思っただろうし」 「でも」 「」 辰也は私の唇を人差し指で押さえる。 有無を言わせない顔だ。 「もういいんだ。オレはどこにも行かないし、もどこにも行かない。そんな悲しい仮定の話、しなくていいんだ」 優しい口調でそう言われると、微笑まざるを得ない。 「うん。そうだよね」 「うん」 「ずっとずっと一緒だもんね」 握った辰也の手は温かい。 ずっとずっと、私はこんな温もりを感じる続けるのだろう。 ← top → 15.06.04 |