バレンタインの三日後。
私と辰也は数日ぶりに部活に顔を出した。

ちーん」

体育館に入ると、敦が駆け寄ってきた。
「ん」と右手を出し、何かを期待する目で私を見つめている。
敦がなにを求めているかすぐに察した私は、鞄からチョコレートを取り出した。

「はい」
「わー! マジでくれんの!?」
「マジでって……」
「室ちん怒らないの?」
「怒らないよ。ちゃんと約束してるから」

バレンタインのチョコレートは義理ならお互いもらうのもあげるのも問題ない。
辰也と話し合って決めたことのひとつだ。

「へえ〜、なんかめんどくさいことしてるね」
「面倒くさいって……ちゃんとこういうこと話さないといけないかなって」

辰也と一年半付き合ってきて、「話し合う」ということが大切だとよくわかった。
細かいことでもなんでも、私たちはちゃんと伝え合おうと決めている。

「ふうん。それがラブラブの秘訣?」
「そう、かな? だといいな」
「はー、ごちそうさま〜」

敦は早速チョコレートを食べながら部室のほうへと歩いていく。
大きな口に目一杯頬張っているのを見ると、チョコレートは気に入ってくれたようだ。

さて、ほかの部員にもチョコレートを配らないと。
鞄の中を確認していると、向かいの入り口に荒木監督の姿が見えた。

「監督!」

監督の元に駆け寄って、鞄からひとつチョコレートを取り出した。

「おお、。今日も来てるのか」
「はい。監督、少し遅くなりましたけどバレンタインのチョコです」

そう言って監督にチョコレートを差し出すと、監督は綺麗な目を丸くした。

「私に? いいのか?」
「はい。監督にはお世話になってますから」
「そうか。ありがとう。確かここに……」

監督はゴソゴソと手に持っていた鞄の中を探り出す。

「ほら、お返しだ。こんなものしかなくて悪いがな」

監督が鞄から取り出したのはクッキーだ。
封の開いてないそれは、コンビニで売っているものより少しオシャレな雰囲気だ。

「わ、いいんですか? ありがとうございます」
「ああ。悪い、手元にはこんなものしかなくてな」
「こんなものって……素敵ですよ。ありがとうございます」
「本当ならちゃんとお返しとして買ったものを渡したいところだが、来月はもういないしな」
「あ……そうですね」

来月のホワイトデーの直前に、私たちは卒業する。
もう、卒業まで一ヶ月を切った。

「残り少ないが、後悔のないようにな」
「はい」
「もうそうそう来る機会もないだろう。校内を見て回るのも悪くないぞ」

そう話す監督の瞳は郷愁に満ちている。
もしかしたら、監督も高校を卒業するとき校内を巡ったのかな。

そうこうしている内に、体育館に部員が集まってくる。
そろそろ私も準備を始めないと。




三月の初旬、卒業まであと数えるほどの日数しかない。
そんな折り、私と辰也は部活のある日曜日、少し早めに学校にきた。
辰也と一緒に学校内を見て回るためだ。

最初に来たのは、私たちの始まりの場所。

「ここで初めて辰也に会ったんだよね」

忘れもしない高校二年の夏休み。図書館へ行くためにグラウンドを歩いていたら野球の硬式ボールが飛んできて、辰也がかばってくれた。
あのとき初めて辰也に会って、バスケ部のマネージャーをすることになって……辰也を好きになって、辰也と恋人同士になった。
すべてのはじまりは、ここから。

「懐かしいな」
「ね」

今は雪が積もっていてあのときとはまるで違う。
でも、大切な場所だ。


次に向かったのは、二年生のときの教室だ。
さすがに今はほかの生徒の教室だから中には入れない。
廊下から教室の中を眺める。
辰也とは同じクラスで、毎日ここで一緒に授業を受けていた。

「辰也、最初の窓際の席だったよね」
「うん。後夜祭のとき、あそこでキスしたよね」

「懐かしいな、あの頃はキスどころか手を繋ぐだけで真っ赤になってた」
「……だって、全部初めてだったんだもん」

キスをするのも、手を繋ぐのも、付き合うのもすべてが初めてのことで、いつもいっぱいいっぱいだった。
それどころか顔を見るのもドキドキしてしまって恥ずかしかったぐらいだ。

今もドキドキするのは変わらないけれど、もっと穏やかで優しい気持ちに包まれる。

「後夜祭、結局一回も出なかったけど何してるんだ?」
「クイズ大会とか。優勝した人がお菓子セットもらえたり」
「へえ……じゃあ出なくてもよかったな。と二人でいるほうが楽しそうだ」

辰也は微笑んで私のおでこにキスをする。
もう、辰也はいつもこうなんだから。


ほかにも屋上、教会、いろんなところを見て回った。

どこも辰也と一緒に過ごした大切な場所だ。

そして最後はやっぱりここだろう。

「……っと」

最後に来たのは体育館。
どうせこの後部活が始まったら来ることになっているけれど、二人で来るのはまた違った気持ちになる。

「高校生活はずっとここにいた気がする」
「ふふ、そうだね」

毎日のように部活をやっていたから、教室よりここで過ごした時間のほうが長いような気がする。

「オレは大学入ってもバスケ漬けだけど、はどうするの?」
「んー……どうしよう」

二年の夏休みからバスケに関わるようになってバスケのことも大好きになったけれど、大学でバスケに携わるかはまだわからない。
一人暮らしで大学の勉強してアルバイトをして部活も、となるとおそらく想像以上に大変だろう。
だからと言って陽泉の部活に慣れてしまったからあまり緩いバスケ部のマネージャーになるのも乗り気になれない。

「まだわからないや。一人で暮らすのどれだけたいへんかもまだわからないし……」

下手したら家事だけでいっぱいいっぱいなんてことにもなりかねない。
バスケは好きだけれど、選手やマネージャー以外にも関わる方法はあるはずだし。

「そうだね、一人暮らしか……心配だな。あんまり遅くならないようにね」
「も、もう、またそれ?」
「心配するさ。なにかあったらすぐ呼んで。駆けつけるから」
「ありがと」

迫る一人暮らしに不安は多い。
家事はもちろん、東京は危ないところだって言う人も多いし、そういう面での不安もある。
そしてとても子供っぽいとはわかっているけど、一人暮らしは寂しそうだなあという不安も。
でも辰也がそばにいるし、きっと大丈夫。

「…もう、本当に最後なんだね」

卒業式まであと一週間。
もう学校に来る機会は数えるほどしかない。
この学校とお別れだ。
たくさんの思い出が詰まったこの場所と。

学校の中を巡ってみて、私はこの学校が大好きだと改めて感じた。
建物全体がクラシカルで、落ち着いた雰囲気を持っている。
クリスチャンではないけれど、陽泉にいるとなんだか神聖な気持ちになってくる。

「いい学校だったなあ」
「ね」

体育館の隅に座って、ごろんと辰也に体を預ける。
もうすぐみんながやってくる。
それまで二人でこうしていたい。





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17.02.07